2004年04月22日

チャーチスクールは・・・?

いやあ、ほんとに驚きました。BBSでこのトピについて懸念を表明するや、これほどにエキセントリックなレスを次々にいただくとは・・・!?

私がある団体のカルト化の指標として見ているのは、そこの指導者に対して批判的意見を投げてみることです。医師が胸を叩くように、あえて石を投げるわけです。コレに対するそこのメンバーの反応でカルト化はすぐに見て取れます。言うまでもないですが、カルトではその批判意見すら許されない雰囲気が醸されます。

例えば私は今英国のコリン・アーカートとのかかわりがありますが、彼も物言いがはっきりしているために英国では結構批判されています。しかし彼が批判を受けても私とはなんら関わりのないことです。彼は彼、私は私。それぞれのアノインティングに従うことだけ、これがすべてです。パウロは言っています、「ある人はこうしており、別の人はああしている」。

私がニッポンキリスト教で注目株だと言ってくださる人もいるのですが(今回のBBSにもありましたが)、私とはなんらのかかわりがありません。「言動に配慮せよ」と言ってくださった方もいますが、まっぴらご免、です(笑)。もともとこのようなパブリックなミニストリーをする意図もありませんでしたし、何らかの評価を得るつもりもありません。この高々1%の村社会でそれが何になるというのでしょう?

私は今までどおり、淡々と主と私の間にある油塗りに従うだけです。キリストをエンジョイすること、これだけが私の願いです。むしろそのような人の評価はあえて壊すことでしょう。人の評価などはコロコロ変わるものであり、真の自由を損なうだけです。私は自由を享受し続けたいのです。当たり前を当たり前にしつつ。

どうもニッポンキリスト教、真に満足し、健やかな人が少ないようです。「あなたはオンリーワン、神のVIP」と言われると喜んでも、「富む者はますます富み、持っていない者は持っている物までも取り上げられる」というメッセージには腹を立てる。満足と健やかさがないからです。真に満足している人は「VIP、オンリーワン」などど叫ぶ必要もないことです。「富む者は・・・」と聞いたら、喜びにあふれて「アーメン」と応えるでしょう。ますます富む者となるために、キリストを前へ前へと向かって追求するだけです(ピリピ書)。

おかしな「自由・平等・博愛」の価値観がいつのまにか蔓延っています。聖書が言っていることを、私は明確に語ります:神の国の原則は、能力に応じてタラントが分かち与えられ、そのタラントを増やす者が、よくやったしもべとして主から報酬を受けるのです。しかし同時に、自分の弱さにおいて主の恵みは十分に現れ、主は見栄えのしない肢体を格別に整えて下さるのです。

あなた方の言葉はしかりか否かであるべきだとあるとおりです。

Blessings!