2004年08月27日

後追いメンタリティーから解かれよ

シンクロの団体がどうも芳しくない。宿敵ロシアを追い越すことが悲願。しかし、すでにペアでは負け。何しろロシアは芸術点が満点であるから、追い越すことはテクニカルと芸術で限りなく満点に近い得点が必要となる。団体でも人間風車(ビル・ロビンソンを思い出すなあ〜知ってます?・・・でも水車じゃないの、と古舘氏が指摘していました)が乱れてロシアに水を明けられた。

勝負において勝つタイプは二つある:ひとつは前から書いている通り、勝ちを意識しないで、無心でやったところ勝ってしまったというタイプ。もうひとつはもともとの実力の差があって、すでに自分は勝っていると勝負の前から信じているタイプ。水泳の北島、柔道の谷や野村のタイプ。

同様に負けるタイプも次の二通り:ひとつは勝ちを意識して堅くなりポロっとミスをしたり、力を発揮できないタイプ。もうひとつは何とか宿敵を抜こうとして頑張るも及ばないタイプ。「追い越そう」という意識がすでに敗北。共に勝負に対してメンタルな部分で負けている。彼女たちはロシアを追い抜く必要が無いメンタリティになる時に勝てる。

霊的な勝利もまったく同じ。聖霊派では「霊の戦い」と称して、何でもかんでも問題を悪霊のせいにして、人から悪霊を追い出そうと「悪霊よ、出よ〜」とえらい剣幕で叫ぶ人たち、あるいは神社の周りを「悪霊退散」と叫びながら回る人たちがいる。

かと思うと、悪霊追い出しの有名な牧師が、ある新聞に「神社に来るたびに、神社は何百年も存続しているが、自分の教会は大丈夫だろうとか不安になる。この不安に負けないためにも悪霊追い出しをし続ける必要がある」と書いていた。この人はすでに負けている。シンクロがロシアに勝てないのと同じ。お分かりになりますか?

キリストはすでに十字架であらゆる霊的諸勢力に対して勝利している(完了形!)。私たちはキリストとひとつにされることにより(包括の原理)、その勝利をすでに得ているのである。クリスチャンは天地の王と共にその座に座しているのである(エペソ1:20;2:6)。

悪霊を恐れる人や、霊の見分けと称して何でもかんでも悪霊に責任を押し付け、ついには人を悪霊憑き呼ばわりしつつ、霊の戦いに邁進する人々はこの座から自ら降り、パラノイドの病理に陥っている。

これから霊の戦いを私たち自身がするのではない。それはすでに終わっている!同様に問題をイロイロな方法で解こうとして、あちこちのカウンセリングやヒーリングセミナーをさ迷う人も同じ。その態度が敗北を招いていることに気がつかない。問題はすでに解かれている!この事実を忘れ、自分で何とかしようとしている。ここですでに欺かれている。

クリスチャンはあらゆる場面において、すでに成就している事実に立ち続け、その適用を信仰によってなすだけである。これから頑張って獲得するのではなく、すでに獲得しているものを実体化するだけである。すでに私たちは金メダリストとされている!で、お聞きしましょう:あなたはコレを信じますか?

いや、自分などはとてもとても・・・ぶつぶつ。はい、その通りに敗北者となるだろう。感情ではとてもピンと来ませんが、聖書に書いているので信じます、アーメン。はい、その通りの勝利を経験するだろう。山は動き海に沈み、目の前の水は割れて道が開かれるだろう。敵はすでに敗北しており、あなたに対して何もなし得ない。勝利が経験的に実体化される!

北島の「チョー、気持ちいい!」といった、ある意味で不遜な態度がかえって爽快感を覚えるように、「私はすでに勝利者である!」と宣言することは、偽りの謙遜を装う人々には不快感を与えるであろうが、天の軍勢はそれを爽快に感じている。もちろん、その告白は父なる神に栄光を帰する。クリスチャンはすでに勝利者であり、金メダリストなのである。あなたはこれを信じますか?敵の前で宴を設け、「チョー気持ちいい!」と、その喜びをエンジョイしているだろうか?

(注:こう聞かれて、「いや、自分はまだまだ。もっと奮闘努力を・・・」と思った方、罠に落ちてますよ。)