2004年10月21日

当たり前の尊さ

台風で避難生活を余儀なくされている人々はたいてい、「普通の生活に戻りたい」と言われる。「普通であること」−これはもっとも尊い。当たり前を当たり前に。禅では悟りとは「飯来たれば飯を食し、睡来たれば眼を合す。眼横鼻直、花紅柳緑」という。心を病む人々、教界で一旗揚げたい人々、彼らはみな普通が普通でなくなっている。肉体的にせよ、精神的にせよ、霊的にせよ、すべて病理は「普通さの喪失」である。

牛に同類の骨肉粉を食わせて生まれたのがBSE。自然では決してしないこと。キリスト教界でも同性愛を認める動きが活発化しているそうだ。パウロは言っている「自然の用を不自然なものに変えた」と。自然は自然に。聖霊派のように、しるしだ、不思議だ、預言だを求める必要もない。当たり前が当たり前であることに安息し、満足することができる。これが幸いな信仰生活を全うする鍵である。

まだもうひとつ台風が来るらしい。気象もすでに普通ではなくなっている。被害に会われた方々にお見舞い申し上げます。