2004年10月04日

イチローのプレッシャー

昨年彼はプレッシャーから吐き気や動悸や呼吸困難に責めさいなまれたそうだ。診断名をつければパニック障害とか、ストレス障害とかヒポコンドリーとか言えるだろうが、彼はそれを病気と認識しなかった。

面白いことに、内科や外科では癌とかの診断名をつけられるならば、かなりのショックを経験するだろうが、神経科あたりでは鬱病とか心身症とか診断名をもらって安心する患者が多いのだ。「ああ、自分は心の病気なんだ。だから何もできなくていいんだ・・・」と。そして教界でも「そのままのあなたが高価で尊い・・・」。やれやれ。

これでひとりの"病人"がしたてあげられ、非生産的な発言と行動で周りは振り回されるに至る。私の言いたいことがお分かりでしょうか?症状をビョウキと認識することによって病気が作られる!かくして医者は商売が継続できるわけ。

こうして「マショマロ・クリスチャン」が愛を求め、受容を求め、慰めを求め、カウンセリングだヒーリングだを求めて、あちこちをさ迷い歩く。生きているようで死んでいるゾンビ・クリスチャンである。彼らにまとわり着かれたら、それこそ消耗させられる。いいですか、イチローの言葉を学びなさい:

野球は仕事ではなく、人生である。だから苦しみがあることは当然。常にプレッシャーを受ける選手でいたい。

主もヨシュアに対してこう言われた:

雄雄しくあれ、恐れてはならない、たじろいではならない(ヨシュア記)。

新約でもこう言われている:

ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい(ヘブル書)

これは主の命令である。真綿のおくるみを脱ぎ捨てよ!マシュマロにホイップクリームを塗ったような生き方を捨てよ!さもなくば、さっさとクリスチャンを廃業した方がよい。