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Re:堕胎やクローンについて
[1] Luke( … 回) 2004/07/23/Fri/09:26 (No.34)

  メーリングリスト参加者から次のようなコメントがありました:

引用------
Lukeさんに同意します。

医学の先急ぎは、倫理を置き去りにして糸の切れたたこのように闇雲に進んでいるように思います。
着床前診断、中絶、排卵誘発剤による多胞出産(減数出産)、もちろんクローンも、いのちの尊厳とはなにかを立ち止まって考えない人間の現状があると思います。

どうしても子どもが欲しい、あるいはどうしても欲しくないという親の欲求、金をもうけたいという医者の欲求、新しい成果を示したいという医学者の欲求、それらの欲求が立ち止まることを難しくさせているのではないでしょうか。

さて、Lukeさんに質問ですが、臓器移植についてはどのように考えられるのでしょうか。
私は、産まれたときから持っている臓器を提供あるいは享受することもまた神の摂理から逸脱する恐れがあるような気がします。
しかし、クリスチャンが奉仕の精神をもってドナー登録することも多いようですし、実際に臓器移植を頼みの綱にしておられる患者や家族がいらっしゃるのも事実です。

よろしければLukeさんの考えをお聞かせ下さい。
------

おっしゃるとおり、すべての問題の根底には人の欲(肉の欲、目の欲、所有物の誇り)があるわけです。自分が生きたい、業績を上げたい、人から認められたいという。よって心を見られる神からすれば、動機が自分にある点ですべてguiltyとなります。

現代の医療はあまりにも近視眼的で、テクニカルな面だけが進んでしまっています。人間は知恵の木の実を食べて以来、知識に対する飢え渇き(これも情欲です)に煽られています。ダニエル書にも「ダニエルよ、あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」とあります。これはもちろん予言の解釈についてでしょうが、一般的知識も含まれるでしょう。

かくして罪の問題が解決されないままにテクだけを持った人類は、禁じられてもなおそれを使いたくなります。これは罪に支配された人類の宿命です。現在日本でも胚の利用が認められてしまいましたが、おそらくクローン人間はいずれ出現してしまうのではないでしょうか。これが一般の研究機関か、ラエリアンムーヴメントによるか(すでにできたと彼らは言っているようですが)分かりませんが。

臓器移植も霊的に言えば、他人の犠牲の上で自分を救うことであり、ある面でキリストの贖いと競合する形になりますから、原理的には賛成できません。が、信仰と同様にこの価値観を強制はできないわけで、実際の判断はドナーとレシピエントの自由意志の問題になろうかと思います。

いずれにしろパンドラの箱がいったんあけられてしまえば、中のものはすべて出ざるを得ません。人類が自らの情欲(性的領域に限りません)をコントロールするしかないのですが、自力での完全なコントロールはもちろん不可能ですから、社会システムとしてどれだけ最善が尽くせるかのテクニカルな問題となるでしょう。

人類はいのちの木か知識の木か、どちらで生きるのか、その選択につねに直面しているわけです。人類が自分を知る日はいつなのか、大いなる悲劇が起きる前から、起きてからか。そんな瞬間が近い感じがしています。


Re:堕胎やクローンについて
[1] Luke( … 回) 2004/07/22/Thu/20:21 (No.33)

  まったくおっしゃるとおりです。ニッポンキリスト教のナベツネ的体質は何とかなりませんかね。もっとサイエンティストが教界でも表に立つべきでしょう。サイエンスもこの世も知らない、温室で変性した神学オツムだけでは困ります。

堕胎については、受精卵が子宮壁に着床した段階でひとつのいのちが誕生しています。これを人の作為で除去することは立派な準殺人行為です。私は中絶には明確に反対します。

クローンについては、聖書から見てどう判断するか、聖書の根拠を挙げることは難しいでしょう。ただクローンは生殖細胞によらない生命発生ですから、自然の用を異にしているわけです。原理的にはDNAがあれば生命発生をコントロールできますが、その時点ですでに人が神から託された主権裁量の領域を犯していると思います。よってクローン人間の誕生については私は反対です。

今日の日経新聞でも中国で中絶胎児の細胞を用いて日本人の脊髄治療が行われていると言う記事がありましたが、線引きを明確にしないと危ないでしょう。今後EB細胞(ES細胞)などのコントロールによって臓器だけを造ることができるようになります。それまでして地上に長生きしたいのでしょうか?そもそも「生きる」ってことを根底から考え直さないとなりません。


堕胎やクローンについて
[1] ひかる( … 回) 2004/07/22/Thu/16:44 (No.32)

  こんにちわ。いつも学ばせていただいてます。質問があります。ルークさんの日記に中絶のお話がありましたけど、クリスチャンはやっぱり反対なんでしょうか?それとかクローン人間などはどのように考えていったらよいのでしょうか?サイエンスの進み方が早くって、教会は何だか取り残されている感じがしています。


Re:聖書予言と現実の状況
[1] Luke( … 回) 2004/07/14/Wed/19:57 (No.31)

  > 昔ハル・リンゼイなる聖書予言解釈の権威(?)の「地球最後の日」にワクワクした私ですが、彼の解釈はずいぶんと外れたようです。

ありましたね。私も読みました。

> この人たちは聖書の予言解釈、しかも自分の解釈が絶対であるかのように、それに現実を当てはめるような独善性を感じます。

確かに、彼らは自分の聖書予言解釈にある種のプライドを立てています。自分たちは聖書を良く知っているという・・・。

> ルークさんの解釈は一見ディスペンセイションに見えるのですが、携挙の時期は前艱難ではないようですね。

私の理解は、ラプチャーは刈り取りであるとします。よっていのちの熟している度合いによって時期は異なるでしょう。一律に艱難前とは思いませんし、安直です。真の教会はこれから大いなる苦しみを経るでしょう。すべてはいのちの成熟のためです。

> 他にもポスト・ミレ、ア・ミレまであるわけで、私は少々混乱気味です。

私も混乱気味ですよ(笑)どうして同じ聖書を読んでいて、これほどに異なるのかと、ね。人の心の不思議です。

> 聖書予言解釈に対してどのような態度を取ればいいんでしょうか。

大切なのはただ信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないことだけです。どの解釈が正当かで論争するのも疲れますし、いのちの成熟がバロメーターとすれば、ひたすらそれを求めます。

自分たちの聖書予言解釈を現実の政治に直接当てはめて、イスラエルを支持するブッシュが終わりの日に格別に立てられた神の器とかと言う思考パタンに入ることは怖いですね。


聖書予言と現実の状況
[1] ICHIRO( … 回) 2004/07/14/Wed/17:36 (No.30)

  昔ハル・リンゼイなる聖書予言解釈の権威(?)の「地球最後の日」にワクワクした私ですが、彼の解釈はずいぶんと外れたようです。
ディペンセイションの人たちは頑なに7年の艱難期前に携挙されると言っています。
その前にエルサレムには第3神殿ができて、ヨーロッパに666の反キリストが出て、ロシアが大挙してイスラエルに侵攻・・・というシナリオですが。
この人たちは聖書の予言解釈、しかも自分の解釈が絶対であるかのように、それに現実を当てはめるような独善性を感じます。
ルークさんの解釈は一見ディスペンセイションに見えるのですが、携挙の時期は前艱難ではないようですね。
他にもポスト・ミレ、ア・ミレまであるわけで、私は少々混乱気味です。
聖書予言解釈に対してどのような態度を取ればいいんでしょうか。


Re:旧約聖書の神
[1] Luke( … 回) 2004/07/13/Tue/21:37 (No.29)

  にゃんきちさん、ご無沙汰です。北森嘉蔵氏ですね。

To:TABさん
私も神学はさっぱりですが、理屈はともあれ、霊で主の心に直接触れることが一番かと思います。

導きがありますように。


Re:旧約聖書の神
[1] TAB( … 回) [E-mail] 2004/07/13/Tue/08:57 (No.28)

  にゃんきちさん、ありがとうございます。
「神の痛みの神学」をさっそく探してみます。
いまさらですが、学生の時専攻した宗教学をまじめに勉強しておけばよかったです。(^^;


Re:旧約聖書の神
[1] にゃんきち( … 回) 2004/07/13/Tue/07:26 (No.27)

  Lukeさんおひさしぶりです。TABさんはじめまして。
前に僕がキリスト教の男子寮にいたとき、寮長に同じような質問をして

「神の痛みの神学」という本を薦められたことがあります。僕が洗礼に授けてくださった牧師もこの本のことについて話していましたが、その時は読みませんでした。

著者の方は学者なので内容は難しいですが、TABさんのもっておられる疑問にアプローチしていることは確かだと思います。講談社学術文庫にはいっているので大きい本屋にいけば多分立ち読みできると思います。この本の内容は、Lukeさんのご回答ともかなり重なっていて、それをもっと深く掘り下げたかんじじかもしれません。


Re:旧約聖書の神
[1] TAB( … 回) [E-mail] 2004/07/12/Mon/09:20 (No.26)

  Lukeさん、はじめまして。そして、ありがとうございます。

人間の中でさえ思考のレベルが違えば引き出す答えも全く違う物になるような物ですね。納得です。今度は「神」という視点で同じ場面を読んでみたいと思います。
 また、疑問が湧いたら書き込みます。ありがとうございました。


Re:旧約聖書の神
[1] Luke( … 回) 2004/07/10/Sat/23:48 (No.25)

  TABさん、はじめまして。

これはなかなか感情では理解できないことなのですが、神は旧約でも新約でも変わりません。神の本質は常に愛です。が、同時に義なのです。そして人は罪を犯しており、裁かれることが運命なのです。人間的視点では人権がどうのとか、人の尊厳がどうのとかありますが、神の前での人の実存的状況は、死刑判決を受けているのです。

しかし神は人を滅ぼすことに痛みを覚えて、自ら人となり自らが裁きを受けて下さったのです。クリスチャン信仰の出発点はここにあります。つまり人は生まれながらに死刑判決を受けていることです。

旧約と新約では神と人の関係の様が本質的に変わっています。これが旧約の神と新約の神が違って見える原因です。

Blessigns!



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