* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
ルークさん、何であなたはいつも挑発的な書き方をするんですか・・・と。
はい、私はニッポンキリスト教界でどのように振舞って、どのような物の言い方をすれば、芳しい評価を受け、適度な距離を保ちつつ、お互いの顔を立て合うことができるか、よく分かっています。私はプロファイリング(心理分析)ができますから、教界の先生方や信徒諸兄がどのような傾向を好むかも十分に理解しています。
だからこそ、そうやって見えてしまうほどにあまりに浅薄なのです、教界のプロトコルは。それにのっとることはヤラセ(芝居)になるわけです。白く化粧し、シャナリシャナリと。「裸の王様は裸」−私はサイエンティストであって、役者ではないのです。
昨今の教界に対して、私は「砂糖まぶし」であると批判しているが、それに対してはいろいろ批判があるらしい。Dr.ルークは高慢の霊に憑かれ、高慢の罪を犯していると。やれやれ(苦笑)。
「万有引力は質量の積に比例し、距離の二乗に反比例する」。これは唯一の排他的な真理である。物理学で、人それぞれに神様の導きがあるからとして、物理学者Aは「質量の和に比例し、距離の三乗に反比例する」といい、Bはまた別のことを語ることなど断じてあり得ない!万有引力の法則は勝手に発明するものではない。すでに先験的に在るものである。霊の法則も同じ。真理は唯一の排他的なもの。
ところが今のニッポンキリスト教ではAセンセイは「かくかく」、Bセンセイは「しかじか」、それぞれに神様の導きがあるから、お互いに認め合って、受け入れ合って・・・と。声を大にして言いたい:トータリー・ナンセンス!!!愚かである。もっと言おう:馬鹿げている。小学生じゃあるまいし。・・・と、あえて激しておこう^^
ここにニッポン人の精神病理が真理と対立していることに気がつくであろうか。互いに認め合って、受け入れ合って、互いのメンツを立て合って・・・赤信号、みんなで渡れば恐くないが(byタケシ)、青信号、ひとりで渡ると怖くなる(byDr.ルーク)。寄らば大樹の陰−「甘えの構造」−である。最近は運動会でも順番をつけず、みんなで手をつないでゴールするんだそうである。これがニッポンの病理の象徴。
先生たちのメンツ次第で真理が変わったら、宇宙はとっくに崩壊している。まことの謙遜とは、万有引力の法則は「質量の積に比例し、距離の二乗に反比例する」−アーメン!
あえて言おう、ニッポンキリスト教のご立派な先生方よ、自然科学を学びなさい。そして自分勝手に立派な教えを発明するのではなく、唯一の排他的真理に服することを学びなさい。これがまことの遜りである。
エペソ4:13−ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
さあ、これでまた風がアゲインストになるかな・・・汗
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040830-00000066-kyodo-int
40万人(主催者発表)反ブッシュ・デモだそうです。アメリカ人はナイーブですから911以降しばらくは愛国心的にブッシュの支持率が高い時期もありましたが、彼らもそろそろ自分たちが騙されていることに気づいたのです。
数ヶ月前、NHKスペシャルでアメリカの婦人が「私たちは政府を信じたい・・・」と不安げに語っていたが、それは信じたい、でも不安というシーソー状態であったのが、ここへきて傾き加減が変わったのです。ブッシュのパラノイドが嵩じないことを祈ります。
それにしてもリバイバル新聞にブッシュ礼賛記事を書いたあのヒステリックな人物は今ごろ何を思っているのでしょう。またTV伝道で有名な先生もブッシュが聖書をよく理解し、イスラエルの利益を考えていると誉めていたそうであるが、私としては彼らの精神病理に実に関心があります。
彼はやはりパラノイドに罹っていますね。こちらをご覧下さい:http://www.edagawakoichi.com/WAVETHEFLAG/w-rehgannoshi.html
かなり前にも紹介しましたが、彼はTIME紙のインタビューで得意げにこう言っています(ムーアの映画にも出てきました):
私は戦争の大統領である。私はここオーバルオフィスで、戦争を含めた政治判断を、私の頭で行なう。
この日記でもすでにかなり前に警鐘を鳴らしておきましたが、こういった発言が出ることはソノ兆候なのです。「ソノ」とは被害妄想(パラノイド症候群)です。またクリスチャンでもイスラエルに感情的に入れ込む人たちも同じ病理を抱えています。http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing52.html
数日前にもここでブッシュは再選されたにしても、分裂病的症状を呈すると予言しましたが、ほとんど間違いないでしょう。彼はすでに精神を病んでいます。
* * *
チャペルの専用サーバーをWin2000に変えて、Apacheも1.3に戻したら正常に動きました。このページも前とは違うPCから発信しています。どうもLinuxの問題というよりは、Apacheのヴァージョン2の問題のようです。これからLinuxでApacheの1.3を走らせたらどうなるか実験してみます。
シンクロの団体がどうも芳しくない。宿敵ロシアを追い越すことが悲願。しかし、すでにペアでは負け。何しろロシアは芸術点が満点であるから、追い越すことはテクニカルと芸術で限りなく満点に近い得点が必要となる。団体でも人間風車(ビル・ロビンソンを思い出すなあ〜知ってます?・・・でも水車じゃないの、と古舘氏が指摘していました)が乱れてロシアに水を明けられた。
勝負において勝つタイプは二つある:ひとつは前から書いている通り、勝ちを意識しないで、無心でやったところ勝ってしまったというタイプ。もうひとつはもともとの実力の差があって、すでに自分は勝っていると勝負の前から信じているタイプ。水泳の北島、柔道の谷や野村のタイプ。
同様に負けるタイプも次の二通り:ひとつは勝ちを意識して堅くなりポロっとミスをしたり、力を発揮できないタイプ。もうひとつは何とか宿敵を抜こうとして頑張るも及ばないタイプ。「追い越そう」という意識がすでに敗北。共に勝負に対してメンタルな部分で負けている。彼女たちはロシアを追い抜く必要が無いメンタリティになる時に勝てる。
霊的な勝利もまったく同じ。聖霊派では「霊の戦い」と称して、何でもかんでも問題を悪霊のせいにして、人から悪霊を追い出そうと「悪霊よ、出よ〜」とえらい剣幕で叫ぶ人たち、あるいは神社の周りを「悪霊退散」と叫びながら回る人たちがいる。
かと思うと、悪霊追い出しの有名な牧師が、ある新聞に「神社に来るたびに、神社は何百年も存続しているが、自分の教会は大丈夫だろうとか不安になる。この不安に負けないためにも悪霊追い出しをし続ける必要がある」と書いていた。この人はすでに負けている。シンクロがロシアに勝てないのと同じ。お分かりになりますか?
キリストはすでに十字架であらゆる霊的諸勢力に対して勝利している(完了形!)。私たちはキリストとひとつにされることにより(包括の原理)、その勝利をすでに得ているのである。クリスチャンは天地の王と共にその座に座しているのである(エペソ1:20;2:6)。
悪霊を恐れる人や、霊の見分けと称して何でもかんでも悪霊に責任を押し付け、ついには人を悪霊憑き呼ばわりしつつ、霊の戦いに邁進する人々はこの座から自ら降り、パラノイドの病理に陥っている。
これから霊の戦いを私たち自身がするのではない。それはすでに終わっている!同様に問題をイロイロな方法で解こうとして、あちこちのカウンセリングやヒーリングセミナーをさ迷う人も同じ。その態度が敗北を招いていることに気がつかない。問題はすでに解かれている!この事実を忘れ、自分で何とかしようとしている。ここですでに欺かれている。
クリスチャンはあらゆる場面において、すでに成就している事実に立ち続け、その適用を信仰によってなすだけである。これから頑張って獲得するのではなく、すでに獲得しているものを実体化するだけである。すでに私たちは金メダリストとされている!で、お聞きしましょう:あなたはコレを信じますか?
いや、自分などはとてもとても・・・ぶつぶつ。はい、その通りに敗北者となるだろう。感情ではとてもピンと来ませんが、聖書に書いているので信じます、アーメン。はい、その通りの勝利を経験するだろう。山は動き海に沈み、目の前の水は割れて道が開かれるだろう。敵はすでに敗北しており、あなたに対して何もなし得ない。勝利が経験的に実体化される!
北島の「チョー、気持ちいい!」といった、ある意味で不遜な態度がかえって爽快感を覚えるように、「私はすでに勝利者である!」と宣言することは、偽りの謙遜を装う人々には不快感を与えるであろうが、天の軍勢はそれを爽快に感じている。もちろん、その告白は父なる神に栄光を帰する。クリスチャンはすでに勝利者であり、金メダリストなのである。あなたはこれを信じますか?敵の前で宴を設け、「チョー気持ちいい!」と、その喜びをエンジョイしているだろうか?
(注:こう聞かれて、「いや、自分はまだまだ。もっと奮闘努力を・・・」と思った方、罠に落ちてますよ。)
オリムピックなど種々のアスリートが一同に会する時に、彼らの顔を見ていて感じることがある。ソレは種目ごとにある共通の顔があるということ。
シンクロはまた2位で残念だったが、彼女たちの顔はノペっとした卵型というか流線型。マラソンは野口をはじめ、目がくりくりしたちょっと扁平な幼顔。柔道は目が細くて引っ込みがちのちょっとネアンデルタール人系(ゴメンなさい!)。競技が顔を作るようである。おそらく競技ごとに心の使い方やプレッシャーのかかり方などが微妙に変わることによって、筋肉に影響を与え、それぞれの類型化された顔ができるのだと思う。
また私の友人でも長年LAにいる女性がいるが、彼女はたまに帰国すると映画で見られるような日系人の顔になっている。おそらく言語も顔に影響する。
リンカーンでしたか、男は40を過ぎたら顔に責任を持つべしと。最近ではプチ整形なども流行のようで、政治家も顔をいじっているようであるが(ちとキモイ)、人の顔は個々のパーツがどうのこうのではなく、内面性が整う時、全体として自然なある種の輝きを帯びる。整形で作られる美はちょうど北朝鮮の美女軍団のような違和感を覚える。
また漁師や農夫はそれなりの顔がある。職業も顔を作るのである。さあ、チンパン顔のブッシュよ、貴殿はリンカーンの言葉をよく噛み締めるべし。で、ひるがえってニッポンキリスト教徒の顔はどうか。私から見るとどうも牧師には牧師顔があるように見える。彼らも類型化された独特の表情を見せる。一言で言えば、笑顔でも目が笑っていない。主流派にはそれなりの、福音派にもそれっぽい、聖霊派はソレ系の顔がある。
しかるにパウロはこう言っている:
もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。2コリント3:7-8
柔ちゃんと谷選手は二人とも輝くことができたと証しているが、ひるがえってクリスチャンはどうか。あなたは金メダリスト以上に輝いていますか?「うれしくって、うれしくって、ことばに、できなあいぃ」と。
イラクサッカーチームが4位に入ったことを、自分たちの軍事行動の成果であるかのように、選挙戦に利用する彼の人間性。いい加減ウンザリだ。この無神経な小男は本当に人徳の欠如した猿的なヤツだ。
小泉氏も沖縄にヘリが落ちて日本の主権が踏みにじられている時にのうのうと能や手品のご鑑賞。自分は休みだからと言いつつ、沖縄知事とはようやく今日会見するとのこと。この小男もいい加減にしてほしい。
ユングの思想に「シンクロニシティ」がある。同じような現象がシンクロすることがあるというものだが、かつてのレーガンと中曽根のペアはまあまあとして、ブッシュと小泉も見事に徳性の欠如でシンクロしている。
が、言い出すと止まらなくなりそうなので、日本女子シンクロでも見て口直しをしよう・・・。
これまでDVDは英国と日本のTVの方式が違うために、パソコン上で、しかもマルチタイプのドライブにのみに対応していましたが、今回、日本のTVフォーマットに変換し、もっとも広く使われているDVD-R形式にしましたので、普通のDVDドライブや一般のDVDプレイヤーでもご覧いただけるようになりました。
これまでお買い求めいただいた方で再生ができない場合は、実費500円(送料込み)で新しいディスクをお送りしますので、ご連絡下さい。新規に購入の場合は3,200円(日本対応版)+送料となります。サンプルがありますので、一度ご覧下さい。→http://www.kingdomfellowship.com/Av/sample1.wmv
さらに私のビデオ『真理はあなたを自由にする@A』のDVD化も考えております。DVDですとチャプターごとに頭出しが自由にできますので、学習にとても便利です。出版社との話がつけばGOします。
審判による表示板のミス掲示などの要素もあり、結果は残念でした。浜口自身も勝ちを取ることに注意がそれて、掲示板を気にしたことが致命的でした。勝負は無心。そもそも掲示板などに気を取られることは定まっていない心の証明です。と書くと身も蓋もないのですが・・・しかし、
他のランクでは金と銀で、アニマル浜口氏は荒れるかと思いきや、銅を取った娘に向かって「よくやった」と声をかけつつハグし、娘も銅メダルを父の首にかけ、父もそのメダルをいとおしむようにまざまざと見つめる様子はジーンと来ましたね。そして「自分の指導者としての未熟さを感じました」と娘をかばう言葉。金が当然でしたから、こんなものは・・・となると思いきや、この場面はほっとする救いでした。スポーツの魅力は勝敗もさることながら、このような場面があることですね。鍵は人と人の心の触れ合いです。
ひるがえって、心を忘れた見かけの正しさだけに訴える聖書解釈や神学では人は救われません。冷たい聖書知識(文字)は人を殺しますが、温もりのある霊は人を生かします。クリスチャンは文字に仕える者ではなく、いのちに仕える者なのですが、いのちが忘れられているのが現状です。ニッポンキリスト教界にもアニマル浜口氏が必要です。
ガッツ石松は言わずもがなですが、前にブッシュが猿に見えると書いたことがあります。これは私だけではなかったようです。今回の華氏911でもブッシュの人格の浅薄さが暴露されていました。で、面白いページがありました→http://www.presidentmoron.com/moreapes.jpg
もしブッシュが真に再生されたクリスチャンだとしても、その霊性の浅はかさだけが証しされて、イエスの高潔さが完全にかき消されていることが残念です。まだ癒し系のガッツ氏の方が"福音"です。
※ガッツ氏は癒し系と言われて、「何でオレが意地汚いんだっ!」と激怒したそうですが・・・(発音が問題ですね)。
面白いですね、オリムピックの結果。金メダルの数はかなり増えたようですが、その構成が面白い。
柔道の井上、レスリングの浜口、ハンマーの室伏、そして体操の個人などは意外な結果でした。勝てると、自分も思い、周りも期待していると、結果は逆。ふとした一瞬で負けています。女子バレーはまだ可能性があるようですが、ギリギリです。
全体的に、あまり期待されず、本人もその気でない選手の方が良い結果を残しています。
主は言われました:「得ようとすれば失い、失えば得る」―これは霊的のみならず、あらゆる事において真理のようです。
不安と緊張に満ちた先の見えないこの世で、オリムピックなどもガッツ石松の本と同様、一服のカタルシスを提供してくれているようです。
で、この祭りが終わった虚しさの中で、「主は立って言われた、誰でも渇く者は私のところに来て飲むが良い」―これは私が導かれた言葉ですが―に応え、真の永遠のカタルシスであるイエスに立ち返る人が出ることを祈ります。
『最驚!ガッツ伝説』
これは笑いの迷言集。ガシシ右松、じゃなかった、ガッツ石松氏もある意味で言語の天才ですね。
・映画『ベイブ』の試写会の感想を聞かれて、「あんなにブタが利口だとは思わなかった。」
・北斗七星の位置をたずねられて、「オレはこの辺の者じゃあねえから、わらんねえなあ〜」
・「太陽は右から昇るんだろ」
・鎌倉幕府のできた年を聞かれて、「ヨイクニだから、4192年!」
・ディズニー・シーに行って、「デズニーAとBはどこにあんの?」
・世界タイトルマッチに出る選手の心境は?と聞かれて、「いやあ〜、怖いのが半分、恐ろしいのが半分でしょうね」
・ボクシングの実況で、「いやあ〜、この選手の気合はものすごいですね。体中からオーロラが出ていますね」
・運転手に道を指図して、「そこ、右に左折して」
などなど・・・。一服の清涼剤としてお薦めします。
MRIによる脳の断層像
養老先生は無神論的ニッポン人インテリ層の典型ですが、書き物は実に面白い。「壁」シリーズもさることながら、今日は『記憶がウソをつく!』(扶桑社)を紹介したい。これは例の絶叫型言語魔術師的実況アナウンサーの古舘氏との対談であるが、実に面白い。
人の心が脳の活動と表裏一体をなしていることは前に少し書いたが、その脳はしばしば騙されることがよくある。私たちが見ている"物"はすでに視覚系で情報処理された結果である。素のままの物ではない。
かつて寿町にいた頃、裸足のオッチャンがえらく喜びながら、「先生、オレ、東大から博士号をもらいました!」と"報告"してきた。「えっ!、何の研究で?」と聞くと、「江戸時代の研究です!」・・・小生はどう答えてよいか分からず、とりあえず「それはよかったね、苦労したかいがあったね」と言うと、真に喜ばしい表情を見せるのであった。・・・後日彼は「文学博士 ○○○」と書いた名刺をくれた。(→http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing15.html)
ソレは彼の大脳が作り出した幻想であるが、彼にとってはリアリティなのである。私をカルト教祖と訴えている人も、私が妄想の世界に生きていると主張しているが、ソレは彼にとってはリアリティなのである。前に書いたが、まさにジャック・ニコルソンの『カッコーの巣の上で』の世界となる。
黒沢明の『羅生門』においてもひとつの事件の3人の当事者の証言が微妙に食い違っている人の心の闇を描いているが、このようなわけの分からない事態が生じるのは多分にこの脳の性質による。「記憶の錯誤」というが、脳が認知した"事実"を感情が歪めてしまう。つまりこの認知された"事実"はすでに事実ではない。
かくして人の話を聴くときには、その人の思い(mind)と感情の関わり方を十分に注意して聴く必要がある。その証言はしばしばバイアス(偏向)されているからだ。白い紙を赤いめがねをかけている人と青いめがねをかけている人の証言は自ずと異なる。よって証言内容そのものだけではなく、証言者を観察する必要がある。
今、あるカリスマ系の教会がカルト化しているとのことで、ネットやメディアで叩かれているが、このような場合の告発は、する際も、聞く際も、よほど注意する必要がある。しばしば火の元は個人的因縁がらみの場合が多いし、よってその告発や証言も相当にバイアスされている可能性が高い。
BBSでも質問を受けたが、告発する雑誌が、かつてはその教会の機関紙的なものであり、ある事件で袂を分かってから犬猿の関係になったようである。その雑誌側もその教会を「ぶっ壊す」と言った動機で告発しているようであり、よってその告発は相当に色がついているだろう。事実、記事の内容も医学的に不正確である。
またこれは神学論争もしかり。人が選択する神学の立場はその人の精神病理と密接に関係している。イスラエルに入れ込む人も、反イスラエルの人も、私はその人たちの発言内容よりも、その人たちの動機あるいは霊の状態の方に関心がある。私はイスラエルは好きであるが、イスラエルに入れ込む人たちの一種のヒステリー的反応には辟易する。かつてガンジーが「わしはイエスは好きじゃが、キリスト教徒は嫌いじゃ」と言ったとか言わないとか。
エレミヤは「人の心ははなはだしく病んでいて、癒しがたい」と言っているが、これは私たちの大脳の性質による以上、この古い幕屋(体)に閉じ込められている限り、クリスチャンにとっても真理である。否、むしろ、クリスチャンの方が嫉妬や妬みや競争心などを互いにむき出しにする傾向が強い。そして議論ではなく、相手の人格否定に至る。
かくして教界の中で偉いセンセイ方の間での競合や足の引っ張り合いなど、見かけは神学論争の形をとっても、実は感情論の粉飾であったりする。いわゆる○○派なるものも、しばしばその人たちの精神病理が絡む。同じような病理をもつ人たちは自然と共鳴現象を起こす。よっていわゆるエキュメニカル運動で教義や信条で一致することなどは決してできない。根本にはそれぞれの病理があるからだ。
私には、メインラインはそれなりの、福音派もそれなりの、聖霊派もそれなりの、ある一定の傾向を帯びた人たちの集合に見える。そして最近気がついたのは、メインラインは福音派を、福音派は聖霊派を、順次見下している事実だ。メインラインからすると福音派はカルト、福音派からすると聖霊派はカルト。これでは江戸時代の士農工商、ひいてはエタヒニンと同じ構図である。このような状況で聖なる霊が働かれるであろうか?
思想・政治をはじめ、経済も、社会も、人の心が生み出すものである。そしてその心の働きは大脳と言うまことに歪んだ認知や記憶を作り上げるモノと表裏一体である。私がいわゆる論理的整合性のある思想や主義に不信感を覚えるのはその辺りに理由がある。自然科学を知っている者からすると、神学や政治思想などはきわめて曖昧な体系としか映らない。
ヴィッドゲンシュタインはその著『論理哲学論考』において、「言語は世界の映像である」と言っている。その映像はしばしば個人のバイアスや恣意が入る。かくしてクリスチャンたちの神学論争や、政治論争、預言解釈論争などがいかに個人的な性質のものであるか分かる。かくしてある種の病理を共有する人々がある一定の神学なり解釈を共有し、○○派や○○運動が生まれては消え、消えては生まれで、この2,000年に渡る教会歴史が刻まれてきた。
対してスポーツが爽快なのは、この恣意的要素を排して、きわめて明確に白黒がつくからである。オリムピックもそういう人工的な閉鎖空間で、人工的なルールの下、できるだけ心のバイアスや恣意性を排して、ある一定の能力だけを測ることができるわけである。オリムピックの開会式の様を見て、全世界の選手がひとつにまとまり、素晴らしい光景が展開しているとアナウンサーは絶叫しても、私はある意味で白けていた。「主はこの光景をどのようにご覧になっているのか」。
主を排除したきわめて人工的なひとつ。ある一定のフレームに押し込まれたひとつ。この光景はどこかと共通している。そう、「自由と平等」のアメリカの人工的な国づくり、そしてキリスト教界のエキュメニカル運動である。それと今放映している「24時間テレビ・愛は地球を救う」。それらは所詮人の作為によるものである。いずれ暴かれるであろうし、その時に人の心の歪みに気がついて主に立ち返る人は幸いである。
キリストを排除したものはすべてフェイクである。キリストこそすべてのすべて、ありとある物の実体(リアリティ)、すべてをひとつへともたらす究極存在である。ここにこそ私たちの心の歪みからの救いがある。
家内とレイトショーを観て来ました。いや、面白かったですね。ちょっと茶化し系ではありますが、アメリカの構図が分かり易く描かれていました。
ブッシュをイスラエルのために神が立てた格別な器とかのたまう原理主義クリからすると小泉氏と同じコメントになるかも知れませんが。ただ新しい情報はありませんでした。
一度見ておいて損はありません。
ニッポンはオリンピックでメダルラッシュのようです。で、私と言いますと、私が関心があるのは、たとえば100mで人間はどこまで記録を伸ばせるか、です。どうみたって5秒はムリ。まあ9秒台の後半でしょうが、必ず壁があります。すると後は計測技術の問題となります。9.9だったのが、9.89、9.889、9.8889・・・と。有効数字が限りなく増えるわけです。こうなると果たして人類の記録は有理数の世界に収まるのか、無理数の世界まで入るのか、みたいな話になります。極限値はどこなのでしょうね。
* * *
素粒子がまたまた増えそうです。何でも未知の粒子が99.99%の確率で発見されたとかで、「超対象性の破れ」とかの理論によると素粒子は今の17種類の倍になってしまうらしい。分子→原子→素粒子→・・・と、これもまたどこに収束していくのでしょうか。私は量子力学(ヒルベルト空間における線形作用素の固有値問題)まではついていけますが、素粒子になるとアウトです。「匂い」とか「チャーム」とかワケのわからない物理量が出てきて、イメージすらできません。この世界でも人類はどこまでいけるのか。
* * *
私は生命を物理化学的現象に還元する主義では、もちろんありません。いのちは物理化学現象と表裏一体ですが、後者だけの現象ではありません。聖書によれば、肉体から霊が離れる時に、いわゆる死となります。霊が肉体と言う容器の中で生きている状態が生です。
そこで興味があるのが、物理化学現象と霊との相互作用とは一体どんな原理によるのか、ということです。例えば、大脳は約100億のニューロン(神経細胞)の複雑なネットワークと、そのつなぎ目(シナプス)における神経伝達物質の分泌によって作動しているが、神経伝達物質はニューロンの中の微細構造である微細管の上をキャリアが運ぶことが知られてきている。
つまり私が今コレを書いている間も、そのようなミクロの物理化学的現象が生じているわけで、その現象は物理化学の原理に即していると同時に、私の自由意志に服しているわけです。私が書きたいと思ったから、書き出したわけで、それに伴ってミクロな物理化学現象が生じている。
しかし大ベストセラー『馬鹿の壁』や『唯脳論』の養老先生に言わせれば、「いや、逆だよ、物理化学現象だけが精神活動の実体であるから、あなたの自由意志は単なる物理化学現象の法則によってたまたま生じただけ」、となるかもしれない。この場合は単にその物理化学の原理を探ればいいわけで、上の素粒子理論で生命も解明されることになる。自由意志も単なる物理の法則のある面に過ぎないわけ。
対して私は物理化学の領域にはない霊と物質が相互作用を起こして精神活動が行われると見ているので、では、物質は霊の支配を受けることになり、よってその相互作用の法則に関心があるわけです。霊の領域と物質の領域はどのように相互に関わっているのか、これはきわめて興味深いテーマです。もし霊の領域が物質の領域に影響を及ぼすことができるならば、いわゆる超自然的な現象ももちろんアリとなります。
私は「聖霊派」の霊能力志向には浅薄さを禁じ得ないが、そのような現象や奇跡を否定するものではありません。ただキチンと体系付けた上で、そのような賜物も用いたいと思っているわけです。現在のようなパフォーマンス志向のあり方には少々ウンザリしています。
猛暑の夏、Linuxに苦しめられつつ、そろそろあきらめてやっぱりWindowsに戻ろうかとも思い出していますが、ニュースを聞いて、特製ドリンクを飲みながら、つらつらとこんなことを思い巡らしております。
まだまだ暑さが続くようですが、牛乳100ccに酢を大さじ1杯、砂糖をお好みでよ〜く混ぜて下さい。自家製の酸味のスッキリしたヨーグルトができます。暑さには酸が効きます。酢の代わりにクエン酸でもOKです。あと一息・・・です。
日記を朝書くのも一興です。
某所からリモートでチャペルのサーバにアクセスして、相変わらずLinux FedoraCore2上でApacheの設定をしています。しかしどうも一筋縄でいかないようです。コンテンツの移転はできたのですが、cgiの動作でワケのわからない現象が次々に・・・です(汗)。
* * *
巨人の渡辺オーナーはえらくあっさりと道義的責任を取ってその座を退きましたが、何だか胡散臭いですね、この時期に。彼は現在のニッポンを創ってきた世代ですが、その結実がコレです。団塊の世代以上の人々の実です。
ニッポンキリスト教も同じ。今エラクなっている先生方の汗と涙の結晶が現在の教界の様。明治学院の鹿島春平太氏は「ニッポンキリスト教は最初から暗闇である」と喝破していますが、まさにそのとおり。彼らはものすごい見当ハズレの道を邁進してきている。
前にも書いたが、この世もナベツネ現象、教界もナベツネ現象。彼らが蓋となって御霊の自由な働きを阻害していることに気がついていない。それどころかご自分たちの流してきた臭い汗と涙を誇っている始末。そこにはその人の体臭だけで、キリストのすがすがしい新鮮な香りがない。
球界はナベツネ氏の退陣でどう動くか?教界はいつ"ナベツネ氏(複数形)"が退陣して、御霊にその座を明け渡すのか?口先の「リバイバル」などはとうにメッキが剥げているが、そのリバイバル(=いのちの躍動)を阻害しているは誰か。彼らががんばらなくなるとき、リバイバルは訪れる。再度愛ちゃんの言葉を思い起こすべし。コレに気がつくのはいつの日のことだろう・・・。
私は栄え、彼は衰える(@センセイたち)
私は衰え、彼は栄える(@バプテスマのヨハネ)
朝の予想通り、愛ちゃんはいけています。ストレート勝ちの後のインタビューが光っていました:
インタビュアー:「緊張しなかった?」
愛ちゃん:「ううん、もう一度死んでいるから・・・」
クリスチャンのすべては、「死」から始まる。昨今の「人生はやり直せる」とか「そのままのあなたが高価で尊い」といった"砂糖まぶし福音"を語る教界には、この愛ちゃんの台詞を味わって欲しいものだ。
軽いジョッギングをして、シャワーを浴びたところです。某所から書いています。
オリンピックの結果は面白いですね。私の予測どおりです。柔ちゃんや北島は別格として、前評判が高く、マスコミの露出度も高かった女子バレーや男子サッカーが悲惨です。それに対してあまり期待もされなかった種目で良い結果が出ています。ただし、愛ちゃんは「自信もないけどプレッシャーもない」と無欲のコメントしていますから、結構いいところまでいくことでしょう。
スポーツばかりではなく、一般に大衆から良い評価を受けることは、ある種の精神力を損なうようです。大衆の受けが良くなると、たいてい腐食が始まっている。これは霊的にも同じ。ニッポンキリスト教界で一流の牧師などという評判を得ている人ほどその霊性は低い。その一言で底の浅さが見えてしまう。人からの評価と神からの評価は互いにトレードオフ(反比例)の関係にある。
いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。―ガラテヤ1:10
温泉が危ないっ!と、情けない話ですね。次から次へと暴露されています。温泉好きの私としては、どうやって対応するか、少々困惑していると同時に、いささか寂しい気持ちです。牛肉に、鶏肉に、野菜に、車に、政治に、加えて巨人まで裏金工作。どこもかしこも偽りのラベル。右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。金ですべてを計る戦後のニッポンの哀れな顛末です。
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing1.html
「地の塩ミニストリー」のSalt氏(→http://www.memorize.ne.jp/diary/24/57910/)が何とモンゴルへ旅立たれた。彼はこう言っている:
「モンゴルの草原に住む人たちには住所がない。ゲルの中にはトイレがない。老人たちにはヘルパーもいない。カウンセラーもろくにいなければ、病院も警察も簡単に連絡のつかぬところで、そんなに不自由なく暮らしている。私たち日本人がどうしても必要と思いこんでいるものなんて、本当はいらないもののほうが多いのかも知れない。」
物事はややこしい話にはたいてい偽りがあると見た方がよい。やけに論理だっている話や、見かけは整合性のある話など、どこかにヤラセがある。官僚の作文などはその典型。聖書預言解釈や神学も同じ。言語明瞭にして意味不明。人を忘れている。人間という存在は矛盾に満ちたものだからだ。その矛盾をそのままに受け入れる、それにはいわゆる知性のフィルターをはずす必要がある。
禅の大家鈴木大拙は「AがAであり、Aでない」という「即非の論理」を唱えた。彼の盟友の西田幾多郎は「他即一」の「絶対矛盾的自己同一」と提唱した。いずれも人間というこの不可解な存在に対する取り繕いのない心の状態を言ったものである。
「処女が子供を生む」とか「父、子、聖霊のひとりの神」とか、聖書が提示する真理はまさに善悪の木の実を食べて異常に肥大化した人間の知性に対する挑戦でもある。私たちが取るべき態度は、自分の知性のフレームに矛盾なくはめ込むことではなく、その事実の前に服すること。服した者は安息を得る、安息した者は取り繕いの必要はない。
今のニッポン、そんなに急いでどこへ行く。結局、行き先を失った不透明な中で、目先の利益を追っかけた挙句の姿であるが、聖書は言っている、「得ようとすれば、失う」と。男子サッカーも得ようとして堅くなり、凡ミスで4点も失ったようであるが、ゲット・ゲット・ゲットの姿勢は必ず自分の身を滅ぼす。美空ひばりも唄っていたであろう:
勝つと思うな、思えば、負けよ@柔
今のニッポンの世知辛さは、みんなが勝ち組に入りたがるため。この世はサドンデスの椅子取りゲーム。しかし神の国は失った者が得る。このゲームの中でニッポンは人としての当たり前を失った。モンゴルはどうか。Saltさんのモンゴル紀行が楽しみである。
* * *
さて、Dr.ルークもそろそろトある所に姿を隠します。この日記も空白が多くなると思います。では、しばしのご無沙汰です。
本をなるべく買わないように抑えているのですが、いざ書店に入るとダメですね。今日購入した本:
・岸田秀:古希の雑考(文藝春秋)
ご存知「ものぐさ精神分析」の著者。すでに70歳を迎えられたとのこと。アメリカの本質を「被害妄想(=パラノイド)」と喝破している。これは私と同じ見解。なぜかこの人の文章は面白い。
・土居健郎+斉藤孝:「甘え」と日本人(朝日出版社)
土居先生は学生時代に講義を受けたが、ぼそぼそと何を話しているか分からなかった。現代日本の病理が「不健全な甘え」を助長していることによると論じている。ニッポンキリスト教界などはまさにその典型的病理標本に事欠かない。これもわたしが論じている通り。
・ノーマン・マクレオド+久保有正:日本固有文明の謎はユダヤで解ける(徳間出版)
いわゆる日ユ同祖論の古典。日本語とヘブル語、習俗や文化の共通点を、マクレオドの原典を紹介しながら論じる。アマテラスがイエスであるなどの話にはちょっと距離を置きつつ・・・。
・鈴木哲也:自宅サーバーfor Linux―Fedora2で作る―(ラトルズ)
最新のFedora2によるサーバーの構成のマニュアル本。すでにFedora2のマニュアル本は別に持っているが、1冊だけではどうも情報が漏れる。早速チャペルサーバーがうまく走らない原因を見出す。
(影の声:若いころはマニュアルを読むのが楽しかったが、最近はちょいとシンドイ。特にケータイのそれの分厚さは何とかなりませんかね。要するに通話とメールができれば良いのですから。何でカメラがついているのだ。間違っていじっててカシャっとかなると盗撮を疑われそうで、うかつに電車でいじれない。)
・DTMマガジン―音楽フリー&シェアウェア120本(寺島情報企画)
無料のシンセや音楽処理ソフトが収録されていたのでつい・・・。ビデオや音楽の編集はかなり面白いことに最近気がつき始めている。楽器は何一つまともにできないが、デジタル化されれば何とかなるか?
しめて8,909円也!(後でクレッジの請求書が溜まって青くなるのですが・・・)
* * *
いよいよオリンピックであるが、私はあまりのめりこまないようにしている。子供たちはなぜかスポーツ好きで、TVの前で阿鼻叫喚状態であるが、私は「結果だけ分かればよい」とか言うと、「パパは面白みがない」と口をそろえて言われる始末。次女は国体選手、長男はボクシングのプロテストを受けるとか。どうしてこの私と家内(共に運動神経ゼロ)から彼らが・・・?
この日記でも取り上げてきたような興味深いトピックが満載だった。
・特攻と日本人:反米主義の石原氏による、特攻と自爆テロの精神の本質的違いに関する発言記録。天皇が靖国に参拝すれば日本は根底から変わるとのこと。
・橋田伸介さん殺害の瞬間:イラクの武装勢力によるこの二人のジャーナリストの殺害は、CIAの車と同じ車に乗っていたための誤攻撃であったこと。犯人たちのインタビューでは謝罪がなされている。
・年金問題・小泉氏の本質:年金システムはすでにねずみ講化しているとのこと。小泉氏の人気取り場当たり政治への批判。彼の軽薄な人格はブッシュと共通するものがある。
・ムーア氏の華氏911:命の危険まで感じているらしいですね、ムーア氏は。告発する人のリスクです。
・皇統断絶の危機に:雅子さま問題であぶりだされた皇室の問題。
・日本プロ野球改造計画:アンチジャイアンツの星野氏による、諸悪の根源が巨人一極集中にあることの暴露。
クリスチャンはこの世の俗事に関わらないヒトも多いらしいが、私は大いにこの種の話題に関心を持っている。クリスチャンはこの世の者ではないが、この世に生きる者であることを忘れると、思考や感受性がバーチャル化し、聖書原理主義カルトに陥るであろう。人であることを忘れてはならない。
ギリシャは実に面白い。プールの屋根がついに完成に至らず屋外プールと化したとのこと。地中海周辺で生きたら、とても「納期」などという概念は育ちようもないらしい。
一方でテロに対しては1300億円の予算で、そのマニュアルも膨大なものらしい。パトリオットミサイルまで配備して、空からの攻撃にも備えるとのこと。誰がこのような事態を招いたか。私はオリンピックの厳戒態勢に気をとられているうちに、不意をつかれる形で、どこぞでまた大規模なテロが起こるような感じがしている。
ブッシュはフセイン政権の崩壊によって世界は安全になったと宣言しているが、妄想に近いものがある。で、石油は予想通り45ドルで高値更新中。投機筋も入り込んで、誰かが確実に儲けている。
聖書原理主義者たちは、このような事実を見ることなく、自らの預言解釈の世界に閉じ篭っている。彼らの聖書預言解釈が正しいかどうかよりも、根本に彼らは精神病理的問題を抱えている。イスラエルのパラノイドの病理に共鳴現象を起こしている。病者による、病者にための、病者の「自由と平等」。病識が欠如しているからよけいにコワイ。
米国型民主主義が「ヤラセ」であることにそろそろ気がつくべきではないだろうか?
屈斜路湖(from美幌峠)
チャペルのLinuxサーバの設定に苦しんでおります。なぜかApacheのGUIによる設定ができないのですね。FTPサーバとVNCサーバは無事稼動しましたので、自宅から遠隔操作をしています。新しいものを学ぶのは苦しい面もありますが、未知の領域に踏み込むという意味で楽しくもあります。LinuxもかなりWindowsに近づいているとはいえ、設定ファイルの項目が多く、なかなか一発ではうまくいきません(汗)ビデオ配信やカレッジのオンライン化など、挑戦すべきことは山ほどあるのですが、一歩一歩です。
* * *
今週のセレブレーションのビデオはクロスワークスの今井さんに撮影していただいたので、動きのあるダイナミックな画面になりました。今井さんは私のビデオを編集してくださった方で、テクはもちろん、丁寧にしてセンスの良い造り込みです。音楽を通した真の礼拝者を育てるミニストリーです。結婚式などのビデオ録画や音響設定、さらにはバンド演奏などのニーズがありましたら、こちらをご覧下さい:
クロスワークス→http://www5c.biglobe.ne.jp/~cross-w/
米軍がサドル師のゲリラ部隊を掃討作戦で300名を殺したとのこと。これでシーア派も完全に敵に回した。何なのでしょう、反抗する敵を殺せば平和が来るだろうというこの幼稚な思考パタンは。
私はブッシュを見ているとますます聖書原理主義者に対して嫌悪感を覚えるようになっている。聖書を良く知っていると言う彼らのプライド。ある意味で純粋性を伴っている分、余計に醜悪である。
今日の日経の書評欄に京大教授の大嶽秀夫氏が5冊の本を紹介している。
・リチャードクラーク:爆弾証言―これは前に私も紹介しました。
・ロン・サスキンド:忠誠の代償(日本経済新聞社)―ポール・オニール元財務長官による告発。政権内部の暗闇について極めて生々しい記述が全編を貫く。ブッシュの政策判断能力や指導者としての資質に重大な疑問を呈する。
・ボブ・ウッドワード:攻撃計画(日本経済新聞社)―予防的先制攻撃が闇の中で計画されたことを淡々と暴く。
・ピーター・シンガー:「正義」の倫理-ジョージ・W・ブッシュの善と悪(昭和堂)―ブッシュは強い信仰心を持ち、アメリカの道徳性を主張しているが、自身には何らの倫理道徳性はないことを暴く。彼は自省的思考を欠き、単純な善悪二元論、黙示録的キリスト教信仰に基づく好戦的態度を示す。彼のこの性癖は今や全政権を覆っている。ブッシュは発言と政策が乖離している。
・マイケル・リンド:アメリカの内戦(アスコム)―ブッシュの信仰の背景、思想的系譜、政治的つながりを、特にキリスト教原理主義や石油業界との関連性で暴く。
私は前々からアメリカのカルト化を指摘しているが
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity13.html
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity16.html
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing56.html
これらの5書はそれを証明している。「聖書原理主義」というカルト。「聖書預言解釈」と言うヴァーチャルな世界と現実を混同している恐るべきカルトである。彼らにとっては<自分の聖書解釈=真理>であり、<地的イスラエルに味方する者=善>となる。しかしすでに指摘したとおり、彼らもそのナイーブさを利用されているだけである。
ブッシュがどのような霊を持っている人物であるかはすでに明白であり、それは聖霊ではない。今回の選挙は神のタイムテーブルを進展させるために大きなエポックメイキングな事件となろう。もちろん神はすべての事態をご計画に組み込まれるが、御心がなることを祈りたい。
* * *
さてさて、Dr.ルークはしばらく充電期間をいただきます。15,22日の私のセレブレーションはお休みです。ある時からいずこかへ私は姿を消しますので、この日記もある期間空白となり、HPの更新もストップします。
いいです、北海道は。飛行機ではいると1.5時間ですから、日常の生活がスッと切れ、北海道にいる時間はたった4日間ですが、時間の流れが遅くなり、エラク長くいた感じがしています。で、また1.5時間で日常に戻ると。前はフェリーでしたから、行きと帰りが1日あり、日常からの脱出と帰還がゆっくりだったのですが、今回は何か変な感じでした。
旅の魅力は日常性を離れることにあります。北海道の人はそこで生活があるわけですが、私たちにとってはある意味でヴァーチャルな世界です。映画とも通じますね。精神を人工的に受動状態にして休ませることができるわけです。また冬にカニを食べに行きたいところです。
* * *
サーバーをようやく固定IPにしましたので、ダウンすることがなくなると思います。これからLinuxサーバに移転を開始します。
五郎の石の家
4日目は富良野の市街を周り、ファーム富田で遅咲きのラベンダーを見て、トリックアート美術館、「北の国から」の撮影地六郷の森でアノ掘っ立て小屋と燃えたログハウス、そして黒板五郎の石の家を見物。ドラマでもひとつの人生を共有させてくれるものが名作と言える。
食事を軽く取って夕張へ抜け、例の黄色いハンカチの広場へ。ここも山田洋二氏の世界が広がる。倉本氏も山田氏も東大文学部出身であることは面白い。人の真実に触れる部分が彼らのポイント。かくして千歳に戻り、何となくカレーが食べたくなって夕食は激辛のソレ。
ラベンダー畑→
http://www.kingdomfellowship.com/Cg/2004summer/lavender1.jpg
http://www.kingdomfellowship.com/Cg/2004summer/lavender2.jpg
http://www.kingdomfellowship.com/Cg/2004summer/lavender3.jpg
夜12時前、無事横浜着。
富田ファーム
3日目は摩周湖に出かける。ここはもう7回ほど来ているが、なぜか私たちが見る時はいつも晴れで、霧の摩周湖を見たことがない。案の定、今回も見事に晴れ。
摩周湖→
http://www.kingdomfellowship.com/Cg/2004summer/mashu1.jpg
http://www.kingdomfellowship.com/Cg/2004summer/mashu2.jpg
その足で層雲峡を経て、富良野に入る。ホテルは洒落た洋風。食事はフランスコース料理。これもうまかった。富良野ワインのロゼが甘口でグッド。温泉はラベンダー風呂でゆっくりと。
2日目は襟裳岬へ。娘が運転する。私は助手席で、つい右足に力が入るが、けっこう慎重運転でまずまず。
襟裳は風の町であり、映画で紹介されていたが、冬は相当に厳しそう。都会では肌感覚が忘れられ、すべてがヴァーチャル化しているが、ここでは生きることを肌で実感できる。
襟裳岬→
http://www.kingdomfellowship.com/Cg/2004summer/erimo.jpg
その後、帯広に出て、川湯温泉に5時ころ着。大鵬の生まれ故郷で、彼のお兄さんが記念館を経営している。温泉も食事もまずまず。
今年は一体何なんでしょう?北海道で35度(@北見)!北海道はもう15,6回来ていますが、こんなのは初めてです。はちこさんのご主人の地球物理学者ぼぼるさんに伺ったのですが、まだ地球は大丈夫でしょうとのことでした。
1日目は千歳空港から支笏湖へ。次に襟裳岬を目指しますが、時間的にムリで明日に回すことにして、日高ケンタッキーファームにチェックイン。洒落たログハウス。生まれて初めて馬に乗りました。正直言ってあまり乗り心地はよくないですね。近くの町営の温泉(300円)がけっこうよかった。
夜はバーベキュー。ちょっとしたキャンプ気分。で、サッカーの対バーレーンの準決勝を見てしまいました。心臓によくなかったですね(汗)。今中国との決勝戦ですが、私は遠慮しています。サッカーはどうも心臓血管系によくないです。
(私はどう見てもヤクザですね・・・汗)
シカゴの通称はちこさんのご一家(http://nakamurafamily.net/)と2年ぶりで再会しました。KFCの仲尾さんご一家も加わって中華街で夕食を共にしました。現在のアメリカの政治や霊的雰囲気などについても伺うことができました。
一昨年英国KFCの夏のFaithキャンプでご一緒して以来です(http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing41.html)。当時私はケンちゃんに「ノーノー」と逃げられてしまいましたが、今回は3歳になった彼をつかまえて(?)、抱っこさせてもらいました。でも「ノーノー」でしたが^^彼はBig Peopleは嫌いなんだそうです。Big Peopleという表現がユニークですね。
うちは3人、仲尾家も3人、中村家は4人というわけで、ほぼ保育所の感もありましたが、子供たちが群れて遊んでいる様は独特の喜びがあります。なぜ今のニッポンは子供を産まないのでしょう?沢山いればいるほど苦労もしますが、人生は豊かになります。遊びにもお金がかかりますが、"その時"はその時しかないのですから、思いっきり"その時"をエンジョイして、写真やビデオに"その時"の子供たちの姿を残しておくことですね。これはお金に勝る家族の財産です。
夕食後、山下公園をひとしきり散歩して、夏の夜のひと時を過ごしました。感謝でした。
* * *
あすより6日まで北海道を回ってきます。メールやオンライン注文に対するレスポンスはしばらくお待ちくださいませ。では、皆様も楽しいヴェイケイションをエンジョイしてください。
ストーンヘンジ
昨日は70名ほどの参加者で、例によって寿司ずめ状態でしたが、窓付けクーラーと大きな扇風機を入れたので、何とか許容範囲だった。しかし、やはり限界か・・・。
* * *
セレブレーションの様子を25分ほどのビデオクリップにまとめてみた。今(09:36)アップロードしている最中ですので、あと1時間ほどでご覧いただけます。
* * *
成績報告書を書かねば・・・。700人分(汗)あと一息です。で、あすは朝4:00起きです。
ヘイドリアン・ウォール跡
(スコットランドとイングランドを分ける)
レイトショーを観て来た。アーサー王伝説は15世紀の騎士サー・トーマス・マロニーによって書かれた小説「アーサー王の死」によって、中世騎士の模範として描かれ、円卓の騎士や聖杯追及で有名である。
しかしこの映画はソレではなく、ブリテン島の原住民とも言えるケルト人の伝説に基づき、時は紀元415年、ローマの支配下にある同島において傭兵としてローマに仕えたアーサーがハドリアヌスの壁の向こうからローマ人を救い出せと言う命令を受ける。北からローマ兵も恐れたサクソン人が、南にはブリントン人(ケルト人)のウォードと呼ばれる軍隊が割拠する中を進軍する過酷な任務であった。
アーサーは当初ローマおよび国教であるキリスト教を理想としていたが、自分たちが助け出したローマの司教による異教徒ブリトン人に対する拷問や虐待を見て、ローマに疑問を覚える。その時に救い出したブリドン人グウィネヴィアと結ばれて、自分の母親を殺したブリトン人と和解し、ブリテン島を捨てたローマから離れて自由のために共に残虐なサクソン人と戦い、かくしてブリテンの王アーサーが誕生するという物語。(プロによる紹介はこちらを→http://www.eiga-kawaraban.com/04/04071301.html)
モチーフはメル・ギブソンの「ブレイブハート」と似ている。というか、西洋古典の「指輪物語」も、近代の「スターウォーズ」も、みなアーサー王の影響を受けているとらしいほどに、その伝説は西欧人の心の中に深く刻まれている。日本で言えば、「忠臣蔵」的だろうか(ちょっとスケールが違うが)。ところが彼らアングロサクソンが理想とするアーサー王伝説は、元々自分たちと戦ったケルト人の英雄伝説なのである!かくして歴史にはいつも裏があり、はなはだトリッキーである。
壮大な戦闘シーンもよくできており、かなり楽しめた。アーサー役が役所広司に似ているのが気になったが。一昨年の夏、わが家はブリテン島を車で一周してきたが、ハドリアヌスの壁の跡や、映画でも出て来たストーンヘンジを見ていたので、とても実感を伴って観る事ができた。(英国の名所はこちらをどうぞ→http://www.kingdomfellowship.com/Column/Camp02.html)
前に「HERO」でも書いたが、人を治める、あるいは人の上に立つためには、ある種の「徳」が求められる。今回も円卓の騎士たちが己を虚しくして、命を賭して戦うのは、自由という大義のためというメッセージがあった。ひるがえって安全なところから掛け声だけの現代のブッシュも、「イラクの自由」という大義を叫んでいるが、なぜか高貴さが欠如しており、彼の物語は本映画よりははるかに安っぽく感じられてしまう。次なるムーア氏の「華氏911」が楽しみである。