2005年10月

古典から学ぶ

三国志が実に面白い。人間が描かれているから。ニッポンキリスト教にはニンゲンの病理サンプルに事欠かないが、三国志にはまた別のニンゲン・サンプルがある。

今回小泉氏の最後の組閣も終わったが、それぞれに恭順の姿勢を示しつつ、ポストを得た人が多かった。安倍さんと竹中さんは本音で信頼しているようだが、他はそれなりの意図があってのこと。彼は実に良くニンゲンを知っている。歴代の首相に比べると、確かに頑なに自分の主張や信念を押し付けるが、いわゆる私心(己の利益)を考えることは少ない印象がある。だから強い。

果たして小泉氏は9月に本当にやめるのか。それとも彼の後継は、実は彼自身と言うサプライズ人事もあるかも?しかし誰がやるにせよ、大変だ。ちなみに福田さんは反小泉の揺り戻しを読んだのだろう。

キリスト教界でも、牧師が息子に継がせるとか、ミニストリーの後継を誰にするかで結構悶着があるが、アノインティングはその人個人に与えられるもの。そもそも後継者を立てるものではない。まあ、エリヤとエリシャの例もあることにはあるが、私たちは荒野で叫ぶヨハネのように、任務を終えたらさっさと消え去ること。私もいつ任務を解き放たれるかと、その日を心待ちにしているのだ。

彼は栄え、私は衰える。

そしる者の舌に対して

■トマス・ア・ケンピスの言葉:
わが子よ、人があなたを悪く思い、聞きたくない言葉を言っても、気にしてはいけない。・・・もし内なる生活を送るならば、過ぎ行く言葉にあまり心をとめないであろう。わざわいの時には沈黙し、心の内であなた自身をわたしに向け、人の判断によってわずらわされることのないのは少なからぬ知恵である。

あなたの平安を他人の言葉においててはならない。人があなたを批評してよく言おうと悪く言おうと、あなたの人柄が変わるわけがない。真の栄光はどこにあるのか。わたしのうちにあるのではないか。

人を喜ばすことを求めず、また人の意にさからうことを恐れぬ者は、多くの平安を受ける。みだりな愛とむなしい恐れとからは、あらゆる心の不安と精神の錯乱が起こるものである。

アップロードファイル 98KB■ダビデの祈り:
主よ、わがうちを探り、傷ついた道のあるかないかを探り、永遠のいのちの道に導いてください。

わが救いはどこから来るのだろうか。わが救いは天地を造られた主から来る。

Commented by Luke 2005年10月31日(月)12:07

今回kamekameさんがエライ目に遭われたとのことで、ふと上の言葉を思い起こしたわけですが、では、クリスチャンはいつも沈黙すべきかとお尋ねを受けました。私は線引きがあると思います。

イロイロな誹謗中傷を受け、ニッポンキリスト教界で評判を貶められることは、別に実害はありません。このギョウカイは私とはあまり関わりのない世界です。

しかし実社会において生活権を脅かされる場合、例えば今回のkamekameさんがもし警察の介入を受けていたら、これは社会性を抹殺されるリスクもあるわけです。そのような場合はしかるべき対応をすべきでしょう。パウロが皇帝に訴えたのも、そのような場面でした。

私も前に触れた某団体の長から脅迫状めいたものを職場に送り付けられた時には臨戦態勢を取りました。まあ、相手方が腰砕けで大事には至りませんでしたが。実際私自身も8年越しの裁判も経験しましたし(もちろん実質勝訴的和解でしたが)、これは当然の権利です。

しかし、こう見るとニッポンキリスト教業界は、少なくとも私にとっては、ある種のヴァーチャルな世界なのですね。

Commented by 通行人A 2005年10月31日(月)17:12

神様から与えられたものの中で、ことばは
本当にpowerfulなものですが、
いつも「親切で、塩味のきいた」ことばを
語り続けることが出来るように
(当然の権利を行使することも含めて)
それには神様との交わりで喜びで満たされている
ことが前提なのかなと、あらためて思わさせられました。
先週、つらい内容(悪意のことではないですよ)のことを聞かされたんですが、
自分の本来の性格では出来ない(!)のに、
いつの間にか相手の方を慰め励ますようなことばを
かけていた・・・という経験をしたばかりですが、
あらためて主に感謝します。

P.S バイブルカレッジのオンライン化、楽しみに
しております。

久々にゆっくり・・・

先週はAO入試などがあり、きょうは久々にゆっくりできました。時間がいつもより遅く流れて、本を読んだり、DVDを見たり、昼風呂につかったりと。

バイブルカレッジの準備もポツポツと進んでおりまして、来週中にはオープンできるかと・・・。

やはり私はグータラなので、こういった1日がないともたないのであります。ハイ。

サイトは感じが変わり、好評のメールもいただきました。本当はもっと抜本的な変革(大げさ)をしたいのですが、なかなか時間、気力、体力、それとテクが追いつきませんで・・・。

秋ヴァージョン

に配色を変えました。明日も雨だそうで、ちょっとさみしい秋ですが、日本はやはり四季の移り変わりがイイ。私は夏が好きですが、それぞれの時期に楽しみがある。

15年ほど前のある秋の日、田舎の実家にひとりのオジサンがふらっとやってきて、一升瓶の酒をねだる。何でも嫁さんが飲ませてくれないとのこと。で、おふくろが1本あげると、何と翌日、そのオジサン、太いマツタケを何本ももってくるではないか。いやあ、東京なら2,3万はするシロモノ。

それ以来、毎年秋になるとこのオジサンが現れて、一升瓶の酒と多量のマツタケを物々交換するようになった。おかげで私はマツタケには事欠かなかった。マツタケを裂いて、火であぶり、しょうゆをかけて食べるとこれが最高。

しかしそのオジサン、ついにマツタケの場所を教えてくれることなく、いつしか姿を消してしまった。仙人みたいな人物だった。かつてはこういった風流もあったのだ。

 * * *

アップロードファイル 9KB今クルマで聴いている曲。Nora Jones。ハスキーなヴォイスがセクシーでイイ。

ちょっと秋っぽく・・・

アップロードファイル 113KBしました。が、サイト全体の色調が夏系なので、ちょっとアンバランス。サイトも近いうちに色調を秋系に変えます。

巨大地震と地震雲

アップロードファイル 10KB講談社刊、1,330円。

以前から串田氏の電磁波による前兆現象の研究サイトを紹介したが、残念なことに中傷や嫌がらせにより閉鎖された。

その後、いわゆる宏観現象についてずっとウォッチングしていたが、雲が有力な前兆現象となることはかなりの確度でマチガイナイ!

毎日の出勤で湾岸線を走っているが、東京湾をめぐる空が実によく見える。車の中は準書斎で、メッセージを聴いたり、英語の「速聴」をしたり、DVDを観たり、音楽を聴いたりなどしているが、同時に目を凝らして雲の異常を観察している。雲の形状によっても時期を予想することができるようだ。

そろそろマジで備えておいた方がよい。

科学の恵み

今日の日経夕刊に面白い記事があった。脳科学者の茂木健一郎氏が書いているコラムであるが、次のようにあった:

この辺で、もう一度、科学が人間にもたらした恵みを振り返ってみてはどうか。・・・相対性理論を創った天才アインシュタインは、「ある人の価値は、自分自身からどれくらい解放されているかで決まる」と言う言葉を残した。科学のすばらしさは、自分という特別な立場、利害を離れてこの世界を見ることを可能とすることである。・・・対象から距離を置き冷静に考えること。科学の恵みが由来するところを忘れてはならない。

最近私も熱い神学論争に巻き込まれたが、この「○○神学」こそは、まさに自分自身そのものの表現と言える。だから自分の神学を否定されることは自分を否定されることになり、我慢ならないことなのである。で、ついには相手を否定し、相手の人格攻撃で終わる。なんとも前近代的なわけ。これは皆さんが見ての通りの展開だった。

イエスは神学を押し付るために人になられたのではない。私たちを自己(Self)から解き放つために十字架に架かって下さったのだ。対してニッポンキリスト教は、自己を肥大化し、自分の中に自分を閉じ込めることが得意のようだ。なにしろ牧師からして、千人教会だの、自分の教派だの、地位だの、名誉だの、神学だのを第一として、「模範」を垂れているのだから^^。本当は牧師は「僕死」から始めるべきなのだが・・・(爆死は困るが・・・さぶっ)。

自分の魂を救おうとする者はそれを失い、失う者はそれを得る。

人生を楽しむコツは自分から解かれること。Enjoy Yourself!

注:私は神学を否定しているのではない。あまりにも論理と方法論において、「学」としてのレベルが低すぎると言っているわけ。もっと「学」の基礎的訓練を受けてからにして欲しいと感じるし、もっとcoolにやれないものでしょうかね・・・。

I DID IT !

できました。ようやく・・・(涙)。結局Perlでのパスワード発行をやめて、Win版Apacheから直接の発行にしました。で、どんな具合かと言いますと、次のリンクをクリックしてみて下さい:

Kingdom Fellowship Online Bible College

するとユーザー名とパスワードを要求してきますので、いずれもguestと入れてみて下さい。入れたでしょう!?感激です・・・、と勝手に舞い上がっている次第^^V

ここにバイブルカレッジのレクチャーの音声ファイルとレジメ・資料をアップしておきますので、自由に学んでいただけます。音声形式はmp3ですので、CDに焼くことも、iPodに落とすことも可能です。

それからClosedなBBSも設置して、質問やディスカッションもしていただけるようにします。レポートの提出もメールまたはここでアップしてもらえるようにします。今しばらくお待ち下さい。

これまでテープをご注文いただいています皆様にはご迷惑をおかけしてきました。お詫びいたします。改めてorderのページも再開しますので、もう少しお待ちいただけますようにお願い致します。

Commented by まるふぁ 2005年10月27日(木)21:37

Congratulations! ( ^_^)/▼☆ お疲れさまでした〜。
きれいに画面が出てきました。さすがですね〜。
ご苦労のおかげで、私も刈り取りにあずかることができるのです、ありがとうございますm(._.*)m

Commented by ブヒ Eメール 2005年10月27日(木)22:34

わぁ〜!!すごいです〜!!!
見事に表示されました!!

ホントにお疲れさまでした〜!!!

多くの方々の学びの場・・・感謝します〜!!

ううむ、うまく行かない・・・

原因は分かりました。やはりWindowsとPerlの暗号化アルゴリズムが違うため。前者はMD5を後者はDESを使っているようだ。Perlのmoduleをインストールすればよいことになっているのだが、なぜかこれができない・・・。ううむ。どうfixしていいものか。ネットで探しながらイロイロやっているのだが・・・。

今日は大学からチャペルのサーヴァーを遠隔操作していたら、なぜか突如サーヴァーがダウン。そのため午前11時から夜8時までアウトでしたm(_ _)m

加えて、64ビットのアシュロンでPCを組み立てているのだが、XP64がインストールできないのだ。HDDが認識されておらず、起動できない。SATAでダメなので、古いIDEに変えたのだが(1万円の余計な出費)、それでもダメ。何でだろう〜〜(涙)

どちらもうまく行かず、今日の天気のようにウツだ・・・。加えて株でちょっとヤバイのが・・・。重なるものです、この手のハナシは・・・ふう〜。

苦しんでいます

バイブルカレッジのオンライン化のために、当該ページにユーザー認証を入れようとしているのですが(要するにユーザー名とパスワードを入れて閲覧する方式)、これがなかなかうまく行かない。で、2,3日悩んでいるのであるが、どうもWindowsには複数の暗号化のソフトがあって、この違いのためにうまく行かないようだ。あるいはPerlとWindowsの暗号化の違いのためか?というわけで、オンラインでのご提供はもう少し先になりそうです(汗)

(影の声:まあ、しかし新しいことにチャレンジして、苦しみつつ困難をひとつひとつfixして行くことはけっこう喜びなのだ・・・)

Commented by emi 2005年10月26日(水)08:15

今の苦しみは、後の喜びをもたらすでしょう(^^)
(というか、この過程も楽しんでいらっしゃるようですが・・・)

この働きに伴う具体的なお仕事一つ一つの上に、主の祝福と喜びと助けがありますように。

Commented by Luke 2005年10月26日(水)10:28

励ましをありがとうございます。

原因がようやく分かりましたので、何とかなりそうです。どうもUnix系とWindows系の違いがネックなんですね。

真の聖は

イエスの周りにはエライ人々はほとんど集まらなかった。集まったのは収税人、売春婦、らい病人、無学な者など。それからご婦人が多かった。彼らはイエスの聖さに惹かれていた。

まことの聖は人を遠ざけるものではなく、人が安心して近寄れるもの。それは健やかさであり、解放感であり、安心感であり、安らぎである。

しかしながらニッポンキリスト教を見るに、どうも「聖、聖、愛、愛」とヒステリックに叫びながら、実態はその逆である。それどころか、むしろ人々を病いへと導くようだ。

私の実感は一言:ニッポンキリスト教は病んでいる。しかも自分が病んでいることを知らない。病識の欠如は致命的である。自ら省みることができないのはまさにビョウキの証拠。

神が人々を導きたくても、とても、とても・・・。リバイバルどころではなく、サバイバルの問題と感じている。

Commented by ブヒ Eメール 2005年10月25日(火)06:21

>イエスの周りにはエライ人々はほとんど集まらなかった。集まったのは収税人、売春婦、らい病人、無学な者など・・・。

いつもこの事を思います。
ルークさんのHPに辿りついたのは、昨年寿町のホームレス伝道を調べている時・・・私もまた、ホームレスの方々を教界へお連れしてる時でした。

イエスさまの側には弱い方々や世に疎まれてるような方々ばかり・・・。

その事と教界や兄姉たちの心無い対応のギャップに戸惑い、何度も涙を流してきました・・・。

つい先日、H兄から連絡があり「牧師の一人に、目障りなので教界の前を通らないで裏の道を通ってくれ・・・!」と言われたそうです。
胸が詰まりました・・・。何も言う事ができませんでした。。。
イエス様も人に蔑まれてきたものね・・・と、言うのが精一杯でした・・・。

人に迷惑をかけるような人ではありません。一生懸命缶集めをしながら仲間を食べさせてる人です。

教界って、愛って、何だろう・・・又々考えさせられたK兄からの電話でした・・・。

幸いなのはK兄がしっかりイエス様を見ていて下さる事です!!! 

Commented by Luke 2005年10月25日(火)07:47

牧師はこの世から聖別されて、この世の汚れた仕事はしないで、献金で食べているのだそうですが、この世のエライ人たちに弱いと言うか、むしろこの世のVIPが大好きなんですね。自分の身の周りをエライ人たちで固めるのです。世の勲章が大好きで、それが彼らにとっては水戸黄門の印籠です。ボクシって、不思議な人種ですよ、実際。

ニッポンキリスト教には、私にとって不思議なことが三つある。いや、七つ(+1)あって、私はそれを知らない。
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/q&a/7wonders.html

オンライン・バイブル・カレッジ

前々からの懸案であったオンラインでの学びのコースですが、ようやく実現へ向けてただ今準備中です。これまでにテープで提供しておりましたが、テープコピーで疲れ果ててしまい、ご注文をいただいている方々にもご迷惑をおかけしてきました。なにしろコピーが追いつきませんで、お手上げ状態でした。何卒よろしくご了承下さい。

まずは「真理はあなたを自由にする」と「クリスチャン・プラクティカル・コースT,U」からスタートできそうです。その他のコースもそう遅くなく提供できると思います。

予定している形は、

1)テープの代わりにオーディオ・ファイルをサーバーから落としていただくだけのコース

2)レポートを提出していただき、要件を満たした場合、Certificate(修了書)を発行するコース

を考えております。2)のコースではご質問やディスカッションをメールまたはクローズドBBSでできるようにし、レポート提出もメールで行ないます。すでに大学でもネット大学ではこのような形になりつつあります。

いずれもこれまで受講生とテープ購入者の皆様との公平さのために有料になります。詳細は後ほどアナウンスいたします。

Commented by えすてる 2005年10月24日(月)09:15

おはようございます(またしても図々しくこちらに書き込み)。
早速音声ファイルがmp3形式にしてくださって、Macユーザーとしてはうれしい限りです(昨日ipodを購入したばかりです)。
また、オンライン・バイブル・カレッジもとっても楽しみにしております。

やっと、ルークさんの声やしゃべり方に慣れて来たところです(笑←約1年はかかりました)。
そして、やっと、霊と魂の区別がわかってみ言葉の力のすごさを体験できるようになりました。
いつも、全身全霊でみ言葉を分かち合ってくださって、本当にありがとうございます。

Commented by ねこ 2005年10月24日(月)13:34

エステルさんに同じくです。
音声ファイルがをmp3形式にしてくださって、迅速な対処に感謝いたします!
バイブル・カレッジで更に学べることも感謝です。

Dr.Lukeの輝かしき称号 !?

疲れました・・・。本日はAO入試。午前中2時間の試験監督と、午後18名の面接。試験監督ではリーダーの先生が立ちっ放しのため、われわれも立ちっ放し。彼が座ってくれると、われわれも座れたのだが・・・。私も一応気を遣うのです^^

午後は面接。受験生はただ一度の場面であるが、こちらは18名を相手。しかも、しかも、ですよ、彼らの言っていること、どうしてみんな同じなの!?言うことがワンパタン。マニュアルが出回っているのだろうか・・・。同じことを18回聞かされると、けっこう精神的拷問です。ふう〜。

 * * *

私は一応学歴もあり、自ら生計を立て、社会人として近隣と職場での評判もよく、学生からも慕われており、家庭では良き夫、良き父親として3人の子供を育て、ローンの返済も滞ったこと一度もなく、税金もかなり払っておるのでありますが、なぜかニッポンキリスト教界と関わるようになってから、直接・間接にいただきました称号は次の通り:

神に反逆する者、聖霊様を汚す者、呪いの預言者、カルト教祖、ハーレム主催者、虐待牧師、異端者、品性卑しき者、偽善者、多重人格者・・・汗

あの逮捕されたK牧師も真っ青・・・。ヤレヤレ。ありがたいことであります。彼らとあえて争うつもりはありませんし、和解できる場合はそれを望みます。このギョウカイで芳しい評判をいただくことの方がむしろアブナっかしいと思っています。肉に頼れば、そこそこ頼れないこともないのですが・・・、それにしても見事だなあ〜^^

Commented by 愛知県のさっちゃん Eメール 2005年10月22日(土)20:44

こんにちわ!ルークさん

ずい分、たくさんの称号!!(*゜ノ0)
これ以上何をつけましょう。。。って感じですね。

イエス様も律法学者やパリサイ人に言われましたよね。
「神を汚す言葉を言うこの人はいったい何者だ。・・」とか。。

「あなたは、自分で富んでいる、豊かになった。乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない」黙示録3;17
の御言葉を思い出します。

肉によってさばくのでなく、戸の外に立ってたたく主のノックを聞き、彼とともに食事を・・するなら、何がいのちかそうでないか・・親しく教えてくださるのに・・
(*⌒ー⌒) にこっ♪
最近、つくづく、御言葉を深く知るって神の奥義なんだな〜って思わされています。

いのちの不思議

1069-1.ppt(799KB)

考えて下さい。私たちがアダムにあって受け継いだいのちすら、どのように精緻に造られているか。

例えばDNA。A,T,C,Gの4つの塩基配列からなる二重螺旋ですが、三つの配列に原則としてひとつのアミノ酸が対応し、アミノ酸がつながってタンパクが合成される。

この暗号をコドンと言うが、これが私の、そしてあなたの設計図です。このDNAの指令によって毎日私たちの体は合成されているわけ。

私たちはこのようなメカニズムをひとつひとつ知る必要はない。ただそのいのちの働きに任せるだけ。

霊的ないのちも同じ。このいのちの絶妙なメカニズムに信頼するならば、私たちは自然とキリストに似た者とされていく。それは霊なる主の働きによる。

アップしたファイルは、パワーポイントファイルです。ある教会での伝道集会のために作ったものです。ご利用下さい。

(パワーポイントがインストールされてあれば、クリックすると始まります。幼稚園の頃の紙芝居みたいでイイですね、PPTは・・・)

Commented by ICHIRO 2005年10月21日(金)17:16

このPPTファイル、面白いです。
Lukeさんが福音を語るとこんな感じなんですね。
これ、使わせてもらっていいでしょうか?

Commented by えすてる 2005年10月21日(金)20:51

どうも、こんばんは。図々しくここまで出没してきました。ルークさんの頭のなかってどうなっているのだろう・・・?同じ脳なの?と思ってしまう。
おもしろいので主人に見せてみます。

Commented by Luke 2005年10月21日(金)21:24

えすてるさん、ようこそ^^

ファイルはご自由に用いてください。

いのちの現われ

アップロードファイル 200KB

(Holiness)とは、客観的には神への分離(separation)、主観的には健やかさ(wholeness)。

いのちには必ず表現がある。鳥のいのち、花のいのち、それぞれに。その健やかないのちの表現は、自然さ、明るさ、解放感、伸びやかさ、さわやかさ、楽しさ、喜び、平安と安息、そして信頼感。どうもサタンはそれらに嫉妬するようだ。

そこに気張りはない。任せているから。自転車も最初は手放しなどできないが、法則をつかめば手を放せる。法則に委ねた結果。同様に私たちも主に対してどこまで手放せるか。いのちの法則をつかめばつかむほど任せることができるようになる。

かくして気張っていた魂から力が抜けるとき、伸びやかな魂の救いを味わう。

あなたがた魂において恵まれている同様に、あらゆることで健やかであるようにと祈る

原点

アダムとエバが享受したエデンの園の生活(life)はどんなだったでしょうか?もし彼らがいのちの木を取っていたら、その後はどんな生活(life)だったでしょうか?

彼らは善も悪も知らず、ただ神に赤子のように頼って生きていたのです。律法を守るとかの意識もなく、いのちがすべてを教えたはずなのです。「業の契約」などという意識もなかったでしょう。

イエスはそこで失ったいのち(life)を改めて私たちに下さったのです。いのち(life)はそれぞれの固有の生活(life)を持ちます。

シンプルで安らかな原点に戻りたいと願います。

Commented by ブヒ 2005年10月18日(火)08:33

ハレルヤ!!
アーメンです! 主に感謝します!!
涙が出てきました!!!

今朝も素晴らしいプレゼントを下さった主に心から感謝します!!(*^^)v

うーむと思わず

やはりコワイです。このキリスト教と言う業界。ジュンヌ・ダルクをはじめ、異端審問で焼かれた人も昔はいたわけですが。再建主義では中絶した女性は死刑だそうです。私は彼らを理解しようと努力したのですが、やはり超えられない一線がありました。

不思議なのはなぜ自分が正しいことをしているのであれば怒るのでしょうか。「人の怒りは義を全うしない」とあったような。私たちが間違った聖書解釈をしているのであれば、納得できる説明があればいくらでも改めるつもりです。私は自由主義神学書など見たこともありません。

創世記4:6-7「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。」

Uテモテ2:25−反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。

とあるのです。もし私の態度に失礼な部分がありましたら謝罪いたします。お赦し下さい。

それに加えて、驚くのは、かつての某集団の人たちもやっぱり見ているんですね、ここを。もう20年前なのですが・・・。で、こんな場面で、富井氏に私のことを告発して、いまだに私に粘着してくるとは・・・。ほんとに驚きます。ほとんどストーカーです。

この集団の名前を出してもいいのですが、まあ、今回は伏せておきましょう。分かる人には分かると思いますが。私は何しろその集団のほぼ絶対的指導者の秘密を握っており、彼を批判したところ、「神に反逆する者」の烙印を押された者ですので、こうなると時が時ならばホント身の危険も覚えます(汗)事実脅迫も受けていますので・・・。

映画でもカトの修道院の隠微な世界を告発したショーン・コネリーの『バラの名前』(だそうです)とか、日本でもカト系某学園の内情を曝露した花村萬月の芥川賞作品『ゲルマニウムの夜』など、この業界に題材をとった作品はたくさんあります。私も文才があれば書いてみたいと思っているくらい。

何でクリスチャンが1%なのか。それは主が憐れみをもって制限されているからです。とても今の現状では人を養うことなどはできません。前にも言いましたが、進化論を批判するならばもっときっちりと勉強してからして欲しいし(私は創造ですよ)、クリスチャンになどとても経済や政治は任せられるわけがありません。そのためにはいのちの成熟と専門性の学びと訓練です。

再度言いましょう:古のヨセフもモーセもエジプト(この世)で学び訓練を受けたのです。神学オツムで世から切断されてはなりません。どんどん世と関わって、世から学び、世のものを神の幕屋の設立のためにぶん取る(合法的にですよ^^)必要があるのです。今の流行のチャーチスクールだのホームスクールだのは今後10年で実を刈り取ります。精神病理の専門家として言えば、それはちょっと寒くなる状況でしょうね。これはここで明言しておきましょう。

新約聖書でもっとも律法を強調したヤコブですらこう言っています:

憐れみは裁きに打ち勝つ。

Commented by 立ち寄り人 2005年10月18日(火)12:01

今度の論争、ではないし、対話、でもないし、何でしょうか、とにかく興味深く拝見しました。山谷氏のサイトでも注目されていたようですが、山谷氏のガチンコ粘着的切り込み方と違ったアプローチで、再建主義の本性を見せてもらえたと感じます。神学的視点からではなく、精神病理的視点からの冷静な対応は見事でした。それにしてもストーカーですか、大変ですね。身辺お気をつけて。

Commented by Luke 2005年10月18日(火)13:42

いえいえ、別にそんなつもりではありませんでした。元々彼が御自分のサイトで私の実名を出して、私が言ってもいないことを批判したわけです。

何でこんな礼儀に反することを、律法を尊重せよ、と教えている人がするのかなと疑問を持ったわけです。彼自身が山谷さんと論争に入る時に、人の言っていることを正確に理解してから批判せよとおっしゃっているのですから。

で、私たちは非礼だなと感じつつも、怒らないのです。なぜかな、と考えるわけです。だからこの機会に彼の話を聴いてみたかったし、理解したかったわけです。再建主義を。

ところがどうみても御言葉に明確に反することを御自分の神学を根拠に主張される。そこで神学の問題に触れたら、逆鱗に触れたというわけです。

こういった経緯は自然科学者同士ではあり得ませんね。私たちはもっと神の創造とか法則に対して峻厳な意識を持っています。モラルにおいても、方法論においても神学は別世界だと感じました^^

買収、またも・・・

かつてアノ横井秀樹氏が白木屋などを株の買占めで乗っ取った時代があった。小説にもなっているが・・・そして今また・・・

どうもいわゆるネット関連会社の、金に物言わせた株の買占めによる会社の乗っ取りは、イヤな感じがしますね。村上ファンドのあのトッチャン坊やは「TBSの方はいませんか。買収がイヤなら何で株式を公開してるんですか!」とエラそうに・・・。

会社は株主のもの−確かに商法ではそう。しかし会社は従業員の生活場であり、人生なのだ。彼らが営々と築いたものだ。そこを食い荒らすようで、実に気分が悪い。

金で人の頬を張るみたいなやり方は必ず社会の荒廃を招くであろう。小泉氏のやったこともこれから10年、20年にわたって、ジワジワとニッポンの心を蝕んでいく。

クリスチャンの議論のあり方

午前中はいつもどおり、プールとサウナ。これをしないと1週間がシャキっとしません。92年からですから、もう13年。このスイミング・クラブはちょっと旧くて、平均年齢も高いのですが(おばちゃんばっかり!)、サウナもコースも「マイ」で行けますから。プールの目的は泳ぐこと。若い子を見ることではありませぬ。

女性コーチたちは体型がなんとも日本人でして、若い子にはとても夢を与えません(太目のほぼ5頭身だぁ・・・)。しかし贅沢は言えません。近くの高級クラブは設備もいいし、コーチもピチピチしているのですが、イモ洗い状態。皆さんキラキラと人の目を惹かないものがイイのです。午後はカミさんと次女とでいつもどおりチネチッタにて映画。

 * * *

ディスカッションではイロイロと刺激になりましたが、結構収穫があったと思います。同じ聖書を読みながら、これほどに異なる受け止め方をしている人がいることの発見は貴重です。しかしもしかしたらコチラの常識がおかしいのかも知れないと、下の科学者的姿勢でも言いましたとおり、ちょっと留保を残しておきましょう。

私たちにとって大切なのは交わりです。聖書の解釈の違いを超えて、交わりを維持すること−これが最も重要であるとウォッチマン・ニーも言っています。とかく同じ意見で群れる方が楽ですから、そちらに流れるのが人の常。これは世も教界も同じ。違った相手を受け入れることにおいて霊的な度量が問われるわけです。その人を通して流れる神の何かをミスすることのないように。

交わりの本質はいのちにあります。相手に何がしかの真実といのちが感知されるならば、開く必要があります。相手が悪意のある単なる戯言者であるならば、無視すればよいのです。その人が自らの言葉で自らを証しし、裁かれるだけです。この意味で意見の相違や神学の種類でキリストの体が分けられていることには、私たちはうめきを覚える必要があると感じております。

Commented by Sky 2005年10月16日(日)01:01

ルーク先生、こんにちは。
(初歩的な質問で恐縮ですが・・・)
富井氏とのディスカッションの10月15日(NO.72)のシェーマ作成のソフトは何をお使いでしょうか?
便利そうなので、お教え頂けますと感謝です。

Commented by Luke 2005年10月16日(日)08:24

ええと、そんな高級なものではなく、Windowsの「アクセサリ」にある「ペイント」です。

Commented by Sky 2005年10月16日(日)09:33

そうですか、ペイントだったんですね。
ありがとうございます。

Commented by ともじいのおやじ Eメール 2005年10月16日(日)21:29

>この意味で意見の相違や神学の種類でキリストの体が分けられていることには、私たちはうめきを覚える必要があると感じております。
一致できない(信条・教理・聖書解釈の違い)ことに呻くのでしょうか。私たちより先に御霊が呻いておられないでしょうか?また、今回のディベートは「キリストのからだ」を裂いてしまったのでしょうか?
火種となった「うさぎ亭主」殿にはよくよく
注意しておきますが、彼も私も、もう一度虚心坦懐に御言葉に真っ正面から迫ってみたいと考えております。そして今回のディベートについても学ばせて頂きます。そして、完全に一致できなくても手を携えて「交わり」ができる、そんな「からだ」を求めて参りたく、今後とも御指導宜しくお願い申し上げます。

Commented by Luke 2005年10月16日(日)21:53

いえいえ、今回の対話はむしろ交わりの契機となれたと思いますよ。彼とは話を一度してみたかったのです。私はとても満足しています。

解釈の相違などはあっていいわけです。いのちの認識があれば、ソレを超えて交わりができるはずです。富井さんにはとても感謝していますし、キッカケを作って下った某氏にも感謝しております^^

Commented by Luke 2005年10月17日(月)10:54

やれやれ、ついに私に対して富井先生お得意の「異端宣告」がなされたようです。「選び」と「内なる霊」が違うので、一緒にやることはできないとのことです。WindowsとNS-DOSの関係がどうしても御理解いただけなかったようです。もうちょっと伺いたい点があったのですが、残念。

自然科学の方法

どうも神学オツムの方は、ひとつの神学のフレームを持つと、頑なにソレを御言葉に優先し、むしろ御言葉をそのフレームにはめたがるようです。

私たち自然科学者は逆です。なるべく一定のフレームを持たないことを心がけます。私はこれを「カラスの論理」と呼んでいます。自分がこれまでに見たカラスが黒かったから、一応「カラスは黒い」と主張します(「不完全帰納法」と言います)。が、もしかしたら白いカラスがいるかも、と留保をつけて置くのです。なにしろ世界中のカラスを見たことはないのですから。

対して神学オツムはいったん「カラスは黒い」となると、たとえ白いカラスを見ても、「いや、アレはカラスではないのだ!」となります。ヤレヤレ。

アインシュタインが出る前にもニュートン力学の矛盾は知られていました。が、彼以外の人はその世界(フレーム)から出られなかったのです。だから理論がコジツケでした。しかしアインシュタインは単純に実験による事実(光速度不変の原理)を認めてしまったのです。これを説明するためにコジツケをするのではなく、逆にこれからすべてをスタートしたのです。これが特殊相対性理論です。

しかし物理理論は必ず実験による検証と言う関門をくぐります。彼はパスしました(妄想ではなかったのです^^)。次に一般相対性理論を作りました。これは特殊が等速度系での理論であるのに対して、加速度系での理論です。これがやはり実験で確認されました。

しかし特殊相対論はニュートン力学を否定しません。むしろその中に吸収し、含むのです。だからロケットを飛ばすのはニュートン力学で十分です。同様に一般相対論は特殊相対論を否定しません。むしろ含むのです。こうして神の造られた世界の構造はますます精緻に理解されるようになったのです。

モーセ律法といのちの御霊の法則の関係も同じです。MS-DOSとWindowsの関係がご理解いただけないとは・・・涙、涙であります。どうも神学の方は永遠にニュートン力学(いや、それ以前)に留まりたいようですね。そこはとても不自由な世界なのですが。相対論の世界の方がはるかに自由であり、楽しめるのですがね・・・。まあ、あえて折伏はしませんが、少なくとも私の言っていることは正確に理解いただきたいと願うだけです。

(ホンネ:再建主義がすべての分野に適用されたら、これはもうニュートン以前に戻りそう・・・汗)

Commented by ICHIRO 2005年10月15日(土)14:09

Lukeさん、ようやく分かりました、私も!
MS-DOSとWindowsの関係ですね、なるほど、、、
でも、すでに時代はMS−DOSさえ知らない人が多いのでは?
たとえも題材を選ばないとなりませんね。

いやあ、驚きました!

富井さんとのディスカッションと言うか、どちからと言えば、私が聞き役に回っておりましたが、大変に刺激的でした。「モーセ律法はいのちの御霊の法則」であり、「旧約の人も新約の人も同じいのちを得ていた」・・・。これを読んで本質が見えましたので、もはや十分であると判断いたしました。(彼、大丈夫かな・・・)

私はニッポンキリスト教徒と接していて、いつも私の専門が疼かされます。実にニンゲンを見るわけですね。前にも言いましたが、それぞれの精神病理に従って神学を選んでいることはますます証明されてきます。繰り返しになりますが

ニ・ン・ゲ・ン−この不可解な存在。何故に神は・・・と。

Commented by 通行人 2005年10月15日(土)03:04

Lukeさんと富井さんの議論を興味深く読ませてもらっています。今回の議論では色々な点が明らかにされたので、有意義であったと思います。議論の方は平行線になりそうですが、しかたないのかもしれませんね。

富井さんは「改革主義神学」というフィルターを通して聖書を見ているので、Lukeさんの言葉が耳に入らないようです。それにしても「フィルター」というのは恐ろしいものだと思いました。なにしろ白が黒になり、黒が白になってしまうのですから・・・。ただただ唖然とするばかりです。改革主義、ディスペンセーション主義、アルミニウス神学、ペンテコステ主義・・・・等々、キリスト教は様々な「フィルター」で満ちていますが、「フィルター」なしで主の御言葉を素直に受け取りたいものです。

Commented by Luke 2005年10月15日(土)06:33

>キリスト教は様々な「フィルター」で満ちていますが、「フィルター」なしで主の御言葉を素直に受け取りたいものです。

おっしゃるとおりですね(汗)。だから私は神学の論争などは精神病理の問題だと言っているのですね。でも、お話が分かってくださる方がいるとホッと致します^^

ちょっと手を入れておきました。彼はどうも私の文章をそのままに読んでいないようなので・・・。

Commented by ブヒ 2005年10月15日(土)08:10

おはようございます!!

いやぁ・・・訳が分からない・・・と言いつつとてもいい学びをさせて頂きました!!!

「律法を行わなければ救いはなし」に衝撃に近い驚きがありました・・・。

>キリスト教は様々な「フィルター」で満ちていますが、「フィルター」なしで主の御言葉を素直に受け取りたいものです。

心から同感です!!自分自身、常に気をつけていきたいと思います。

処で、ルークさんと富井さんのやり取り最後で、ルークさんが「もう、ここまで!!」と最後調達(笑)を出された時、「再建主義が多くの方の理解を得られるように・・」云々・・・と書かれてましたが、この意味は・・・?

再建主義の間違っている処を理解?するように・・・という意味でしょうか・・・???

Commented by ブヒ 2005年10月15日(土)08:15

先ほどのコメントで・・・すごい間違いを・・・(>_<)

最後調達・・・ではなく「最後通達」デス!!!
最近、頭が・・・イエ・・・最近ではありませんね・・・昔からですが。。。お恥かしいです!!!穴があったら・・・(*_*;

Commented by Luke 2005年10月15日(土)08:21

>再建主義の間違っている処を理解?するように・・・という意味でしょうか・・・???

「ブヒちゃん、それを言っちゃあ、おしめえよ」。各自でご判断を・・・。

Commented by 赤子 2005年10月15日(土)08:37

ルーク先生
時々、精神病理と神学の関係について表面的に書かれておられますが、もう少し詳しく今つかんでおられるところの範囲でもかまいませんので教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

Commented by Luke 2005年10月15日(土)09:11

ええと、これを言うとエライことになりそうですよ(多量の汗)。人は図星をつかれるとスゴイことになりますから・・・。ちょっと身の危険も・・・^^

今のこの業界のエライ先生方についてはそれぞれ分析はできているのですが。私に文才があったら小説が書けるのですけどね。

いつか機会あればと思います。

Commented by ブヒ 2005年10月15日(土)11:11

ア・・・そうか!!
融通のきかないヤツで。。(汗)
・・・了解です〜〜(*^^)v

本質に迫ってきました

富井さんとのディスカッションは、結局、レビ系の祭司制度でのモーセ律法に対して、よりすぐれたメルキゼデク系の祭司制度での律法とは何か、という本質的な論点に来ています。英語では律法もlaw、法則もlawです。

祭司制度の変更によって律法も変わると明確にヘブル書に書いてあるのです。しかもこのレビ系の律法は富井さんの言われる律法主義者の「律法」ではない。純粋なモーセ律法です。

エレミヤ書の新しい契約で心に書かれる律法はモーセ律法であると富井さんは言われたわけです。これは石に書かれたものが心に書かれるわけですから、まあ納得できないこともありません。

しかしヘブル書では祭司制度の変更によって律法も変更されるとあります。では、そのメルキゼデク系の律法とは何か?

富井さんの回答を待ちたいと思います。印象として、富井さんの議論はいのちの次元が忘れられているのですね。しかし契約神学についても学べましたから、収穫はありますね。

 * * *

楽しんでいます、『三国志』。私と漢文の先生で話していたら地理の先生までも興味を持たれ、読み始めました。ちょっとしたブームになっています^^

もう少し遊びましょう

命題「p⇒q」とは、「¬(p∧¬q)」のこと。(「『pであって、かつqでない』ことはない」と読みます。例えば、「雨が降るならば傘を差す」とは「『雨が降っていて傘を差さない』ことない」ですよね。

つまり

「Windowsを使うならばMS-DOSを使っている」

ことを証明するには、

「『Windowsを使いかつMS-DOSを使っていない』ことはない」

ことを示します。

これを否定して矛盾を導く論証を「背理法」と言いますが、

『Windowsを使いかつMS-DOSを使っていない』

ことはあり得ません。そもそもWindowsはMS-DOSのカーネルの上に作られてきたのですから(今のNT系統は別ですよ)。これは事実に反するわけです。

よって証明終わり■

同様に「始めの契約(モーセ律法)」(MS-DOS)は「後の契約(いのちの法則)」(Windows)よりも劣りますが(これはヘブル書の語る事実です)、その原理は神の聖による愛と義に基づくものですから、後者は前者を否定しません(これは同意事項)。むしろ当然に含むわけです。よって上の証明がそのまま適用されるわけですね。

論理学的には・・・

富井さんとのディスカッションはかなりの相違点が露になると同時に、同意点も分かってきました。

相違の一番のポイントは、繰り返しますが、Windows(いのちの御霊の法則)とMS-DOS(モーセ律法)の関係なのですね。

論理学をちょっと弄すれば、

「xがMS-DOSを使う⇒xがWindowsを使う」は偽です。

逆に

「xがWindowsを使う⇒xがMS-DOSを使う」は真です。

同様に

「xがモーセ律法を満たす⇒xはいのち(Zoe)の御霊の法則を満たす」は偽です。

理由:モーセ律法は、そもそもそれを満たす力を持ついのち(Zoe)を与えないから。

この逆は真ですね。つまり、まずそれを行なえるいのちを得ることにより、

「xがいのちの御霊法則を満たす(十分条件)⇒xがモーセ律法を満たす(必要条件)」
 
ですから、私たちが満たせばよい前提条件は、いのちの御霊の法則に従うこと(=御霊に従うこと)で十分なのです。すなわち責任を負うのもこの法則あるいは御霊に対してです。

論理学的には、「モーセ律法を満たすための十分条件はいのちの御霊の法則を満たすこと」です。われわれサイエンティストはこのように論理を用いるものですが・・・。

注:「⇒」は「ならば」の意味で、英語では“imply(含意する)”のこと。

しかしこうやって話し合うのも結構楽しめるのだ・・・実は^^

古典の魅力

三国志。横山光輝の漫画ヴァージョンですが、何と60巻あった!同僚の漢文の先生(中国語もペラペラの方)に聞いたところ、入門用としてはグッドだと。1年くらいは楽しめるかな・・・。これでイメージができたら、吉川英治あたりに、そしてハードボイルドタッチの北方謙三あたりに行こうかと考えている。

漢文は引き締まってカッコイイので高校時代結構好きだった。また漢文の影響を受けた作品を多く残した中島敦の『山月記』も好きだった。

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった・・・

と始まり、虎に身を窶して後、友人に会い、

人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。・・・我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。

己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。

と告白する。当時、自分の心を見透かされているようで実に怖かったが、一方でこの文章を声を出して読んでいると、何とも言えない甘美な味わいがあった。そう一種のナルシシズムの世界。

それから10年後主に出会うことができたが、主に出会っていなかったらおそらくこのままを実演していたことであろう。

収穫の秋

BBSの月光仮面さんは、そのHNから察しますところ、結構お歳なんでしょうか。昭和30年以前でしょうか。私は白馬童子はよく覚えていますが、月光仮面はウル覚えなんです。当時は東京は大森に住んでいまして、あの頃の光景がいつくか思い浮かびます。

「人生は短い」とのテーマでして、私などもすでに50一歩手前。そろそろ引退の用意をと考えてもいるわけです。まあ、あまり地上で何かを達成したいとは思っていないのですが、それでも今日のメッセージでも語りましたが、ノーベル賞を辞退してみたいですね^^

極私的にはつねにマイペースで来れたことは感謝です。カミさんにも言われますが、どうも学生気分が抜けなくて、フラフラといまだに浪人生活しているような感じです。家でも大学でもチャペルでもGパンですから。あの中村雅俊の『俺たちの旅』を引きずっているわけ。人からは、よく言えば若いとかあまり生活臭がないとか、悪く言えばガキっぽいとか言われておりますが。

ちなみにあの小泉チルドレンの筆頭頭の元財務省キャリア官僚で舛添氏の元奥様だった方(最近名前がよく飛ぶのだ)。もしかしたらキャンパスですれ違ったことがあるかも、完全に時代が重なっていますから。えらく貫禄があって、舛添氏も彼女の前では何も言えないとか。ところがドン小西氏が彼女のファッションを80年代で時間がストップしていると酷評してました。確かにあのヘアスタイルも、スーツもね。バブル前後です。引きずるのです、ニンゲンは。

しかし霊的には私たちはこの世では寄留者なわけでして、まさに旅路の途中なわけです。あまりここで何かを達成して未練を残すと、その時にレフト・ビハインドとなりかねないわけでして・・・。その辺のバランスが鍵かなと。

イロイロ思い巡らす秋なわけです。

(つぶやき:しかしココへ来てまた体重が戻ってしまいそう・・・)

Commented by エスプリ Eメール 2005年10月14日(金)20:46

トラックバックは、父のブログです(^^)

Commented by Luke 2005年10月15日(土)19:24

拝見しました。いや〜、お達者ですね。うらやましい。ますますの充実を・・・。

MS-DOSへの郷愁

富井さんに対してWindows(いのちの御霊の法則)を持っているのに、何ゆえにMS-DOS(石に書かれた律法)を主張するか問いかけましたが、実際の話(喩えではなく)として、私はMS-DOSに対する愛着はけっこうあるのです。

どこかでも書きましたが、Windowsを始めたのは97年からですから。95年にお祭りのごとくにWindows95が発売になっても、かたくなに真っ黒な画面でやっていたのです!それもクロックが10MのPCで・・・。昔CP/Mをやってた頃は8ビットのZ-80で、メモリ空間はたったの64KB。ですから内部をほとんど把握していたのですね。

しかしWindowsはメモリ空間は膨大で、内部で何が起きているのか分からない。自分でやる主義の私は人の作った仕組みの中でやらされるのが嫌だったわけ。かくして世の流れに後れること2年。頑張ったのでありますが、やっぱりWindowsは便利だ。

それでも、現在なお、Windows版のFDというソフトで、中のファイルをすべて見ながら使っているわけ。皆さんはエクスプローラーでしょうが、これは見えるものが限られるのですね。

こんな次第で、再建主義も心情的にはかなり理解できるわけです。

ちなみにソフトウェア工学はかなり霊的なんですよ。特に最近のオブジェクト指向言語はね。こちらをどうぞ⇒JAVAと信仰

お詫びとお知らせ

BBSではかなりハードな議論が展開されており、話に入れない〜とのお声をいただきました。そこで「何でもお話しましょう」はライトな話題を、神学や哲学や科学などのヘヴィーな話題は「ハードコア・セッション」でやろうと思います。ライトかヘヴィーかはどこで分けるのだ、との質問もあるでしょうが、まあそれは個人の判断に委ねると致します。

では、そこんとこ、ヨ☆ロ☆シ☆ク。

実は小生も、疲れるから・・・と言いつつも、こういった込み入った話もけっこう好きなんですね^^やり出すと相当にハマリますので、あえて避けているといった感じですかね。けっこう一応インテリなんですが、それが何か?

ディスペンvs再建主義(修正版)

前に展開された山谷氏と富井氏の議論をまとめておきましょう:Keywordは「中間(間接)」と「直接」です。

■ディスペン側■

・統治の形態:神→天使的勢力(ストイケア)を介しての間接的統治(中間領域)→人類

・教会の役割:この中間層にいる天使勢力が悪鬼化することもあるから、教会が監視する

・律法の評価:律法自体も天使を介して与えられた。モーセ律法は型・影・養育係だから、キリストの出現によって廃された(富井さん的には第3の意義も)

・この世の評価:再生されていない(=特別恩恵を受けていない)この世も、司法や科学など15つの領域においても一般恩恵によって御霊の照明を得ている。

・時代の評価:現ディスペンセイションはキリストの初臨と再臨の間の中間的時代→キリストは現在霊的には王であるが、再臨によって実際的王となり、御国が地上に出現する

再建主義大論争を回顧する

■再建主義側■

・統治の形態:神→律法による直接的統治→人類

・教会の役割:律法を自らに適用し、さらにこの世にも適用して、宣教によって「地を従わせる」ことにより、神の御国を出現させる

・律法の評価:人類を祝福へともたらす神の手段であり、聖霊の力によって守れば祝福された「生活」を送れる

・この世の評価:世は神を排除し、律法を組み込んでいないので闇の状態にあり、その結果人間中心のヒューマニズなどが蔓延っている。

・時代の評価:キリストはすでにあらゆる領域で王とされたので、地はその主権に服するべきで、それは律法をあらゆる領域に適用することによる。今はすでに千年王国であり、全人類が福音を受け入れるとき、その確立によってキリストは再臨される

キリスト教再建運動とは

つまり互いに相容れない本質的な相克があるわけです。「御国の建設」と「キリストの再臨」をめぐってですね。まあ、泥を掛け合うのも分かる気もしますが、ゲームには泥をかぶらない観客もいますからね^^。

救済の意味

単純な思考実験をしましょう。

■質問1:エデンの園でアダムが善悪の木の実を取らず、いのち(Zoe)の木の実を取っていたら(仮定法)、律法は必要だったでしょうか?
■回答:必要なかった。
■理由:律法はまことのいのちの実体であるキリストへと導く養育係だから。すでにいのちを得たのだから養育係は不要。

■質問2:アダムとエバがいのちの木の実を取っていたら、神が送ったと考えらえる聖霊によって律法を行なって得られるいのちと、ただ信じることによって得られる義認としてのいのち(Zoe)を区別する必要があったか?
■回答:ない。
■理由:いのち(Zoe)はすべてを包含する。つまり律法の第1,2の機能(影としての祭儀的意味)は排されたが、残っている第3の機能(律法の趣旨)もいのちの御霊の法則によってまっとうされるから。

■質問3:「救済」には、善悪の路線上のものと、いのちの路線のものがあるのか?
■回答:ない。
■理由:もしアダムがいのちの木の実を取っていたら、「救済」という概念自身が不要となるから、契約神学とか、ディスペンセイション神学とかも不要だった。つまりいのちの木の実を取りそこなったから「救済」が必要なのだから、「救済」とはいのちの木の実を提供すること。私の理解はこちら

【結論】:要するに、人類がアダムの得損なったいのちの木の実を取れば神のご計画は成就する。アダムの失敗があったので、キリストは贖いのプロセスを経る必要があった(救済)。それが完成されている現在、いのちを得るためには私たちがキリストの死と復活に結合されること、それはすなわち信仰による。

※注意※モーセ律法の趣旨である富井さんの言われる第3の機能(人を神の標準に導き祝福された生活を送らせる)を排除してはない。なぜなら、それはいのちの御霊の法則に含まれるから(上位互換)。

【神の御心】わたしはあなたがたのいのちとしてあなたがたの内に生きたいのです。神と人が共に住まうこと、父と子として、また夫婦として。だからわたしの独り子をいのちとしてあなたがたに与えたのです。このギフトをただ信じることによって得てください。

シンプル・イズ・ベスト

もう少しまとめておきましょう:富井さんは、<永遠のいのちを得ること=義認>として、<神の基準に沿った祝された生活を送ること>とは別のものとしていますね。これも大きな驚きです。

なぜなら、私たち自然科学者からすれば「いのちと生活はひとつ」だからです。犬は犬のいのちによる生活、人は人のいのちによる生活。で、律法を行なうにはソレを行なえるいのちを得ればよいわけです。自動的に生活もそれを反映します。

今回の議論、なかなか面白いです。私たちが最終的に重んじることは、神はシンプルであること。自然の法則はきわめてシンプルかつビューティフルなのです。たとえば、

 E=mc^2

などね。

もうちょっとメモしておきましょう

■富井さんの構図は

聖霊
 ↓(神が送られたと考えられる) 
旧約の民→律法を行なう→いのちを得る(祝された生活を送る)

よって、律法は力はないが、いのち(Zoeではない)を与える

■私の構図は

律法はいのち(Zoe)を与えないから、キリストが死と復活を通していのちを与える霊となって

御霊の内住        
 ||
いのち(Zoe)なるキリストの内住→律法(それ以上)を全うする
 ||
力を得る(いのちの御霊の法則)

よって、いのちの御霊の法則はモーセ律法の上位互換である。(律法の第3の機能を排除していない!)

  

大きな収穫です

BBSでの再建主義者の富井さんとのディカッションは有意義ですね。私との一番大きな違いは、彼は

 「律法はいのちを与える」

と言われる。パウロは(Dr.Lukeも)

 「律法はいのちを与えない」

と言う。この違いはなんでだろう、と思うわけです。御言葉に明らかに反している。(ここで相手を理解しようと努めるわけです)で、続けて読むと

 「律法を行なうことによって得られるいのちと信仰によって得られるいのちは違う」

というわけ。なるほどとうなづいた次第。

しかし「律法を行なうことは聖霊に拠らなければ無理」なので、「旧約でも神は聖霊を送られてユダヤ人たちに律法を行なうことを可能とさせたと考えられる」と言うのです。また「律法は道であり、歩ませる原動力は霊であるが、それを行なわせる力がないことをもっていのちを与えないと結論づけることはできない。車が故障していてもマップは捨てるな。なぜなら車と言う原動力があればマップは役に立つ。」と・・・?この論理展開、分かりますか、みなさんは。

かくして「救済」の意味も違ってくるのですね。私の理解は「いのち(Zoe)を得ること」、すなわち「善悪の道からいのちの道への回復」なんですが、彼は善悪の道の上でもいのち(Zoeとは違う)を経験し、救済を得ることができるらしい。クリスチャンも実にイロイロなんだと感慨です・・・。

ただ感想を言えば、彼の議論は私たち客観性を最も重要視するサイエンティストから見ると、とても主観的ですね。なにしろ私の言っていないことをもって、私を「・・・とみなす」わけですから。してもいない犯罪を問われるようなものです(笑)他にも「と言った方が正当なのです」とか、「総じて言えば」とか、「・・・と考えることは可能です」とか。まあ、個人がどのように、総じて、考えるかは自由なのですが、サイエンティストは明確なエヴィデンスを求めるのです。

しかし一応冷静な噛み合う議論ができたことは収穫でした。議論のやり方のポイントは単純です。同意する部分と、不同意の部分を明らかにするわけ。別に相手を折伏する必要はありません。それは疲れますから。

で、私たちは神学者の学説や著書ではなく、御言葉によってジャッジするわけです。御言葉を認めないのであれば、それは相手の責任でして、これはもう別にディスカッションする必要もありませんから。

何だかうれしいぞ♪

映画の台詞がほとんど聴き取れるようになって来ました。うれしいですね。前にも書きましたが、内容のあるニュースやメッセージやレクチャーなどは比較的簡単に理解できるのですが、たわいもないことがむしろ難しかったわけ。単語自体は簡単ですが、発音がね、ブリティッシュは割りとピックアップしやすいのですが、特にアメリッシュがね・・・。

で、「速聴(R)」の訓練をしたわけ。これは田中さんというちょっとニューエイジ系の人の発案ですが、普通の会話を3倍速で聴くのです。ちょうど高速道路での速度に慣れると、一般道が遅く感じられるのと同じです。通勤の車の中で繰り返しやっていたのですが、何とここへきて、映画の会話がやけに遅く聴こえるようになって来ました。もちろんスラングとかは意味が分かりませんが(文脈から推測)、単語は聞こえる♪

この速聴をすると脳の活動度が上がるのですね。ボケにもいいそうです。昔巨人の川上が球が止まって見えると言ったそうですが、そこまでは無理としてもね^^。外の時間の流れと内的時間の流れがビミョウにずれるようです。お薦めします。

(ニューエイジだからアブナイとか言わないでね。それは聖霊派のパラノイド。生理的効果は切り分けて下さい。ヨガなどもです。私はストレッチでヨガのポーズを取っていますから)

Commented by ともじいのおやじ Eメール 2005年10月07日(金)22:30

いやはや、ビックリ\(@o@)/モノはともかく、やっぱりニューエイジは危ないですよ。CDにサブリミナルでも入っていたら・・・コワイコワイ・・・
ニューエイジ、ヒューマニズム、エキュメニカル・・・ため息と寒気でトリ肌が・・・
ワタクシは1倍速で愚直に英語の勉強続けます。
40過ぎて「ザルで水をすくう」ようになりましたけれど・・・

Commented by Luke 2005年10月07日(金)22:35

>CDにサブリミナルでも入っていたら・・・

あ、なるほど。でも、そこまで心配しますかぁ・・・^^50も目前にしますと1倍速ではちょっと効き目と時間が・・・なんです。これもアブナイかな?

ただし、どうも文章を読み違えておられるようなので、富井さんのようにこの発言をもって、「Dr.Lukeはニューエイジを認めた」とかみなさないで下さいね。そこんとこ、ヨ・ロ・シ・ク。

やっぱり一応私のニューエイジの評価をリンクしておこう。どうもあぶなっかしいですから。

「ニューエイジの問題点について」
http://www.kingdomfellowship.com/Topics/NewAge.html

Commented by ともじいのおやじ Eメール 2005年10月07日(金)23:00

正に「非常に狡猾な現代的な敵」ですよね。あのオウムがサブリミナルを使っていたので、ちょっぴり心配した次第ですが、「そこんとこ」は大丈夫ですよ。
「1倍速」ですが、今日は、毎日通勤で聴いている英語のCDでいくつか単語やフレーズが聴き取れるようになって、やっぱり嬉しかったです。のんびりカメさん、各駅停車の鈍行列車で行きます。信仰も、ね。

Commented by Luke 2005年10月07日(金)23:02

よかった(ホッ)でもね、イロイロな人が読んでいますので、やっぱりキチンと書いておきましょう。ニッポンキリスト教と関係してから心配性になりました^^

「ニューエイジはアブナイが、このCDについては英語が3倍速で聞けるだけだから、ニューエイジの人の会社のものだからといってアブナイと思わないでね」と言いたいのです。(しつこいくらいに言っておかないと・・・)

ただサブリミナルがあるとまでは考えていませんでしたが・・・ヤレヤレ。

人生山アリ谷アリですが・・・

が300円の大幅安。米ダウが下がったのと、外人が手を引いたとの噂。でも当面の基調は変わらないでしょう。郵貯350兆の行く先もココしかないわけ。原油で潤った資本は行く先を探しています。自民大勝で改革が進み、ニッポンの金を巻き上げるチャンスが増えているのです。しかし私的には信用で買ポジションにあるヤツが来週期限なのです。どうも損が出てしまいそう・・・涙。う〜ん、株は人生だ!!!

 * * *

子供たちや、何とカミさんからも言われる:パパって仕事いつやっているの?まあ、いわゆるサラリーマン的には追われていませんし、講座制ではないので上司もありませんし、自分の時間は持てますし、個室はありますし、講義は学生と楽しんでいますし、メッセージも楽しい間だけやるつもりですし・・・そう遊びと仕事の区別はあまりないですね。ただし、今日だけはシンドイ。予備校の講義・・・。われわれはいわば「高等遊民」といった感じかな(おい、勝手に「高等」を名乗るなとの声も・・・)。青筋立てるのは、年に1,2度でいいかなと。

それにしても「一億総福音伝道」とか・・・、ちょっと敬して遠ざけたい。「今は終わりの時代だ、そんな生ぬるいことやっててどうする。滅び行く同胞のために己の十字架を負い、己を投げ打って、家族や仕事も捨てて伝道せよ・・・」とか、「祈って、祈って、祈り抜け!!!」とかね。この臭いはかつての一億玉砕の大和魂と同じ。あるいは現代の使徒預言者による宗教改革とか・・・。コワイですから、この世の人は逃げますよ。マチガイナイ!

ニッポンキリスト教の本質的問題は、神学の問題ではなく、この強迫性(ねばならない・かくあるべし)という精神病理にあるのだ。これが自家製の律法をご苦労様にも作り上げる。で、ネバネバ、ギスギス、トゲトゲ、ネチネチ、イライラ、そしてウツウツと。互いに粘着し合いますから疲れます。サラサラとパウダー感覚がイイのです、が。

アダムとエバはエデンの園でどんな生活を送っていたと思いますか?ちょとだけ想像して下さい。イエスはご自分のlifeを私たちに豊かに分与(ディスペンス)し、そのlifeを楽しむようにと、エデンの園以上を回復して下さったのです。イエスが地上におられた時、どんな内面生活を送っていたと思います?それを私たちに下さると言うのです!祈りもその主との親しいプライベートな会話でしょう?一言、「主よ〜」と呼べば、内側が甘く満たされるでしょう?涙、出ませんか?

(holiness)とはいのちの健やかさ(wholeness)。あのね、再建主義者が批判するような、「恵みとは自分勝手ができること」なんてやってごらんなさい。このいのちがたちまちシュンとしてしまうでしょう。いのちは神の基準を喜ぶのです。で、それを生きる時、ますますいのちは成長・増殖するのです。喜びがあればそれはいのちによって律法を行なっている証拠。律法を守ろうと自分で意識しなくてもね。このとき律法はむしろ慕わしく思えますよ。神の愛の表現ですから。バロメーターはJOYです!

神の御心はいのちを楽しむこと。イロイロな困難や苦難は避けられないでしょうが、その中でも楽しむことができるいのちです。楽しむクリスチャンを神は求めておられるのです!

わたしが来たのはひつじがいのちを得、しかも豊かに得るためである。

イロイロの世界と関わって・・・

人生イロイロ、男もイロイロ、会社もイロイロ、議員もイロイロ、で、クリスチャンもイロイロ・・・と。いやあ、本当にイロイロですよ。最近はもう体力気力が衰えていますので、それぞれに対応することはできなくなっております(汗)。ひたすら失格者にならないように、自分自身の救いの達成に努めるばかりです。人を自分の神学で折伏する余裕などはとてもとても・・・。

しかし不思議なことに、ここのアクセス数は1日に350を超え、メッセージを聴いてくださっている方もどんどん増えている(これはサーヴァーのログを見ると分かるのです)。私の語っていることは高等神学でもないし、お金になるわけでもないし、祝福を語っているわけでもないし、愛を説いているわけでもない。

ただ皆さんから受ける感想は「元気になる」とか、「自由を得る」と言うもの。疲れていてもいのちが満ちるのだと言われる。ある方は鬱でどうしようもなかったのに、シャキっと立てるようになったとか・・・。

あまり人のお役に立とうなどと大それたことは考えてもいないわけで、ただ楽しくやれるうちだけやろうと思っているわけ。楽しくなくなって、歯を食いしばるようになったらすぐにたたみます。しゃべっている方が楽しくないメッセージなど、聴かされる方はたまらないでしょうからね。

改めて、皆さんからの励ましのメールをありがとうございます。ここでまとめてお返事いたします。

Every blessing!

秋ゆかば・・・

ある方からメールが来た:「自分はルークさんをこれまでずっと恨んできました。でも分かりました。恨んでしまってすみません。」と。「う〜ん、何だ、これ???」

TVでもよく見る上智大の福島先生も、かつて患者のストーカーに粘着され、当時はストーカー規制法もなかったので、エライ目にあった、と著書にあった。先生はあまりのストレスでPTSDになったとか・・・。

私もしばしばこういったことは経験する。アメリカなどでは治療で虐待を受けたとかで、セラピストを訴える訴訟妄想患者も多い。大学でも学生と自室で話すときのために、ドアのガラスは素通しになっている。密室でのことを訴えられたらこちらは弁護のしようがなくなるため。

私たちのような立場は、ある種の映画のスクリーンみたいなもので、それぞれの理想像とか、父親像とか、期待像を映し込まれるわけ。これを投影と言う。その像に沿っているうちは"すばらしい人"となるのだが、ちょっとでもそのイメージに外れると、期待値が高いほど、裏切られたと感じ、失望から憎悪に変わる。分析用語で言えば、陽転移から陰転移になる。

(陰の声:ニッポンキリスト教の名牧師は、この投影を実にうまく受けることができる人なんですね。つまりはアイドル。永遠のアイドルの役柄を続けることができる御仁なのです。その点、私などはキャンディーズ、いや都はるみなわけ・・・わっかるかなあ〜?)

この豹変振りはある意味で驚くべきほどであって、私たちはつねにこのようなリスクを負っているわけ。つまり「Dr.ルーク」がリアルな私から分離して、勝手な投影されたイメージが一人歩きするのだ。

私の精神科医をしている義兄もつねにある種の危険を感じていると言う。昨今では妄想が即実行に移される率が高まっている。実際対応を誤って刺されてしまう医師もいるのだ。彼らとは決してガチンコをしてはならない。彼らの内に蓄積されたネガティヴなエネルギーを抜く必要がある。これがうまく抜けると実にコロっと変わって、穏やかになる。この豹変振りも驚くほど。

まことに人は一体は何故に・・・。またこのような人を神は何故に・・・と。ニ・ン・ゲ・ン−この不可解なモノ。

もの思ふ秋だなあ・・・はあ〜。

TB第一号を記念して・・・

昨日の記事に何と見知らぬ方からTB(トラックバック)がついているではないか。驚きました。こんなマイナーなBlogにどうして?

で、さっそく飛んで見るとかなりややこしい議論が展開されている。筆者は生化学の専門家のようで、クリスチャンではなさそう。進化論がすでに公認された、現在にあって生命の起源を説明し得る最も合理的な理論であって、いわゆるキリスト教原理主義者の唱える創造科学はトンデモ系の疑似科学であると言っているのだと思う。

私の論考もけっこう進化論と創造論を論じるサイトの創造論側にリンクされている。が、実は私もまったくその通りと考えている次第。創造主を考慮しなければ、進化論が最も合理的な説明になる。BBSでも述べましたが、サイエンスは神の存在を否定するものでも、肯定するものでもない。現在与えられた証拠(エヴィデンス)と事実(ファクト)に基づいて、現在なし得る説明を加えるだけ。

おいおい、Dr.Lukeは聖書を信じているのではないのか?ハイ、聖書を信じ、自然は神が創造されたと信じ、イエスを信じておりますが、いわゆるクリスチャンたちの唱える「創造科学」は、一サイエンティストとして、ちとゴメンなのです^^

上の筆者も言われるとおり、第一に進化論をあまりにも理解していない。だから進化論に対する批判が見当ハズレ。下でも述べたが、相手を理解しようとしないで、批判がオツムの中での一人相撲。せめて木村資生の中立説を確率微分方程式を解いて説明できるくらいにしてから批判して欲しいもの。

次に批判の姿勢があまりにもエキセントリックで幼稚。これも下で述べたが、大人として相手に敬意を払いつつすべきであって、創造論を認めない者は人にあらずみたいな態度はいただけない。まして人格攻撃などは論外。

結局のところ創造科学の素人ぽっさを露呈し、専門家はのけぞってもう誰も相手にしなくなる。あのね、忙しいのだ、みんな。どうもクリスチャンたちが血肉に(霊にではなく)燃え、熱心になればなるほど、人々はむしろ引いてしまって、遠巻きにご苦労様なこととなるわけ。

人々は私たちの神学や聖書解釈の正しさを見ているのではなく、私たちの態度や行動、つまり人となりを見ているわけ。目一杯の自己主張だけで見られている意識があまりにも希薄なのが幼児性のひとつの特徴。このTB先の論からはクリスチャンの論からよりも多くを学ぶことができると思うのだが・・・。

Commented by Luke URL2005年10月05日(水)12:06

イイ台詞を見つけました。上でTBしてくださった方の日記です。

 行いは自分のもの、評価は他人のもの―勝海舟

http://kurokage.seesaa.net/article/7580269.html

Commented by まひるパパ Eメール 2005年10月05日(水)13:36

「実は私もまったくその通りと考えている次第。創造主を考慮しなければ、進化論が最も合理的な説明になる。」とありましたが、LUKE先生は、いわゆる「有神進化論」の立場にたたれるのでしょうか?

Commented by Luke 2005年10月05日(水)15:17

いえいえ、私は創造一本ですよ。「その通り」とは創造主を知らない人にとっての生命の起源の説明の仕方と創造論者のおかしさについての評価です。

サイエンスはすでに創造主を外において、ツールと方法論を確立しています。ですからそこに創造を「科学」として持ち込むならばトンデモ系疑似科学となるのです。再建主義はこれをあらゆる領域でやろうとしているわけです。

こういった相手のプロトコルを無視したクリスチャンのセキセントリックさを指摘しているわけです。ちょうど車が右側通行の国に行って、日本では左側なんだ!と叫ぶようなもの。相手はただあきれてのけぞるだけでしょう。これに関してはシカゴ大のぼぼる氏が書いています(http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/Believe_in_Bible.html)。

サイエンティストではない人が、例えば神学者あたりは何でも言えるでしょうが、私たちは右側通行の国にいるわけです。ですから進化論(http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/evolution.html)や科学(http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/sciandfaith.html)を論じるにはもっと高い平面から、つまり「メタ」の次元から論じないとサイエンティストは耳を傾けません。

言いたいことは、もっとオツムを冷やして、相手のことを十分に学び、共通の方法論と理解の上に立って、そのフレームを論じないと、科学者は話に乗りません。血肉に燃えるのではなく、冷静な知性を持ちつつ霊に燃えて欲しいと言うことです。

Commented by Luke 2005年10月05日(水)15:25

パウロは「ギリシャ人にはギリシャ人のように・・・」と言っていますよね。このスピリットです。

Commented by まひるパパ Eメール 2005年10月05日(水)20:16

詳細な御解説、ありがとうございました。実は通信制神学校の宿題で、「進化論」「創造説」それぞれ1冊ずつ読んでレポートを出すように、とありましたので、一旦脳ミソを初期化して「高い平面」(に昇れるかどうか・・・ですが)に立って両説の文献にあたってみます。

Commented by Luke 2005年10月05日(水)20:23

私なら、そんな無意味なレポは出しませんけどね。その神学校の先生の進化論に関する識見を知りたいです・・・。のけぞらないようにする心積もりはできていますから^^

リクエストに対するお答え

ある方からメールで次のサイトを見てコメントをとのリクエストを受けました。

・京大名誉教授がID(Inteligence Design)にはまった記事

・文鮮明に対してニッポンの知識人・文化人が賞賛の声を送っている記事

彼女はこれらの記事に対して、「日本の学識者ってどういう精神構造なんだろうとタダタダ驚き入っています。」と嘆息されている。でも、私からすると別に驚かないのです。大学の先生や学者で"変なこと"(私たちクリスチャンから見てですが)にはまる人はかなり多いのです!むしろインテリは論理的整合性によって容易に騙されるもの。

(影の声:私は寅さんの啖呵、「とかくインテリと申しますは、テレビの裏の配線みたくややこしいので、イロケが頭に上ってイロノーゼになります。そこいくとあたしなんざあ、配線が1本だけでございますから、頭を叩くとコーンとイイ音がするんでございます」が大好きなんですね。)

IDについては、いつもながらアメリカで流行しているようですが、愛にして義であるGodを認めたくなくても、自然の巧妙さを知って"何か"を認めざるを得なくなったインテリにちょうどイイ理論ですし、文鮮明に加担する人たちは金と政治の問題です。アメリカの有名どころの牧師たちや団体も統一教会から金をもらっているのですから。そのうちニッポンキリスト教でもIDが流行り、統一協会からの献金で会堂を建てるかもしれませんよ。

最近のBBSは「ナンデモアリ」であまり見たくないと彼女はおっしゃっていましたが、いや、ホント教界も何でもアリになるでしょうね。今のままの情勢だと。そして真理を語るほうが、心が狭いだの愛がないだのとカルト視されることでしょう。現にウォッチマン・ニーや、何とニール・アンダーソンまでがカルトとされているようですから・・・。

この世にも教界にも淫靡な霊的倒錯の世界が訪れようとしているのです。霊的秋葉系というべきか・・・。

Commented by Luke 2005年10月05日(水)11:01

驚きました!トラックバックがついているではないか!でも、その先を見ても、どこにあるのかな?

やや失望しました

今回BBSにあるとおり、再建主義の富井さんが私の文章を引用し、私が語っていないことを語っているかのように批判された。例えば、モーセ律法を悪者扱いするとか、律法は破棄されたから人間の標準で何でも自由にしていいのが恵みであるとか、私が語っているかのように。

反対に私が語っていること−例えば、モーセ律法はいのちの御霊の法則によって、つまり信仰によって全うされること−については一切無視されたままだ。そして彼のサイトで公に的外れの批判がなされているにもかかわらず、こちらはそこにカキコができないと言う不合理な状態がある。他人を批判し、後は一切シャットアウトといった非常識は少なくともアカデミズムではあり得ない。(常識の問題と言う前に、そもそもモーセ律法の義に反する思うのだが・・・)

喩えて言えば、私が「1+1=10」と書いたことに対して、「お前は間違っている。1+1=2だ」と批判し、私が2進法を用いていることを無視するようなもの。実は今回の機会をとらえて、彼との積極的な交流をと期待したが、どうもその後何らのレスポンスもいただけない。残念なことである。私は彼をかなり評価しているのだが。

かつて富井氏と救世軍の山谷氏が大論争を繰り広げた。互いに自説を主張し合って、今回と同様に富井氏が山谷氏をシャットアウトしてすれ違いに終わったが、その論争から学ぶべき点が多々あったので、今回もそのつもりでいたのだ。ただ御言葉がすべてを露にするので、私はこれ以上追求するつもりもないが(そんな気力もないかな・・・^^)。

思うことは、前に「最も本質的なこと」としてディスペンセイション主義者と再建主義者の論争のあり方を論じたが(論争自体は大いになされるべきであるが、そのあり方はかなり病的である)、その時も、また今回も感じることは、ニッポンキリスト教には知的にはかなり高い資質を持ち、聖書の解釈や神学をよく知っている人はそこそこいるが、情緒的に成熟した大人はあまりいないと言うこと。むしろ情緒的にはきわめて幼い。

ニッポンキリスト教の諸悪の根源はこの情緒的な幼稚さにあることを痛感している。神学の問題ではなく、精神病理的問題なのだ(私は、どの神学を選ぶかはその人の精神病理と密接に関係していると感じている)。いのちの成熟がない。私たちに必要なのは成熟した繊細な霊的感受性なのだ。

妄想と現実の間の消失

最近実銃や改造モデルガンで人が撃たれている。私は車で高速を使って出勤しているので、実はこのこと(撃つことではないですよ・・・)を考えたことがあった−もし隣にピタリと着けられて、ピストルで撃たれたらオシマイだな、と。

昔スピルバーグの出世作で『激突』と言う映画があった。車で出勤中のサラリーマンが、巨大トレーラーに粘着されて、命を狙われると言う恐怖を描いたもの。恨みによって粘着されることは、私も経験があるが、実に不気味と言うか、コワイことなのだ。

わけても車は実にコワイ。車に乗るとそのドライバーの精神病理が拡大されて表現されるわけ。高速などはまさにビョウキの人のビョウキが暴走する場。

そしてニッポンでもまさかこんなことが現実に起きるとは・・・。サバイバルゲームをしていたら人を撃ちたくなったとか・・・。人間が壊れてきている。妄想と現実の境目が消失しているわけ、この世でもキリスト教界でも・・・。実にコワイことだ。

自然界で最もコワイもの、それはニ・ン・ゲ・ン。

Commented by Luke 2005年10月03日(月)23:06

また自己レスですが、そんなニ・ン・ゲ・ンのために、神は何故と・・・。

チャレンジ

例の大蔵君は実に面白いですね。休み中に本を読んで「政治家は謙虚であるべき」と学んだと。何冊読んだかと問われて、しばらく考え、「1冊です・・・」。題名はと言われて、「プライベートに関することですから・・・」。いじめられて可哀想との声もあるがとの問いに、「いえ全然可哀想ではありません!」。彼はかなりの大物になるかもしれません。

でも、受験界でもこんな話があるのです。現代文の先生のところに深刻顔をした学生が来て、3ヶ月間勉強したがなかなか成績が上がらないとこぼす。先生は「3ヶ月で上がったら僕たち教師は失業するよ。ところで君はこれまでに何冊の本を読んだの?」と聞くと、彼はじっと考え込んで、「5冊かな、ええと、8冊かな・・・」。おいおい20年近く生きてきて、読んだ本の数を数えるなよって・・・。

何しろ、マルクス・エンゲルスを一人の人物の名前だと思っていたり、反対に、アリストテレスをアリスとテレスと二人だと思っているわけ(NHKよ、責任を取れ!)。スゴイことになっているのですね。だから私は大蔵君のようなキャラはさもありなんで、むしろ好きなんです。ガンバレ!

今、チャレンジしていること。映画の台詞を字幕なしで理解すること。私たちは論文を読んだり書いたりは英語でしますし、ニュースとかメッセージなどの内容のある場合は理解することは容易です。かえってたわいない日常会話がピックアップできないのですね。特に子供たちの英語が難しいわけ。これは幼児語を経ていないため。

で、好きな映画を白文(漢文みたい)で理解すること。これが今のチャレンジ課題なのです。「速聴」の訓練をした結果、これがかなり効果があり、ピックアップができる率が大幅に増えてきているのですね。最近はDVDで字幕を消したり、英語にしたりできるので、けっこうありがたいです。

とにかく歳とっても常に課題を自分に課して、絶えずそれと向き会うこと。本日のメッセージでも語りましたが、エジプトの物を神の国へとぶん取り続けたいわけです。

バプテスマおめでとう!

Nさんのお父さまが70歳でバプテスマを受けられた。主を賛美します。お父さまは「この世の風は冷たいですよ。自分は地獄に行くのが当然だ」とこれまでの人生を振り返っていましたが、人生の土俵の俵ギリギリでうっちゃりです。主の御国に入ったのです!イロイロあっても、主が道ですから、徐々にほぐされていきます。いつもバプテスマは新鮮です。

 * * *

BBSでもイロイロ語られているようです。よくご質問を受けるのですが、いわゆる10%献金は義務ではありません。マラキ書でも、コリント書の「各自が心に決めたとおりにせよ」でも、それぞれが主にあって選ぶことできます。そして献金は牧師の生活保障のためにではなく、主に対するものです。主との関係でなされるものべきですね。

(陰の声:しかし実態はなんだかスゴイことになっていますね。私はガソリン代から子供の教育費までを献金で賄うなんて、気が小さいですから、とてもできませんが・・・)

私の証をちょっとしますと、昔、お金のことで思い煩っていた頃、チャレンジを受けたのです。捧げること。で、忠実に心に決めたとおり実行に入ったのですが、8ヶ月程してある仕事が与えられました。1ヶ月間でしたが、その報酬が何と・・・350万。

私の弟は食うや食わずの翻訳家でしたが、ある時主に祈ったのです。で、与えられた仕事があの『ウォーリーを探せ』。皆さんの家にも1冊はあるでしょう。これが1,200万部のベストセラー。印税は50円/冊ですから、彼の得た額は・・・。主は富んでいる方なのです。私たちの願うところをはるかに超えて満たしてくださる方なのです!

捧げることを通して、主の真実を知ることができれば幸いです。

その日になれば、それぞれが直接主を知るようになる。

さて、これからカミさんとレイトショーを観て来ます。

Commented by 常見 2005年10月02日(日)19:35

ハレルヤ!!  主をほめたたえます!!

どこのNさんかは存じませんがNさんのお父さんがバプテスマを受けられたとのこと。
嬉しいですね・・・。
もう言葉では表現しようがありませんが、一人の人が救われた!!!
なんと素晴らしいことでしょうか!!
なんと素晴らしい主の御業でしょうか!!

死んでいたものが生き返った!!
いや、バプテスマによって、すでに古い自分が死んでいることを体験されたのなら、なんと感動深いことでしょうか!!
いやぁ、本当にめでたい!!
知人だろうが見知らぬ人だろうが人が救われるってのは本当に素晴らしいことですね。(何度も言うようですが…)

これからのクリスチャンライフをエンジョイ出来るといいですね…。


ハレルヤ!主の御名をほめたたえます!!