2007年07月16日

ビリーズ・ブートキャンプの効果

午前中、大学の6階のわが部屋が揺れた。前後左右にユーサ、ユーサと。パソコンでテレビを観ると新潟と長野と出ている。田舎に電話するも、何と、かからない。何度かしてようやくつながり、オフクロが諏訪は大丈夫との事。自分のめまいだと思ったとか。やれやれ。しかしあの辺りの断層は相当に歪が溜まっているのか。被害は予想以上のようだ。

で、ブートキャンプ。これは効きますね。「サークル、サークル、サークル」と画面を見るとなんてことはないのですが、やってみるとカナリです。なにしろテンポが思ったより早いため、ついていくだけで大変。バスケ選手である次女も一緒にやっておりますが、彼女にとってもカナリ効くようであります。現在足に集中しており、痛みでガニマタ歩き状態。しかしこれは医学的にもお薦めできるダイエット・メソッドです。

さて来週の補講で講義は終わり、残すは試験のみ。あと一息で夏休みが待っています♪

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☆を@(半角英数)に変えてください。

Commented by Luke 2007年07月17日(火)07:47

柏崎原発の設計で想定された2.5倍の揺れだったとか。おいおい、逆だろ?「地震が凄かった」のではなく、「設計が甘かった」のだ。しかも漏れた水から放射能検出。ニッポンが"砂の上"に建てられていることがよく分かる。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/power_plant/

そしてこのような場合の死者はほとんどが70歳以上の老人。倒壊家屋も古い木造。これも現ニッポンの象徴。

Commented by 愛知県のさっちゃん 2007年07月17日(火)09:22

お久しぶりです(*^▽^*)ノルークさん

地震が起こるたび、人の無力さを痛感させられますが、
あらためて「私たちは揺り動かされない御国を受けている」ことの中に、安息が与えられていることを思います。


話が変わりますが、ビリーズ・ブートキャンプ、思ったよりハードですね!私の親友が普段の運動不足を解消しようと、入隊?して頑張っていますが、右胸の下あたりが腫れ、痛みがおさまらない・・。いつも通っている主治医に聞いたところ、普段使っていないところを急激に使うとそのような筋肉痛が起こる・・とのこと・・シップで収まりましたが、やれやれ・・自分のペースでやるのが一番と言っていました。無理は禁物ですね(*⌒ー⌒) にこっ♪・・激しいブートキャンプですから、どうぞ、お気をつけてください☆

Commented by Luke 2007年07月17日(火)12:45

あ、ご無沙汰です。

そうですか、ブートキャンプは多分一過性の人気で終わるでしょう。日本人にはややキツイです。私は粘ろうと思いますが^^

禅の道

アップロードファイル 3KB弓と禅』で有名なドイツのカント学派哲学者オイゲン・へリゲルは(神学も研究している)、自ら弓道を通して禅の道を了知した。彼の著『禅の道』には、次のような言葉がある:

禅の道を歩む者は、行くところまで行くと、自己自身を放擲する。禅に対する<信仰告白>は瑣末なことだ。重要なのは、その人間の<行為>と<境涯>なのである。重要なのは、一切を包括する真理を拠り所としてその真理と一つになって生きて行けるかどうかなのだ。真理の家へと帰還し、つまりは、主体的に生きることが、あたかも生かされていることになり、生かされていることが、主体的に生きることになることによって自由と必然とが一つになることこそ、重要なのである。

いかがでしょう。ここでは偶然と必然の問題も、自己からの解放の問題も、さり気なく解かれているでしょう?「禅」とは一種のメタ関数における変数のようでもあり、ここに「キリスト」を代入しても、この文意は十分に通じるわけです。禅とは生そもものです。しかしてパウロも「生きることはキリスト」と。極私的には、思弁的ないわゆる西洋神学より、このような東洋的智恵の方が、体験的にはるかに神に切迫していると感じているわけです。

さて、本日は仕事であります・・・。