2006年02月23日

幼児洗礼の必要性?

驚きました。再建主義の富井氏によると、「新約時代の割礼である幼児洗礼を実行しなければならない」のだそうです。モーセ律法では誕生後8日目に割礼をしましたが、新約の「割礼」は幼児洗礼であると・・・。

かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。

マリアの処女懐胎を、ローマ兵によるレイプを婉曲に表現したのだとする某大教団の牧師の説を読みましたが、このギョウカイ、私の知らない世界がまだまだ相当にあるようです。

クリスチャンvs田舎の親父

救世軍の山谷さんのBlog(2月19日)に実に面白い見解があったので、ご紹介します。私の「言いたい事」を実に的確に指摘されています。

「核家族の中で、生きる能力も、物を作る能力も、もてなす能力も、隣人を受け入れる心の度量も、ほとんどあるかないかまでに削り取られ、やせ細させられて、自分の生活のことだけできゅうきゅうとし、関心事と言えば『物』を消費し『神』を消費する以外になんにもない、という現今のキリスト者」

自分(Self)がすべてのスタートにしてゴールである現在のキリスト者が、「『神』を消費している」と言う指摘はきわめて深刻な問題です。ここに様々のいわゆる「ミニストリー」や「メディア」や「先生」が商売する隙があります。これは「リバ新」の社長にも言ったことがありますが、真にひとりひとりが神の前に立てるようになったら、あなたがたは失業するでしょう、と。私たちの度量(キャパシティ)が問われているわけです。

だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。・・・人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。