2004年10月05日

イチロー語録(2)

彼はどこまでもきまっている:

・自分は人からの評価を得るために努力しているわけではない。ただ自分の設定した目標をクリアすることが喜びなのだ。

・人に勝つことに意義はない。自分の目標に向かって前進するその過程自体に喜びがある。

一方、パウロは言っている:

・私は人からの評価を得ようとしているのか。もしそうであればキリストのしもべではあるまい。

・私はまだとらえたと思っていない。後ろのものを忘れて、キリストを求めて前へ前へと進むだけ。

イチローとパウロの違いは求める対象。私はあまり人の言葉などには左右されないし、ヨイショもまずしない方であるが(特にセンセイ方の言葉などは・・・)、イチローの言葉には「アーメン(用語の流用)」である。イチローに今の女々しいクリスチャンたちに「喝」を入れてもらいたいものだ。

BE A MAN IN CHRIST !

クリスチャンはキリストとの関係では、キリストが花婿、私たちは花嫁であり、父との関係ではキリストが長子、私たちもみなGod's sonsである!生物学的性差によらず、みな「息子たち」なのだ!

ところが今のニッポンキリスト教を支配する霊は「女の霊」であると指摘しているが、これが甘えの構造と結びついて、イジイジ、ジメジメ、ネチネチ、ナヨナヨ。メディアがまた媚びた売れ筋路線であるから、ますます助長する。メディアは講読者の反映、その逆もまたしかり。互いに互いを鏡に映し合っている閉鎖社会での花見酒の経済。

・女の霊
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity6.html

聖徒たちよ、BE A MAN IN CHRIST !!!