2004年03月16日

偶像化の回避−人間性を享受する−

この日記もいろいろとご意見をいただいています。私自身のことをここにいわば"晒す"わけですが、これにはひとつの意味があります。それは偶像化を避けるためです。前に少し言いましたが、ホームページを開設し、本も書き、ビデオやテープを出していますと、それを通してDr.ルークのイメージが一人歩きを始めてしまうのですね。

ある種のカリスマ的神秘性を保とうとする人々はほとんど自分のプライベートは公開しないのが鉄則で(例えば、高倉健みたいに)、これは宗教家がよくやることですが、これでは本当の意味での主にある兄弟姉妹の交わりが成立しません。私はこのようなイメージが出来上がるのはむしろ避けたいわけですね。よって昨日のような赤裸々な報告もしているわけです。

聖霊派ではどうもこのような神秘的カリスマ性で売る御仁もいるようで、彼らはある種の霊的超能力というか霊能力を"売り"にしています。透視ができたり、予言ができたり、読心術ができたり、癒しができたり・・・と、何だか「テレビの力」に出てくる霊能力捜査官や心霊治療家みたいな人々がたくさんいるようです。しかし私はこのような傾向には明確にオブジェクションを唱えています。

「霊的になる」あるいは「聖化される」ということは、一言で言えば「人間になる」ことです。素の人間として、神がイエスの人間性において回復し栄光化して下さった人間性を着て、人間であることを享受するのです。神が意図された人間性の究極を極めるのです。

イエスが地上におられる時、彼はどんな人間生活を送られたと思いますか。それは父なる神とのひとつを究極の経験、神との一体感をその人間性において極めた人生だったのです。それがどれほどに豊かであるか想像できますか?私たちは単に罪赦されて天国行きの切符をもらっただけではないのです。この回復され、栄光化された人間性を享受するのです。

神は霊能力者になったのではなく、人になったのです。そして神は人のうちに臨在されるのです。この受肉と臨在の奥義を究めること、これが私の究極の願いです。人であること−何と祝福され、素晴らしいことでしょう!人として生きること、何と豊かな、エンジョイに満ちる経験でしょう!インマヌエルが共にいますからです。

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