2004年04月16日

自己責任の原則

BBSにも少し書きましたが、今回の件はどこか変です。

人質の人たちには、ぜひ費用を自己負担していただく必要があるでしょうね(登山などの遭難では当たり前のことです)。小泉さんの気持ちも良く分かります。一部情報によると、今回ボランティアをしていた女性については、やはりいろいろな精神的な問題があるようです。

正直言いまして、心を病んでいる人たちが、自分の病気を盾にして、人権とか個人の自由とかを主張し出しますと、その他のふつう人々がえらいトバッチリを食らうことがよくあります。彼ら人をマニュピレーションすることに長けています。

これは教会の運営でも言えることでして、神学の知識や哲学などはよく知っていてもジョーシキがなく、変なこだわりをもって自己主張したり、突拍子もないことを言い出したり、行ったりする人が一人いると、周りはしばしば振り回されます。私も何件か経験していますが、私は決して彼らに譲ることはしません。

わたしのところには牧師からも相談が来るのですね。この種の一人によって教会を滅茶苦茶にされ、ご本人も体を壊して入院したケースなどなど。みな欺かれるのです。この人は病気だから、受容して、何でも許して、まあまあ、なあなあ。これが敵に足場を与えます。

彼らには毅然とこう言うべきです:あなたは今までどおりの生き方を通すのであれば、決して癒されないでしょう。私のペースでやることができれば、癒されるでしょう。それができないのならば、どこか他へ行きなさい。自分で選びなさい。

霊的原則はこうです:

 それぞれが撒いたものを自分で刈り取る。

つまり自己責任の原則です。主の前に立つとき、主からひとりひとりが、「あなたは・・・」と二人称で問われるのである。病気は理由になりません。

今のニッポン、この世も教界も、当たり前が当たり前でない、どこか変ではないでしょうか?