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Re:内在する罪
[1] Fuka( … 回) 2004/10/26/Tue/10:12 (No.64)

  Lukeさん、明解なお応えをどうもありがとうございました。
現象を追求することは危険ですね。
一人歩きしないよう、常に主の御旨に付き従っていきたいと思わされました。
ありがとうございました。


Re:内在する罪
[1] Luke( … 回) 2004/10/25/Mon/10:50 (No.63)

  サタンもしるしや不思議は行い得るでしょうね。彼は神の業を巧妙に真似することが得意であり、フェイクを産み出す天才です。私が聖霊派の姿勢を好まないのは、この現象追求型であるからです。私はあまり現象がどうのこうのは好みません。

また教会では心を病んでいる人々の病理現象と霊的現象が絡んで、ややこしいことが起きる傾向があります。特にパラノイド(被害妄想)の病理はきわめてよく観察されます。自己憐憫の霊とたいていは共に働きます。

聖霊派では何でもかんでも悪霊つきにしますが、これ自体が迷信です。サタンの業と人の自己責任の範囲を明確に線引きする必要があるでしょう。ただMPD(解離性障害)や精神異常と霊的要因の関わりはまだ十分に研究されていません。牧師は幼稚ですし、学者は霊的なことに無知です。特にニッポンは寒いですね。


Re:内在する罪
[1] Fuka( … 回) 2004/10/25/Mon/10:39 (No.62)

  「エクソシストとの対話」でした、、。


Re:内在する罪
[1] Fuka( … 回) 2004/10/25/Mon/10:37 (No.61)

  Lukeさま、いつも本当に分かりやすい回答をありがとうございます。そういうことだったのですね。きっちり区別がつきました。

ところでサタンも神様の創造物なので人に幻影をみせることはできても奇跡は行えない・・という神父の言葉の一説が「エクソシストと語る」(小学館:島村菜津 著)にでてきます。
この本に登場するカンディド神父には感じ入りました。
1〜2%は説明のつかないものもあるらしいですが、この奇跡は行いない、というのはどういうことなのでしょうか?神様が決してそれをお赦しにならないということでしょうか?
イエスさまは奇跡を行われました。
狂信的に憑依現象というものをとらえない為にも、なにか参考になることがありましたら教えてくださいませ。
度重なる質問で恐縮です。


Re:内在する罪
[1] Luke( … 回) 2004/10/24/Sun/21:21 (No.60)

  そうですね、内在の罪(Sin)はアダムにあって全人類に入り、死をもたらしました(ローマ5:12)。もちろん罪(sins)を犯したことのない赤ちゃんもそれを受け継いでいます。

サタンは私たちの肉(霊から独立した魂と体の相互作用とかつてのそのパタン)を刺激し、内住の罪を刺激します。霊に頼らず自分の方法で自分の必要を満たす試みが罪です。ですから良い事であっても、それが肉のものであれば立派な罪です。すべて信仰によらないものは罪なのです。

パウロは内住の罪を人格化して表現しています。ウイットネス・リーや、時に他の人々もこの罪をサタンであると言っていますが(「肉のうちに悪魔がいる」などの表現)、これではクリスチャンの中にサタンがいることになりますから、危険な教えです。

サタン的な性質はあるでしょうが、人格を持つサタンではありません。サタンはひとりの霊的人格者であり、神のように偏在することはできません。聖霊は神のパースン(人格)そのものですから、私たちのうちには神が臨在してます。しかし人格化された罪はサタンそのものではありません。この意味では聖霊の内住とは本質的に異なります。

ただサタンは思いに働きかけ、私たちの肉を刺激し、内なる罪を活性化することはできるでしょう。このときの鍵は十字架の死に留まることができるかどうかです。


内在する罪
[1] Fuka( … 回) 2004/10/24/Sun/20:25 (No.59)

  Lukeさん、こんにちわ。
聖書のキーワードの「サタン」の箇所、とても分かりやすかったです。
「内在する罪」とサタンはどのように呼応しあっているのでしょうか?それはアダムの時にできたもので、生まれたての赤ちゃんにもあると聞いています。
聖霊と神様のつながりのように、内在する罪とサタンは繋がっているのでしょうか?
だとしたら祈ることがとても大切ですね。
どうぞ宜しくお願いします。


Re:内に生きるキリスト
[1] Luke( … 回) 2004/10/22/Fri/22:03 (No.58)

  で大変いいと思います。

Blessings!


内に生きるキリスト
[1] ゴンベー( … 回) [E-mail] 2004/10/22/Fri/20:38 (No.57)

  初歩的なことですみません。「内に生きるキリスト」とは、古い私が十字架に死んで、復活されたイエスが個人的に私の胸の奥に住まれる。同時に三一の御父(神)も私の中におられ、いつでもどこでも、御名(イエス、神)を呼ぶときに体内にホワッとした暖かみ(安息とよろこび)を感じさせ、イキイキとした生きる力と知恵を与えてくださる。こんな理解と日常問題での体験の積み重ねでよいのでしょうか。


Re:人の三部分説
[1] Luke( … 回) 2004/10/09/Sat/14:32 (No.56)

  創世記2:7の「息」は「ニシュマ」という単語です。聖書を通して、神の息は霊(ルアハ)と同じ意味です。またここの「いのちの息」とある「いのち」は複数形です。つまり体のいのち(soma)、魂のいのち(pshche)、そして霊のいのち(pneuma)の三つのレベルのいのちがあるわけです。霊、魂、体を明示している聖書は、1テサロニケ5:23.また霊と魂の区別はヘブル4:12です。そして経験的にも言えることです。

なお、これについては、G.H.PemberのEarth's Earliest Agesが詳細に論じています。一部が訳されています:
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3294/book11chap5.html

また私の論考はこちらを:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/human.html




人の三部分説
[1] ゴンベー( … 回) [E-mail] 2004/10/09/Sat/13:22 (No.55)

   ルークさん、こんにちわ。いつも的確、親切なご回答感謝です。さて、体(body)・魂(soul)・霊(spirit)の三部分説は、ニー、アンダーソン、コリン、そしてルークさんの捕らえ方のベースで、最も重要な部分であり、とてもわかりやすいです。Darby訳では「神が土のチリで人を形づくり(body)、その鼻に息(spirit:霊)を吹き入れると、人は生きた魂(soul)となった」と貴著p74にあります。スッキリします。でも、Darby訳を見る限り、創世記二・7には、soulという文字はあっても、spiritという文字は見当たりません。Darby訳の文面上では"the breath of life"と"spirit"という文字との関連は、不明瞭です。「breath of life=pirit」ということが、Darby訳のどこか他の箇所にあるのでしょうか。「body,spirit,soul」の特定した三つの文字を使って三部分説とした理由を教えてください。
 参考──Darby translation:7 [And Jehovah Elohim formed Man,dust of the ground,and breathed into his nostril the breath of life;and Man became a living soul]



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