2004年03月11日

人生はトコロテンだ

長男の中学の卒業式があった。彼も無事卒業でき、行き先も決まりと、とりあえず一息です。昨年は長女の高校卒業と大学入学、来年は次女のと・・・。

式の間中、彼の育ついろいろな過程が脳裏に去来していました。中でも、彼は1歳半で川崎病(急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群)に罹ったのですね。これは原因不明の難病でして、免疫系の疾患ですが、手遅れになると心臓の冠動脈に炎症によるコブができて、血液がつまり、心筋梗塞を合併して死に至ることもあります。

開業医は見逃していたのですが、私が気が付き、幸い早い段階でγ-グロブリンの大量投与によって後遺症も残らず完治しました。しかし、一時はもうダメかと思える場面もあったのですが、家内と共に祈ると、主の御手に抱かれた彼の幻が見え、私たちも聖い白いベールで包まるかのように平安で包まれて守られました。今もはっきり覚えていますが、素晴らしかったですね。この時に彼を主にお捧げしたのです。

いつも思うのですが、人生は結局トコロテンです。ベルトコンベアといった方がよいでしょうか。こうやって人生の節目をひとつひとつ経過するうちに、ついにはお墓となるわけで・・・(私の墓は南向きの日当たりの良い斜面です)。クリスチャンにはその先の栄光があるわけですが、地上は寄留者生活です。「芸人は芸をあの世にもってっちまう」が、クリスチャンは地上において経験した主の麗しさ、素晴らしさを持って行き、そのお方に直接まみえることができるわけです。大いなる希望があります。

私も地上での責務を果たしたら、すうっと主の元に召されたいですね。見苦しく長居はしたくありません。夫として、父親として、いろいろな事を通して、もう十分に人生を楽しませていただきましたから。禅の高僧には「もう浮世狂言止めた」と言って自ら食を絶ち、眠るようにきれいに大往生する者もいます。いいですね、「浮世狂言止めた」という台詞。

主と共に刻む時だけが永遠の価値があるのです。