2005年12月02日

あと、2週間と3日・・・だ

ふう〜、今日もまた終わり。いよいよカウントダウンです。今年の仕事納めは21日。で、22,23日と福島のS兄弟の山小屋に行く予定。その後26,27,28日と伊豆の温泉。そして歳越しと・・・。

しかし、早い。本当に早い。来年は50ですよ!?私は50なんてのは老人だと思っていましたが。いざ自分が迎えることになるとは!

でもね、本人はいまだに学生気分。何せ、いつも接している連中がみな20歳前後ですから、自然と彼らと同一視しているようです。告白しますと、50歳とかの人と接する時には何だか年長者と接するような気分で、気を遣うのです。言葉もつい敬語になってしまいます。以前、子供たちの参観日などに出かけると、何だかやたらとオジサン・オバサンばかりで、圧迫感を覚えたものです。

まあ、確かにGパンとヨットパーカーでさせてもらえる仕事はそうはありません。と言うわけで、私はどこにいても同じなのです。この「素」と言うか、「地」でいられることはけっこう幸いなんですね。「当たり前さ」の祝福です。こんな感じで「その日」まで生きていくんだろうなあ〜。

というわけで、どうもあまり生活感がないらしいのですが、これでも32歳で5,400万の借金をして、自己破産に直面したこともあるのです。ちょうど今の偽造マンションの住民の方々のように、多額のローンだけを背負わされてね。この裁判は8年かかりましたが、主の約束がありましたので、けっこう楽しかったですね。東京駅前でプラカードをぶら下げて、デモもやりましたね。

ちょっとお話しますと、裁判官はけっこう移動があるのですが、途中で変わった裁判官が元司法修習所の所長で、これが偉ぶっているわけ。原告である私たち庶民に対して目一杯威張りくさって、被告の大企業にはペコペコ。で、私はすぐさま彼をプロファイリングして、その弱点が見えましたので、彼に丁重にお手紙を書いたわけ。

で、これがズバリ!次回の期日からわれわれ原告の顔色をチラチラするようになって、最後まで私たちのペースでしたね。偉ぶった人ほど、実は内面の弱さを隠しているのです。そこを突けばコロリです。300億の残債をチャラにして、7億5千万の和解金を取りました。

みなさん、裁判というものは、実は、法廷の外で決まります。そして弁護士を使うなら共産党系の弁護士を。損得勘定抜きで彼らの正義感と情熱はすごいです。彼らには本当に敬意を払いますね。クリスチャンが共産党員に助けてもらったのです。

(なお、念のため、私が書いたのは脅迫状ではありませんよ!)

実に面白い現象

今、お昼休みですが、拝見したところ、富井氏がまた興味深い本の翻訳を紹介されています。「クリスチャンはトーラーを誤解している」という論文ですね。歴史的な考察がなされていて、これはこれでなかなか面白く、参考になりました。

ただね、不思議なのは、「Dr.Luke氏は1m原器である神の言葉を受け入れていない。それはすなわち自分を神より偉大とすることだ。彼はクリスチャンではなく、ヒューマニストだ」と言われるのですけど(ヤレヤレ、どうしてこう空転するのでしょう?)、私的にはどうしてこういった人の書いた論文あるいは神学に基づいて論じる必要があるのでしょうね。御言葉に書いてあるでしょうに、特にローマ書とガラテヤ書に。御言葉に留まっていないのは彼なんですね。

私が批判しているのは1m原器(御言葉)ではなく、1m原器を歪んだ物差しで計っている富井氏を通して見えてくる再建主義なんですね。それはとても御言葉から乖離している。多分他の再建主義の方々も相当に迷惑していると推察しているのですが・・・。自分を神としているのは、むしろ<自分の唱える再建主義=神の言葉>とする富井氏なのです。

私の専門からすると非常に興味をそそられる現象です。でも彼に対しては何と言うか、あまり敵愾心を覚えないのですね。逆になんと言うか、ある種のシンパシを覚えるのです。彼は真剣に私をコキおろしているわけで、あまり悪意が感じられず、むしろ「傷ついた純粋さ」、「痛々しい青さ」(ある方の印象)による悲壮さが感じられるからです。しかし、まあ、永遠のすれ違いでしょう・・・か。

(上の論文は、なぜか、その後削除されました)