2004年03月27日

熟成される-コクとマロミを醸す-

いかりや長さんの告別式には1万人のファンが集合した。あの低俗番組と悪名高き長さんの告別式にである。私は正直言えば、ある種の喪失感を覚えている。彼の"味"に慣れ親しんだためであろう。

ウイスキーやワインにせよ、味噌や醤油にせよ、"寝かす"ことが大切である。こうしてコクやマロミが生まれる。熟成である。

昨今のクリスチャンはあまりにもこの熟成がない。エタノールにフレーバをいれ、色をつけ、ガシャガシャとカクテルしたような浅薄さを覚えることを禁じ得ない。

イエスはあの3年半のミニストリーに備えるために、30年の淡々として人間生活を送られた。神が人なる彼をじっくりと熟成させるためであった。徴だ不思議だを目の色を変えて求める聖霊派諸氏よ、よく心されよ。イエスの熟成の30年を思うべきであろう。

熟成したクリスチャン。長さんはこの世的に練られ、あの味を醸した。われわれは大いなるワザをなすことを求める前に(しばしばそれは野心に過ぎない)、主のみ手によってじっくり練り上げられ、コクとマロミを熟成される必要がある。これがキリストの香りを放つ。

美味いクリスチャンとなるべきである。