2007年07月07日

Dr.Lukeの一言映画評と本日の二冊

午前中はいつもどおりプールとサウナ。昼はチネチッタのモーパラにて牛と豚のシャブシャブの食べ放題。ここは時間内であれば、いくらでも肉が食べられるが、歳を取ると一皿で十分。多分値段設定も若者が沢山食べても、われわれの年代の利益で埋めるような形になっているのだろう。

アップロードファイル 32KB映画は『パイレーツ・オブ・カリビアン』。3時間の大作ディズニー映画でして、映像はそれなりに楽しめたが、私はこういったファンタジー系統はダメですね。午前中のプールで体が心地よく疲労していたため、グッスリでした(映画館では実によく眠れるのだ)。

アップロードファイル 4KB一冊目は話題の書を出版する幻冬社の『反転』。いくつもの大事件を上げてきた東京地検敏腕検事が官僚組織から脱サラして弁護士となり、ヤクザや政治家の裏の仕事を引き受け、あの許永中と共に石橋産業手形詐欺事件で実刑判決を受け、堕ちていく記録。幼少期、極貧の中から苦学して、国立大学在学中に司法試験を一発で通り、文字通り故郷に錦を飾った著者がバブルの時代にフツウの感覚を喪失して、ついに犯罪に手を染めるに至る。どうもあのコムスンの会長もそうであったが、貧困からスターダムにのし上がる人々は堕ちると深いようだ。人はそこそこに健やかに育つ必要があるのだ。

アップロードファイル 9KB二冊目は、私の好む岸田秀氏の『靖国問題の精神分析』。社会学も歴史学も人の心が作り上げるものである以上、精神分析的なダイナミズムが働いている。私も高校時代は歴史モノは赤点スレスレだったのだが、精神分析を学んでからは実に面白くなった。これは実はキリスト教界などはまさにその典型でして、神学論争を始めとする諸々の問題は霊的なものと言うよりは、ほとんどが精神病理レベルのもの。牧師の大々的な人格テストを試みたいと前から言って来ているが、これが実現したらかなりスゴイ結果を導けるものとヒソカに期待しているのだ。しかし何でも分析してしまうため、現在の日本キリスト教ではまず嫌われ者となるわけ。あなたは高価で尊い、何でも許して愛しての「砂糖まぶし福音」と分析は相容れないのだ。それにしてもキリスト教徒になったとたんに、愛に満ち、品行方正な素晴らしい御仁と化す現在の教界にはかなりの不気味なものを覚えている次第。作っていませんかねぇ・・・。

Commented by Luke 2007年07月09日(月)10:46

コメント欄がないとどうも窮屈ですね。

『反転』は実にすごい内容で、グイグイと引き込まれる。日本の検察と警察の実態が見事な臨場感で描かれています。検察の起訴もそれなりの意図と匙加減があり、裁判もミズモノ。

今回も幼児殺人で自白の信用性をめぐり、地裁の無罪が高裁で懲役17年にひっくり返った。証拠の採用はすべて裁判官の心証によるわけだから、どんな感性を持った人物に当たるかで、天国と地獄。法治国家とはあくまでも社会工学的テクニックのひとつに過ぎないことが分かる。

私の裁判でも裁判官をプロファイルして、丁重なお手紙をしたためたことは前にも書いたが、相手の急所を突くと訴訟指揮が右から左に変わってしまうわけ。これが世の中です。

Commented by zion 2007年07月09日(月)22:03

いやぁ怖いです。
生まれて初めての交通事故(違反?)。
先週末運転中の出来事、渋滞の対向車線から
自転車の飛び出し。
急ブレーキを踏むも間に合わず接触、
乗っていた主婦は幸い打撲の軽症。
小生の車には凹み傷。
主婦の第一声は、すみません。
過失を認めたかに見えたが、さにあらず!
翌日、お見舞いと謝罪に行ったらもう被害者に大変心。
人身に切り替えるかもぉ。
もしかしてあなた当たり屋さん?
とうとう当たり屋が出るご時世になったのか。
皆様、運転には十分にご注意を!

Commented by 読者123 2007年07月10日(火)11:26

車の運転には注意しましょう。
できるのならば、運転などしたくない。

ローカルチャーチの倒錯的自己撞着現象

最近のLCでは内部からの問題指摘が活発となり、様々な事実がサイトなどで公表されるに至っている(→情報サイトのリンク参照)。私も知らないイロイロな事実が隠蔽されている事に驚きを隠し得ない。

そして興味深い点は、リーによると、自分は各時代に神がただひとりだけ立てた真理の回復のための器であり、神のThe Oracleであり、自分を通して神が回復の御業を推進している。自分が語ることは他の誰にも語ることのできない啓示であって、従来のキリスト教会はバビロンであり、私たちはそこから出て地方合一の立場に集められた者たちである・・・(→リーの言葉)。と誇るわけだが、なぜか最近、自らが堕落して死んでいるキリスト教とする人々からの認知を懸命に求めているようだ。

例えば、フラー神学校が認めた、CRI(Christian Research Institute)が認めた、ECPA(Evangelical Christian Publishers Association )に加入した・・・などなど。やれやれ、これで自分が自己撞着を起こしている事に気がついていないとすれば、彼らの病状は重いと言わざるを得ない。あたかも宗教改革当時のルターが当時のカトリックから正統のお墨付きを得るようなものだろう。

フラー神学校に関しては、CTの創始者ダビデ・張氏も教授に着いており、CRIについては創始者のWalter Martin教授とは訴訟の可能性を秘めた対立関係にあったのが、教授亡き後きわめて疑問の持たれる手法でCRIの所長の地位を得たHank HanegraaffがLCを認めたのである。彼はMartin教授時代の所員らを強引に解雇し、彼の娘さん夫妻ともトラブルを起こし(→娘さん夫妻のサイト)、さらには刑事事件的な疑惑までも持たれている人物である(→こちら)。またECPAの加入に際しては、同会に献金をしており、この加入については欧米の専門家が疑義を呈している(→こちら)。ついでに指摘すると、85年に金にモノを言わせて勝訴した裁判のリー側証人J.Gordon Meltonは、何と当初のオウム真理教を擁護していた"カルト専門家"である!サイエントロジーなどが証人としてよく使っている(→こちら)。

面白いのは、これらの動きがCTのダビデ・張とそっくりであることだ(こちらこちら参照)。彼も自分こそは神の真理の回復の業をなしているとし、CTの母体ACM(Apostlos Campus Ministry)は、クリスチャンたちにも"福音"を伝えて、自分たちへと回復しようとするらしい。さらに資金やIT技術の提供によりWEAの北米理事についてるわけだ。構造的にCTとLCはきわめて類似しており、さらに行動的にもそっくりの動きをしている。

かつてリーは「自分のライフスタディを読めば聖書は不要」と豪語したほどに、彼らは聖書を読むのにライフスタディと言うフィルターがかかるわけで、よって彼らの語る事は、リーのオウム返しとなる。行動と思考のパタン(臭い)がリーのものであり、実に興味深い。一方ダビデ張の教え(これが隠されているのだが、一部の脱会者の証言によると)こそが、聖書の真理を解いているとするCTの母体であるACMの教義。うーん、実に似ている。そして最も深刻かつ滑稽な問題は、自己撞着に自分自身が気がついていない点。やたらと難しい事を語っているかと思うと、やっていることが実に幼稚なのだ。言葉と行動の乖離性。これらが彼らの病理であるカプセル化現象の最たる兆候なのだ。

まあ、私の語っていることの真偽を確認されたい方は、LCの集会にとぼけて出てみたらすぐにお分かりになるでしょう。集会所に入ったとたん、プーンと臭ってきますから。「おお、主ぅ〜、イエスよ〜、アーメン、ハレルヤ!(繰り返し)」と。