新着順表示


洗礼を受けなくても?
[1] ゴンベー( … 回) [E-mail] 2006/03/06/Mon/20:56 (No.147)

  こんにちわ。急ぎませんが、教えてください。四国在住の知人が、創造主なる神を信じ、イエスとその復活を信じています。神は愛ということで、心からの愛の行為を実践(身障者の支援など)してます。キリスト“教”に拒否反応を示し、受洗せずにいます。このような場合、聖書的に、受洗の必要性がいかに、裏づけられるのでしょう。


Re:もし今死んだなら・・・
[1] Luke( … 回) 2006/02/07/Tue/11:56 (No.146)

  神の国と天の御国については別スレがあったと思います。いわゆる「イエスを信じれば天国に行ける」と言う「福音」はちょっと幼稚と言うよりも、人をだます要素があります。ラプチャーの時期についても別スレがあったと思います。私もニーの説に従って、初穂の携え上げと、一般の収穫とあると思います。これはレビ記の捧げ物とも合致します。

レビ7:13ですが、これもニーがどこかで論じていましたが、13節、14節をよくお読み下さい。この種の入ったパンは血を注ぐ祭司のものとなるとありますね。つまりこれは祭司の食用であり、教会生活において私たちも互いに霊の糧をシェアするときに、完全な純粋さを現在得ることはできないわけです。パン種が混ざるのです。ですからここの和解の捧げ物の絵はきわめて現実的な絵なのです。

私のメッセにも、もちろんニーのそれにも、パン種がないとは言えませんので、ベレヤ人のように自ら御言葉を調べる必要があるのですね。


Re:もし今死んだなら・・・
[1] どたんば( … 回) 2006/02/06/Mon/23:42 (No.145)

  ルークさん
本当に申し訳ありません・・・<m(__)m>

昨日(2月5日)のメッセへの質問させていただけますか・・・
特に今週分は、本当に恵まれ、私も友人も驚きつつ喜んでおりまして、家に居るときなどはほとんど一日中、聞きっぱなしております!
ただ、「パン種とは、聖書の中では人間が好むもの、喜ぶもの、良くないものとして〜」と、
ルークさんは仰って、
マタイ13:33から
膨らし粉を女が小麦粉の中に入れる箇所を、引用されました。
その直前の32節では
種の中で一番小さいからし種が、良い地て成長するならば、野菜の中で一番大きく成長し、やがて鳥が来て、いのちを育むまでの大きさまで成長する。」なので、そのくだりですから、
「粉にパン種を入れるとムクムクと〜」を、
「いのち」が成長する、「いのち」が肥え太る、という風に理解していおりました。
でも律法では捧げ物にするパンには酵母は入れてはいけないんだけどなあ、などと思っていたら、

レビ  7: 13 [新改訳
なお和解のための感謝のいけにえに添えて、種を入れた輪型のパンをささげなさい。
レビ  7: 13 新共同
奉納者はこの和解と感謝の献げ物のほかに、更に酵母を入れて作った輪形のパンをささげる。

とありましたので
和解が成り立った新約ではいいのかな、などと思っておりましたが・・・。
ここのところ、どうか教えていただけませんでしょうか。
何卒、、よろしくお願い申し上げます。
急ぎませんので、どうぞお時間許されます時に、お願いいたします。



そしてルークさんの昨日のメッセでは、


もし今死んだなら・・・
[1] どたんば( … 回) 2006/02/06/Mon/22:46 (No.144)

  ルークさん!こんばんは

まことにまことに申し訳ございません。
これも急ぎませんので、お願いしたいのですが<(_ _)>

実は、ニーのマタイ講解を読み始めて、
どうしてもっと早く読まなかったのかと・・
しかしルークさんのメッセと平行して読ませて頂ける「今」が時なのかも知れないと思っております。
終末に関して、けい挙、残される人々等、驚きでした。
喩え話から、そのことが語られているので、ワクワクしております。
終末、王国、天の国など、まだまだこれからしっかり読み込まなければ理解できないと思うのですが、一つ私の考えの中に大きな変化が現れ始めたのです!
今までは、天国行ったら神様に関するすべての謎は解けて一挙に解っちゃって、自分自身も愛に満ちた人に変わっちゃってて・・・などと思い込んでおりました・・・

本当は、今の自分の性質、霊性、神への愛の欠如を持って、永遠に生きなければいけないのでしょうか。この乏しい聖書理解(神理解)のまんまで永遠に生きるのでしょうか。
もしそうならば、これはタイヘンなことです。こうしては居られません。
これからは寝食忘れて聖書を学ばねばと思っております!!(実際には寝食忘れないでしょうけれど・・)
苦しみではなくて、天への希望として・・!


Re:外面と内面の油の満たし
[1] Luke( … 回) 2006/02/06/Mon/22:10 (No.143)

  >この「代価」とは、「十字架を負い続けること」と理解していいのでしょうか。

と思います。経験的にも、たとえば人にヨイショされるときよりも、低くされるときの方が、油が塗り込まれますね。


外面と内面の油の満たし
[1] どたんば( … 回) [E-mail] 2006/02/06/Mon/21:59 (No.142)

  ルークさん、いつもありがとうございます!

昨日のメッセ、聖霊について、あんなに解りやすく教えて頂き、本当に嬉しいです。テープにとってもらって、友人に配りたいと思っております。
度々の質問で、まことに申し訳ありませんが、
「油ぬり」に関して、教えて頂きたいのです。
ルークさんはいつも
「私たちはすでに油を塗られているので、外国から来た聖霊の器とやらに『油注ぎ』を受ける必要はないのです。すでに受けて居るのです。油を持っているのです!」
と、力強く教えて下さいました。
ウオッチマン・ニーのマタイ25章の解説で「5人の愚かな乙女」の意味を知りましたが
私たちクリスチャンは、最初信じた時の「内なる塗り油」の後は「代価」を払って油を買わなければならない。」という説明があり、本当に驚きました。
この「代価」とは、「十字架を負い続けること」と理解していいのでしょうか。
ルークさんの教えて下さった
「真の十字架とは自己を手離すこと」
「魂が霊と無関係に一人歩きすることを、敢えて否む。」ということなのでしょうか。
ルークさんの御体調のよろしい時で結構ですのでどうか、教えて頂きたいです。
このような質問をさせて頂けますこと、心から感謝いたします。


Re:旧約の人々の救い
[1] Luke( … 回) 2006/02/06/Mon/21:51 (No.141)

  そうですね、アブラムは、その信仰によって義とされたのですね(ローマ書)。これは<立場上の義>です。しかし彼は<内なる義>を得ていません。なぜなら、「キリストが義と聖と贖いとなられた」からです(1コリント1:30)。

この義の二面性が大切です。<立場上の(外なる)義>と<いのちを得ることによる内的な義>。そしてこのいのちで生きるとき、主観的義を実現できるわけです。つまりへブル11章を見てくださると分かりますが、ここの信仰の英雄たちは、その信仰のゆえに賞賛されていますが、39,40節をご覧ください。彼らは<立場上の義>は得ましたが、<約束のもの(=いのちによる義)>は得ていません!それはキリストの到来によるからです。

私たちはモーセやイザヤと比べるところは何もありませんが、彼らよりも偉大なのです。イエスは、バプテスのヨハネは女から生まれたものでもっとも偉大であるが、神の国の子らは、もっとも小さいものですら、彼よりも偉大であると言っていますから(ルカ7:28)。

ポイントはいのちを得ること−これはキリストが死と復活を経て、いのちを与える霊となられることによって可能となったのです。エデンの園で失ったいのちの木の実体こそキリストなのですから。


Re:旧約の人々の救い
[1] どたんば( … 回) [E-mail] 2006/02/06/Mon/19:10 (No.140)

  「旧約時代の救い」のお答え、感謝です。
「アブラの信仰の義」 改めて味わい、感無量でした。
そうですよね。「信仰以外」あるわけがなかった・・・
旧約には「信仰」と言う言葉があまりにも少ないので、信仰と言えば「キリスト信仰」を意味するのだと思っていたのです。
アブラハムの「信仰」とは、結局、キリスト信仰の影であったので「義と認められた。」と理解してよろしいのでしょうか。


Re:旧約の人々の救い
[1] Luke( … 回) 2006/02/03/Fri/21:50 (No.139)

  これはとても大切な質問です。原則は新約と同じで、ただ信仰によるのです。アブラハムは律法の前に義とされています。詳細はこちらをご参照ください:

・「新約の救いと旧約の救い」
http://www.kingdomfellowship.com/Topics/oldandnew.html


訂正「旧約の人々の救い」
[1] どたんば( … 回) [E-mail] 2006/02/03/Fri/00:40 (No.138)

  大変、失礼いたしました。
「旧約の人々の救い」は
マタイ20:14でした。



- Web Topics -