* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
がやっと動き出しました。これはメールマガジンではありませんので、ただお待ちくださっても何も届きません^^ぜひ積極的に、ご遠慮なくご参加下さい。
現在は、「霊と魂」についての意見交換がなされております。
また邦人の犠牲者が出ました。ブッシュの愚かさのために。6月の主権委譲はほとんど困難でしょう。
しかし今回のお二人は立派です。特に奥様の会見にある種の感動を覚えています。すでに覚悟していた、と。
死に臨んでどこまで潔く逝けるか。これは私の大きなテーマです。よりよく生きるのではなく、よりよく死ぬために生きること。
私は既に墓も用意してありますし、先週のMSGでも話しましたが、今召されても残された家族が路頭に迷うことのない手立ては立ててあります。しかし、パウロのように主の元にいければ幸いですが、まだ地上での責務があるようです。
前に禅僧の大往生のことを書きましたが、生死を越えた彼らの生き方には圧倒されます。「浮世狂言止めた」―格好いいです。
そうそう、私の好きな大石蔵之助も詠んでいます:
あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる
浮世の月に 懸かる雲なし
先週に続き家内とまたマイカル本牧でレイトショーを観てきました。地球環境問題が深刻になり、南極の氷が解けて海流が変わり、氷河期に入ると言うものです。NYに取り残された息子のために、気象学者の父親が命を賭して救助に行く一方で、息子は父を信じ続けると言うアメリカ的人情物語でした(私は実は結構このパタンは好きなのです)。SFXもそれなりに楽しめました。
映画はその時間をアタマをアイドリングできるので、実に快適なアタマ休めになるのですね。また夏(まだ早いですが)の夜は何となく車で横浜の山下公園あたりをドライブするのが好きでして、若者に混じって公園をブラブラするのもいいものです。休みがない最近の息抜きの一コマです。
まず、カレッジのテープは現在注文が殺到し、処理が遅れています。お待ちいただいている方々にはご了承をおねがいします。
* * *
コフートという精神分析学者がいる(いた)。彼は、フロイトが克服すべき病理として指摘した自己愛(ナルシシズム)をむしろ積極的に受け入れて、互いの自己愛を認め合うことを提唱している。これは日本的に言えば、互いの甘えを積極的に認め合って、受容していこうと言うことになる。
現代のアメリカでは結構流行している考え方である。競争社会では自分の身の置き所がなくなるように感じてアイデンティティ・クライシスに落ちる人が多いからであろう。ちなみに日本の企業もいわゆるリストラで合理化を図るアメリカタイプの企業よりは、終身雇用を守る企業の方が業績が回復していると言う。私はニッポンの社会はアングロサクソン的な弱肉強食は耐えられないであろうと考えているが、その実証でもある。
日本はかつは藩(殿様)が人生の面倒を見てくれて、粗相がなければ生涯が保証された。明治維新以降は天皇であったり、企業がその役割りを果たし、高度成長期も一生を企業にあずけるサラリーマンによって成し遂げられた。ここに企業がある意味で人生の"母親"の役割を果たしており、甘えが潤滑油となっていたわけである。
90年代に入りバブル崩壊と共に、過酷なリストラにより人生の糧ばかりか、自分を否定されて自殺者が年間3万人を超えている。一方で目的を見失ったフリーターが417万、ニートだったかな、要するに親に寄生している者が63万人(10年前の1.6倍)、引きこもりが100万人、失業者数370万人。これがニッポンの現状だ。効率だけを追求し、人の価値を金で計ってきたその結果である。
現在真の意味で個人の価値を回復する必要があるし、良い意味での自己愛を認める必要もある。主は「自分を愛するように人を愛せよ」と言われた。自分を愛することができない人は、実は他人を愛することができない。しかし、だからと言って、現在のニッポンキリスト教におけるオンリーワン的流行は偽りである。なぜか・・・。
そこに十字架がないからである。主はまた言われた、「自分を否み、自分の十字架を負ってわたしに従え。自分の魂を救おうとする者はそれを失い、失う者は得る」と。これをメッセージする人が今日ほとんどいない。むしろそのようなことを語ればただちにカルトのレッテルを貼られる。
しかし、真理は自分を救う者は自分の魂を失った者であり、自分を愛する者は自分を否んだ者である。真理はしばしばこのような逆説に満ちている。そしてこの逆説を解くのが十字架である。十字架を経ずして、自己愛の受容を唱えるから、現在の教界の様を生んでいる。今、真に必要なのは、総ての不条理を解く十字架の経験の回復である。
休みがないぞ・・・、6月10日まで。
今日の「いい旅」観ていたら、そろそろまた温泉に行きたくなってきた・・・。
温泉をニンジンとしてぶら下げて、さあ、走れ!
と、気合を入れております。
あなたがたは霊が燃えていても、体が弱いのである。
しかし
御霊は私たちの死ぬべき体にもいのちを与えてくださる
のです。
今回帰国された拉致被害者の子供さんたちは、上から「日本に行って親に会って来い」と命令されてきたという。驚きますね、ここまで自分の意志を持たせられていないとは!?
彼らはこれから日本に永住するかどうかも不明であるとのこと。彼らの「わが国」は北なのである。どのように自分の意志に目覚めさせるか、相当の時間とテクが必要である。そして最後は愛情。北には愛はない。これが最後の砦でしょう。
しかしですね、あまり人事でもありません。ニッポンキリスト教徒と話していると、○○先生はこう言った、○○という本にはこう書いてある・・・等など。私はつい「あなたはどうなの!」と声を荒げたくなる。
私の元に来られる方には私は必ず意地悪な(?)質問をする:「あなたは私に何を期待しているのですか。私が何を語り、何をすればあなたの心は満足するのですか」と。で、しばしばそれが分かっていない人がほとんどである。最近の学生も何が分かっていないか分からないで質問に来る者が多い。
自分で考えている者は、自分の問題が明確に把握できている。実は自分の問題が明確化すれば、問題は80%解けている。クリスチャン生活は絶えず問題を抱え、それを通して主と関わり持つことが大切。
問題のない人の顔は締りのないダラケタ顔になる。今、刑事の特集番組をやっているが、彼らの顔は実に苦みばしったキリっとしたイイ顔である。「あなたは神のVIP」とか「そのままのあなたがオンリーワン」といった砂糖まぶしの顔ではない。綿飴クリスチャンは止めにしよう。
問題と苦難は私たちに必要なのである。素祭には砂糖や蜂蜜は禁止、むしろ塩で味付けをする。主は「あなたは私に従え」と言われた。それは苦味と塩によって引き立つ甘さに満ちた一対一の関係である。御言葉は口に甘く、腹に苦いのである(黙示録10:9)。
昨日のMSGでもお勧めしましたが、これはイイです。リベラルの人の訳ですが、原語に正確に訳されており、変な意訳を入れていません。
例えば、聖霊理解について本質的なヨハネ7:39「霊はまだ"なかった"」。神の霊は父、子と区別され永遠にいますが、なぜここには「なかった」とあるのか。「注がれていなかった」は意訳であり、これから聖霊派の間違った聖霊理解が生まれる。解答はこちらに:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity11-3.html
また聖霊派が強迫観念のように油注ぎを求めたり、預言だなんだに狂騒する理由は、1ヨハネ2:27の間違った訳のため。ここは「注ぎの油」ではなく、「塗油」である。私たちの内なるいのちとしています御霊の油塗りにとどまるとき、ベニー・ヒンなどは自分と何らの関わりもない。詳しくは:
http://www.kingdomfellowship.com/Topics/Anointing.html
私はいつも言っているが、日本語で真理を考えるならば罠に落ちる。かくして、ニッポン語世界における閉鎖的な論理空間で、ニッポンキリスト教神学ができる。これはヴァーチャルリアリティである。これによって束縛されている人々がいかに多いことか。一人ひとりがせめて英訳あるいはインタリニアを参照しつつ、自ら真理を吟味し獲得する姿勢を得て欲しい、あなた任せにせずに。
ベレヤ人になりましょう。
昨晩は「トロイ」をレイトショーで観て来ました。単純でスカッとカタルシスのできる作品でした。ブラピが見事にマッチョになっていましたが、最近サボっていた私も、ちょっと気合を入れて筋トレを再開しようかと、モチベーションをもらいましいた^^
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キムさんはやはり頭がいいですね。ジェンキンスさんの意向を尊重するという形で彼とお子さんは帰国せず、不明の10名については調査するということで、とりあえず5名だけを返し、その見返りとして食料と医療援助を約束させています。
被害者家族会は案の定、内部が分裂気味。その不満を目一杯小泉さんにぶつけています。結局、まさに人質の運命を盾に、日本からいただくものをいただこうとする策です。家族会の皆様にはここはぐっと堪えて、自重していただきたい。そうでないとキムさんペースにはまるだけです。
子供さんたちはこれからが大変です。カルトのMCのDeprogramingの過程を経る必要があるからだ。これについては次を参照:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity12.html
精神保健学の講義が終わると、学生が近寄って来た。何かの質問かと思っていたら、彼が一言、「あのぅ〜、これが落ちてました」。見ると、なんと、小生の給与明細書。一瞬動揺しつつも、悟られないように、「あれ、どこに落ちていたの?」と小生。「エレベーターの中です。」・・・。やれやれ。袋の上から透けて見えなかったろうな、と一抹の不安を覚えつつも、「ありがとう」・・・冷や汗でした。
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皇太子は帰国早々長官と面会する予定とのこと。キャリアと人格の否定発言はかなり深刻な尾を引きそう。雅子様もこれでますます立場が不安定になるでしょうに。
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あすの小泉氏はどこまでできるか。期待と不安が入り混じります。
いよいよ小泉氏の訪朝が間近に迫った。多分山崎さんたちの"下ごしらえ"でそれなりの成果はあるだろう、が、今回の問題は拉致被害者会の中が必ずしも一枚岩ではないこと。特に今回の成果で帰る人々の家族と、いぜんとして行方も分からない人の家族との間で葛藤を抱えている。金さんはここを巧みに突いてくる可能性がある。
実はこういった活動の場合の弱点がこの内部からの軋みである。前に書いた私たちの裁判闘争は8年に及んだが、勝利し得た鍵は、それぞれの利害関係は異なり、必ずしもベクトルが同じ向きではなかったが、最後まで一枚岩であれたため。これは実に見事であった。
ひるがえってニッポンキリスト教はどうであろう。主は「あなたがたがひとつであるように。それによって世が御父と御子を知るためである」と祈ってくださった(ヨハネ17章)。リバイバルの鍵は実は金歯金粉でもなく、悪霊追い出しでもなく、大リバイバルの"大預言"でもなく、"油注がれた器"の活躍にもよらない。クリスチャンがひとつであることによる。
敵の策略はお分かりであろう、金さんと同じ手を使っているのである。目先のものを追っかけることにより、内部からこのひとつを壊し、ここから私たちを逸脱させることである。
「私たちは敵の策略に対して無知であってはならない」
とあるとおりである。
世界で起こることの裏には、敵の策略があります。仕掛け人は自らを隠すことがその企みを成功させる鍵です。もちろんそれすらも神は用いることがおできになります。
私たちは見かけで判断することなく、あらゆる真理に導く内なる御霊に頼り、霊によって判断すべきです。霊の人はすべてを判断します(1コリント2:15)。
しかし面白いのですが、サタンは完全に自分を隠すことはできないのですね。その自己顕示欲のためです。自分を世に現すとか、人からの評判を得るとか、自分を売り込むとか、彼の好きなパフォーマンスです。
いろいろな流行や、流れや、事態から一歩退いて、しらけた目で見ることも必要です。
今回の問題の裏には誰がいるのでしょう。某裏情報筋では政府関係者が情報をリークした者を探し、すでに特定できているとのこと。
つまりこの手の情報を意図的に漏らしているスジがいるのです。例の外務省を敵に回して塀の中に行かれた政治家もその犠牲者とも言えますが、要するに官僚です。
年金積立金もお手盛りで使われて、相当に原資が減少しているようですし、もしこの官僚のしていることが炙り出されれば、背任罪や横領罪も成立するでしょう。
それにしても政治家は落し所を見失って、互いにもぐら叩きに終始し、マスコミもそれを煽って、問題の本質が逸れているようですが。いやあ、東大法学部卒のキャリア官僚は頭がいいですよ、実に。
* * *
一方で例の首切り事件も、どうも法医学者の鑑定によれば、すでに死んでいたらしいです。私も怖いもの見たさでネットで見てみましたが、もし生きていれば、血が1、2mも吹き上がります。この事件にも裏がありそうですね。真実がどこにあるのか、ますます混沌としてきました。
もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、
「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。
そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。
そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。―コロサイ2:20-23
BBSにアルコールの質問がありましたが、これってあまり聖書の真理とは関係がありません。よって私が教えるべきものでも、教えられるべきものでもないのですね、本来。クリスチャンが酒を飲んでいいのか、悪いのか、私は正直言えば、勝手にしたら、です。
聖霊派の一部では、デズニーランドはサタンの国であるとか、修学旅行で奈良や京都に行って寺を見たりすると悪霊に取り憑かれるとか・・・。一言、ナンセンス。議論する気にもなれません。迷信そのものですね。
こんなことを気にする精神状態をパラノイドと言いますが、かなりニッポンキリスト教には多いようです。つまりその教えが正しいかどうか以前に、その教えを生み出す心の状態が病理的なのです。
私は霊能力者でも、預言者でもありません。まあ、イラク戦については、ちょっと「預言」とかって、聖霊派の向こうを張って気取ってみましたが、あれは正確には予想です。私は心の専門家として見透すことができたわけです。
同じように、表向きの"油注がれた器"の教えが正しいかどうかよりも、その人の心の状態を見れば、彼をとおして結ぶ実の性質が分かります。すべては心から出るからです。議論に関わるときも、その内容の正否よりは、そこに参加している人の心の状態を見ているわけです。
私は政治も知りませんし、歴史も知りませんし、神学も知りませんが、それをしている人の心は分かります。もし私の"読み"が当たるとすれば、心を見ているからです。
皆さん、アルコールを飲んでいいか悪いかなどの議論から解放されましょう。まあ、タバコはできれば止めたほうが良いですが。そして温泉も、デズニーランドも、修学旅行も、主にあって、たくさん楽しんでください。
彼の心は民主党にはないのですね。ここで自ら潔く引くことにより、先に可能性を温存できるわけです。民主党にとってはある意味でいい迷惑ですが、小沢氏の目論見に振り回されています。彼は組織を捨てても、自分を守れる人物なわけです。対して、まだ若いですね、民主は。今回の小沢氏の仕掛けにより、自民・民主ともにどう展開するでしょうか。落とし所が見えていません。北朝鮮訪問がどう出るか、少々楽しみでもあります。
私も未加入の時期がありました。任意加入の学生時代ですね。強制になってからは全納してますからねッ!!!
(っと、ムキになっても意味がないが・・・。)
民主の小沢氏が党首選を辞退するとのこと。年金に関して任意加入時に加入していなかったことに対するけじめだそうだ。でもね、これはミエミエでしょう。小泉氏を追い詰めるため。今日の会見も作文を一生懸命読んでいたが。少々優等生過ぎるというか、殊勝過ぎるというべきか(笑)
前に予想したとおり、互いの潰し合いモードに入ってしまいました。こんな姑息なことで政権を潰し、自分が取ろうというのも少々寂しいですが。小沢氏の狙いは果たしてどこまで視界が届いているのでしょうね。
喧嘩や論争は落とし処を見定めた方が勝ち。相手に与えるポイントと自分が得るポイントのバランス。決して自分が無傷ということはあり得ない。キリストとサタンの一戦も同じ。十字架はまさに「肉を切らして骨を断つ」場。そしてこれは実は剣の奥義でもある。
で、今回の小泉VS小沢の一戦は結構面白いかも。ただし、どうか本質的な部分の議論をお願いしたい。
(私の意見は、国民年金の給付額をもっと上げて、その代わりに消費税を入れること。さらに年金システムの一本化を実現すべきというもの。年金を得るために、投資するのは当たり前。どうも政府に対する甘えの構造が気になる。)
これにつきましてはメールでもレスをいただき、やはりいろいろな情緒的反応を引き出すのだなあ、と感じております。
これが例えば、ブラピの「トロイ」だったらどうでしょう(これはすぐに観る予定ですが)。ここが私が引っかかるところなのです。映画が良くできている、いないは、まだ観てもいませんし、映画評論家ならぬ私には分かりませんが、とにかく反応が普通ではないわけです。
理由はイエスを描いた映画だからでしょうか?もしそうであれば、リアルのイエスは今どこにおられますか。私たちの内にです。内なるイエスを知ること、その方を流し出すこと、これで十分ではないでしょうか?
私の友人の友人の未信者の方々は、ひたすら打たれる場面でうんざりして、ただ重苦しくなって、途中で出てきたと言っていましたね。意味不明の映画だったという感想だそうです。日本での興行成績は4位だそうですが、これは単なる怖いもの観たさ、興味本位の数字ではないしょうか。本当の伝道になるのでしょうか?
私は少なくとも御言葉を聴いて、信じた者です。前にも言いましたが、この映画には神の格別の御手があって、これでリバイバルだ、というような短絡的思考パタンには落ちるべきではないでしょう。
(ただ、私はまだ観ておりませんので、そうですね、観てからまた改めて感想を述べたいと思います。いつになるか不明ですが。)
禅学の世界的大家鈴木大拙の生の声のCDが出た。これはぜひ入手しておきたい。同時に山口百恵の全アルバムもCD化されるという。これもぜひ買っておこう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040515-00000013-ykf-ent
大拙と百恵。彼らの魅力はどこにあるのでしょう?
私はいまだに観ていない。もしかするとDVDでも観ないかもしれない。今回Salt氏の洞察を読んでますますそう感じた。彼は言っている:
http://app.memorize.ne.jp/diary/24/57910/
以下引用... 続きを読む
このウイルスの感染力はかなり強いですから、要注意警報です。
アハハ、ついに小泉さんも、神崎さん、土井さんまで・・・さらに石原さん、中田さん、筑紫さんに田原さんと小宮さんと・・・・。誰も意見ができなくなってしまいました。鳥インフルエンザ的に、果たしていつ終息宣言が出されるのでしょうか(笑)
あのですね、未納自体でやめることはないでしょうに。菅さんの問題は、自分の裁きの基準(秤)で自分を裁いてしまったこと。辻元さんも同じ。主の言われるとおりです。
その点小泉さんは適度にかわしておいて、北朝鮮訪問でみんなが騒ぎ出す頃に小出しにしました。彼はやっぱりかなりの策士ですね。実際未納自体を問題にして国会議員が辞めたら、国政はどうなるのか。もっと本質的な議論をして欲しいと思うのですが、
ここでもすぐにヒステリックに一色化するニッポンの病理を見ることができます。
* * *
BBSでも申し上げましたが、いろいろな励ましをありがとうございます。甘党の私に名物のお団子を送って下さった方もおられます。お茶と一緒にいただくと実においしいですね。匿名で捧げ物を下さる方もおられます。
主にあって深くお礼を申し上げますm(_ _)m
Blessings!
Time誌のアメリカ軍の虐待の特集の内容は酷かった。言葉が出ない。
人が狂うときがある。自分や自分の達成を否定されたとき。クリスチャンはキリストにアイデンティティを置いていれば、つまり十字架にとどまれば、このような誘惑から守られる。が、時にクリスチャンでも狂ったように怒る者がいる。自己愛と言う心の病を抱えている。
もうひとつは意味のない仕事を強制されるとき。かつての中国で文革が真っ最中のとき、労改に収容された囚人は、穴を掘っては埋め、穴を掘っては埋めの単調作業をさせられて、多くの者が狂った。現在のアメリカ兵も同じ。事実自殺者や心を病む者が多いと聞く。
文革の時代にウォッチマン・ニーがいた。彼は最後まで主に忠実であり続けた。私の元には彼の死の日に書いた手紙の写真があるが、「私は喜んでいる」と証している。その日に彼はトラクターの上でぼろきれのように召された。人生の収穫の時期であるべき52歳から72歳まで、人から見れば意味のない20年間の幽閉生活。彼がどんな霊的生活を送ったかは知る由もない。主だけがご存知である。
自分の業績を誇り、自分を売り込み、自分の達成に満足する先生方が多い今日、主のために無駄になる生き方を志すクリスチャンはどれほどいるであろう。若き日のニーは言っている:「ああ、主のために無駄になることの祝福よ!」彼はその祝福の深みを知りつつ、主の元へと召された。主にあってジェラシーを覚える。
(ネットではウォッチマン・ニーをカルト扱いしているサイトがある。彼らの論評はほとんどが的外れである。"彼らの理解したニーの教え"に対して、自ら反論しているだけである。サルが鏡を見て攻撃するが如し。自らの心を暴露しているだけである。)
アメリカの蛮行にはもう何かを言う気も失せた。ただ私の予測どおりになっていることは事実である。
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing53.html
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing56.html
正体が見えるとそこまでである。あえて訴える気も失せる。アメリカに働いている霊は、聖霊ではない。
対してイスラムではアメリカ民間人を首をはねて処刑する場面をサイトで公開しているとか。この報復合戦はどこまで続くのか・・・。
一方でアホなブッシュは依然強気を崩さず、今度はシリアだそうだ。まずは経済制裁から始めて、さらなる制裁を考えているそうだ。これも前から私が指摘しているとおりである。ダマスコの運命がひとつのターニングポイントになる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040512-00000044-kyodo-int
ひとつだけ語ろう:高ぶりは滅びに先立つ。
先の内容に、Dr.ルークは主に信頼していないのかとのご質問をいただきました。回答は単純です:献金で食べることは主に信頼することの、必要条件でも十分条件でもありません。
しばしば献金で食べているセンセイが信徒を囲い込み、ひつじ泥棒とか叫び出します。逆に世にあって主に頼って経済を回して、自活している人もおります。
「献身」の定義とか、「主に信頼すること」の定義を再考する必要があるでしょうね。しばしばニッポンキリスト教型献身が世からの逃避になっていませんか?
10日ほど前に息子とプロレスごっこをして、思わずムキになってしまいました。それというのも、すでに彼の身長は私を超え、筋力も(最近私はさぼっていますので)勝っている感触でした。で、脅威を感じて、つい本気で彼をヘッドロックで締め上げたわけです。
するとなんとどうも肋骨にヒビが入ってしまったようなのですね。咳をしたりくしゃみをすると、ビビビっとくるわけです。やれやれ。ムキになった時点で、私の負けです。もう彼とは組み合うことはできません。父親の複雑な気持ちを味わっています。(体力だけでなく、頭も鍛えてくれよ、と。ヘブル書の父の訓練を思います。)
* * *
雅子様はかなり重症ですね。おそらくストレスによる消耗性の鬱病でしょう。昨日の皇太子の会見もかなりの緊張感と神経質な様が見て取れましたが、周りが彼女の人格とキャリアを否定しているなどの発言は、ちょっと尋常ではありません。
皇太子も感情を抑えつつ、原稿に目を落としながら慎重に言葉を選んでいましたが、ある種の憤りを抑えた口元の引きつりは隠しようがありませんでした。
彼らをそこまで追い詰めるものって何なのでしょう。誰が雅子様の人格とキャリアを否定するわけでしょう。伏魔殿があるのですかね、あの業界にも。食う心配は何もなく、皇室スマイルやっていればいいと私ら庶民は愚考するわけですが、大変なんでしょうね。多分。
一方、こちら側でも、牧師たちも「センセイ」と呼ばれて、献金で食えていいなあ思っていたら、けっこうエライしんどい世界のようですよ。私はパウロ・スタイルで行きます。あえて権利を行使せず、天幕を作り続けます。
コワイですよ、献金を当てにするのは。私が自由に物を言えるのも、ココをニッポンキリスト教界に渡していないからです。「手づから食い扶持を得よ。働かざる者、食うべからず」、と明確に書いてあるのですが。
ついに、ですね。こんなことで・・・と悔しいでしょう。これで政治家としてもほぼ終わり。彼は結局チャレンジャー・メンタリティーから脱皮できなかったのです。小泉さんに「残念だったでしょうね。政権を取りたかったでしょうから・・・」と言われてしまいました。
ニッポンキリスト教も1%メンタリティで、この世での受けを気にしているようでは、足をすくわれます。
「未納三兄弟」はともかくとして、せめてタレントの江角さんを国会喚問せよ、だけは何とか避けられなかったのか。辻元さんといい、菅さんと言い、自滅しています。
野党には踏ん張ってもらわないと、なんですが。自民のS.Kさんとか、悪は一杯いるんですが。
これもWinny作者の逮捕と同じような。どうも「やられ所」がある感じです。私などもよく些細な違反で切符を切られるのですが(ム!)。
P2P接続の画期的通信ソフトWinnyの作者が著作権侵害幇助罪で逮捕された。使用者が違法にソフトを流通させての逮捕ならば理解できるが、ソフト自体の作者が逮捕とは、ちょっとこわい。京都府警はこのソフトで内部資料が流出しており、そんな因縁もあった模様。
前にも画像処理ソフトの作者が違法画像の流布を幇助したとして逮捕された事件があったが、これも割り切れないものを感じた。
このWinnyによって相当規模の被害が出ていることは確かのようである。が、作者はその幇助になるのか?2CHのカキコに現行の法律に穴を開ける的な挑発的発言をしていたらしいが、もしこれが証拠として彼が有罪となれば、私がある種の人々の健康を害しようと意図して、おいしいカロリーたっぷりのケーキを発明して販売し、それに誘惑されてたらふく食べた人が肥満になって心臓病で死んだら、わたしは殺人罪、あるいは自殺幇助になるのだろうか?
どうも税金や年金と同じで、当局は取り易いところ、あるいは検挙し易いところを狙い撃ちしている感じもする。もっと凶悪な社会に脅威を与える犯罪者がうろうろしているでしょうに。何しろ刑事事件の検挙率は25%でしょう。4人の犯罪者のうち、3人は逃げおおせているのです。東大助手などというか弱い人を捕まえる前に、この3人を何とかしてほしいと思うのですが。
年金問題で菅さんもついに降板のようです。小沢さんが立つかどうか、私は前から一度彼に総理をして欲しいと思っています。
なかなか一本気で、自分の主義主張を譲りませんから、それなりに整合性のある政治を期待できると思っています。民主党と結んだことは少々意外で残念でしたが、彼の一途さが人々を敬して遠ざけさせてしまうようです。
人徳がないと言えばそれまでですが、ニッポン型でないのかも知れません。私なども相当に人徳はありませんから。
かくして年金はあまり当てにならないと思えるようになりました。老後はどうしましょう。主は言われます:
「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」
御言葉を取るか、年金制度に頼るか、私たちの老後はここにかかっています。
見えるところによらず、真理によって、御言葉に頼って生きること。老後の保証はここにあります。
いよいよ泥沼です。菅さんがやめれば、次は政府の未納議員がやめざるを得なくなり、この繰り返し。実は私と家内も未納状況を確認することにしました(多分ないはずなのですが、自信がなくなりました)。今は私学共済に入っているのですが、昔は国民年金+国民年金基金の時代もあったからです。それにしてもこんなことで応酬合戦を繰り広げていたら、本質的な論点は棚上げです。私たちの時代には年金はやはりナシなのでしょうか?
アメリカでもラムズフェルド氏が辞任しないとか、がんばっているようです。ブッシュも民主主義も完全ではなく、今回の件はアメリカ全体の意志ではないとのこと。苦しいですね。すでに大義はない上に、フセインと同じことを繰り返したわけです。国内は経済も上向いているようですが。
両国の状況は何かシンクロしている感じです。どうもこの世の君がある波紋を起こすのには、一定のリズムと言うか、波があるようです。いずれにしろ、正当な権威が崩されていきます。この世の君の策は、この世あるいは家庭あるいは教会における権威の流れをズタズタにすることです(権威主義を主張しているのではありません)。
なお、田中氏の新しいレポートをまたリンクしておきます:
「ブッシュ再選のために食い止められたイラク総攻撃」
http://tanakanews.com/e0508iraq.htm
が見えてしまいました。もちろんアメリカ全体ではありませんが(多くの人は善良で、ある意味でナイーヴです)、やはり彼らは白人なのです。
彼らの優越感はニッポンに対する要求を見ても明らか。イラクの債務帳消し、復興援助に1500億でしたか、さらに国連では常任理事国でもないのに、アメリカに次いで財政援助しています。ニッポンとアメリカ。この腐れ縁。貢ぐ女に貢がせる男。
せめて信仰の世界では自立して欲しいのですが、現実は逆。アメリカ発の霊の風が次々に流れ込んでいます。だから「ニッポンキリスト教」と自嘲気味な表現も真実味を帯びてしまうわけです。
注:BBSにも書きましたが、「ニッポンキリスト教」はDr.ルークのオリジナルではありません。鹿島春平太氏の用語です。
* * *
福田氏はさすがに老獪ですね。菅さんはどうするのでしょう。原則はこうです:失うまいとすれば失い、失えば得る。
私が「パッション」騒動に感じる違和感は、映画がリアルに良くできているできていない、ではなく、結局のところ、霊と魂の次元を混同していることにある。
はっきりと言うが、どんなによくできていようといまいと、それは魂の次元のものに過ぎない。その感動は単なる魂と神経系の興奮に過ぎない。「パッション」と「キャシャーン」とどこが違うのか。もし「違う」という人があれば、すでにフェイクとリアリティの混同に落ちている。このようなものをたいそうに扱う人々の内面性がコワイ。オタクである。しかしリアリティはどこにあるのか?霊の次元である。
19世紀から20世紀初頭にかけて、ジェシー・ペン・ルイスやオースティン・スパークスらが警鐘を鳴らしていた:「今後の教会は魂の力による魂の次元での現象を追求するようになるだろう」と。彼らの予言は的中している。一方で「パッション」や世に媚びる砂糖まぶしの「福音」、一方で金歯金粉の追求。
御言葉は霊と魂を切り分ける。それには痛みが伴う。十字架は私たちの霊と魂の間に切り込むのであり、この分離によってのみ、私たちは霊的リアリティとタッチすることができる。
「思い(Mind)」をくらますことが終わりの時代の敵の策略である。これは信者・未信者を問わない。次のように書いてあるとおりである:
2cor: 4:4
そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
2cor:11:3
しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。
Salt氏がご覧になって、次のように評している:
http://app.memorize.ne.jp/diary/24/57910/
かなりの酷評であり、ある種の人々は彼には霊的感受性がないと言われるやも知れない。しかし私は実はホッとしている。
私が恐れていたのは、本当は血と肉が飛び散ることではなく、"私の主"をそこに見ることに耐えられないことだったのだ。私は私を救ってくださった主がそのような目に会うことを正視できない。もし「パッション」の"イエス"に私のイエスが投影されるならば、私の情緒は多分耐え切れない。これが怖かった。BBSを見ていても、「感情移入できずに違和感が残った」と言う評もあり、再度安心した。
私のイエスはすでに苦難を経てくださり、しかも私はその場面を目撃しないですんだ。「見ずに信じる者は幸いである」と主は言って下さった。今私たちに問われるのは、「私の十字架を負うこと」であり、これこそがまことのイエスの霊的リアリティへと導く。
なぜこのような映画でクリスチャンたちが騒ぐのか、ますます不思議である。このような映画が伝道に用いられると考えているのだろうか。浅薄である。あなたの、そして私の主はどこにいるのか。そして福音の本質とは何か。まあ、このような問題提起をする機会となったことは益であるかもしれない。
連休も終わってしまいました。あっという間でしたね。さて明日からまた月月火水木金金です。
テレビで芸能人のドキュメンタリーをやっていました。中でも加藤登紀子の人生がよかったですね。東大出の女は不幸になるということから歌手になったとか。いえいえ、最近の東大の女子学生は菊川怜を筆頭に、みな才色兼備です。私の頃はちょっと恋愛対象とは思いませんでしたが、可愛い子もいました。
学生運動家との恋、妊娠、相手の投獄、そして獄中結婚と。出所後のささやかな幸せもつかのま、有名妻を持つ夫の悩みによる確執から別居。そして夫の癌での死亡と。60年代を象徴する哲学的な人生です。
私は東大紛争当時は小6でして、テレビで安田講堂の攻防戦を見ていました。当時は自分が東大に入るなどはまったく考えてもいませんでした。ただあの60年代の匂いは実は好きなのです。ジョーン・バエズに象徴される反戦フォークに、機動隊。歌謡曲では「ブルーライト横浜」。
私たちの時代は上は団塊の世代、下は新人類に挟まれた「谷間の世代」と言われて、何も取り得のない世代。社会に何か主張したこともなければ、働きかけたこともない。ややシラケの入った屈折した部分を持っている世代なのです。
この傾向はクリスチャンになってもあまり変わらず、いつもいいますが、裸一貫から苦節云十年、伝道に命をかけるといったことがダメなんですね。MSGに燃えると忘れるのですが、いつもはどこか白けている部分があり、物事を斜めに見ている部分があるのです。
Salt氏がいみじくも告白しておられましたが、このひねくれた自分が主イエスに対しては素直になれる、主はすばらしいと。私なども主に出会わなかったら、きっと発狂していたでしょうね。生きることのナンセンスさに。
最近、ようやく生きることをいとおしく感じることが出来るようになって来ました。
家内と実写版「新造人間キャシャーン」を観て来ました^^。隣は「パッション」でしたが。
宇多田ヒカルのご主人の紀里谷氏の作品であるが、ハリウッドの1/10の予算と秋葉原のパーツ屋で集めた自作PCで作ったCGにしては、かなり良い出来。
テーマは愛と憎しみと赦しと復活の希望と!?どっかと似ています。善とは何か、悪とは・・・?イラク戦も重なっており、血もたくさん出ていましたが、絵の具ですから安心でした。
唐沢寿明が悲しき運命の悪の親玉でしたが、どうしても財前教授に見えてしまい、その上あの弁護士のミッチーもいて、なにやら「白い巨塔」を引きずりました。唐沢氏は田村正和と同じで、何やっても同じかも(要するにダイコン)。
私は、映画はとにかく単純にカタルシスができるものがいいです。ハイ。
ニッポンの病理のコワイところは、「一色」になることである。チャーチスクールが流行ると、われもわれも、と。「パッション」がいいとなると、また同じ。
木村敏という精神病理学者は、分裂病の原因は人と人の「間の病理」であると、言っている。つまり距離感を喪失している。分裂病の方は、あるいは心を病んでいる人は、たいていここに問題を抱えている。昨日書いたように、ベッタリ(陽転移)とその裏返しの恨み(陰転移)との間を揺れ動く。
ニッポンはすでに分裂病であると言ってきたが、ニッポンキリスト教も同じ。はっきり言うが、病んでいる。その距離感の喪失は実は希薄なアイデンティティによる。だからニッポンキリスト教徒は、映画などのメディアで世の中に取り入れられると喜ぶわけであるが、実は世との距離がすでに取れていない。
チャーチスクールやパッション現象を見ていると、ますます私の診立てが正しいことを確信するが、そこから出る予後予測(これはまだ公表していない。多分受けられることはないだろう)にも蓋然性が高くなる。
ただこういう言い方はしておこう。現在はリバイバルどころではなく、純粋な信仰のサバイバルの時代である。そして真理を語ることが、例えばフランスなどのように、むしろカルトとして排斥され、世に媚びるお体裁の「福音」がもてはやされることであろう。
パッションを観て"感動した"人にはこう言いたい:
主がそこまでして勝ち取ってくださったものをあなたは自分の十字架を負って守ることができるか?
クリスチャンにあらず、といった雰囲気があるようです。○○クラブではチラシを100万枚配ったとか・・・。やれやれ。クリスチャンメディアが喜ぶ話題づくりは上手です。
どうしてこうも毎回毎回、前の駄作「親分はイエス様」だって、これでニッポンを感動の渦に巻き込み、リバイバルだあ〜と。実際はあまった前売り券を押し付けられたりで、惨憺たる状況だったでしょうに。映画にリバイバルを期待するのはあまりにも・・・ですね。
私は前から言っています。所詮フェイクです。真理そのものではありません。私は血はダメですので、できればご遠慮申し上げたいのですが、非天国民にされそうな・・・汗
追記:しかしインパクトがあることは事実のようだ:
http://www.passionforum.jp/news.html
観た人たちの感想コーナー:
http://www.passionforum.jp/forum/posting.php?mode=reply&t=7
どうも昨日あたりからサーヴァが不安定です。接続できたり、できなかったり。原因を解明中です。
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私も意図せざる形でニッポンキリスト教と関わりを持ち、まあ、いろいろなことを見聞きしてきましたが、やはりあまり深入りはしたくない、というのがますますの本音です(笑)。当たり前が当たり前でない閉鎖社会。黒が白で、白が黒の世界。自分ことが自分でできない人が多過ぎます。そして牧師にベッタリで、期待が外れると、今度は一転恨みに変わります。
むしろ、「健康な者には医者は要らない」とばかりに、病んでいることが当たり前になっています。私のところには電話やFAX,メールなどでいろいろな相談が寄せられるのですが、正直言って奇奇怪怪。チャーチスクール・スレでも分かるとおり、エキセントリックな状況です。リバイバルどころではありません、サバイバルの世界です。
私は普通のオジサンとして主と共に人生を愉しんでいたいのですね。この業界に足を取られたら、とてもではありませんが、ジャック・ニコルソンの「カッコーの巣の上で」の世界になってしまいます(御存知ですか?)。
寅さんの名言:「オレが芋食ったら、テメエの尻から○が出るかあ〜?」。自己責任の原則を全うしてほしいものです。
一日ずっと家の中でボーっとしていました。疲れを抜くには精神をアイドリング(意識的受動性)するのが一番。お風呂に入って、缶ビール(小)を飲んだところです。(聖書にはお酒を飲んではいけないとはありませんよ。放蕩があるから、酔ってはいけないとあります。)
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Dr.ルークもついにネット上でカルトの教祖となりました^ ^。カルト告発のすざまじいHPがあるのですが、そこで私から恐ろしいマインドコントロール(MC)を受け、呪いの預言を受け、鬱病となったと告発されています(表向きは匿名ですが)。かつて私のところにいた頃、ICFと言うところでご自分で発言して問題を起こした時は、私からのMCを受けており、正常ではなかったと書いておられます。やれやれ。
この方は前に未成年者との不適切な男女関係をめぐり、私との間でトラブルとなり、除名処分をせざるを得なかった方ですが、私に対する憎悪と怒りの思いの丈を書いておられます。同時に私に悔い改めを求めているのですね。
正直申しますと、このような感情を向けられるのは、さすがの私もあまり気持ちのいいものではありません。最後の決断をするときにも何度かメールのやり取りをし、接点を探しましたが、残念ながら平行線となってしまいました。同時に彼の言葉に従って何人かの若い兄弟姉妹が離れていきました。ご自分たちで集会を始められたようですが、そこに主の臨在と恵みがあることを祈ります。