2004年10月11日

誘惑と人のなり

休日は明るいうちに風呂に入り、ビールを飲んでゆっくりしています。

今回のブッシュの疑惑は面白いですね。背中に不自然なふくらみがあり、これが受信機で、耳に小さなイヤフォンを入れて、ケリーとの対決でこっそりアンチョコをしていたのではないかと・・・。いかにもブッシュらしいさもしい疑惑のかけられ方です。

同じように、誘惑を受けるときに、その内容によってその人の内面性が見えてくる。サタンは実によく人を知っているのである。例えば酒の誘惑、飽食の誘惑、色気の誘惑、地位名誉の誘惑・・・それぞれに応じた誘惑のメニュがある。

イエスは、パンを石に変えてみよと誘惑された。これは私には誘惑にはならない。なぜなら絶対に不可能だから。誘惑は一歩手を伸ばせば届くような範囲で、しかもその人に応じた種類の内容である。

今回自民党の武部氏がめでたくも幹事長になられた。彼の喜びようはちとガキっぽいと感じるが、私には自民党幹事長のポストは何らの誘惑ともならない。しかし美味しい料理の温泉はかなりの誘惑となる^^V

しかし、思えば若い頃はイロイロと欲しいモノが山ほどあって、祈りにも熱心に励んでいたが、だんだんと欲しいモノがなくなってきている。パウロは食べ物と着る者があればそれで十分、あらゆる境遇で満ち足りることを学んだと言っているが、そんな感じ。あえて欲しい欲しいと求めてもいない。

ところが必用なものは豊かに満たされるし、表向きは求めてないのに、時に応じて豊かな備えがある。不思議なものです:自分で得ようとすれば失うが、得ようとしなければ与えられる。かくしていつも満足しておれる。正直言って、クリスチャンたちがアチコチさ迷う様を見ていて、彼らは一体何を求めているだろうと不思議である。今回のメッセージでも語ったが、モチベーションを間違えると決して真の満足は得られない。なぜなら私たちのあらゆる必要の本質はキリストだからである。

You are more than enough, JESUS!

で、ニッポンキリスト教の牧師先生たちを見ていると、まあ、色気で落ちる方もおられるようであるが、どうもこの武部氏タイプの先生方が多いような感じがするのであるが、みなさまはいかがでしょう?