2007年01月26日

ふたつの裁判

ひとつはホリエモン裁判。結審法廷で涙の検察批判。無罪を訴える。株式総会でも泣いたが、なかなかの役者やの〜。これが有罪にならなかったら、日本の将来は暗い。村上ファンドも同じ。「私の自由勝手さ」と言う同じ臭いを醸す「2ちゃんねる」だのが蔓延すれば、どんどん日本社会の基礎が侵食されるだけ。

ひとつは胎盤剥離のオペで患者を死なせた医師の裁判(前にも書いたが)。彼の逮捕以降、出産を扱う病院がどんどん減っている。遺族は「絶対許さない。厳しい裁きを望む」とのこと。私怨が社会の利益を損なう。私はこの医師に大いに同情する。そしてあえて言おう、こんなことでこの医師が刑事で有罪になるとしたら、診療せざるにしかず。結局首を絞めるのは患者自身。軽率な誤診事例とはまったく違うのだ!

ムキになる対象と時を誤っているのだ。ちなみに藤田東吾氏の訴えでついにAPAの偽装が発覚。彼も告発者としてさんざんに傷を受けたが、彼は正しいのだ。こういった人物を別件で罰する司法は大丈夫だろうか。罰する対象と時を誤っているのだ。

しかし司法も立法も行政も結局は国民を写す鏡。国家は国民を超えることは絶対できない。あの『国家の品格』の藤原氏が、「日本の最大の敵は政治家でも官僚でもなく、国民自身である」と言っていたが、けだし明言。国民は自らの決断と撒いた物を刈り取る。これが法則。ニッポンは刈り取りの時期に来ているのでしょう。ついでにニッポンンキリスト教も。牧師は信徒を写す鏡ですから・・・。

時代

確かドラマ『北の国から』にこのタイトルがあった。時代に流されず文明を拒否して黙々と生きる黒板五郎を描いていたのだが、最近、私もひしひしと感じる次第。

昨日の会談に同席した際、録音をしたのだが、山谷さんはiPod、その他の先生たちはICレコーダー。で、私だけテープ!?シャカシャカシャカ・・・と私の前だけが鳴っているのだ。

一応言い訳しておくと、ICレコーダーも一応持ってはおります、が、なぜか不安なのだ。ほんとに録音されているの?と。しかしテープは回っているのが見える!あの名作『20世紀少年』の中に「今時、テープ!?」と言う台詞があったが、ここにもひとり時代について行けないおじさんが・・・。

ちなにみごく最近までフロッピーを使っていたのだが、ある人にメモリスティックを使わないんですかと問われ、ようやく512Mのスティックを買った次第。こんなものに512Mも!?いや、最近では2Gモノもあります。FAXを送ろうとして、紙が出てきたのを見て、「遅れませ〜ん」と言ったおばちゃんの古典的ネタがあるが、人のことを笑えなくなっているわけ。

パソコンがまだマイコンと言われていた時代に、8ビットのZ-80で64キロバイトのメモリ空間で機械語やアセンブラでプログラムを書いていた時代が実に恋しいのだ。MS-DOSに移るのも抵抗したし、Windows95に至っては97年に導入。しかし時代に逆らうのは若くないとできないもののようだ。今Vistaに合わせて、マルチコアのパソコンをひとつ作っております。

さあて、本日400名分の成績報告書を提出しました。これでしばらくフリー。いや、冬眠生活と言うべきか。こんな1年のサイクルがもう20年数年続いている。いや、学生時代からすると30年近くだ。私は何だか一生浪人生活しているような感じだ。