* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
ついにクリスチャン・トゥデイ側は山谷少佐が精神異常であると主張し出しましたね。
→Sola Gratia-信仰と宣教の自由を守る者たちの集い-
精神病者でも医師を逆診断する猛者もおりますが・・・やれやれ。
読ませてもらいました。御国を建設しようとすると妻が狂ったり、ある種の人々にたてつくと精神病者にされたり、この業界、なんともすごいですね(苦笑
Commented by 千葉ドクターK 2007年03月09日(金)16:55「言葉と実体」再考しました。
他の原典にも目を通してみました。確かにへブル語原典のように、単語の羅列だけの写本では「捏造された聖書」の解釈も成立はします。「肉において現れたところのキリストは聖霊によって義とされ・・・」この解釈が、関係代名詞ホス(主格、男性、単数)がどこまで支配しているかを普通にに解釈すれば(私は文末までを支配しているとして直訳しました)、自ずと答えは出るのではないかと思います。つまり、シミ以前の問題であり、著者による「意図的」誤訳が問題なのです。
世の中いろんな人がいますね。
今度は精神異常説ですか。
先の投稿文を訂正します。
4行目「この解釈が」を削除。
7行目著者によるの直前に、「有名になりたいが為に」を追加。
宜しく。
さらなるフォローを感謝いたします。訂正は私の方ではできませんので、その旨了承いたしました。
結局"ΟΣ"の件を見出したプロテスタントのある学者によると「キリストの神性の教義の証拠として典型的に用いられているさまざまの箇所が、問題を含んでおり、・・・本文批評の方法論によって解決していくとほとんどの場合において、キリストの神性に関する言及は消失してしまった」のだそうです!?
私も"ΟΣ"であったとしてもキリストの神性が否定されるとは思わないのですが、ここにそれぞれの学者の信仰のフィルターがあるような印象ですね。もっともこの学者のテキストは貴重な資料とされつつも、その解釈には疑義が持たれているそうですから、一応安心ですが。
とても悪質で目に余りますね。
名誉毀損で訴えるべきだと思います。
CT側はすべてを精神異常者の少佐の妄想的捏造として本件を終息したいのでしょう。捏造と認めて謝罪するか、さもなくば法的処置を取るぞ、と言う姿勢が"何か"を表現しているのですが。しかも匿名で。
Commented by イザヤ・ベン・ハー URL2007年03月09日(金)20:33http://www.christiantoday.co.jp/
↑このCTのサイトの着飾った様とSola Gratia(恵みのみ!?)様のBlogを見比べてみましょう。
Sola様は「法的に責任を問う」と言う以上、CTの当事者でしょう。
社として訴えるのならば、Sola様は当然代表取締役でしょう。
それとも全権委任された代理人の方?
いずれにしろ何かが見てくるでしょう。
Sola Gratia のブログを読みましたが、ブログのほうは放っておいても自滅するでしょう。
あの口汚い罵りに触れて、何も気づかない人がいれば、それこそ異常です。
ジョナサンさまの仰るとおりです。
罵りに共感共鳴する人などはいません。
従ってSola氏は、CTの関係者なのか本当のところはわかりませんね。
もしそうならCTの内部崩壊、自滅をあえて画策している反動分子かもしれません。
まあ、こういった場合は論じ争う必要はありません。言わせておけば、心の中のものが現れますから。
聖書本文批評学における写本評価の一つの原理として、「改竄は理解しがたい文脈を、理解しやすい文脈へとなされるのが自然だから、理解しがたい方が本物に近いと判断される」と言うものがあるようだ。その顕著な例として、マルコ1:40-44に
さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」
とあるが、41節の「憐れんで」は異本では「怒って」とある。また43節では、もっとキツイ単語が使われており、「その人を放り出そうとし、厳しく叱責して」となっているとのこと。
で、これらの写本のどちらがオリジナル(に近い)かを判断する際に、上の原理を適用すれば、優しく、憐れみに満ちたイエス像に合わせて、理解しやすい方へと改竄するわけだから、オリジナルは「怒れるイエス」だと言うわけ。これではニッポンキリスト教の何でも愛して赦してのニコニコ牧師の方がイエスよりもはるかに人格が丸くなるわけだ(笑)。しかしオリジナルなマルコの証ししたイエスは、ご自分の権威や能力や意志に対して異義や不信を唱える者に対しては、きびしく怒りを燃やすイエスなのだ。
う〜ん、これはなかなか面白い。私のイエス像とかなり合致するかも^^