* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
真に人を救う存在はひとりのお方−Jesus。この方との出会いが救いなのであって、「イエシュア」とは「神は救い」と言う意味。神学なるものが「学」としてもあまり程度の高いものではないと分かったが、そもそも人を救うのは神学ではない。それはいのちの抜け殻。救いとはいのちの主であり、いのちを与える方を知ることである!
あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。
Dr.Lukeは:普通さ(健やかさ)が壊れているため。アダムが失った神のいのちによる癒しと回復が必要。なぜなら人は自ずと聖を求めるものだから。
再建主義者は:普通さの行き着くところ。だからモーセ律法を普及させ、例えば中絶した女性などは見せしめとして公開処刑にせよ。そうすれば犯罪はなくなる。
ちなみに今回の犯人の専攻は刑法、しかも「犯罪と刑罰」のゼミでトップの10%に入っていたようですね。オツムはよくても、あまりにも幼いのです。小児性があり、多分被害女児にある種のロリコン的愛情をいだいており、その彼女から自分のアイデンティティを傷つけられたのでしょう。
予備校(特にYゼミあたり)や塾などでは普通ではない、ちょっとアブナサのある人物の方が人気があります。小児性が生徒と共鳴して、受けるのです。元ヤンキーとか、「族」だったとか。大人は人気が出ませんね。
なぜかニッポンキリスト教界も同じ。もとヤクザだとか、ヤクをやっていたとか、フーゾクにいたとか、これがウリになるのです。共通する要素は小児性。牧師と塾講師の価値観も同じ。信徒と生徒の動員数がすべて。立派な箱物を作りたがるとか・・・。実によく似ていますよ。
ルークさんの言われるとおり、犯人の学生はこの女子に
好意を持っていたようですね。
デートをしたいと、彼女の友人に話していたようです。
被害女児は気持ち悪がっていたとのこと。