2006年2月

キリスト教界って・・・

BBSで正教と福音派の対話をご紹介いただきまして、私もざっと目を通してみました。とても面白かったのですが、困ったことは、ICHIROさんも言っておられますが、用語がよく分からない。「奥義」を「機密」としていたり、「聖霊」を「聖神」としていたり、人名も発音が相当に違っています。

まあ、それらのテクニカルな部分はおいといても、自分たちは使徒直伝の正統な教会(オーソドクス)であり、福音派は1500年以降に出たものであって、初めから存在していなかったではないか、と。さらには、私たちから見るとカトリックとどこが違うのかもよく分かりませんが(聖霊の発出処が問題らしいですが)、カトリックは邪教的なものを入れて異端化していると。これは逆も言えるわけでして、正教のいわゆる聖伝なるものが何なのか、私たちには異物混入と感じられて、カトリックとあまり変わりないではないかと思えてしまうわけです。

BBSにも書きましたが、一言でまとめれば、カトリックは「自分たちはもっとも普遍の教会である」と、正教は「自分たちはもっとも使徒伝承の教会である」とし、福音派は「自分たちはもっとも聖書信仰の教会である」とするわけで、さらに聖霊派が出てきて、「自分たちは聖霊を知っている教会である」とし、これがまた異言をめぐってペンテコステとカリスマがあるわけです。さらに再建主義なるものが出てきてモーセ律法で教会を再建すると、さらにそれぞれの中は細かく分かれ、互いに相手を異端・カルトとレッテルを張り合っているわけで・・・。

私などもカルト教祖にされたり、ヒューマニストであってクリスチャンではないと断罪されたり、異端だとのラベルを貼られたりと、ニッポンキリスト教と関わってからと言うもの、目が点になるめくるめくような経験をたくさんすることができたわけですが(汗)、改めて、いやあ、一言、何なの、キリスト教界って?

主は言われたはずです:

わたしは、もはや世にはいません。・・・わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。・・・父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。

世が神を知ることは、しるし・不思議でも、立派な"油注ぎの器"でもなく、ひとつであることによると書いてあるのですが・・・。それは教義や実行の一致ではありません。いのちを知ることです。なにぶん私などは悲観主義ですから、クリスチャンメディアなどが"リバイバル"の音頭を取ったり、アメリカあたりの立派な"預言者"たちが"大リバイバル"のラッパを吹けば吹くほど、遠ざかりたくなります。彼らは果たして何を求めているわけ?

聖書はいのちの書ですが、文字で触れるとキリストの体をバラバラにするもののようです。霊は人を生かし、文字は殺す、とあるとおりです。私的にはキリスト教界を離れて、この世で主と静かに交わることにしましょう。

キョウビの若い娘ときたら・・・

最近の若い娘さんは包丁の持ち方も知らず、下手をするとハサミで野菜を刻む輩もおるようです。親の顔が見てみたい・・・と、少々憤慨しておりましたら、うちの長女の話。「あのね、パパ。今日J大学病院の実習で栄養教室の先生に缶詰を開けといて、っていわれたの。でもあたし、缶切りどうやって持ったらいいか分からなくて、開けられなかった。先生が呆れたよ。ははは・・・」。いましたね、キョウビの育て方を間違った親が、ここに・・・(^^;A

Commented by 悩める外科医 2006年02月28日(火)10:15

 私には中一の娘が与えられていますが、現在反抗期で困っています.
 2学期の期末試験は名前から解答まで;答案全部を平仮名で書いて、科目によっては0点を貰ってきました.
 担任の先生に反感を持っており(先生はダブルスタンダードで裁くと言っています)、また、特に母親(my wife)に対して、暴言を吐くので、父親として黙って聞いている事が出来なくて、つい、激しい言葉で叱責したり、場合によっては拳骨で頭を叩いたり、平手で頬を叩いたりする事もあります.
 そうかと思うと、座っている私の膝の上に座って来たりと、アンビバレンツな態度をとるので、どう対処して良いのか戸惑います.
 私は男兄弟で生まれ育ったので、女性は妻しか知りません.反抗期は自我が発達する大切な時期である事は認識しておりますが、どうしたらこの時期を乗り越えて、ルーク先生のような父娘関係が築けるのでしょうか?お薦めの書籍等がありましたら是非ご紹介下さいませ.
 ご多忙中恐れ入りますが、宜しくお願い致します.

Commented by Luke 2006年02月28日(火)18:17

うちの子も中学時代は髪の毛を金髪にして、礼拝に出席して(ミッションだったので)、学校から文書で指導されたこともありますよ^^私は「学校の先生との付き合いは適当にかわせ」と言っておきましたが。彼女たちはそれぞれにどこに真実があるかを判断しているわけで、あまりイロイロと押し付けはしませんで、一緒に温泉やキャンプで遊ぶことを心がけたくらいですね。ただ私に逆らうときは平手で張りましたが。ニッポンキリスト教界のいわゆるCSなんてものはご遠慮でした。大学もミッションですが、それぞれにバイトや部活などに忙しく打ち込んでいます。

Commented by 悩める外科医 2006年03月01日(水)06:27

 おはようございます.
ルーク先生ご教示ありがとうございます.
>「学校の先生との付き合いは適当にかわせ」
>彼女たちはそれぞれにどこに真実があるかを判断している
>あまりイロイロと押し付けはしません
>一緒に温泉やキャンプで遊ぶことを心がけたくらい
 大変参考になりました.私は、短気な外科医で、横ビンタを張ったり、病院でも、お怒りを爆発させたりと、柔和なクリスチャン像からは程遠い存在ですから、子どもに暴力を振るった後は、暫らく自己嫌悪に陥り、しかし、箴言の「鞭を控えてはならない」のみ言葉に立って、自己正当化をしたりと、少々気持ちが揺れ動いておりましたが、先生のアドバイスに励まされて、一歩退いた位置から、娘を「真実を捜し求めている存在」として、少し客観的に見つめてみようと思います.
 昨夜は、3学期の期末試験が終わった娘と一緒に、近所のスーパーまで、娘のヘアスプレーや意味不明の物を購入しに出かけることが出来ました.道すがら、『学校の先生との付き合いは適当にかわせ』とアドバイスすることが出来ました.本当にありがとうございました.これからも宜しくお願い致します.

Commented by tzTonちゃん 2006年03月01日(水)18:03

家族というものは、実に不思議な存在で本気で私を怒らせることが出来ます。
私自身は教育者や、カウンセラーでもないのですから自分なりの経験だけ書かせて頂きます。
自分の子供といえど、「人の心は深い井戸のようだ」の通り知り尽くすことは出来ませんね私は。時々自分自身でも自分が不安になるときもあります。
怒った後など自分が恐かったです。自分が何をしでかすか不安な時もありました。
とにかく子供の理解できない行動は何かしらのサインにはちがいないんですね。
私の妻に暴言を吐いてる子供を見るとほっておくことが実に難しいのですが、実はパターンがあり、この時(たとえば朝学校へ行くとき機嫌が悪いのは実は母親と全く関係の無い事で不安に感じていることを単に母にぶつけているだけ)はこうだとか。よく見ることです。
親にしてみれば、こんなにしてやっているのにおまえは何だと思いたくなりがちでしょうが。
相手は体こそ大きくなっても、子供で向こうも「どうか私を育ててください」とお願いした訳でもないのですから、
むしろ育てさせていただいていると思って冷静になること、感情をぶつけ合うことはあっても1年に一度以上はないでしょう。
なにせ今の年代の娘にとっては「おやじ」とはこの世の有りとあらゆるモノの嫌なモノの総称なのですから、覚悟して取りかかるべきでしょうね。
家出も覚悟しておかれることも必要かも知れませんね。
わかっていても、しょうがないときもあります。
理屈や言葉でいくら説明しても無理なときがあります。

親としては女の子なので性的な事に流れるとおろおろしがちですが、常に「たとえ何があっても私たちはあなたを愛している」と送り続ける事が大切ですね。
子供達の理解できない行動によって親にさせて頂いている、また、父なる方のすごさが少し見えてきます。
奥様と良くコミニュケーションを取ってこんな時は君がひどくなっていても横目でみてるからね!とか、十分時間をとってください。

Commented by Sky URL2006年03月02日(木)00:39

(横レス失礼します。)
悩める外科医 さん、初めまして。(いちおう、内科医です。)こちらも、高2と中3の娘がいますので、お気持ちお察しします。
私も、以前、子育てで悩んだ時がありました。そして、あるとき、ハッと気付きました。

「子育てをする上で、最も大切なことは、イエスの言われた『全ての行ないの第一のいましめ』である『(親自身がまず)心をつくし、精神をつくして、神を愛する事』ではないだろうか。
そして、さらに、親自身が、最近よく耳にするゴスペルのように、自分が神に愛されるために生まれた事を感謝しつつ生きることではないだろうか」・・と。

(それ以来、子育ての大切な基礎を得たようで、今のところは、変に迷う事がほとんどなくなりました。)

今回、ルーク先生が「彼女たちはそれぞれにどこに真実があるかを判断しているわけで」とおっしゃっていますが、私は、子供が「自分の親が、神を心をつくして愛するような、真実な信仰を持っているかどうか」をよく見ているように思えるのです。
そして、子供は、「それ」を見て、育っていくように思います。
(いわゆる、親の背中を見て育つ、という事ですが・・。)

・・・ひとこと、自戒の気持ちと共に、書かせて頂きました。ご参考までに・・。

(追伸:「病院でも、お怒りを爆発させたりと、柔和なクリスチャン像からは程遠い存在ですから」・・・これをお聞きして、(自分だけではなかったと?)何か安心しました。^^)

Commented by 悩める外科医 2006年03月02日(木)08:20

 tzTonさま、Skyさま、アドバイスありがとうございます.Skyさまは、青い空のHP;新潟の先生でしょうか?先輩方のアドバイス、本当に励まされます.妻とともに毎日のように娘のことで話あっていますし、妻は私以上に悩んで、母教会の牧師夫人に長距離電話をかけて相談しています.
 娘は、今朝も、自分が目覚ましで起床出来なかった事を棚に上げて、「時間が無い、ノートが見つからない、時間割をしていない、間に合わない・・・」と、妻に当り散らしていましたが、私が声と手を上げる気配を漂わせたら、妻は目配せで私を制止しました.今朝6:55に入院患者のSterbenがあり、早々に出勤しましたので、その後は知りませんが・・・今病院のPCから書き込みをしています・・・時々epigastralgiaがあり、アルロイドGのお世話になっている始末です.
詩篇86篇11節:
主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。
箴言3章6節:
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

 子育てにおいても、み言葉に従って歩みたいと願う愚かな父親です.
PS.自分だけではなかったと…ホッとしました.(笑

手放すこと

フィギュアを見ていて感じたのは、スルツカヤなどは荒川のことを意識して練習していたが、荒川はひたすら自分のものを出し切ることだけに集中していた。自分と対峙していた。彼女自身、天才少女と言われて、人に流されていた自分から一歩を踏み出したと言っている。あの練習風景を見ていても、荒川が勝っていたことが分かる。

本番でも他人のスコアを聞かないようにヘッドフォンをしていたが、これで彼女は心を騒がせることがなかった。人を一切寄せ付けない中で、ただ演技に没頭した。結局勝負は人ではないこと、自分と対峙し、自分の何かを十分に注ぎ出せるかどうか、これがすべて。自分に対して自分がどう関わるか。相手は自分なのだ。

クリスチャンも同じ。人と比べ、自分の不遇を嘆き、人の責任を問い、神と人からただ受けようとし、自分の満足だけを求め、自分は決して損をしたくない、傷を受けたくない。これが現今のキリスト者の貧しさ。物や人や神を消費するだけのキリスト者。前に花見酒の経済の話をしたが、互いに互いの資産を食い潰すだけになっている。

その中心にあるのは、強烈なエネルギーを蓄積した自己(Self)。「明け渡し」も自己責任を負いたくないところは「あなた任せ」、自分のものとしていたいところはけっして手放さない。かくして問題を抱え、あくまでも神と人の責任を問い続け、消耗する。自分を省みて、自分を手放せば、よほど楽になれるのにと思うのだが。

表情台の荒川はただ金を取っただけの輝きではなく、自分から解かれた解放感を漂わせており、ほんとうに美しかった。

荒川静香の舞い

実に美しかった。日本女性もここまで来たかと。コーエンやスルツカヤにまったく遜色なく、むしろ彼女たちを圧倒するオーラがありました。鶴のような気高さを感じますね。感動をありがとう、と言いたいです。

(影の声:同じ静香でもK氏とはえらく違うなとか、ふと思ってしまった・・・)

村主はミスはなく、表現も豊かだったが、伸びというかダイナミクスさがいま一だったか。2,3位は転んでいるのに、彼女たちに勝てなかった。

美姫ちゃんは4回転失敗で、後は頭が真っ白になってしまったようですが、観客が「ありがとう!」と励ましていた光景にも感動でした。こういった高貴な交流は人を生かしますね。キリスト教界ではあまり見られない人と人の関わりです。彼女は精神的な不安定さがありますから、あまり期待したり追い詰めると、プッツンする可能性があります。拒食症や過食症などになり得ます。彼女のペースで成長させてあげたいです。

サーバー不調のため

本日のメッセージとワーシップのWeb上での公開ができません。あすまでお待ちください。FTPサーバーは正常ですので、そちらからはダウンロード可能です。FTPクライエントで次のユーザー名とパスワードで入ってください:

アドレス: kingdomfellowship.com
ユーザー名:common
パスワード:kfc

なお、ファイアウォールを通過できないときは、passive modeにして下さい。詳細は、メニュの「公開FTP」のお知らせをご覧ください。

やらねばと思いつつ・・・

わが部屋を片付けないと、と思いつつ、つい先延ばしだ。それも新しく作ったAthron64ビットのPCがエラーでクラッシュするので、何とかしようと2週間ほどもがいているが、Microsoftのデータベースにもfix法がない。これが尾を引いて次のことに手が出ない(と言い訳をしている)。しかし、いつクラッシュするかハラハラしながらPCに向かうのも何とも不安感がつきまとって気持ちがよくないもの。64ビットCPUはまだ不安定ということだろうか?ビデオなどの編集に特化しようと考えているのだが。

 * * *

花粉症がそろそろ・・・・。年中行事のはじまり。

Commented by ブヒ Eメール 2006年02月25日(土)08:38

ルークさん、おはようございます!!

>ビデオなどの編集に特化しようと考えているのだが。

これはセレブレーションも検討されてると云う事でしょうか・・・?
そうであれば、家庭集会にとても助かるのでものすごく嬉しいです!!
成功を祈ってます〜!!!

Commented by Luke 2006年02月26日(日)18:01

サーバがダウンしており、レスが遅れました。ビデオはそうですね、今の回線だと無理かな?何しろADSLで5Mくらいしか出ていませんから。光ファイバーが入る建物に引っ越せたら検討します。

GOT IT !

今朝はなぜか5時代に目が覚めて、フィギュアを見てしまいました。安藤は4回転失敗。荒川は欧米の選手と比べても身体も貫禄も遜色なく、ある種の風格がありました。向こうではアジアン・ビューティとされたようですが、演技も感動もの。あまり感情も出さず、淡々としているところがまたいい。で、金。たったひとつのメダルが金というのもカッコいい。

幼児洗礼の必要性?

驚きました。再建主義の富井氏によると、「新約時代の割礼である幼児洗礼を実行しなければならない」のだそうです。モーセ律法では誕生後8日目に割礼をしましたが、新約の「割礼」は幼児洗礼であると・・・。

かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。

マリアの処女懐胎を、ローマ兵によるレイプを婉曲に表現したのだとする某大教団の牧師の説を読みましたが、このギョウカイ、私の知らない世界がまだまだ相当にあるようです。

クリスチャンvs田舎の親父

救世軍の山谷さんのBlog(2月19日)に実に面白い見解があったので、ご紹介します。私の「言いたい事」を実に的確に指摘されています。

「核家族の中で、生きる能力も、物を作る能力も、もてなす能力も、隣人を受け入れる心の度量も、ほとんどあるかないかまでに削り取られ、やせ細させられて、自分の生活のことだけできゅうきゅうとし、関心事と言えば『物』を消費し『神』を消費する以外になんにもない、という現今のキリスト者」

自分(Self)がすべてのスタートにしてゴールである現在のキリスト者が、「『神』を消費している」と言う指摘はきわめて深刻な問題です。ここに様々のいわゆる「ミニストリー」や「メディア」や「先生」が商売する隙があります。これは「リバ新」の社長にも言ったことがありますが、真にひとりひとりが神の前に立てるようになったら、あなたがたは失業するでしょう、と。私たちの度量(キャパシティ)が問われているわけです。

だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。・・・人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

どうする民主党

前原さんから何も出なかった・・・。やや失望。時間稼ぎをしているのかな?しかしこれでこけると、本当にあるかも知れない政治家との関係の追求の腰が折れてしまう。もし誰かがそれを企んで、このメールで民主党をはめたとすると、これはなかなか・・・。罠は、それと分かっていても入り行く必要のある場合と(昨日の映画のように)、絶対はまってはならない場合があります。民主党が隠し玉をもって、形勢不利を演じているならば、これもなかなか、ですが。

いずれにしろ、ライブドア事件は深いことは間違いない。これだけのスイスや香港にまで及ぶ金融操作を、学生サークルのノリの連中だけでこなせるわけがない。ラビ・バトラの指摘のとおり、裏に国際的フィクサーがいることは間違いないのだが。パンドラの箱は開かないまま終わるのか?

Commented by Luke 2006年02月23日(木)22:56

民主党は武部氏の次男の海外口座におけるかなりの額の金の流れをつかんでいたらしい。が、今回の件で政治的追及はできなくなったとのこと。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/business/takahumi_horie.html?d=20060223hochi038&cat=60&typ=t

ニュースステーションでもレポートされていましたが、スイスや南米の島での架空会社によるマネーロンダリングなど、どう見てもホリエモンたちだけでできそうもない大掛かりな仕掛けができているようです。

Dr.Lukeの一言映画評

アップロードファイル 19KB燃ゆるとき−小さなカップ麺会社がアメリカ進出するも現地の人々とうまく行かず業績が伸びない。そんな中へ中井貴一扮する川森が人々の心をつかむ努力の中で建て直しに成功する。現地の貧困にある女性スタッフが管理職を期待するも会社は彼女を拒否する。その報復として買収を目論む投資銀行の手先となって、川森をセクハラの罠にはめ、会社は莫大な損害金を払い、川森はその汚名をかぶったまま日本に戻される。

3年後、同工場にユニオン結成の陰謀が起きるが、再度川森が派遣されて戦う。そこに彼女がユニオン側の弁護士と共に現れ、同社のスキャンダルを暴くとして、川森は窮地に立たされる。が、彼は彼女に対して、当時管理職に登用できず彼女の心を傷つけたことを謝罪し、心からの真実の語りかけをする。人は人から信じてもらわないと生きていけない、と。彼女はその誠意に動かされ、3年間良心の咎めを経験してきたことを告白し、涙ながらに真実を語る。かくして会社は買収とユニオンから救われる。

ちょうど下に書いたラビ・バトラの警鐘をそのままに映画化したような作品。会社を単なる商品として、法律すれすれの策をもって売買対象とするアメリカ社会。対して会社は家族であるとして、人の生きる場、人生の舞台として育てるカップ麺会社。社長は対アメリカで敗戦を経験しており、「アメリカは怖い国だ」ともらす。また罠にはめた貧困にあえぐ女性は「アメリカが自由の国だというのは嘘だ」と証しする。富んだ者と貧しい者は厳然と分けられ、後者はけっしてそこから脱出できない。

アメリカは法律を駆使してその目的を達成しようとするが、最後に人の心の真実が勝利し、アメリカ人弁護士をして「まことのエクセレント・カンパニーを見た」と証言させる。肉食アングロ・サクソンの弱肉強食的価値観と、旧い日本の心と情を大切にする価値観の対立を巧妙に映像化している。う〜ん、なかなか渋くよい作品。現在のご時世にあってピッタリ。日本の心は死んでいない。お薦めです。

どうもね、うそ臭かった

民主党の木俣議員が離党するようだ。彼はいのちのことば社からも本を出しているが、ちょっとうそっぽかった。大体選挙でS学会票で当選などというのはそもそもいかがなものか。クリスチャンが国会を占拠したら立派なニッポンが作り上げられるなどと言うのがそもそも幻想。前から言っているが、政治家に求められるのは、まず社会工学としての政治力・テクである。日銀の速水氏もその手腕はいまいちで、今の福井総裁の方がはるかに熟達している。私は"霊的で・信仰深く・愛に満ちた"腕のないクリスチャン外科医のオペなどは受けたくありません。むしろ野心家で愛のない、しかしメスの切れる財前五郎を選ぶでしょう。みなさんはどうですか?

Commented by 春野目覚 2006年02月22日(水)00:04

霊的で・信仰深く・愛に満ちたメスの切れるクリスチャン外科医ていうのはいかがでしょうか?

今週の気にかかる事

その1:どうも咳が止まらない。メッセージでも途中で咳き込んでいますので、お聞き苦しい点、すみません。

その2:オリンピックにメダルが出ない。ジャンプもだめ。あとはフィギュアのみだが、果たして・・・。

その3:民主党による武部氏関連メール疑惑。次の一手は、形勢不利と見せかけての隠し玉か?銀行口座を把握しているとか、ほんと?それともブラフ?

その4:株式市場が軟調。外人が売り越し、日銀の政策が変更されることへの思惑。単なる一時の調整か?

ラビ・バトラの緊急予告

アップロードファイル 4KB日本国破産のシナリオ

90年代初頭のバブル崩壊を見事に予測した経済学者ラビ・バトラ氏の警告。外来のザリガニやタンポポが日本の繊細なそれらを駆逐するように、アメリカが日本の道徳や倫理を無視した市場主義経済で日本を食い荒らすと指摘。その代表が、日本的共同体であった会社を、株主利益を優先して株価を吊り上げることによる時価総額経営へと誘導し、その典型がライブドア事件であり、その裏にはアメリカの資本があると推測する。

85年のプラザ合意以来着々とアメリカの日本支配戦略が進行しているとする。否、ペリーの時代よりそれは計画されていた。前に私は、日本はアメリカとの関係において、開国で<政治的去勢>を、敗戦で<軍事的去勢>を、バブル崩壊で<経済的去勢>を受けたと指摘したが、ここまで来るともう彼我の言いなりとなるしかない。

借金は国と地方で1026兆を超え、原油は1バレル100ドルを超えて経常黒字は減少し、日銀の量的緩和解除で国債乱発は避け得ず、しかし郵政民営化で350兆の資産はアメリカに流れて新規国債は消化できず、かくして金利が暴騰して、日本は破綻する。日本企業は、例えば長銀のように何百億も公的資金を入れながら10億で買収されたように、外資ハゲタカファンドによって食い潰される。格差は広がり、一部の富豪とほとんど貧乏人。そしてアメリカにとって国益がなくなれば、日本は貢ぐだけ貢いで捨てられる。

このシナリオは私も折に触れて語ってきたが、なるほど、である。下で「愚かなり市場主義者」と「借金は純債務で見るべし」の二つの見解を紹介したが、どうも前者が正しいようだ。財政再建のお手本は二宮金次郎など、わが日本の江戸時代にあるのだ(参考)。灯台元暗し。

加えてDr.Lukeの緊急予告によれば、アメリカ産の油注ぎの器たちによって食い荒らされているニッポンキリスト教も同じ運命をたどるだろう。

Commented by ICHIRO 2006年02月23日(木)14:52

原油高で貿易収支が赤字だそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060223-00000050-jij-bus_all
これからニッポンはアメリカによる
ゲッセマネ(油しぼり)なんですかね。

昨今の事件

何なのでしょうね?一応大学で「心の病理」を教えている私も、最近の事件はよく分からなくなってきました。呪文でハーレムを作った迷彩服男、29歳離れた妻を刺し殺した50男、幼稚園の同級生の幼児を二人も刺し殺した女、ニッポンキリスト教もよく分からないギョウカイですが、ニッポン社会というギョウカイもよく分からない。閉鎖社会日本の中の閉鎖社会がニッポンキリスト教界だとかなり前に書いたが(こちら)、見事なフラクタル(自己相似形)をなしているわけ。でもね、大学の講義では、「今後ますますわけの分からない事件が起きますよ」と予言していますが、これがスバリと当たってしまうことに、何とも複雑な気持ちでおります。

Commented by ひろこ 2006年02月18日(土)23:16

本当に心いたみます。物質文明はずいぶん進歩したようですが、心はとんとダメで、落ちゆくのみに思います。
 なんとかならないのでしょうか。終わりの時が近いから
いのってもむだか?

嗚呼、何ゆえこれまでに・・・

ほんとにワンパタン、入試の面接。あまりの単調さに、今日はちょっと意地悪なツッコミを入れて、やや困ってもらった。「まっすぐ相手の目を見て」とか言うマニュアルがあるのだろうけど、やたらとにらむように視線を固定する生徒もいて、おいおい、それじゃコワイよ、かえって印象が悪いでしょう。適度に視線ははずすんだよ。まあ、面接で楽しいのは、人の顔って実にイロイロということ。ニンゲンって、ほんとにおもしろいですね^^

最近は映画以外は専ら家に篭っているので、たまに都内に電車で出てみると、世間の風に触れることができて、いい刺激を受ける。帰りに蒲田で人身事故があり、京浜東北が不通。はて、飛び込みかな?イロイロな人生があるんだなとか思いつつ、京急に乗るが、この線ははじめてだ。私について言えば、学生時代、お昼ごろまで寝ていて、世間が動いていることについて、「ああ、世の中って、僕とは関係なく動いているんだなあ」と変な感覚を味わったことがあるが、最近もそんな感じかな?しかし何があっても電車に飛び込んじゃいけない。

「あなたは結婚した頃から生活がまったく変わっていないのね」とカミさんによく言われるが、確かに。だいたい家にいる時間が1年のうち50%はあるだろう。学期中も出勤は9時すぎから。しかも夏などはGパンとポロシャツ。ネクタイは今日みたいな日だけ。マンションの新しい管理人は不思議そうな顔で挨拶をする。すべて学生時代から変わっていない。何だか一生浪人生活をしているようなもの。確かに主が来られる日までの・・・。

ただしねぇ、やたらとエラクなりたがる人や、○千人教会作る野心に萌えている人や、ややこしい神学を狂信している人や、「リバイバル音頭」の幻想を追っかけてる人や、被害妄想もった人格障害系の人などなど、ニッポンキリスト教のスバラシイ諸兄と関わるようになって、静謐な(?)私の生活がけっこうかき回されたことは事実。何でこういったクリスチャンが出来上がるのか、ほんとニンゲンっておもしろいです、ふ〜。

自民党VS民主党

午後カミさんとまた映画。フランス料理とワインで昼食を取り、『プロミス』を。中国映画で映像はなかなか奇麗。ストーリーはちょっと良く分からないが、まあ、楽しめた。人を信じることができるかどうか、これが運命(プロミス)を一面で決めるわけで、また一面で運命は変えられるというメッセージのようだ。チャン・ドンゴンと真田広之がけっこうはまっていた。これからはアジアだと予感させるものがあった。

 * * *

武部氏の息子をめぐっての攻防、本日の予算委員会の質疑は面白かったです。小泉氏は「ガセネタ」と切って捨て、民主側は新たな証拠は出さずに、圧された形になっています。が、隠し玉があるのかどうか。もしあって、今日のような形を取ったとしたら、なかなかの役者です。もしなかったら、民主はやばいわけで・・・。民主側は数名の目を通しているようですから、それなりの確証を得ているのでしょうが。

それにしても安倍さんがいつもみたいな穏やかさを失って、血管が浮き出るような口調であることが気になっております。あのNHKに対する圧力疑惑のときは、自分が名指しされたわけですが、けっこう冷静だったのに、人事なのにやや剣幕が・・・。なぜなのでしょう。

加えて今週の週間文春によると、野口氏の自殺についてはやはり裏があるようで、彼は闇社会と意図せざる形で関わってしまったようです。あの自殺はそう追い込まれての挙句のようですね。香港に設立した会社役員に奥さんを据えたようですが、奥さんはそれと知らずに判を押しているようです。野口氏は友人に対して、「日本経済に殺されそうだ」という言葉を残しているのですね。どうも表に出せないような不可解さがあります。

主の真実

私の友人のIさんが、この度ピッタリの会社に正社員として採用になったとのお知らせをいただいた。Iさんとは知り合ってもう5年になるのですが、この間、ある意味で試みを経られたわけですが、主は真実です。エレミヤ書の

バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あたなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あたたがたをこの所に帰らせる

という御言葉が与えられ、祈り始めてからちょうど2年目に不思議な導きで与えられたそうです。

すでに50に近いIさんですから、今のご時世、普通であればほとんど不可能に近いことを主はなされたわけです。アンドリュー・マーレーの言葉に「主の答えは遅くなるように見えても、間に合わないことはない」とあります。必ず間に合うのです!

この間、ひじょうに厳しい仕事を忠実にしてこられたわけですが、私たちの側の責任は小さなことに忠実であること。何も起きないと見える間も(この間が人にはしんどく感じられる)、着々と主は備えを用意されたのです(信仰は見えないことの実体化です)。主はその環境の中でIさんの同僚を通してチャンスを備えられたのです。Iさんの主にある真実さが同僚の方にも証しされていたのでしょう。本当に励まされます。

「風」の行方・・・

外科医さまとSkyさまに漢方の処方を教えていただき、ありがとうございます。咳は風邪のみでなく、少々寒冷アレルギー的要素があるようで、冷たい空気を吸うと反応が出るようですね。漢方を試してみたいと思います。このサイトには臨床医の方々が何人もいらして、心強い限りです。

 * * *

オリンピックがどうも風がアゲインストのようです。2004年がちょっと調子良すぎたようですが、この「風」というのがとても面白い。エペソ書には、「赤子のように、吹き回る教えの風に振り回されるな」とありますが、ニッポンキリスト教界ばかりではなく、世の中もこの「風」の向きですぐに変わるわけ。株をやるとこの「風」で相場が動く様子が実に良く分かる。

小泉氏あたりはこの大衆が求める「風」を敏感にキャッチして巧妙にそれに乗った感じがあるが、ここへきてライブドアがらみで武部氏の息子への資金供与疑惑まで出てきて、支持率を落としている。与党は事実無根としているが、さてその行方は?

私はこの種の事件があると「論○同○会」のサイトを覗くことにしている。泣く子も黙る某大物総会屋のサイトであり、97年の拓銀破綻の3ヶ月前に内部情報としてその予告が出て、まさかと思っていたら、夏に破綻して驚いたことがある。つまり内部告発的裏情報が取れるわけ。

今回のライブドア事件は武部氏はまだ表層で、A氏がらみのもっと深層がありそう(ヒューザー事件は露払い)。大事件に発展する可能性は立花隆氏も指摘しているところで、ちょっと日本の根幹を揺るがしかねないとも感じている。「風吹けば桶屋が儲かる」ならぬ、「風向き変われば、日本がころぶ」ともなりかねない。まことに「風」の方向は量りがたい。

終わりの時代、御言葉によほど意識的にしがみつかないと、容易に「風」で飛ばされてしまう危険性を強く感じている。

アクアラインの夕日を眺めつつ

本日は試験成績の配布を教員が狩り出されて行う日。午後3時間を、ある意味で無駄な時間として過ごす。その帰り道、いつもは湾岸高速を走るのであるが、今日みたいな日はちょっとふらつきたくなる。で、アクアラインを走ることにした。

千葉の側はなんと申しましょうか、遠くには木更津の工場地帯の煙突が何本も見えるが、その他は野原と畑と田んぼ。ほとんど手付かず。アクアラインは、それでも多少は安くなったが、ほとんど車が走っていない。15分ほどで川崎へ抜けるといきなりビル郡が立ち並び、渋滞にひっかかる。結局、湾岸を走るのと時間的には大差がないわけ。

何とも空虚なものを造ったものだ。いや、これの存在価値はあるのだが、走行料金が高過ぎる。運営法が悪い。そのため通行量は増えず、千葉は相変わらず寂れたまま。無計画な金の使い方である。では、<公共投資=悪>なのか。

『文藝春秋』3月で小泉氏の経済政策が誤りであること、実は増税の必要はないことが論じられていた。国の借金(粗債務)は795兆あるが(GDPの150%以上)、実はこれは貸借対照表の右側(貸方)の話。左側(借方)の金融資産状況を見ると、480兆ある。よって、純債務は315兆。これはGDPの60%。しかもこの債務は対外債務ではなく、国民への債務。サラ金から借りたのではなく、ダンナが奥さんのヘソクリを借りたようなもの。対外的には日本は債権国なのだ。

で、このGDPは<消費+投資>であり、したがって景気を良くするには消費か投資を増やすべきなのだが、小泉氏は緊縮財政を取っているというわけ。亀井氏や古賀氏たちが利権がらみでいかにも公共投資で悪いことをしているかのような印象を植え付けられて、<公共投資=悪>との刷り込みがなされているが、実は経済学から言えば、どんどん国は金を使うべきなのだ。これはクリントン政権が実際に行って、米国の双子の赤字であった財政を黒転させたことでも分かる。もし橋本氏が緊縮策を取らず、当時のまま内需を拡大すれば、現在のGDPは600兆、税収も60兆を超えたと推測されるとのこと。

最近はバブルの傾向が出ているとのことであるが、実はもっと金を使う必要があるのだ。ビールと同じで泡がなければおいしくないのだ。ケインズ経済学は死んだといわれて久しいが、<GDP=消費+投資>である以上、現在もケインズは生きている。

ここでマスコミの刷り込みに注意する必要がある。かつて<バブル=悪>として土地・株を冷やした結果が90年代の不況、そして戦後初めてのデフレ。同じように<公共投資=悪>として緊縮財政を取って、首を絞められるのはわれわれ庶民なのだ。私たちが金を使わなければ、ますます不景気となり、ますます税収が落ち、ますます増税を要求されるわけ。

経済は気分で動かずに、理屈で動く必要がある。それともっとも問題なのは持たざる者たちの持つ者への妬みと嫉妬である。これで均して、みんなで貧乏人、これが共産国家。前の藤原氏の市場原理主義の愚かさとオレードオフの関係にある。どこかに均衡点を見つける必要がある。

・・・といったことを東京湾の夕日を眺めながらつらつらと考えた。

アチラの見方

堀江氏の逮捕劇について、Fortuneの語るところは:

The arrest of highflying Internet Mogul Takafumi Horie has made him Exhibit A in Japan's case against American-style capitalism. But Horie's crimes were so obvious that no American could have gotten away with them for so long. The real problem? Japan's totally inadequate regulatory institutions.

なるほど。情と武士道を説く藤原正彦氏とtotaly oppositeな見解です。

人格障害というビョウキ

文藝春秋3月号に面白い記事があった。人格障害に関する臨床医のつぶやき。人格障害には、自己愛性、妄想性、境界性など、いくつかのパタンがあるが、一言で言えば、「物事の感じ方や考え方、言動のあり方に極端な偏りがあり、それを状況や環境に応じて調整しきれず・・・量が質に変わる臨界を越えた人たち」と定義できる。この数年来、私もこの手の人たちに少なからず関わられた。

その特徴は「人格障害者が拘泥するのは、自尊心と被害者意識である」。そして治療法がなく、薬も効かないし、「彼らは毎度同じパタンのトラブルを反復し、どれほど知能が高かろうとも決して学習効果を示さない。呆れるばかりの精神的視野狭窄がある。いくら問題点を指摘されようと諭されようと、聞く耳を持たず他人に責任があると逆恨みするのが彼らである」。つまり彼らは自分がいかにオカシイかが分かっていない。彼らの目には悪いのはみな他人なのだ。

そこで医者も彼らを治すことはできず、「いかに人生を逸脱させずに、無難に年をとらせていくか、を目指す」。それは「いわば刺し違いの覚悟で付き合っていくしかないのである。精神科医にとって、これほど徒労感を覚えさせられる人たちはいない。」

これを読んで思わず、ニッポンキリスト教界と同じだ、と頷いてしまった。私が言いたかったことをそのままに語ってくれている。ビョウキが当たり前で、健全な者がむしろ排除される倒錯した世界、これがニッポンキリスト教界である。最後の「刺し違い」という表現は、まさにピッタリくる。この業界とかかわるならば、少なからずこちらも傷を受けるは必定だ・・・。やれやれ。

Commented by 愛知県のさっちゃん Eメール 2006年02月15日(水)08:56

お久しぶりです。ルークさん!
人格障害というビョウキ・・のお話にはまったくうなずいてしまいました。まさに牧師も信徒も・・といった状況の中で出口がない迷路に置かれたような疲労感、徒労感を覚えます。何だろう・・このかたくなさ??まったく持って厄介な人々の集まりです。厄介な牧師が厄介な信徒にメッセージを語る。いのちが枯渇している世界。渇きが渇きを呼ぶ世界。宗教ごっこは、もううんざり。
ビョウキの人の目は輝きがない。どこか死んでいる。
思い込みの激しさ、本当に他の人の言葉は届かない。
いのちという感覚の流れとは無縁のような人々。重症だと思うのは・・わたしだけ?

疑惑の範囲

今回のライブドア事件はやはり政治と宗教と裏社会が複雑に絡む中で起きているようです。今脚光を浴びている若手政治家のA氏が狙い打ちされる可能性もありますね。検察がどこまで範囲を広げるか分かりませんが、政治家を巻き込んでの国際的な金融犯罪となり得ます。堀江氏が意図的に関係を持ったのか、あるいはそうならざるを得なかったのか、本人はあくまで否認しているようですが、相当深い闇に足を突っ込んでしまったような感じです。パンドラの箱を開けると、果たして何が出るのでしょうか?

オリンピックのドラマ

フィギュアの井上怜奈が父親を肺がんで亡くし、自身も肺がんに侵される中で、アメリカ人の無名のスケーター、ジョン・ボルドゥウィンとペアを組んでガンを克服し、ついにトリノに参加。スロー・トリプルアクセルを成功させて、予選5位で通過。ある種の感動がありますね。

結局、演技そのものよりも、もちろん演技には感動がありますが、その裏の選手の人生がグッと迫るわけです。最近の開会式や閉会式のショーアップされた様は、いかにも神抜きで人間中心の平和の演出かのように見えて、あまり好きではないのですが、それでも一人ひとりをクローズアップすると、そこには少なからぬドラマがあります。これもオリンピックの魅力でしょうか。

さて、今晩はどうなるでしょう・・・。

オリンピックとムカデ

モーグルの上村が5位、里谷は15位。原田は勘違いで200g重量が足りず失格。ああ、なんと・・・。後はフィギュアとスピードくらいか。メダルを5つと控えめの目標だったが、どうも妥当な線かもしれない。

選手のインタビューを聞いていると、大体勝てるかどうか分かってしまう。「勝つよりも楽しみたい」とか、「今回はプレッシャーもあまりない」とか言っている人はたいていうまくない。自分を見てしまっているから。フィギャアの真央ちゃんなどはただ滑るのが楽しいと言う雰囲気。自分から意識が離れている。

美空ひばりの『柔』に「勝つと思うな、思えば負けよ〜」とあるが、ポイントは自分に意識が向かないこと。心のエネルギーが自己に集中すると、体の動きのコントロールに配分されるエネルギーが損なわれる。勝負の鍵は自分から離れているかどうか。ムカデが自分の足の一本一本を気にし出したらどうなるだろうか。彼らはいのちのままに生きているから足がもつれないのだ。人間は緊張すると右手と右足を同時に出してしまうというちぐはぐに陥る。

その意味で見栄えの良い選手をクローズアップしたり、CMに起用したり、脚光を浴びせるのはまことに気の毒と思う。雅子さまと同じように、むしろ萎縮させてしまうからだ。かくしてニッポンは互いに縛りあってしまうわけ。ただ、楽しむことを許してあげたいと思うのだが。

(しかし、原田よお〜、何でだよ〜、と言いたくなった・・・)

文藝春秋の記事

今月号はなかなか面白い記事が目白押し。

愚かなり、市場原理信奉者:市場至上主義者の愚かさを論じた、数学者藤原正彦氏の論考。彼は、このサイトでも紹介したことがあるが、(数学者なのに!?)論理よりも情緒を大切にする。美しい1%の情緒が99%の論理を決めると主張されるが、市場原理至上主義も情緒を置き忘れ、獣化していると批判する。これにはまったくアーメン。ジャーヘッド化した神学オツムによる論争も同じ。口角泡を飛ばすのは、内面性の空疎さの兆候。(氏は新田次郎氏の子息であり、私は新田氏とは高校は違うが同郷。)

雅子妃、その悲痛なる決意:雅子様の病状の深刻さのレポート。これは予想を超えて深刻なようです。数日前にも指摘しましたが、秋篠宮家のオメデタは限りなく彼女の繊細な神経を傷つけますね。それにしてもマスコミの卑しい批判記事には腹が立つ。ネットで匿名に隠れて誹謗中傷が当たり前になったニッポン。人間はどこまで卑しくなれるのだろう。クリスチャンも例外ではない。

米国vsモンゴル帝国、どっちが強い:米国とモンゴルの類似性を論じた堺屋太一氏の論考。両国は徹底した報復策と物量主義と貨幣の統一によって大帝国を打ち立てるという共通性があるが、モンゴルは膨大な財政赤字とその徳の欠如によって滅びた。果たして米国の行方は?

その他:

堀江貴文、お子様資本主義の破綻
日本の常識44
辛光洙「取調べ捜査官」独占手記

などなど・・・・。760円は安いです(ちょっとCMでした)

Dr.Lukeの一言映画評-ジャー・ヘッド

朝起きると枕元にタオルが置いてあったので、何気に顔を洗って、そのタオルで顔を拭いた。ところがカミさんが、これで顔拭いたの?とあわてているので、どうして、と聞くと、やだ〜、これ、雑巾に使っていたのに・・・、と笑いこけている。小生、???、言葉を失い・・・参りました。

 * * *

90年の対イラク戦に従軍した兵士のドキュメンタリーの映画化。大学を続けることに迷った主人公がマリーンに志願し、上官のシゴキに耐えて、狙撃兵として訓練を受けてイラクに派兵される。敵の上官を狙撃する任務を帯びて、ここぞとばかり照準を定めたときに、別の隊の上官から爆撃のために狙撃の中止命令を受ける。相棒は、なぜ撃たせてくれない!と半狂乱になって抗議するも、受け入れられず、彼らは敵を一人も殺すことなく、4ヶ月の従軍で終戦。

入れ込んだことが、目的を達成することなく無駄になり、不完全燃焼の虚無感だけが残った。まあ、人を殺さなくてすんだのであるから、普通であればそれは幸いなのだが、戦争という虚無の極致では、「目的」の達成がなされないことは、さらなる虚無を生むわけ。いや、人は正否を超えて、自分が打ち込んだものを無にしたくないわけ。そこに自己の根拠があるから。いったん入れ込めば、人は間違ったことでも、むしろ空虚であればあるほど突き進む。

現在のイラクにいる兵士たちは、果たして何のために、何を守るために、自分たちがそこにいるのか、その充実感を覚えているのだろうか、と考えた。彼らばかりでなく、人は何か実質で充実していなくては、つまり生きる手ごたえを覚えないと、生きてはいけないものなのだ。昨今のオタク文化などはまさにその空虚感を埋めるためにヴァーチャルな形で補償行為なのである。戦争などはその極致であるが、人が死ぬことは悲惨なリアリティである。

しかしクリスチャンは内にキリストがいて下さる、ただそのことのゆえに生きることができる(はず)。この方が手ごたえを下さるから。

注:「ジャーヘッド」とはマリーンの独特の丸刈りヘアスタイルのことであると同時に、「空っぽのオツム」の意味もある。空疎さの象徴。

どの声に聞き従うか

何気なくサイトを開いてすでに丸7年。この3月で8年目に入る。この間、クリスチャンと称するいろいろな人と出会い、いろいろな意見や聖書解釈や実行を見聞きした。その印象を一言。病んでいる!健やかで満ち足りた自立的な信仰生活を送っている人があまりにも少ない。私にとって当たり前のことが、彼我にとっては当たり前ではなく、その逆も言える。

BBSで誰の声に聞くべきかとの問いかけがあるが、これは現在そして今後きわめて本質的な課題となる。イエスは言われた、「私の羊は私の声を聞き分けて、私に従う」と。また「何をどう聞くかによくよく注意せよ」とも。

現代の霊(アイオーン)の流れが、ひとつはメガチャーチに象徴される「パワー崇拝」と、ひとつは今回のイスラムの騒動に象徴される「狂信志向」(その対象が聖書であれ、コーランであれ、病理的には同じこと)である。そのどちらにも強烈なエネルギーを秘めた魂(自己・セルフ)が息づいている。前者には増長した自己、後者には傷ついた自己。心を病む人々は、弱いからではなく、強すぎるためであると前から指摘しているが、彼らは苦悩するほどの魂の鬱屈したエネルギーを蓄積しているのだ。傷つきやすい人は強烈な自己を秘めている。しかも自分の病の中に逃げ込んでいる。真に弱くされた人は、苦悩するエネルギーもない。

お分かりになります?「パワー崇拝」は自己を喜ばせ、自己を満足させるものであり、「狂信志向」は病んでいる自己が何かに自己のアイデンティティを置こうとする(すがりつきの病理)である。前者はアメリカを、後者はイスラムをあおる。この二つは自己の裏表、ネガとポジとも言える。世界が主の十字架によって真に弱くされるとき、真の平和(=キリストによる統治)が実現するが、世界は自己を低くし、自己を否む十字架を排除しようとする。<アメリカvsイスラム>対立の本質的なルーツは自己にある。いわゆる<勝ち組vs負け組>も同じこと。

キリスト教界でも、ヒューマニズム的キリスト教会は自分が負うべき十字架を語らない。なぜなら信徒が減るからである。彼らは信徒をつなぎとめておくためにきれいに飾られたキャンディボックスを提供する。ヒューマニズムを徹底的に批判する再建主義者も十字架を語らない。なぜなら彼らの統治は霊的パワーによるものだからだ。見かけは正反対であるが、実は共に自己に仕えている。

現在、われわれが直面している本質的な問題は、<自己vs十字架>と言える。もっと具体的にいえば、真のリバイバルは、教会が強くなることによるのではなく、真に弱くされる時、究極的には「死」を経るときに成就する。十字架は自己にとっては過酷なのだ。(自分の病の中に逃げている人をあえて十字架に導く必要もないとも最近は感じている。)

現代において聖霊が語るとき、それはイエスの声であり、主はこう言われる:

わたしに従いたい者は、自分の十字架を負って、わたしに従ってきなさい。



【蛇足】霊的弁証法として、「自己をテーゼ、十字架をアンチテーゼとし、それらをアウフヘーベンするとキリスト」って言ったら、これもバルトが論じているのか知らん(笑)

終着点

長女が管理栄養士の国試に向けて準備中なのだが、実習で学校や保健所などを回っている。で、本日は老人ホーム。帰ってきた彼女、疲労感と脱力感をにじませて一言:「へこんだあ、人間って、あんなになっちゃうんだ・・・。」

私も老人ホームの現状は知っているが、普通の神経ではちょっとまいってしまう。これは精神科病棟なども同じ。大学の福祉系の学生が1,2週間の実習から帰ってくると、たいていは自分の適性と進路について考え込んでしまう。「福祉」という単語のイメージと裏腹に、現実の厳しさに参ってしまうわけ。そんな彼らに私は「それは君が普通の人だからだよ」と声をかける。

すでに25%が60歳以上のニッポン。私たちもそろそろ老後に備え、死に際に備えなくてはならない時期に入っている。発つ鳥、後を濁さず。大勢の人を呼んでの葬儀などはまっぴら。インド像のようにひっそりと自分の死に場所を用意したいと感じている。家族だけに見取られたい。

ロシアの思惑

ハマスの政権に対して、ロシアはハマスの代表者に自国を訪問するように呼びかけているようだ。イスラエルはこれに反発。英米の反ハマス姿勢に対して、ロシアは独自の姿勢をとって、存在感と影響力を保とうとしている。どうもプーチンは元KGBだけあって、何を考えているか不気味だ。エゼキエル書のディスペンセイション的預言解釈によれば、ロシアはリビア、エチオピヤなどと同盟して、イスラエルに攻め込むわけ。今後の世界のキーワードは、イスラムに加えて、ロシアも入れる必要があろう。

【参考】バイブルカレッジ/真理の探究コース:「預言とその成就」をご参照下さい。

イスラムの脅威

どうも咳が止まらない。気管に炎症が残っているようだ。私の義兄も医師であるが、同じ症状で1ヶ月きているようで、診察の時も患者さんに気を遣って大変らしい。で、気管支を拡張するクスリを処方されたのですが、これは動悸の副作用とともに、どうも筋肉弛緩効果もあるようで、手足が震える(筋肉が疲れた時のように「笑う」)のですね。年寄りみたいに、足腰がふらつき、手の細かいコントロールができないのです。キーボードも打ち間違えてばかり・・・(パーキンソンの人たちの苦しみが少し分かるか・・・)

 * * *

ムハンマドを風刺した漫画の掲載をめぐって、デンマークにはじまったイスラムの暴動は、世界的に広がりを見せている。彼らにとっては、人間の作った憲法に基づく「表現の自由」などは一切認められず、あくまでも最高の預言者ムハンマドによる神の言葉であるコーランがすべての法律に優先するわけ。つまりムハンマドへの批判は神への冒涜となる。

信仰のない人々でも殺人や盗みは悪いことと知っているわけだが、これはローマ2:14-15にあるとおり、生まれつきの人の中にも良心として律法が書き付けられているからに他ならない。これがいわゆる自然法の根拠であり、これを明文化する時に法律ができる。対してイスラムでは、殺人や盗みが悪いのは、神の命令であるコーランが禁じているからである。が、ムハンマドを冒涜する者は、(私の大学にもそのご夫人がおられるが)、『悪魔の詩』を翻訳しただけで首を切られたI助教授のような運命を辿る。

このあたりは自然法を一切認めない再建主義と酷似している(まあ、彼らが殺人を実行することはないであろうが)。再建主義でも殺人や盗みが悪いのは、良心の問題と言うよりは、モーセ律法が禁じているからである。今、再建主義の富井氏の掲示板に、「再建主義に批判的な人の閲覧を禁じる」と大書されてあるが(自分が金を払って再建主義啓蒙のために主催しているサイトだからだそうが、ネットでこう主張されるのもいかがなものか・・・。IDの必要なClosedなBBSにでもしたらよかろうと思うが)、そう、彼の反応とイスラムの反応はそっくりである。

一方でパレスチナでは、テロ活動をしていたハマスが政権を取りそうな気配で、パレスチナ自治政府のアッバス議長と緊張関係が生まれた。イスラム勢力のパレスチナの中でも分裂が始まるようで、中東和平は危ういことになってきた。NHK「クローズアップ現代」でもレポートされていたが、ハマスは、互いに意地の張り合いになっていることは認めつつ、あくまでも問題はイスラエルの側にあると主張している。対してイスラエルは車椅子の老人であるヤシン師をミサイルで暗殺する(!)というパラノイドに陥っている。

お分かりになりますか?いずれもビョウキなのですね。これからの世界のキーワードはイスラムである。

Commented by ICHIRO 2006年02月09日(木)22:30

イスラムも再建主義も、ルークさんがよく言われる自然さを損なっているわけですね。
どちらもどんなに言葉上正しいことを主張しても、何か受け入れ難い違和感があります。
でも聖霊派あたりもベニー・ヒンだの、チョウ・ヨンギだのを、モーセ律法やコーランにしているような、、、笑

Commented by Sky URL2006年02月16日(木)20:28

こんにちは。(もう回復されたかもしれませんが・・・。)長引く咳の場合、次の漢方薬が良く効くことがあります。効く人には、かなり良く効きます。

@咳にタン(痰)を伴う場合には→「小青竜湯:ショウセイリュウトウ」
A咳にタンを伴わない場合には→「麦門冬湯:バクモンドウトウ」

私も時々処方しますが、一般にあまり副作用はありません。(漢方なので、効果が現れるまでに何日間か要することもあります。)ご回復をお祈りします。

DVDの注文のおたずね

2月6日(月)から7日(火)においてFaith03のDVDを注文された姉妹へお願いがあります。PCの不調にてメールが飛んでしまいました。住所などが不明となりましたので、再度ご注文をいただけませんでしょうか?よろしくお願いいたします。

Commented by (匿名にします) 2006年02月09日(木)20:22

お知らせありがとうございます、
再度、メールフォームから注文しました。

懸念

紀子さまが懐妊したのは、まさか避妊の失敗ではないでしょうから、秋篠宮は天皇制のあり方を意識してのことではないかと推測されますね。まして紀子さまも39歳とギリギリの線なわけですから。

で、もしこれが男児だったとすると、いや、そうではくても、雅子さまの立場はますます厳しいものとなってしまうでしょう。彼女はアイデンティティ・クライシス(私っていったい何なの?)による鬱病と推測されますから、ますます追い詰めることになります。下手をすると人前に出られなくなりますね。

カインとアベルに始まった兄弟間の確執はあの兄弟にもそれなりのものがあるようですから、なかなかこれは一筋縄ではいかない事態に立ち入りそうな感じがしております。

Y遺伝子の行くえ

秋篠宮家にコウノトリが飛来したとのこと。このタイミングで実におめでたい。男だったらこれはグッドタイミング(なんだかそんな予感がするが・・・)。天皇は万系一世、つまり男系できたわけで、私的にはぜひ守ってもらいたいと感じている。つまりY遺伝子を連綿とつなげて来たわけ。おいおい、クリスチャンが天皇制を擁護するのかと、一部の過激な人々はおっしゃるでしょうが、私たちは良心と信仰に反することを強要されない限り、どのような国体の下でも生きることができる。

一方で、一部では万系一世の天皇家にはユダヤの血が流れており、大いなる神のご計画が封印されていると説く方々もいる。確かにロマンがあるが、仮に天皇家にユダヤの血があっても、霊的にはなんら変わりはない。私たちは淡々と今得ているいのちの道を歩むだけ。もし女系を許せば、Y遺伝子が断絶するわけで、彼らにとっても困ることであろう。

Y遺伝子ははたしてどこへ向かうのだろうか?

フェイス・オフ

ジョン・ウー監督、ジョン・トラボルタ(刑事)、ニコラス・ケイジ(凶悪犯)主演の映画『フェイス・オフ』は、二人が顔を交換すると言う奇想天外な話なのだが、このたびフランスで、飼い犬に顔を食いちぎられた女性が他人の顔を移植する手術を受けたとか!?

驚きました。まさに映画そのもの。しかし顔の筋肉は顔面神経の複雑な支配を受けていますから、その神経を新しい他人の顔の筋肉に植え込むことができるのでしょうか?テレビでは現在のところ表情がないですが、リハビリをするとのこと。

再生医学の分野では、コーンからつくったコラーゲンの土台に細胞を植え込んで、骨とか、皮膚を人工的に合成できるようになっていますが、それに比例していよいよ人間の肉体も単なるモノとみなされていくのでしょう。なんとも複雑なニュースではありました。

魂を否むこと=魂の真の救い

昨日の独り言にいろいろなメールによるご意見や証をいただきました。そのひとつに「魂を否む」とはどういう意味ですか、とありました。これはよく勘違いされるところで、下手をするとクルシチャンを生み出します。「自我を十字架につけて〜」というエキセントリックな説教になるわけです。

みなさんは風邪の引き始めの状態をご存知ですね。体がかったるく、ほわ〜っとして、ある種気持ちがいいのです。この時って、普段よりも心が穏やかになりませんか?これが魂を否むことです。この時には内的精神的エネルギー(たぶん生理的現象と関係しています)が風邪のために弱くされているのです。そこで魂の中に注ぎ込まれるエネルギーのレベルが落ちているのです。これが独特の平安と安らぎを生み出します。でも魂の機能は損なわれていません。私は私ですし、好みもありますし、物事も考えていますし。パウロとヨハネの文書の味わいが違うように、それぞれの魂の形は違ってよいのです。

お分かりになりますか?魂のエネルギーが落ちること、そのときに御霊の霊のエネルギーが魂を駆動するのです。魂の機能そのものは壊れることもありませんし、むしろもっと豊かに機能します。知性はクリアにされ、感情は豊かに、意志はやわらかくなります。魂を否むとは、私がなくなったり、別人格になるわけではありません。だからパウロは、

もはや生きているのは私ではなく、キリストである。今、肉にあって生きている私は、神の子の信仰によって生きている(ガラテヤ2:20)

と証しています。生きているのは私ではないのに、肉にあって私も生きているのです!御言葉を勝手に読み込んで、勝手な解釈(特に日本人は儒教あたりの匂いが強いです)で、自ら苦しめて、ビョウキに落ちているケースがあまりにも多いのです。その一方で、その反動かのように「ありのままのあなたでよい。すべては受け入れられている」式の砂糖まぶし的ヒーリング・ミニストリーがはやっています。そこには真の十字架がありません。十字架は魂のエネルギーを霊のエネルギーに切り替える働きをするのです。

ニッポンキリスト教界=神経科?

ニッポンキリスト教という業界と関わるようになって、すでに丸7年が経過した。で、よくよく分かったことは、心に病を持つ人が実に多いと言うこと。彼らは心が弱いのではなく、実は魂の力が強すぎるわけ。欝病者なども、実に落ち込んで自己評価が低いときと、逆に増長して自己肥大を起こすときを繰り返すが、彼らの魂の中には鬱屈したエネルギーが充満している。自分でもそれを持て余すわけ。自分のことが自分で処理できない。

それから人格障害。特に自己愛性や境界領域性、そして妄想性の障害が実に多い。いわゆる教役者で、預言だの、悪霊追い出しだのに入れ込む人は、妄想性+虚言症の人が多い。信徒あたりでも、変に神学に入れ込んでいたり、霊的知識があったりすると、妄想と知識が渾然一体となってくる。

前にもちょっと書いたが、彼らはだいたい一目見ればその風貌や表情や物腰から容易に判断がつくが、彼らの特徴のひとつがすべてを自己を基準とすること。自分にとってどうか、自分をどう扱うか、自分をどう評価するか。

彼らに対して十字架を取ることや、魂を否むことを期待することはほとんど無理のようだ。ここでいわゆるヒーリングが繁盛するわけ。この業界でいかがわしい商売をしようとすれば、いくらでもできることも分かった。人は幼稚なことや馬鹿げたことにけっこう金を惜しまないからだ。自分を救うためには。

一方で見栄えのするもの、力のあるものなどの、肉を喜ばすパン種で空虚に膨れただけのところもある。いやはや、現状はリバイバルどころではありません、サバイバルなのです。ニッポンキリスト教は。

かくして私たちは、古いパン種や悪意および邪悪のパン種をもってではなく、むしろパン種の入っていない純粋さと真理とのパンでもって、祭りを祝おうではないか。

自分を知ること

老子でしたか、荘子でしたか、「自分を知り、敵を知れば、百戦危からず」と言ったのは。私たちサイエンティストはつねに自分の認識し得る能力と射程を意識しながら、物事に当たるのですね。

「学」とは、「何か」を客観的に対象化して説明することなのですが、実は物理の最前線では、この客観化がなし得ないわけです。すでに主観と客観の線引きができない領域に立ち至っているわけです。ここで前に述べたような、カオス理論や、量子力学における観測の限界を与える不完全性原理や、論理自体の限界を与えるゲーデルの不完全性公理などが発見されているわけです。

ところが神学では、すべての創造主なる神を客観化して説明しようとする!?われわれからすると何と大胆と言うか、無理なことをするものぞ、と感じるわけです。もっと言えば、ドン・キホーテ。時空間を超え、われわれの知性のフレームを超えている存在を、われわれの認識の中に収めようとしている。

神学の最も根源的な問題はですね、人間を知らないこと、なのです。デジカメで画素数がいくらかを知ることは、デジカメがリアリティをどれだけ正確に写し取ることができるか、つまりその性能を決定する最も本質的な要素でしょう?ちなみに私たちの視覚だって、すでに相当に騙されているわけ。だからマリックさんやセロさんたちが商売できるわけです。

自分を省みることができない人、自分を知らない人は、病んでいる人です。人から批判を受ける時、私は「ああ、この人の心にはこう写っているのだな」と見るわけです。つまりその人の心の平面が平面ではなく、相当に歪んでいるわけ。で、このような心から生まれる「学」ははたしてどのようなものになることでしょう。神学オツムの方々にはぜひその辺を再考していただきたいと感じている次第です。

Commented by sakurai 2006年02月05日(日)21:33

(ちょっと話が逸れますが)「自分を知ること」の重要性必要性を、私も痛感しております。自己評価がある程度できているならば、結果的に自分と他者の良心を守ることができるのではないかと思います。(もちろん主にあってですが)
また、自己評価ができるようになると、同時に他人に対しても「この人はどういう人なのか」を深く考えられるようになるのではないかと思っています。 
ルークさんは、一貫して「自己の魂を否む(自己の十字架を背負う)」ことを伝えておられます。評価ができるということは、視点を多く持っているということだと思います。自分を降ろしているかどうかということは、人を鋭く見抜く視点であり真理だと思います。
ただ・・・自分を知る時っていうのは、大失敗したり大恥をかいたりする時が多くないですか?(^^;)

Commented by Luke 2006年02月05日(日)22:31

>自分を知る時っていうのは、大失敗したり大恥をかいたりする時が多くないですか?(^^;)

おっしゃるとおりですね。私たちは自分の気になる何かには敏感でも、自分の本質的な部分については、ある意味できわめて鈍感ですから。

Commented by Luke 2006年02月07日(火)08:39

ご指摘をいただきました。これは孫子の言葉ですね。ありがとうございました。

神学という学問のレベル

神学によると宇宙は15の主権領域に分かれており、数的領域から始まって、物理的領域、生物的領域、・・・、審美的領域、信仰的領域へと展開するのだそうだ。私たちサイエンティストから見ると、何だか乱暴な意味不明の分類だなというのが実感ですね。数的領域と物理的領域を分ける???これはそもそも「数」を知らない人、また数学と物理の関係を知らない人の発想ですね(笑)

前にカルバンとアルミニウスの議論(決定論と偶然論)が無意味なものであることを指摘しましたが、やはり神学はニュートン以前と言わざるを得ないようです。これではとても自然科学者に対する弁証には成り得ません。もう少し人間の認識の限界や、認識と存在の関係などについて基礎的な勉強をしていただく必要がありましょう。

私たちからすると、神学者に、例えば原子力や医学などを任せることなどはとてもできないわけです。それはとてもコワイことであります。率直に申しまして・・・・。

Commented by 通りがかり 2006年02月05日(日)04:01

私は神学を全く知らないわけではありませんが、「神学によると宇宙は15の主権領域に分かれており」云々とは、初めて聞きました。
再建主義者をはじめ、LUKEさんの周りにいるのは、かなぁ〜り怪しい連中ばかりのような気がします。悪いウィルスに当たらないように、お祈りしてます。

Commented by Luke 2006年02月05日(日)08:04

はあ、お祈りをありがとうございます。私の「周りにいる」のではなくて、向こうから絡んでくるのですね(笑)。

そうなんですか、これって神学徒の皆様の間でも知られていないのですか?アブラハム・カイパーとか言う人の「領域主権」の概念だそうで、日本では稲垣久和氏が紹介しているようですが・・・。

私自身は神学はまったく素人でして、ただ、かじってみるとカルバンをはじめとして、相当に年代モノではあるな、と思うわけですね。人間の認識能力の性能を知らずに、自分の「思い込み」を体系化して主張しているだけのような。それでキリストの体を分裂させているわけですから。一方で高等批評とかリベラルになりますと、ほとんど霊的価値はありませんしね。

Dr.Lukeの一言映画評-ミュンヘン-

スティーブン・スピルバーグの社会派映画『ミュンヘン』。1972年9月5日、ミュンヘン・オリンピック開催中に、パレスチナゲリラによるイスラエル選手団襲撃事件が起こる。人質選手11名は全員死亡。激怒したイスラエル機密情報機関“モサド”は、秘密裏に暗殺チームを編成、首謀者11名の殺害を企てる。リーダーに任命されたアヴナーは、仲間4人とともに殺害を実行していくが、次第に自分たちの任務に疑問を感じ始めていく(以上チネッチッタの紹介文から)。

当初は娯楽ものが主体であったスピルバーグも、彼自身ユダヤ人らしいが『シンドラーのリスト』など、ユダヤ人問題による裏社会を映画化することが多くなった。ユダヤ問題はクリスチャンにとってもややこしいことになるようで、普段は理性的な人物もこのことになると感情先行型になるくらいに、ある種の霊が働くようだ。私的には関わらないほうが無難というのがこれまでの経験で得た結果。世には裏があるのだ。

ライブドアも集めた資金を手の込んだ方法であちこちに回してマネーロンダリングしていたようだが、当然に闇社会との絡みが出てくる。ホリエモンも知ってか知らずか、そのような世界と関係してしまったのだろう。あの野口氏の死も常軌を逸しているし、立花隆氏によると、地検特捜部が100名も動員する事件は10年に一度くらいのものであり、必ず政界とも絡み、かなり大掛かりな事件へと発展するであろうと予言している。

再建主義者によると国家はできる限り小さくあるべきなのだが、極論的に個人責任で犯罪などにも対応しなくてはならない世の中を考えてみてほしい。地検特捜部もなく、個人が、もっと言えば烏合の衆が、どうやってこれらの闇の犯罪に対応し得るのか。国家(たとえモーセ律法を司法適用していなくとも)があることによって、神は間接的にご自身の主権を行使しているのだ。私は大いに地検特捜部に活躍してもらいたい。

世の闇は深い。これは陰湿さと、妬みと、プライドと、自己欺瞞に満ちるニッポンキリスト教界にも言えること。あのクリスチャン議員木俣氏の事件などはかわいいものであり、現状はとてもではないが、聖なる神の霊が働ける状況ではない。霊的地検特捜部の働きがまず必要だろうと思う。

本日も・・・と思いきや

一般入試。午前2時間の試験監督。午後は16名の面接。いつもながらのワンパタン。中にはニートかつ引きこもりで、何とか自立したくて看護を志望した男性29歳という猛者も。だいたい、私たちが見ると、分裂病者や鬱病者はすぐ分かるし、対人恐怖症や引きこもりなども見当がつく。それなりの「におい」があるわけ。分かりにくいには、人格障害。これはしばらく付き合ってみないと病理が見えてこない。

その他は、まあ、いつもどおりかと思いきや、一人面白い女子がいた。看護を志望しているのだが、「その動機は」と尋ねると、「はい、祖父がむかし病気で入院して、そのときにお世話になった看護士の方が・・・」(小生の心の中で、まただよ、すばらしくって、それであこがれたんだろ・・・ところが)「祖父のことを、言うことを聞かないと張り手をしたんです。私はなんてひどい看護士なんだろって思って、こんな看護士だけにはなりたくないと思って、看護士を志望しました」。(小生心の中で、うん、座ぶとん1枚!と思いつつ・・・)「へえ、面白いね、そんな看護士がいたの?その人女性?」、「はい、そうです。」

まあね、これがネタかどうかは分かりませんが、たまにはずされるとホッとするわけで、こちらを読んでの回答だったら立派だし、真実だとしても面白いので、つい「A判定」をつけちゃいました。

キリスト業界と予備校業界

本日は一般入試。都内の某予備校を借りて、午前中2時間のテスト、午後は16名の面接と・・・。テストは丸2時間、手持ち無沙汰で、薬を飲んでいるので、ポカポカしてついうとうと。面接はいつもながらのワンパタン。試験されているのは実はこちらでして−そう忍耐のテスト・・・。

 * * *

BBSでは何だか物騒というか、「羊泥棒」なる言葉まで出てきていますが・・・。やっぱり大変ですね、このギョウカイ。自分の教会の教勢がどうのこうのとか、ごっそり引き抜いたとか、互いに相手の中傷をし合ったりとか、予備校の生徒争奪合戦みたいですよ。どうも似ているのです、ニッポンキリスト業界とニッポン予備校業界。牧師も予備校講師も共にホスト・ホステスなんですね。何とも寂しいことです。

私的には、主からの任務を下ろして、早く引退したいのですが。その日まではセルフレスな礼拝にとどまりたいわけです。しかしこれでDr.Lukeも「羊泥棒」のレッテルを貼られるのか知らん。ただでさえ、悪評判が多いというのに・・・涙。

Commented by 通りすがり 2006年02月02日(木)17:37

ニッポンキリスト教の輝かしい「VIPクラブ」の看板、「正義のモンスター」こと民主党木俣議員がホステスに暴力行為で書類送検だそうです。前の秘書給与疑惑事件では逃げたのですけどね(自分の奥様を秘書としていた)。

Commented by Luke 2006年02月02日(木)21:45

う〜ん、ニュースでもやっていましたね。まあ、VIPクラブもその参加活動の動機において、主の査定を受ける時が来ることでしょう。

長引いています

どうも気管の炎症が取れませんで,しゃべろうとすると咳き込むありさま。冷たい空気が沁みます。もともと気管支が弱く,ドッグでは必ずスバイロメーターでひっかかるのですね。要するに換気能が低いわけ。まあ,ぽつぽつといきましょう。

BBSでは「尋問された」とか,なんだかこわいことになっているようですね。一体信徒は誰のものなのでしょう。牧師先生の所有物?アブソリュートリー・ノー!イエスの羊でありましょう。そのあたりを勘違いしている御仁が多いのです。

私のメッセージを聞くと,ひとりひとりが目覚めてしまうので,そのような先生には都合が悪いのでしょう。「起こさず・眠らさず,(自分に対して)従順に・・・」の呼吸で牧するわけです。これから生まれる「リバイバル」って果たしてどんなものだと思いますか?どこか病んでいるのですね,このギョウカイ。

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2006年02月01日(水)22:17

今度のインフルエンザは長引くようです。そうですね、一人一人が自立しないといけませんね。牧師ばかりが悪いのではなく、丸投げする信徒にも問題があるのでは?

Commented by 外科医 URL2006年02月01日(水)22:40

こんばんは.お見舞い申し上げます.長引く風邪には、西洋薬より、漢方の「竹筎温胆湯」(ちくじょうんたんとう)が良く効きます.騙す心算はありませんので是非お試し下さい.処方箋なしで購入出来ます.咽喉の違和感のみが続く場合は、「半夏厚朴湯」(はんげこうぼくとう)も悪くありません.