2004年04月01日

バイブルカレッジ前半終了

前半の12回のコースが修了しました。今回のコースは単なる聖書の学びではなく、御言葉を通して主と向き合い、また自分の心を見つめる作業と課題があり、毎週のプロジェクトとレポートでは皆さん苦しまれたようです。

ミニストリーの本質はいわゆる超能力的賜物によるのではなく、いのちの務め、つまり私たちの自らのいのちの熟成が必要なのです。いのちの成熟のためには苦しみが必要です。自分と対峙し、神と対峙するときに、ショートカット(近道)はありません。苦しむ必要があります。

心を病み、問題をかこつ人の場合、必ず心のどこかに取り繕いや偽りがあります。エレミヤ書に「心はよろずのものよりも病んでいて癒しがたい」とあるとおりです。フェイクを建てようとしているわけです。専門用語では自己防衛機制と言いますが。このフェイクが暴かれ、崩される過程は苦しみがともないます。

この玉ねぎの皮むきの過程には鼻を突く臭いと涙がありますが、これを経なければ、内にあるキリストのいのちが現れません。聖霊派の"油注ぎ"と賜物志向はこの痛みの過程を避けています。クリスチャンが偽善と受け取られるのは、何層もの見かけの皮が張り巡らされているからです。こうして派手なパフォーマンスの"追っかけ"と化します。

真のいのちはある意味で赤剥けの状態において現れます。