2004年01月16日

青い鳥はどこに?

家内と本牧のマイカルで映画を観て来た。題して『ミッシェル・バリヨン』。レーサーの家族を描くサスペンス調フランス映画である。フランス映画はフェデリコ・フェリーニ の『道』などのように淡々とした場面展開が特徴である。『道』は高校時代に見て、その白黒の場面の世界に何とも言えない感覚を覚えたものだ。黒澤の『羅生門』にも通じるかな?これでもか、これどもかというハリウッドに比べてカゲキなストーリー展開や場面があまりなく、平板に話が進む。しかし一応最後にはカタルシスを得られる仕掛けにはなっていた。

さて、さて、日本人にとっては外国はアメリカであり、この世も教界もアメリカへ外遊してくると箔がつくわけ。メディアもひたすらアメリカの流行のおっかけ。何とも自分の浅薄さを証明しているだけである。私はアメリカとはニール・アンダーソンと少し関わりがあるが、他はまったくコネはない。前にも書いたが、アメリカの"油注がれた器"たちから按手だ預言だを受けたと騒いでいる人たちは、どうも理解しがたい。

私はもっぱら英国であり、ヨーロッパである。それもルーツは19世紀にある。フランスのガイオン夫人、オランダのアンドリュー・マーレー、ウイリアム・ロウ、英国のJ.N.ダービー、オースティン・スパークスなどなど。現代でも例えばスウェーデンにはウルフ・エクマンというパワフルな器がいるが、日本ではほとんど知られていない。彼は台湾ではカンファレンスを開いているのであるが。

英国はまあビートルズはともかくとして、最近では映画や音楽などもあまり日本では流行らない。(そういえば、きょう何とかいうTV番組のBGMにメリー・ホプキンの"Let My Name Be Sorrow"が使われていて驚いたが。)アメリカの神学校で箔をつけたお人は、そのことによらず、ぜひ自らの霊性を深めていただきたい。<アメリカで学んできたヒト=すごいヒト>−この刷り込みによるこのような権威付けのパタンからそろそろ卒業しませんかね。

かくしてニッポンキリスト教はどうもアメリカ発のやばい目の器の御託宣をいただき、彼らのオッカケと化し、自らの足元を忘れている。あるいはキムチパワーの韓国系のカゲキな人たちに散々に消耗させられている感じ(ある人は文字通り命まで危なかったケースがある)。もっと落ち着いた霊性のあり方を深め、内なるキリストに焦点をおいて、淡々と、しかし着実な歩みをしませんか?フランス映画のように。チルチルミチルの青い鳥はどこにいましたか?私たちの内にいます方、キリスト・イエス−栄光の望みです。リバイバルとはこの方を見出し、この方に生きていただくことに他なりません。