* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
「白い巨塔」が終わりました。あえて感想は書かないでおきましょう。
昨今の軽薄な視聴率を気にするドラマが多い中で、こういったしっかりしたモノがいい視聴率をマークすることは歓迎されるべきです。
教会も同じです。しっかりしたシナリオによるサービスを提供すること。時には十字架の痛みをも避けないこと。今のお互いにヨイショでは軽薄なドラマよりもはるかに悪い。
メスではなく十字架のキレの良いメッセージが必要です。それにしても、いつから現状のようになってしまったのか・・・。
山崎豊子の『大地の子』もよかった。次の作品『沈まぬ太陽』などのドラマ化を期待したい。ドラマも教会もオトナの鑑賞に耐える作品が切にほしい。
ブラザー・ローレンスの『敬虔な生涯』は救われた頃、1行読んで祈り、また1行祈って読むという具合に、その甘さに浸りつつ何時間もエンジョイしたものです。
当時(80年代前半)は書店にある霊的書物も、アンドリュー・マーレーやスポルジョンなどの古典がほとんどでしたが、いつからか(90年代前半?)聖霊様物や、預言・しるし・不思議、悪霊追い出し物、霊的超能力系が目に付くようになりました。一方で「あなたはオンリーワン・そのままのあなたが高価で尊い」的な物が出回り始めました。
私はそのころからほとんどキリスト教書店に出向くこともなくなりました。それらの本を見るだけで、「ウルサイ」と感じられるのです。ほとんどは霊的なジャンクであって、麗しい油塗りもなければ、深い霊性も感じられません。
そのようなわけで私は昨今の流行にはほとんどウトイですし、あえて積極的情報遮断を実行しています。"聖会"にも出たことは一度もありませんし、アメリカ産の"油注ぎの器"も別に関わりを持つ必要を覚えません。最も油注がれた方が私のうちにおられるのです!
実は真に読むべき本や、知るべき知識はさほど多くはありません。もっとも本質的なエッセンスさえつかめば、何が本物で、何が嘘かは容易に判別できます。
現在、80年代に集めておいた古典が入手困難であり、きわめて貴重になっています。ネットにはクラシックのアーカイブもありますが、本には本の味わいがあります。
ローレンスの達し得た境地にますます憧れます。人間性における日常の生活の中において濃厚な臨在に与ることができる特権−これが祭司なるクリスチャンの特権です。再掲します:
主よ、あなたの家の大庭にいる1日は千日に勝ります。私はただひとつのことを主に願った。あなたの大庭にいてあなたの麗しさをたずね極めることを・・・
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これを書いたあと、ふと思ったのですが、聖霊派の皆様はブラザー・ローレンスといっても「何それ?」なんでしょうかね?