2006年02月05日

自分を知ること

老子でしたか、荘子でしたか、「自分を知り、敵を知れば、百戦危からず」と言ったのは。私たちサイエンティストはつねに自分の認識し得る能力と射程を意識しながら、物事に当たるのですね。

「学」とは、「何か」を客観的に対象化して説明することなのですが、実は物理の最前線では、この客観化がなし得ないわけです。すでに主観と客観の線引きができない領域に立ち至っているわけです。ここで前に述べたような、カオス理論や、量子力学における観測の限界を与える不完全性原理や、論理自体の限界を与えるゲーデルの不完全性公理などが発見されているわけです。

ところが神学では、すべての創造主なる神を客観化して説明しようとする!?われわれからすると何と大胆と言うか、無理なことをするものぞ、と感じるわけです。もっと言えば、ドン・キホーテ。時空間を超え、われわれの知性のフレームを超えている存在を、われわれの認識の中に収めようとしている。

神学の最も根源的な問題はですね、人間を知らないこと、なのです。デジカメで画素数がいくらかを知ることは、デジカメがリアリティをどれだけ正確に写し取ることができるか、つまりその性能を決定する最も本質的な要素でしょう?ちなみに私たちの視覚だって、すでに相当に騙されているわけ。だからマリックさんやセロさんたちが商売できるわけです。

自分を省みることができない人、自分を知らない人は、病んでいる人です。人から批判を受ける時、私は「ああ、この人の心にはこう写っているのだな」と見るわけです。つまりその人の心の平面が平面ではなく、相当に歪んでいるわけ。で、このような心から生まれる「学」ははたしてどのようなものになることでしょう。神学オツムの方々にはぜひその辺を再考していただきたいと感じている次第です。

Commented by sakurai 2006年02月05日(日)21:33

(ちょっと話が逸れますが)「自分を知ること」の重要性必要性を、私も痛感しております。自己評価がある程度できているならば、結果的に自分と他者の良心を守ることができるのではないかと思います。(もちろん主にあってですが)
また、自己評価ができるようになると、同時に他人に対しても「この人はどういう人なのか」を深く考えられるようになるのではないかと思っています。 
ルークさんは、一貫して「自己の魂を否む(自己の十字架を背負う)」ことを伝えておられます。評価ができるということは、視点を多く持っているということだと思います。自分を降ろしているかどうかということは、人を鋭く見抜く視点であり真理だと思います。
ただ・・・自分を知る時っていうのは、大失敗したり大恥をかいたりする時が多くないですか?(^^;)

Commented by Luke 2006年02月05日(日)22:31

>自分を知る時っていうのは、大失敗したり大恥をかいたりする時が多くないですか?(^^;)

おっしゃるとおりですね。私たちは自分の気になる何かには敏感でも、自分の本質的な部分については、ある意味できわめて鈍感ですから。

Commented by Luke 2006年02月07日(火)08:39

ご指摘をいただきました。これは孫子の言葉ですね。ありがとうございました。

神学という学問のレベル

神学によると宇宙は15の主権領域に分かれており、数的領域から始まって、物理的領域、生物的領域、・・・、審美的領域、信仰的領域へと展開するのだそうだ。私たちサイエンティストから見ると、何だか乱暴な意味不明の分類だなというのが実感ですね。数的領域と物理的領域を分ける???これはそもそも「数」を知らない人、また数学と物理の関係を知らない人の発想ですね(笑)

前にカルバンとアルミニウスの議論(決定論と偶然論)が無意味なものであることを指摘しましたが、やはり神学はニュートン以前と言わざるを得ないようです。これではとても自然科学者に対する弁証には成り得ません。もう少し人間の認識の限界や、認識と存在の関係などについて基礎的な勉強をしていただく必要がありましょう。

私たちからすると、神学者に、例えば原子力や医学などを任せることなどはとてもできないわけです。それはとてもコワイことであります。率直に申しまして・・・・。

Commented by 通りがかり 2006年02月05日(日)04:01

私は神学を全く知らないわけではありませんが、「神学によると宇宙は15の主権領域に分かれており」云々とは、初めて聞きました。
再建主義者をはじめ、LUKEさんの周りにいるのは、かなぁ〜り怪しい連中ばかりのような気がします。悪いウィルスに当たらないように、お祈りしてます。

Commented by Luke 2006年02月05日(日)08:04

はあ、お祈りをありがとうございます。私の「周りにいる」のではなくて、向こうから絡んでくるのですね(笑)。

そうなんですか、これって神学徒の皆様の間でも知られていないのですか?アブラハム・カイパーとか言う人の「領域主権」の概念だそうで、日本では稲垣久和氏が紹介しているようですが・・・。

私自身は神学はまったく素人でして、ただ、かじってみるとカルバンをはじめとして、相当に年代モノではあるな、と思うわけですね。人間の認識能力の性能を知らずに、自分の「思い込み」を体系化して主張しているだけのような。それでキリストの体を分裂させているわけですから。一方で高等批評とかリベラルになりますと、ほとんど霊的価値はありませんしね。