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旧約の人々の救い
[1] どたんば( … 回) [E-mail] 2006/02/03/Fri/00:28 (No.137)

  ルークさん、お答え、本当にありがとうございました。
今、ニーのマタイ講解を読んでいますが、その中で
14節「この最後の人にあなたと同じだけ上げたいのです」という御言葉は、救いはもとより「キリストのいのち、御国の相続権、来るべき世での褒章」だと思いました!
ただ一つだけ疑問が残ります。

律法は誰一人完全に守れないというのに、何を基準としてその義を頂けるのでしょうか?そして、その時はいつでしょうか。

お教えいただけたらどんなにうれしいでしょう!!
よろしくお願いいたします。


Re:われらの罪を許したまえ
[1] Luke( … 回) 2006/01/29/Sun/20:08 (No.136)

  遅くなりました。

十字架ですべて赦されました。これは客観的な真理です。でも私たちの古い体にはまだ罪(Sin)が住んでいます。ですから主観的経験としては罪(sins)を犯すのです。その時に、すでに赦されている事実を自らの口を持って告白する(原語の意味は「同じことを語る」)ことにより、絶えず十字架の永遠の赦しを確認することができるのです。ますます十字架の恵みに感謝が深まることでしょう。

罪が溢れたところには恵みもますます満ち溢れた。


われらの罪を許したまえ
[1] どたんば( … 回) [E-mail] 2006/01/19/Thu/22:02 (No.135)

  ルークさん、こんばんは!
ここで学ばせて頂いて、本当に感謝です。
ただ前々から不思議に思っていることがあるんですが、
主の祈りでは、「われらの罪を許し給え」とイエスス様は祈りを教えてくださいましたが、これはまだ主の十字架以前であるからなのでしょうか。
でも主は「あなたの罪は許された」と宣言して歩かれていました・・・
教えていただければ幸いです。
明日は、仕事が休みなので、教文館に行ってウッチマン・ニーの黙示録の講解を見てこようと思ってます。。。








「すでに許されている」
ということを何人かの友人に伝えました。
おかげさまでみな、罪責感から、楽になってるようです。


Re:スピリュアリズム
[1] Fuka( … 回) 2006/01/17/Tue/22:38 (No.134)

  Lukeさん、風邪の具合はどうですか?
そんな中、早速のお返事ありがとうございました。
勝手な書き込みでしたので、レスに戸惑わせてしまって申し訳ありませんでした。
私ももう一度アーメン、です。
どうぞご慈愛くださいませ。


Re:新改訳?共同訳?一番よい訳は何ですか?
[1] たらこ( … 回) 2006/01/17/Tue/22:34 (No.133)

  e-Sword見てみました。すごいですね。難しそうですが、挑戦してみようかと思っています(英語は大学以来です!)。岩波訳は本屋でちらっと見たことがあります。 参考になりました。ありがとうございました!


Re:新改訳?共同訳?一番よい訳は何ですか?
[1] Luke( … 回) 2006/01/17/Tue/22:17 (No.132)

  はい、ありがとうございます。

和訳は、最近のものでは岩波訳がいいかなと思いますし、文語のものでは永井訳がお薦めです。それから聖書を検索したりするツールとしては、J-Bilbeはともかくとして、e-Swordがあります。これは完全フリーのものでJ-Bibleをはるかに凌駕します。各種訳、注解書、釈義書、その他も自由に使えます:http://www.e-sword.com/

読み方はイロイロですね。スナックのつまみ食い、導きを求める場合、メッセージを作る場合、いわゆる通読やディヴォーション・・・。形は決まっていないというか、腹が減ったら食べましょう、みたいな^^


Re:スピリュアリズム
[1] Luke( … 回) 2006/01/17/Tue/22:06 (No.131)

  Fukaさま、しばらくです。

ええと、状況が分かりませんので、どうレスしてよいか、ちょっと分からないのですが、「神の愛が法則を超える」はアーメンです。法則は神の設定されたものですが、愛は神ご自身ですから。


新改訳?共同訳?一番よい訳は何ですか?
[1] たらこ( … 回) 2006/01/17/Tue/20:46 (No.130)

  いつも楽しく拝見させてもらってます。風邪は大変だったようで、お疲れさまでした。さて今回は聖書のことなのですが、日本語訳の聖書は、体、魂、霊など、微妙だけれど大事な部分の訳がはっきりしていないと聞きました。私は新共同訳を(なにか現代的な日本語のような感じがして)長年読んできましたが、それを聞いて、少しがっかりしています。岩波訳はわりとよいそうなので、一度読んでみようかとか、英語訳に挑戦してみようかとか(日本語と対応しているもの)考えていますが、おすすめの読み方をアドバイスくださいませんか。ちなみに、ルーク先生はどんな聖書の読み方をされてますか?


スピリュアリズム
[1] Fuka( … 回) 2006/01/17/Tue/14:04 (No.129)

  Lukeさん、こんにちわ。おひさしぶりです。
終止がつかないときはここに来てしまいます(笑)
実はスピリチュアリズムのことで、思いが巡っています。
霊性shopingの時代到来でしょうか。
その教えを覆したいという気持ちよりも、イエスさまの十字架の愛が悲しくてやるせないのです。
その説に100歩譲っても、十字架の主の苦悶は私(私達)への愛の証であり、これこそ救いであると思うのです。

旧約時代の預言者たちもこの「救い」を待ち望みましたよね。
預言者達は、霊〈霊的真理)に導かれながらも〈いわゆるスピリチュアリスト状態)、救いを求めていたのです。なぜでしょう?
「神さまに愛されている」この確証をもとめていたのでしょうか。

スピリチュアリズムの説く神と人間の結びつきは「神さまと人との愛の呼応関係」が置いてけぼりになってしまうような感じがします。
原罪・贖罪・十字架の愛・・・これらがふるいにかけられて落とされてる感覚です。
たとえそれらが人間サイドの後付けの教理だと仮定できても、私にはイエスさまの「愛」の問題が残ります。
神さまの愛は、法則ではないと思うのです。

自力本願で神に向かうことも、他力本願で神に向かうことも、そこに「神と通い合う愛」がなければ虚しい気がします。
見えない神と人間がいかにして愛し合えるのか・・・それを思うとき、「命令・服従による合理的理解からくる平安と霊性の浄化」を超えた「神の赦しの愛」が実感としてあるんじゃないかな・・・と。
その土台がなく「神を求める」とは「神ご自身を求める」こととは違うことのような気がします。
微妙な違いなのですが、これを言葉にできずもどかしいです。
「救い」が違うというか・・・。

”愛されていることの証明など必要ない、さあみんなそれぞれが神に導かれていこう・・・神さまはあなたがたを愛しておられる。”
こう説かれるとき、
キリスト教会の組織や枠を非難されるのは仕方ないけれど、イエスさまの霊を容認しながらもどうしてそこまでイエスさまご自身(救い)を否むのか。不思議です。

「真の救いとは何か」と聞かれたら、人によって(その感性によって)人間側の答えは様々かもしれません。
私には「神さまに愛されていること」こそが救いですが、その愛を下さったのはイエスさまです。
「霊性と救いのはざま」でしっかりと立って行きたいです。

Lukeさん、すみません。
描きたいことを書いてしまいました。
心が泣いております。
わけがわからない部分も手伝っていると思います。
Lukeさんのお気持ちをお聞かせ願えれば嬉しいです。


Re:真理は掴めるか?
[1] Luke( … 回) 2005/12/18/Sun/10:36 (No.128)

  今後エリの子たちの物語が続出するでしょうね。外面だけは「リバイバル」音頭ですが。今のクリスチャンたちの様を見れば、何がまず必要かは明らかです。



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