2004年05月25日

他人任せからの卒業

今回帰国された拉致被害者の子供さんたちは、上から「日本に行って親に会って来い」と命令されてきたという。驚きますね、ここまで自分の意志を持たせられていないとは!?

彼らはこれから日本に永住するかどうかも不明であるとのこと。彼らの「わが国」は北なのである。どのように自分の意志に目覚めさせるか、相当の時間とテクが必要である。そして最後は愛情。北には愛はない。これが最後の砦でしょう。

しかしですね、あまり人事でもありません。ニッポンキリスト教徒と話していると、○○先生はこう言った、○○という本にはこう書いてある・・・等など。私はつい「あなたはどうなの!」と声を荒げたくなる。

私の元に来られる方には私は必ず意地悪な(?)質問をする:「あなたは私に何を期待しているのですか。私が何を語り、何をすればあなたの心は満足するのですか」と。で、しばしばそれが分かっていない人がほとんどである。最近の学生も何が分かっていないか分からないで質問に来る者が多い。

自分で考えている者は、自分の問題が明確に把握できている。実は自分の問題が明確化すれば、問題は80%解けている。クリスチャン生活は絶えず問題を抱え、それを通して主と関わり持つことが大切。

問題のない人の顔は締りのないダラケタ顔になる。今、刑事の特集番組をやっているが、彼らの顔は実に苦みばしったキリっとしたイイ顔である。「あなたは神のVIP」とか「そのままのあなたがオンリーワン」といった砂糖まぶしの顔ではない。綿飴クリスチャンは止めにしよう。

問題と苦難は私たちに必要なのである。素祭には砂糖や蜂蜜は禁止、むしろ塩で味付けをする。主は「あなたは私に従え」と言われた。それは苦味と塩によって引き立つ甘さに満ちた一対一の関係である。御言葉は口に甘く、腹に苦いのである(黙示録10:9)。