* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
27日の日記で、メル・ギブソンの映画について「少し楽しみ」と書いたが、これには意図(わけ)がある。
ユダヤ人が、またぞろ差別を受け、迫害を受けるからと騒いでいるようであるが、これは彼らのパラノイドによるとして、クリスチャンがこの手の映画を手放しで歓迎するのもおかしい。
主は言われた「わたしに従いたい者は、自分を否み、自分の十字架を負ってわたしに従え」と。主はすでに十字架を負ってくださっている。今真に必要なのは、わたしたちのひとりひとりの十字架である。
この映画を見て、主の愛を感じて、涙するクリスチャンもいるのだろうか?しかし、しばしば彼らは自分の十字架を避けている。この映画が自分の十字架からの逃避の理由付けとなることを、私はむしろ懸念する。それとも信仰が深まったとか言うのであろうか。ならば、そもそも自分が何を信じているのか問うべきであろう。これを見ようが見まいが、私の信仰には何らのかかわりがない。
主は言われた、「見ないで信じる者は幸いである」。この手の目に見えるものは罠になる。主の十字架の意味がわかった"つもり"になる危険性である。今の私たちに必要なのは目に見えない霊的リアリティであり、それは永遠のものである。
まあ、この手のトピには私はいつもながら距離を置きつつ、冷ややかにという姿勢を取ることにしている。よって「少し(a little)」なのである。
日本人の精神病理の本質である。「かくあるべし」、「ねばならない」という強迫傾向。ひどくなると強迫観念や強迫行為にいたるが、ニッポンキリスト教の病理の本質でもある。
私のメッセージの中に映画の話や、温泉の話題、さらにはカラオケまでが出てくると、なにやら不思議に思う人々がおられるらしい。中には霊的に汚れるから、テレビ、映画も見ない、新聞も読まないと。カラオケなどは論外のようである。やれやれ・・・。
聖書が明確に禁じていることは4つ:不品行、偶像礼拝、生血を飲むこと、絞め殺したものを食べること。あとは「私たちにはすべてが許されているが、すべてが益になるわけではない」の判断基準に従って、それぞれ主の前で決めればよろしい。主と私の関係を損なうものは排除すべきであろう。
アダムとエバには1本の木を除いて、すべての木の実を食べることが許されていた。神の創造でもともと汚れているものはない。神は私たちを楽しませてくださる方である。汚れている感じる人には汚れるのであり、それは良心が弱いためである。実は強迫傾向はこの良心の過敏さによる病理である。潔癖、真面目、几帳面、勤勉と書くと良いことのように見えるが、融通が利かない、頑固、完全癖、ケチ・・・となるとうっとおしい。
自由の享受を損ねているのは、組織や規則ではなく、それぞれのうちにあるこの病理である。オウムなどのカルトはこの病理を巧みに利用している。良心の不安な人は何かに縛られることにより良心の安心を得ようとする。カルトの教祖(あるいはマニュピレートのうまい牧師など)はこの深層心理をうまくつかみ、信徒をコントロールする。こうして互いに役割分担を果たし合うようになる。実は相互の病理的依存関係にすぎない。
まことの自由は自己からの解放、すなわち十字架にある。それは最大の賜物であるキリストの死と復活につながれて、キリストご自身をエンジョイすることによる。
死刑判決・・・。不思議な人物である。こんな男にどうして若者があれほど群がるのだろう?判決は一応の区切りにはなるが、犠牲者にとってはまだまだ続く果てしない虚しい旅である。
95年当時、Time誌が、日本の霊的真空に吸い寄せられて、あの事件が起きたと論じていたが、この真空はますます深刻さを増している。
転じて教会は真理の柱であるにもかかわらず、実は真理を教えていない。提供しているのはあいも変わらず「あなたは神のVIP、神はあなたを愛している、世界でひとつだけの花、オンリーワンでいい」という砂糖まぶしの"福音"。
これでオウムにかかわらる若者を説得し得るであろうか?すでにキリスト教界の浅薄さは見抜かれている。タケシのような人物によれば、ボクシたちなんぞは切り刻まれてしまうであろう。
真の福音とは何か。究極には自己かキリストか。イエスかノーか、それ以外は悪から出るとあるとおり。実はオウムなどにはまる連中には魂と霊を切り分けるハードコアな福音が必要なのである。
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メル・ギブソンのキリストの受難を描いた映画で死者が出たとか!?言葉もすべて当時のローカルな言葉を用いているらしい。日本では5月公開とのこと、少し楽しみである。
今回のヴァージョンはずいぶんと原作をアレンジしていますね。控訴審の証人に正木東都大教授ではなく、東前浪速大教授自らが立つとは驚きです。
しかしですね、医学界と教界は似ています。教界の実情を知れば知るほど、本当によく似ています。東佐枝子が「医師はもともと患者さんを助けたくって医師になったはずですのに、いつのまにか高ぶりと自分の実績を上げることが第一になってしまい、真実が語れなくなっているのですね」とはそのまま適用できます、教界のセンセイ方にも。
今でもニッポンキリスト教界には関わりたくないというのが、私のホンネです。今回の関口弁護士のように、私も引きこもっていましたから。理想はブラザー・ローレンス的生き方なんですね。昔は禅寺の永平寺あたりに、今ならば修道院に入るのもいいなあと思っています。
実は今回のセミナーに出席された方から、ブラザー・ローレンスの本をいただきました。彼の『敬虔な生涯』は実は彼の本の抜粋であるそうで、今回のは全部を納めているそうです。今からじっくりと味わいたいと思います。最近の本はどれも雑音で煩く感じられ、ローレンスのような静かな深い霊性のものはありません。至聖所に深く入る至福の経験です。
3日にわたったセミナーが無事終わりました。楽しかったですね。全部で2時間×8回で、長丁場でしたが、エンジョイできました。最後はディスコになりました。
家に帰ると、サーヴァが落ちていると電話をいただいたとのことで、あわててチャペルに行って、確認してきました。ダイナミック・ネイム・サーヴァがおかしかったようです。3日間死んでおりましたが、3日目に復活しました。
とりあえずきょうはここまで。あすのカレッジの準備などがありますので。
についてご質問をいただいた。
私が感知するこの霊の特性は、@制覇的:力で相手をねじ伏せる、A表向きの強い正義感、理知的、論理的:彼らの根拠や主張は一見聖書的にしてスジが通るが、違和感を覚える、B白黒的:自分につくか、つかないか、これを直ちに問い、つかない者は敵と漫画的に勧善懲悪趣味。C女性的:理性的なそぶりの裏にはネチッコイ情念や怨念(因縁)がこもるため、コワサを禁じ得ない。
先にアメリカとカリスマ運動に、と書いたが、イスラエルに盲目的に入れ込む人々にも同じ霊を感知することができる。名前は不明。前に私はニッポンには「女の霊」が働いていると指摘したが、これと通じる何かの霊である。
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity6.html
最近1日あたりのヒットがけっこう行きますが、本日は今290ヒットです。これは記録ですね。あと18分で300は無理かな・・・。このサイトを立ち上げた時には、カチカチと100位までは自分で数字をあげていましたが(経歴詐称疑惑発覚!)
まだ未完の部分がたくさんありますが、少しづつ整備していきたいと思います。回線とサーヴァソフトを変えてから、ずいぶんとサクサクと行きますので、気持ちがいいです。セレブレーションやカレッジのビデオ配信も射程に入ってきました。
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今日の財前五郎は恐かったですね。佐々木さんと似ている患者さんに良心がうずき、鎖骨下静脈を誤って切ってしまうとは(汗)。アレンジをずいぶんと変えていて、別の作品として観る事ができます。財前の最後は原作どおりなのだろうか、ちょっと気になります。
しかし東大の外科でも心臓のオペの際に、死亡した患者の家族が訴えているのですが、証拠として、「やばいよ、ほじっちゃったよ。血が出てきたよ・・・」とかやっているビデオが公開されました。私の友人にも誤診で患者さんを死なせたのがいるのですね。一方的に彼を責めることも酷なのです。なかなか難しい問題ではあります。
今週のTime誌にあったブッシュの言葉です。
"I am a war President. I make decisions here in the Oval Office in foreign-policy matters with war on my mind."
「私は戦争大統領である。私はここオーヴァル・オフィス(執務室)で戦争を伴う外交判断を、私の思いにおいて決定している。」
彼のうちに働いている霊は、果たして聖霊でしょうか?ブッシュにはすでに神を畏れる霊はない。サタンは「私は高きところに昇ろう、私は自分の御座を設けよう、私は崇められる・・・」として反逆しました。「私は・・・しよう」−これが敵の霊の本質である。
ペンサコラの有名な牧師が自分たちの批判者に対して「おまえに警告する。批判を止めないと90日以内に聖霊がおまえを打ち倒す」と大胆な"預言"をして、そのとおりにならず、謝罪したというケースもあるそうだが、聖霊はそもそもそのような言葉を発する方だろうか?
ブッシュにも、カリスマ運動にも、今般の「ぶっ壊す」という人々にも、ある種の同じ霊が働いているように感じる。
私の部屋は何とか見通しが立ってきました。壁一面の本棚を設置して、本をすべてそこに押し込むことにしました。今トランクルームを借りて、そこにダンボール箱で30箱ほど収めてあるのですが、ひとつひとつ元に戻していきます。全部整理がつくまでにはまだまだかかりそうですが。しかし、けっこう広くなったものだ。今までは床の上にモノを置いて、床が見えなかったのですが。
ついでにリビングも掃除していたときのこと。うちのリビングは天井がけっこう高いのですが、よく見ると指の跡が点々といくつもついているでないか。なんだこれ???天井に人の指跡???
前にイギリスで幽霊が出て、これが監視カメラに映っていたらしいのですが、いよいよわが家にもか・・・と思って家内を呼んで、訝しがっていると、わが次女(バスケの国体に出たことは前に書きましたが)が、「あ、それ、ノンノ(自分のこと)がジャンプした時の!」と・・・。やれやれ、どうでもいいけどリビングでジャンプするなよな!
TVで銀座のドキュメントをやっておりました。すごい世界ですね。120万の酒とかをジャンジャン空けてました。一方で食べ物を求めてさ迷い歩くホームレスのおっちゃん一人。私も前にホームレスのおっちゃんたちと一緒にいましたが(実に楽しかった2年間でした)、彼らの話では銀座の1丁目から4丁目まで歩くだけで、高級料理店のゴミの中から、たいそうな料理の残りにあずかったそうです。
彼らいわく:「ルークさん、昆布しめの寿司飯食ったことあります?」と。私:「なんじゃそれ?」。聞いたこともなかったですが、何でも美味いものだそうです。かくしてホームレスのおっちゃんも糖尿病だ、痛風だになったそうです・・・が、それもバブル時代の話。今は食料にありつくのが大変だそうです。
日経夕刊によると、日本の成長率が年率換算で7%だそうです。構造改革の見通しは立ったと、竹中さんは自慢気でしたが、実感はいまだに冬景色です。自己破産者数は記録更新中。中高年の自殺者が3万5千人。さてさて、この国はいったいどこへ・・・?
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CD:Faith03は1月のランキングで3位になっていますね。はちこさんによると出荷数だそうですが、これって同時に「売れている」と解釈していいのかしらん?
ことば社のページ
http://www.wlpm.or.jp/event/rank01/ka03.htm
バイブル・カレッジのレジメを公開してくださいとのご要望がありますが、今のコースは英国のコースの教材を翻訳しつつ進めています(この翻訳がひとつの目的なのですね)。そこで著作権の関係で公開ができませんので、ご了承下さい。
7月までに翻訳が終わりますが、その後出版するかどうか検討します。Colin Urquhartの主要な著作はほとんど翻訳が完了していますが、これまで出版してくれるところがないわかったわけです(3社に打診しましたが)。いよいよ私たちでの出版も検討していきます。
モノが多いのでしょう。今サーヴァーをチャペルに移転したので、書斎の整理をしているのですが、出るわ、出るわ。9月にかなりのモノを捨てたのに、なぜに???特に本の山がどうしても掃けない。
人は何時の間にかこうやってモノを蓄え込むのですね。自分にあってリッチになるわけです。ある落語家の死に際して同僚の方が語っていました:「芸人はあの世に芸を持ってっちまうからなあ〜」と。名言ですね。この後、「金持ちは富をこの世に残しつつ」と下の句ができます。
解放され自由な生き方の鍵は、自分において貧しいことです。持たない者は幸いです。この時キリストにあって豊かなものとなります。生活をなるべくシンプルにすること、キリスト以外のモノ(物質的に限りません。特に聖書の知識や実績などはプライドを建てるものです)を捨てること。軽く、単純に、白を白、黒を黒とする生き方です。
kawaさんとYoshiさんが証してくださっていますが、御言葉のパワーを知ることは幸いです。神は言葉で宇宙を造り、言葉によって支えておられます。私の印象では、油注ぎや預言や賜物を追っかける人は、聖書自体をほとんど知りません。逆に言えば、聖書を知る人はその類のものを追っかける必要はないのですね。それがまさに神の言葉そのものですから。神学とかではなく、御言葉のそのものにパワーがあります。
サーヴァの移転が無事に終わりました。一応これでOKです。レスポンスが格段によくなっています。扉のFlashも忍耐できるというか、かなりスムーズに見ることができています。
ビデオも早いですね。BBSにはちょいとヤバイ目のビデオをアップしておきましたが(隠しファイルです)、そろそろ単なるアメリカの"油注ぎの器"のオッカケはやめにしたら、と思っています。自分の霊性の浅薄さを証明するだけです。
サーヴァの移転で今、しっくはっくしております。チャペルと自宅の書斎のPCをリモートでコントロールしながら、サーヴァのメンテを試みているのですが、どうもいろいろ設定に穴があり、いまひとつです。このサイトも時々ダウンしていたり、掲示板のカキコが消えていたりしますので、しばらくはご寛恕のほどをお願いします。なお、現在はチャペルのサーヴァから発信しています。ADSLですから、かなりレスポンスが改善されています。
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ライヴ・メッセージとレジメはあすに・・・。今日のメッセージではよく聖霊派で人を脅かすときに用いられる「聖霊を汚す罪」について交わっています。この罪は果たして私たちが犯すことができるのか、否か。皆さん、人を恐れさせ、脅すような"油注がれた器"がたくさん出ています。コワイ人がけっこうおります、それも"聖霊に満たされた”人たちの中にです。
聖書にはこうあります、「あなたがたは二度と恐れを抱かせる奴隷の霊を受けたのではなく、子とする霊を受けた。・・・二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。」私たちは神の子の栄光の自由をエンジョイすることができるのです!サタンは恐れによって人をコントロールします。神は愛によって人を溶かし、ご自身に従うことができるようにして下さるのです。
Let's Enjoy Christ!!!
Time誌今週号でもカヴァーストーリーとして特集が組まれていたが、ブッシュの軍歴詐称疑惑はどうなることか。共和党のアキレス腱となりかねない。まさか古賀氏よろしく、「自分はきちんと兵役についていたと思うが、調査が必要である」とか言い出すのではないでしょうね。この小男は人には命令をして命を注ぎ出させるのであるが、自分はちゃっかりと安全圏にいるという、何ともやりきれない人物である。アメリカン航空の機長といい、ブッシュといい、米国的基督者はいったいどうなっているのかしらん?
先ほど「さがれおろ〜」のことを書きましたが、アメリカではアメリカン航空の機長が乗客に向かって「キリスト教徒以外はバカ」とのたまったそうです。この機長さんも原理主義バリバリの方なんでしょうか?それにしても何と申しましょうか・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040210-00000066-kyodo-soci
▽『白い巨塔』がひとつの区切りを迎えました。今回は関口弁護士がトラウマを抱えて屈折しているキャラクターとしてヒネリが効いた設定になっています。彼がどのような形で終わるのでしょうか?
▽私もかつて8年に及ぶ裁判を闘ったことがありますが、確かに裁判は弁護士次第です。はっきり言いますと、裁判は法廷の外で決まります。面白いのは同じ事件でありながら、弁護士によって勝ち取る成果がまったく異なるのです。裁判の自立性によって、独立した訴訟として処理されるためです。
▽私たちの弁護士は実は共産党系の方々でした。彼らの正義感の強さと真実さに私は正直言って深く感銘を覚えました。同じ事件においても他のいわゆる体制側につくような弁護士の原告団はまったくダメでした。クリスチャンが共産党系の弁護士によって救済されるという構図も面白いですが、神は用いて下さるのです。
▽共産主義も"無神論"という信仰のひとつの形態であるのですが、信仰の壁を越えて互いに享有し得ることがあるのです(共産主義そのものを良しとしているのではないですよ)。とかくクリスチャンは熱心なほど、彼らはサタンの側につく者、自分は神の側として水戸黄門の印籠をひけらかして、「下がれおろ〜」とやりがちなものですが、この辺にニッポンキリスト教の貧しさがあると思います。
▽「聖霊カリスマ運動」もけっこうですが、実はそれを推進する人々の人格とか、高潔さとか、高貴さなどを人々は見ているのです。そして賜物をひけらかすことと、イエスの性質を帯びることはしばしばトレードオフ(両立せず)の関係にあるようです。
▽昨日の日経夕刊に、人間の嫉妬や妬みの社会経済的分析があった。いわく、誰もビル・ゲイツやイチローに対して嫉妬を抱くことはない。むしろ彼らには憧れと尊敬の念を覚える。しかし自分の隣の御主人が出世するとさっそく妬みを覚える。これは人為的にすべての人が平等であるという価値観を押し付けられることの反動であると。
▽社会が安定するためには、格差が必要なのである。私は前々から言っている、この世は「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」と。「自由・平等・博愛」という欺瞞。この幻想の上に構築された人工的社会。
▽すでにニッポンはもぐら叩きのごとく、出張った者の頭を打って、平らにならした挙句、ビジョンと希望を失って行き詰っている。かくしてお互いの身丈を揃えるだけのつまらない社会となっている。今回の青色ダイオードの中村教授の200億円はその意味では快挙である。
▽しばしば「差別のない社会を!」と訴える人々が最も人を蔑視する傾向があり、「互いに愛を!」と訴える人々が実は自分が愛されたくても裏切られた感情を裏返しに表現しているだけのことはよく観察される。
▽そしてニッポンキリスト教でも福音派と聖霊派の叩き合い、さらに今般聖霊派内でも互いの潰し合いが起きている。かつての学生運動も結局のところ旧体質の社会を壊そうとしたまではよいが、何も健全なものを生み出さず、自分達の手による"総括"によって、内部から崩壊していった。
▽今回も相手を「ぶっ壊す」という言葉に象徴されるとおり、そこに働いている霊は聖なる霊ではとてもあり得ない。その一方で格差を設けて安定化を図るかのように、アメリカ産の"油注がれた器"を据えようとしている。・・・くれぐれも「聖霊派の聖霊知らず」になって、内部崩壊しないことを祈る。
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Apacheはいいですね。レスポンスと安定性が格段によくなっています。
サーヴァを移転するに当り、サーヴァ・ソフトを世界的にシェアの高いApacheに変えました(ちなみにこれまでは、AnHttpdかBlackJamboDogでしたが)。これは元々Unix系のサーヴァなので、GUIでの設定ができないのですね。confファイルを一行一行自分の環境に合わせてチューニングする必要があるわけです。
夏にレンタルのサーヴァで(プラットフォームはFree BSDでしたが)、どうしてもFixできない問題があって、一回挫折しており、今回も同じ問題で引っかかったのですが、ネットを検索した挙句ようやくFixできました。とりあえず問題なく走ってくれているようです。心持ちレスポンスが早くなったような・・・。ささやかな達成感を味わっております。
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腰が治ったので、再び三ッ池公園のジョッギングを始めました。この時期冬枯れのわびしさというか厳しさが感じられますが、その寒さの中で主の甘い臨在が非常に濃く迫って来ます。おお、ジーザス!!!
どうもアメリカというか、ブッシュの胡散臭さは極まれりの感が否めない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040206-00000283-reu-int
田中氏も面白い論考を書いている(ちょっと古いが):
「ビンラディン逮捕劇の怪しさ」
http://tanakanews.com/d0313osama.htm
情報操作があることは否めない事実である。ちなみに私がマンションの理事長をやったとき、10年に渡って棚上げされていた敷地内バイク違法駐輪問題を一挙に、やや過激に一掃したことがある。
この時にマンション内の世論を理事会の意向に沿う形に誘導する情報操作を―そろそろ時効だから告白するが―私は意図的に行なった。世論を自分につけて目的を達したわけである。マンションの管理組合理事会ですら・・・いわんやアメリカの国家戦略においてをや、である。
この論考の中で田中氏は、アメリカ世論の思考停止(エポケー)はいつまでか、と問うているが、この思考停止はまさにカルトの特徴である。リーダーや教祖の資質・行動の是非を論じることがタブーとされる病理である。物を自由に言えなくなったとき、人の尊厳は傷つけられ、それはすなわち闇の勢力が何でもなし得る土壌ができることを意味する。なお、今週のメッセージではMCのメカニズムを解き明かしています。
一方でアルカイダが核武装しているという情報もある。真実は一体どこに・・・?
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中国では渡り鳥1万羽が飛んでいる最中にバタバタと地上に落下してきたとか。古のイスラエルが荒野をさ迷った時、「肉が食いたい」とつぶやいた際、ウズラが降ってきた光景を彷彿とするが、しかし不気味である。加えて鳥ばかりではなく豚にもウイルスが感染しているとかいないとか・・・。
肉食はアダムとエバが罪を犯し堕落して後、神が許されたが、これはキリストの贖いと関係する。われわれのいのちを維持するためには血の犠牲が必要であることを覚えるためであるが、人類はそれを忘れて、肉食を当然のことにしてしまった。その報いであるかのような今回の一連のウイルス騒動である。
一体人類は何を食えばよいのか?とヒステリックな気持ちにもなりかねないが、ちなみに私は肉は必ずしも食べなくともやって行けるので、蛋白源には豆腐で十分なのである。この時期湯豆腐は最高ですよ^^
卒論の発表会も無事終えて、16名を送り出す(ホンネ:追い出す)ことができました。まあ、これは通過儀礼みたいなもので、論文(と呼べるシロモノではないが)を出して、10分間のパワーポイントを用いてのプレゼンで、審査の先生方のイビリに神妙に耐えれば、一応単位は認定されるわけ。800人分の報告書も出しました。
しかし最近の学生の文章力とその内容の貧困さは驚くばかりの〜ですからね。一方で19歳と20歳のギャルが芥川賞をもらうという事件も起きており、このギャップにまたまた驚くばかりの〜です。
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これからサーヴァの移転を始めます。チャペルに新しいPCを入れて、ADSL回線でトラフィック・ジャムを回避したいと計画しています。今の私のPC内のサーヴァのログを見ていると、次々に同時アクセスが起きており、しかも回線がISDNですからジャムって、レスポンスが落ちるわけです。今度はApacheを入れる予定です。あとしばしのお不便をご寛恕下さいませ。
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腰は快調です。いやあ、寝たきり(?)になりますと普段の当たり前の健康の大切さが分かります(寝返りも深呼吸もできなかったのです・・・汗)。御霊はほろぶべきこの体にもいのちを与えてくださいますが、一方で体はマシンですからね、自己管理によるメンテが必要です。(陰の声:しかし12,000円の靴を捨てるのは××だった・・・)
Faith03が先週1位になりましたが、今週は姿形が消えています。私の方からは125しか卸しておりませんので、もう店頭にないのかもしれません。ちなみにMore Than Enoughは75です。
いろいろな声をいただき感謝しております。そのほとんどが豊かなアノインティングに感動するという声です。英国KFMのワーシップはいわゆる商売っ気というか、飾り気がほとんどありません。素の賛美なのです。
ヒルソングやアメリカ系のものはけっこう音楽的なテクによる脚色が強いようですが、KFMは化粧がありません。トランペットのラウル以外はほとんど素人ですが、ワーシップ・メンバー自身が主に触れているのですね。そこで油塗りが濃厚です。たとえ英語が分からなくても、霊が塗り込まれるので、満たされるのです。
ワーシップも自分の証しみたいな、自分にフォーカスするものが多いですが(文学での私小説みたいなもの)、真のワーシップはただジーザスを見つめるだけです。今のBGM"Oh, Hail the Lamb"もつい涙が出る曲です。
まさに雅な風です。エンジョイして下さい。
腰がグングン良くなっています。「真理はあなたを自由にする」!
BBSにも書きましたが、いつのまにかFaith03が18日から24日の間に週間ベストセラーになっていました。
http://www.wlpm.or.jp/event/rankold/ka03.htm
実はこれを出荷する時、ビニールのパッキングをしなかったために、ことば社の方でやってくださったのですね。素人のため、業界のことが良く分かりませんでした。More Than Enoughはちゃんと袋に入れました。何だか浪人武士の内職みたいでしたが・・・(^^)
『白い巨塔』がいよいよ面白くなっています。が、なぜ主題歌が「アメージング・グレース」なんでしょうね?
後期試験も終わり、土曜日に卒論の発表会があって、これで一応今年の学生を送り出すことができる。しかし9日までに800名の試験成績報告書を書かなくてはならない・・・う〜ん(汗)。
腰の方は、靴を変えたら、見る見る回復しています。恐るべし、高くて粗悪な靴よ!思えば、その靴で三ッ池公園をジョギングとウォーキングした翌日からだったよな、腰痛が来たのは。てっきりストレッチのせいと思っていましたが。正直言って、先週と先々週のカレッジの講義とセレブレーションは脂汗が出てしんどかった。さすがに主に助けを求めました、その時なんですね、「くつを変えよ」と。感謝です!
ある若い姉妹がメールを下さって、癒しそのものより、その方を求めることが大切と証しして下さいました。ホントに。私たちは賜物のある油注がれた器なんぞではないのですね、求める対象は。ちなみに、またぞろベニー・ヒンが来日するようです。さあ、またまた例の騒ぎですかね。
ちなみに、今度の靴の値段は前の靴の1/3と安いのですが、安定しています(^^)V
ケイ調査団長がイラクの大量破壊兵器はなかったとの報告をして、いよいよアメリカの大義は揺らいでいる。アメリカ兵の自殺者も増加している。その中で大義なき自衛隊派遣。彼らはいのちのリスクを賭してまで一体何のためにイラクに行くのか。
この件でもフェスティンガーの認知的不協和の理論が適用できる。みなさん、最初にアメリカの行動に対してどのように感じましたか?クリスチャン的にイスラエルの利益がどうのこうのと理屈をこねる前に、最初に不協和を感じませんでしたか?むしろキレイな尤もらしい理屈のスジが通れば通るほど、私はいかがわしさを覚えるのである(まあ、天邪鬼と言われればそれまでだが)。
私は当初からアメリカのカルト性を指摘してきたが、当時は別に客観的根拠があったわけではない。ただこの自分の直感的不協和をごまかさなかっただけだ。ただ「おかしい」と。クリスチャンは何か(イスラエルや再臨や神の国建設や伝道など)を大義にされると、思考停止と視野狭窄に陥り、容易に騙される傾向が強い。それも聖書の知識の豊富な一見熱心な人ほど(肉の熱心は危険!)。
今日カルト化する教会が増えている理由でもある。
フェスティンガーは中国などの共産圏で行なわれていた洗脳やマインドコントロール(MC)のメカニズムを研究して、この基礎理論を提唱した。
人は自分の魂(知・情・意)や体の要素の間に違和感(不協和)を覚えると、他の部分を変えつつその違和感を最小にするように自らを変える性向がある。カルトや一部の"正統な"教会においてもこれにもとづいたMCが行なわれている。
このようなところで苦しんでいる人と話をすると、ある一定の傾向があることが分かる。つまり彼らは今の自分の状態がおかしいことを、自分の責任に帰している。"油注がれた"エライ先生がある教えをしたが、自分はそれに従えないし、その通りにならないことを、すべて自分の至らなさに帰し、自責感でがんじがらめになっているわけ。
私から見るとそのセンセイの教えのほうがよほどカルトなのに、このことに本人は気がつかない。このような場合にも最初の段階で実は違和感(不協和)を覚えているのである。そのセンセイの教えを聞いたとき、「うん?」という一瞬の閃きとして、違和感を覚えるのであるが、「センセイ>自分」という不等式に従って、自分の違和感を抑圧するのである。こうして後は芋づる式にその教えの体系を吹き込まれていくうちに、最初の違和感は忘れられ、ボンデッジにはまる。
MCに落ちている人をカウンセリングする鍵は、その芋づるの教えの問題点を暴くことではなく(これは労多くして実りがない)、最初の違和感を思い出させてあげること、そして自分のその感覚的判断を信じてよいという確信を与えることにある。こうしてその本人は芋づる式の教えの体系も自ら解くことができる。
今回、私は腰を痛め、あまりにも治りが悪いので、聖霊様に祈ったところ、聖霊様は私の隠れた罪を示され、徹夜断食祈祷によって、すべてを告白して悔い改め、腰痛の霊を追い出して、サタンから解放されて、ようやく癒されました・・・とっとっと―これはよく聖霊派でなされるちょっとコワイ証の典型パタンですが(私にはほとんどMCのためと見えるのだが、怒られそう)―ではなくて、主は教えてくださいました。「くつを変えなさい。」
実は今の靴を買ったとき、最初にちょっと違和感があったのですが、値が張っていたので、いい靴だと思い込むようにして履いていたのですが、体は嘘をつかないのですね。私も見事に認知的不協和の理論により、粗悪な靴をいい靴と思い込まされていました。御霊はあらゆる真理に導いてくだり、解放して下さいます(^^)
よく自分はだめだ、自分はだめだ、と年がら年中叫んでいる人がいる。実はこのような人の本心はかなりプライドが高くて、自分を認めてくれ、自分を尊重してくれという願望の裏返しに過ぎない。劣等感は優越感の裏返しである。気の長くない私は、このようは人々には、そのとおりだよ、あなたの言っているとおりです、あなたの信じているとおりになるように、ピリオド、と対応する。
人の心の裏表はきわめて面白いものがある。悩んでいる人の表向きの訴えは、私はほとんど信頼しない。本心は人には言わないものである。またしばしば本人自身がそれに気がついていない。その本人の主訴は実はその人の問題の本質ではない。本質は隠されている。これを直視することを避けているから、苦しむのである。直視することから逃げなくなる時、その人は手がかりを得る。
物事には裏表がある。人の心は特に裏表が激しい。黒を黒し、白を白とすれば、何も問題はないのであるが、それができないからヤヤコシイ。ニッポンキリスト教もこの裏表の激しさは相当のようである。白いもの必ずしも白くなく、黒いもの必ずしも黒くないようだ。事の真実がどこにあるか、これを見分けるのは霊である。
1コリント2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。
主イエスも
マルコ2:8 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。
霊の直覚による識別。このためには霊のエキササイズが要る。
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本日のMSGの配信ですが、パソコンにちょっとした不手際があり、2,3日遅れますので、御了承ください。