2006年08月30日

人を動かすもの-ミーム-

ここで紹介されたベニーヒン・ビデオを御覧になって、どうしてこんな人物に酔う人々が多いのかと不思議に思われた方も多いと思います。実は精神病理で「フォリ・ア・ドゥ(folie a deux)」と言う病気があります。直訳すると「二人狂い」。別名「感応精神病」とも言われ、簡単に言えば、ひとりの病気(妄想など)が他の人へと伝染するわけです。「三人狂い」ならば「フォリ・ア・トロア(folie a trois)」と・・・。かくしてこのような妄想などの病理を共有する集団が出来上がるわけです。

この媒介をするのが「ミーム(meme)」と言われるもの。オックスフォードの生物学者リチャード・ドーキンスが80年代に提案した概念で、一言で言えば、「思いの遺伝子」(もちろん物理的な存在ではありません)。ドーキンスによると、心の中の情報単位であり、その複製が他人の心の中にも作られ様々な事件に影響を及ぼしてゆくもの。病気の人たちの間での妄想共有ばかりではなく、カルトでの共同幻想・妄想や、世の中の噂話や流行、世論の形成など、このミームが飛び交うことによってあるひとつの流れが形成されていくわけ。
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Commented by kenji 2006年08月30日(水)23:17

実は、私は以前BH師のおっかけをやっておりました。
むろん彼の著書、ビデオ、テープの熱心なコレクターでもありましたが、唯一不満だったことは、彼の祈りによって卒倒しなかったことです^^
なぜ彼らは卒倒するのでしょうか?やはり気の力によるものなのでしょうか?

Commented by Luke 2006年08月31日(木)07:00

そうですか。kenjiさまは、多分ミームに感染していなかったのでしょう^^幸いでしたね。

卒倒する理由は、そうですね、集団心理をうまく利用しているのでしょう。ミームを上手にばらまくのですね。人の心は容易に操られるものですから。

Commented by kawa 2006年08月31日(木)10:41

信仰の行いで、何かに成功したか、勝利したかよりは、キリストと友になれたことのほうが、ずっと人生が豊かになった。キリストは合図(「日々の喜び」)をくれて、事の判断基準になってくださり、道になってくれた。

  『誰でも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 私を信じる者は、聖書が言っているとおりに、心の奥底から、生ける水の川々(キリストの御霊)が流れ出る。』

このことばで群衆にキリスト、反キリストで分裂が起こった。KFCが少数派とよばれようが、キリストからの驚くほどの強い喜びがあったので、KFCに集うことは主の御心でした。狭き門より入れですネ。

Commented by ICHIRO 2006年08月31日(木)21:53

このフォリ・ア・ドゥですか、
キリスト教界の中ではかなり多いと思います。
私の周りでも牧師に傷つけられたとか言って、
被害者集団がすぐにできますし、
あの人、この人のうわさ話がたちまち飛び交いますし、
閉鎖社会であればあるほど、病的になるのではないかと愚考しますが。
前にルークさんが言っておられた、言霊とも関係あるかな?

Commented by Luke 2006年08月31日(木)22:27

おっしゃるとおりです。ウイルスが閉鎖空間で感染するのと同様ですね。ニッポンキリスト教の閉鎖性は言うまでもありません。ビョウキの人を次々に製造していますから。医者が患者のウイルスを拾って被害を受けることもあるのと同じことが起きるわけです。それから「ミーム」は日本的には「言霊」と言っていいかもしれません。

Commented by ひろこ 2006年09月02日(土)10:05

 初めてBH師に連れて行っていただいたときは、あのすばらしい賛美を大勢の方々と「我が魂・・・」と歌う響きに魅せられ、キリストに心引かれたことをおもいだします。
 なんだか違う方向に行っていることが悲しくさびしい。もちろんKFCにこなかったらわからなかった。主の導きに感謝。

Commented by kenji 2006年09月02日(土)17:54

ひろこさま はじめまして^^
BHの唯一の功績は、ニッポンキリスト協会に聖霊がご人格をもたれた方であると大々的に紹介してくれたことだと思います。(彼の著書:「聖霊様おはようございます」)
それで○コーシュも儲けたはずです^^

高専女子学生殺人事件

おそらくこの少年、彼女を独占したかったのではないだろうか。両親は「太陽みたいな子だった」と言っているが、この少年にとっては眩しくて手が届かなかったのだろう、この手段を取る以外には。保護する必要がある。

Commented by Luke 2006年08月30日(水)19:51

あるいは(被害者自身は意識しなくても)彼の全人格を否定する(彼自身がそう感知し得る)言葉または振る舞いがあったのかもしれません。前に町田で同様の事件がありましたが。
http://www.kingdomfellowship.com/cgi-bin/blog/index.cgi?no=1123

切ないことです

酒酔いの暴走車に追突されて海に転落。3人の子供を失ったご夫婦の様子に違和感を覚えた人も多いと思う。奥さんが「子供たちは写真の中に入っただけで、前と何も変わっていない・・・」と、笑顔でいる姿。そう、彼女にとってはまだ子供は生きているのだ。

おそらく彼女の中では否定(事実を認めない)と分離(感情を切り離す)が行われているのだろう。こういった被害者がよく口にする言葉は「実感が湧かない」というもの。心が壊れてしまうような感情が湧きあがる場面ではこの感情を置き去りにする。そしてこの置き去りにされた感情が深いほど、心の癒しには時間がかかる。

今後、このご夫婦がその事実に直面し、その感情を折々に経験しつつ、その事実を自我の一部として統合し得るときに真の癒しとなるが、それまでの道のりを思うと気が遠くなる感じを覚える。一方の加害者も普段は悪い人ではないのだろうが、こうなると極悪人扱いされ、彼の両親もこの事実を生涯負わなくてはならない。こちらも厳しい。むしろ彼の両親が自殺などの形にならないように配慮する必要があろう。

酒と車・・・。そしてそのタイミング。何とも言葉がない。