2006年08月08日

家を建てるということ

阿武隈の山の中に生息する人たちの特徴は既成の価値観を脱していること。たとえば、私たちの家に対する価値観は、入れ物としての立派な家を手に入れれば、その中で幸せな家族生活、そして人生を送ることができる、というもの。よって立派な家を手に入れるために金を得ることに邁進するのだが、しばしば金を得ることが自己目的化して、その間に家族の絆が切れている。ようやく家を手に入れたら、その時には家族がバラバラ。

阿武隈の人たちは違う。彼らは家を建てつつ生きることを楽しんでいる。家を自分で建てること自体が自分の生の一部なのだ。それは自分の身の丈にあった家。必要が生じれば、廃材を拾ってはあちこち直しつつ、家が徐々に姿を変えていく。だから彼らにとって完成はないし、完成の暁に入居して、それから生活を始めるという意識もない。
... 続きを読む

Commented by ブヒ Eメール 2006年08月08日(火)10:00

ルークさん、おはようございます!!

>神は私たちのような役に立たない廃材を拾って下さり

本当にアーメン!!感謝です!! 
この一言で朝から涙があふれてきました!!
主の愛はなんと深いことでしょう!!
ただただ感謝しかありません。。。!!

Commented by 愛知県のさっちゃん 2006年08月09日(水)08:34

>会堂などは借りればよろしい。パウロ自身がローマの借家で福音を伝えているではないか

ルークさん、おはようございます!

まったく持って同感です。会堂改築費を多額に毎月献金から積み立て。無理な積み立ては、当然毎月の経費の赤字を生む。牧師館付きの豪勢な建物を夢見る牧師と信徒の姿。

>入れ物としての立派な家を手に入れれば、その中で幸せな家族生活、そして人生を送ることができる

・・ごとく、りっぱな?会堂を手にすることは牧師や信徒の誇り、しいては良き証になる???と思い込んでいる。

「この宮が廃墟となっているのにあなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。・今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。」
ハガイ1:4〜 ・・・と。


耳あるものは聞きなさい、といわれる主の御言葉を噛み締めています。

これは深い

事件が起きた頃から鈴香容疑者は一筋縄では行かないことを指摘したが、この人のビョウキは相当に深い。自供を一転否認に変わったようだ(→記事)。どうもサイコパスと言った方が良いかもしれない。DSM-VIでは「反社会性人格障害」とか「境界性人格障害」など、用語を無色化するので実感が伴わないが、私的には実感の伴う昔の用語を使いたいのだ。警察がどのように彼女を追い詰め、どのような展開になるか、これはかなり興味をかきたてられる。