2007年05月09日

注ぎ出すことの祝福

下にも書きましたが、ニッポンキリスト教にあっては献金が大きな躓きになっているようですね。特にいわゆる1/10献金を強制されて、それで相当にまいっている人や、神に呪われるのが恐ろしいとか、さらには恨みを抱いている人などが多いようです。

実は、自分の何かを捧げること、さらには自分自身を注ぎ出すことあるいは自分を無にすること―これはもっとも大いなる祝福なのですが、キリスト教と言うシステムの中ではあまり味わえない経験のようです。私も献金では主を試みたことがありますが、御言葉どおりでした。

どうもニッポンキリスト教で躓きますと、「自分を注ぎ出す」などに対しては、「Dr.Lukeはカルトだ」とか言いたくなる人もいるようですが、そのような心の状態は貧しく哀れなものです。自己をすべて("神")とする人の兆候です。

英国のKingdom FaithのColin Urquhartが最近のメッセージで、自分を注ぎ出すことの祝福をシェアしています。よろしかったら、お聴きください。またウォッチマン・ニーの言葉も紹介しておきます。

"Receiving from God" by Colin Urquhart

働きに倦む時に by ウォッチマン・ニー

Commented by 23 2007年05月09日(水)23:13

笑いましたが、私もほぼ同じ考えです。

自分や自分の教会のためだけに注ぎだすことを求めるのではなく、
主に注ぎだすことを勧められたり、
主に注ぎだせたりする兄弟姉妹は幸いだと思います。

Commented by Luke 2007年05月10日(木)06:37

救世軍の皆さんは、この時代にあえてご自分を貧しさと言う弱さの中に閉じ込められていること、感銘を受けております。真に注ぐことの祝福をクリスチャンが知れば、これは主がリバイバルへの道を得られますね。

Commented by 23 2007年05月10日(木)10:46

全くおっしゃる通りだと思います。
ダビデ張のためだけに注ぎだされている彼らが、
主のために自分を注ぎだすことができれば素晴らしいですね。

Commented by ぽん 2007年05月10日(木)19:09

なんと人間の肉の業におぼれた教会と名の付く
団体の多いことか・・・・
教会ではあるがエクレシアではない!組織。
ケンキン袋というものがあるということに受洗した後
非常に驚きを感じたが、イマダに私はなじまない・・・
聖書で言うところのセカイと全く違うとかんじるから。
執事や役員達は少しでも経済的に安定させ、
「神の国を前進させるには必要なこと、」そう思って
いるのだろうが、いくら払ったか、ささげたかは
主のみが知っておられればいいこと・・・
たとえ教会がそれによって目に見えるところが
不安定であっても、一向に構わないのではないか?
そう思う。それなりの信仰にシフトしてゆくわけだし
会堂が無くても礼拝は出来ます・・・
思うに日本の教会から会堂をなくしたほうが
教会?群れは成長すると思う・・・
4,50人しかいない中で、信仰によって
なんちゃって会堂をなまじ建てたりするから
お金で縛られる。会員同士が裁く、奉仕の件で
もめる・・・霊の解放どころか、重荷の負わせ合い。
神の群れは人を管理する場所ではなく、
人を見つけ出し活かし自由を与えるものであるはず!
この世の地上の法則から解放されなければ、
(少なくともお金や、経済、教理的縛り、組織依存)
魂の救われる場所には程遠い???
ような気がしますが・・・・・

雑感

かつて私のところに来られていた方が、最近癌で亡くなったと伺った。どうもバリバリの聖霊派出身の方のようで、私の聖霊派批判でつまづかれたようで、このところ見えなかったようなのだ。

伺うところによると、癌に罹ったが、医学的治療を拒み、"信仰"によって癒しを受けようとされていたようだ。私はこの手の話を聞くと、何とも言えない憤りを覚え、さらに躓く人が出ることも恐れずに、聖霊派を批判したくなる。悔しいのだ。

私はリバイバル新聞に記事を書き、本やヴィデオも出したが、ニッポンキリスト教のペンテコステ/カリスマ派、あるいは聖霊派とはまったく関係がないことを改めて表明しておく。ましてや「霊能者」でもなければ、「預言者」や「使徒」でもない。ニッポンキリスト教的「牧師」でもないし、私は単なる普通のオジサンにして、サイエンティストなのだ。ただ霊的要因を考慮に入れる「霊精神身体医学」を提唱している。

昨年亡くなった友人もヨガにはまっており、彼特有の「癒し論」を聞いてもいたが、私からすれば単なる迷信。彼も霊験あらたかな水を飲んで医学を拒んだ。欧米ではベニー・ヒンあたりに頼る人々もいて、死んだ人を彼の元に運んでくるケースもあるようだ。ほとんどビョウキの世界である。

現代でも神の直接介入による癒しはある。が、現代では人間の裁量権が及ぶ領域が広げられており、医学を通して神は癒しをなさる(まあ、神学的には「一般恩恵」とか言うのだろう)。私たちは神の宮である肉体を適切に管理する必要があるのだ。これは自己責任の問題である。歯を磨かないで虫歯になって、ヒン様の聖会に行って金歯をもらうとか実に愚かしい。毎日歯を磨きなさい。その意味で、癌は早期発見、早期治療である。

クリスチャンにとって肉体の死は滅びではないが、この種の迷信によってあたら大切な肉体の命(bios)を損なう人々がこれ以上出ないことを切に願う。

Commented by T55 2007年05月09日(水)11:57

はじめまして。

おっしゃるとおりでございます。
聖霊派はおかしいと感じて、自分の意思で去りました。

Commented by 通行人 URL2007年05月09日(水)16:33

これがリバイバルだそうです。
http://cuttingedge.org/video/wolves.wmv

Commented by Luke 2007年05月09日(水)19:21

聖霊派ではマラキ書をもって十分の一献金をしないと神から盗む者であり、あるセンセイなどは、4倍返しで呪いが来るとメッセージしていました(ある方に勧められて聴いてみたのですが・・・汗)。

私のところにその教会にいた方がいるのですが、私がマラキ書に従って1/10でもよいし、2コリント9:7に従って心に決めたとおりでもいいのです、と申し上げても不安があったそうです。そこである日、献金を一切やめたのですね、実験的に。ところがそれでも祝福はますます増し加わったとのことです。

献金はこのような喜びの中から捧げることが鍵であって、額の問題ではありません。もちろん多く撒けば多くの実を収穫できることは法則ですし、マラキ書に従って神を試してもよいのですが。神は真実であることは、私も経験的に証しすることができます。

それと右の手がしていることを左の手に教えないことですね。名前の書いた月謝袋みたいな献金袋があるそうですが、献金するとスタンプをするようなのはおかしいのです。ある教会では請求されるそうですが(笑)。主が知ってくださればよいのです。

Commented by dogwood 2007年05月10日(木)10:17

癌で亡くなったその方とほんの少し面識があったので、何度かお見舞いに伺いましたが、本当に悔しいの一言です。その方の世話をしてくださったYさんからいろいろと事情はお聞きしていたのですが・・・・
 
 葬儀会場でまた、悔しくて悔しくて・・!!

Commented by Luke 2007年05月10日(木)18:40

そうですか、やはりなのですね。お若く、子供さんも小さいのが心に刺さります。

Commented by ひろこ 2007年05月10日(木)19:46

本など読むと神に癒されている人もいる。コレは薬に頼っていることが其のことが起こる力を弱めているのではと考え、副作用もあることだし、止めてそれにかけて祈り求めようとした。kfcにきはじめて間もない頃だったが、パスターにお聞きしたところ、語気も強く、薬は飲まなければだめ医学をとうしても癒しをなさるといわれた。以後飲み続けているが、いまも生かしてくださっていることを主に感謝しています。

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