* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
すでに情報サイトを開いていますが、こちらでも少々。
タイタス・チューは大陸にいる頃からウォッチマン・ニーの親密な同労者だったのですが、五大湖近辺の諸教会の若者をロックミュージックによる賛美で堕落させた上、ただひとつの出版部門(Living Stream Ministry)があるべき「主の回復」で、自らの雑誌を発行し、自らの本の出版をして、「主の回復」の"ブレンドされた兄弟団"に服さず反逆の業をなしたということで検疫されました。
で、そのワーシップには、例えばカルバリーチャペルの「マラナサ」の曲などもあるのですが、そのライブ映像があります。これらをLC側は堕落の集会と断罪しているわけですが・・・。
・ビデオBlog
・オーディオBlog
いかがでしょう。わがKingdom Faithのワーシップなどはどうなってしまうわけでしょうか?同じウォッチマン・ニーから影響を受けていても、えらく異なりますね^^そもそもウォッチマン・ニーが説いた「地方性」は、各地の教会が主の前に自立することでした。ひとりのパパ様も、指導者もなく、理事会などの決議によって動くのでもなく、それぞれの諸地方の教会が自立して、直接に主に対して責任を負うことだったのです。これはJ.N.ダービーのプリマス・ブラザレンでも唱えているところです。ところがLSMと"ブレンドされた兄弟団"に従わないと反逆者として全世界の責任者の連著により、検疫されるわけですね。
最近英国でも教会の地方性を言っていますが、それはキリストの体のある地方における現れのひとつが自分たちであると言う意識です。"ONE OF THEM"です。主の体の表現はきわめて豊かですから、私たちはその中のひとつに過ぎないのです。つまりクリスチャンの交わりはすべて一般名詞のローカルチャーチです。しかし彼らは、ザ・ローカルチャーチと化しているわけです。それはつまりある時代にはひとりの務め人がおり、彼が見た幻が真理の回復であり、ひとつのビジョン、ひとつのミニストリー、ひとつの出版部門、ひとつの心、ひとつの実行によって定義されるわけです。
現在、ウォッチマン・ニーが生きていたら、この事態をどう見るでしょう?
霊的真理を聖書研究もいいが、知識でなく
悟れる者になりたいものです・・・
主は一つ、バプテスマも一つ、救いも一つ
十字架も一つ・・・
信じる者は誰でも主の頭に連なる体です。
"ブレンドされた兄弟団"とは面白いですね。エホバの証人での"統治体"みたいなものなのでしょうか?それにしても彼らの各地のサイトを見ても、みんな同じなのが何とも違和感がありますが。
Commented by Luke 2007年05月19日(土)22:06なるほど、統治体ですか。そんな位置づけかも知れません。この"ブレンド"なる用語がいかにもですね。リーはそういった言葉を発明するのが得意でしたから。「ミングリング」に「バイタル」とか「ブレンディング」とか・・・。「クリスタリゼーション」とか言うのもありましたね。
LCでは、"ブレンドされた兄弟団"によって検疫される人々と、逆に、自らLSM(リーのリビング・ストリーム・ミニストリー)につく人々を排除する地方もあるようです。コロンバスなどでは、23名のLSMサイドの人たちが排除されたようです。まあ、私としては、ベニー・ヒンを受け入れるLCが出てきたら面白いと思っていますが(笑)。実際、地方の独立性が担保されていれば、それもアリですから。
しかし"ブレンドされた兄弟団"が枠をはめようとすればするほど、離脱する人々が出るでしょうね。ここにも現メンバーの方が見えているのですが、多分日本では「見猿、聞か猿、言わ猿」状態ですから、表向きは落ち着いているのでしょう。しかし、彼らも2ちゃんねるあたりの工作しかできないとは、落ちたものです。
本日は大学からの帰宅途中、いつもは湾岸を走るのだが、逆周りでアクアラインを走ってみた。通行料が倍になるが、たまにはよいものだ。まあ、車がほとんど通行していないが、海ほたるでちょっと一服。が、強風のため、一服できないで早々に退散。それにしても千葉側は相変わらず寂れている。
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愛知県の立てこもり発砲事件で、若干23歳のSATの精鋭隊員が流れ弾を受けて死亡。防弾チョッキの隙間から入った弾が心臓の大動脈を損傷したらしい。9ヶ月の赤ちゃんがいたとのこと。パパは英雄として死んだことをせめても、としたい。
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1歳の子供をバイクのヘルメットの収納ケースに閉じ込めて父はパチンコ、母は買い物。で、子供は死亡。遺体の処理に困り、友人に相談したら、コンクリ詰めにしろとのこと。結局、裸で山中に遺棄。なんじゃ、これは!
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例の母親の首を切断した高校生はマリリン・マンソンの影響を受けていたとのこと(←警告!気味が悪いですから、開く際には注意して下さい。)。右腕を切断して、白のペンキを塗り、植木鉢に"飾って"いたそうだ。これはマンソン流の"ART"である。ある種のフェティズムとも言えるが、すでに人間の尊厳に対する意識はない。彼にとっては、母親の遺体は単なるオブジェと化していたのであろう。
マンソンについてはコロラドの高校での射殺事件の時に私も触れている(→こちらとこちら)。彼はステージ上で聖書を破き捨て、イエスに対する冒涜的行為をあえて行う。彼の撒き散らす霊は人間の尊厳を踏みにじるものにして、きわめて悪魔礼拝的である。
今回の事件は、あのサカキバラの事件とはまたひとつ違った、より深い霊的なフェーズ(相)に入り込んだと思われる。思いのほか、敵の霊による侵食が蔓延しているのだ。問題は、今後、この手の事件が増えること。いや、すでに潜在的にはあるのだが、これが顕在化すること。従来の警察では対応できない犯罪である。
ちなみにマリリン・マンソンの意味は、悪魔教会の会員であったマリリン・モンローとシャロン・テート事件のカルト教祖チャールズ・マンソンから取っている。
・少年たちの心の闇を探る
いまや、日本全体が悪の霊の支配下にある感じです。
こういう事件の背後に必ず、霊的な側面があることを
見落としがちだったり、過剰に神がかり的聖霊観を
もって惑わす似て非なる霊導師が
教会内外にもたくさんいます・・・・・
行くところまで行かなければ、日本人の目は
冷めないのかもしれない・・・
それが御心であればだが・・・
聖なる切り株が備えられていることを祈り、
新芽が新しい幹に枝に実に成る事を
祈りたい!
この世にありながら、この世のものではない
戦いを戦わなければならない・・・
わが敵は常にわが前にある?