2004年04月15日

人質3人解放

とりあえず何よりです。

が、無事だったのであえて言いたいですね。真の意味での公共性を学ぶべきでしょう。

あと2人のジャーナリストの行方はどうなっているのでしょう。

ついに人質殺害さる

イタリア人が殺害されました。彼らは本気ですね。

ジャーナリストやボランティアの方々も、ぜひイラクに行く際にはご自分の動機を探ってみてください。本当にイラクのためでしょうか?それとも業績を上げることや自分探しのためでしょうか?

自分の命を危険にさらすばかりでなく、家族を苦しめ、国家の運営が妨げられることもあるのです。大義名分はどうにでも立つでしょう。が、動機がどこまで純粋でしょうか?

しばしばボランティアや福祉などで活躍される方々は、自分が問題を抱え、その問題を解決するための活動であることが多いのです。これは業界の常識です。

私はあまり人間の善意とか純粋な動機などは信じていません。自己(Self)から解かれることはそれほど簡単なことではないからです。というより、「私の十字架」によるしか、まことの自己の解放はないのです。十字架を経ないものはフェイクです。

この意味で、「パッション」などのメディアが伝道に有効であるとは思っていません。クリスチャンとして騒ぐべきものでもありません。今、問われるのは、前から言っているとおり、"マイ十字架"だからです。