2003年11月25日

アメリカとイスラエルの共通病理−パラノイド−

田中宇さんのレポートにまた面白い記事があった。

イスラエル化するアメリカ軍:
http://tanakanews.com/d1125iraq.htm

イスラエルではヨルダン川西岸に塀を張り巡らせ、パレスティナ側と隔離策を取っている。くねくねと入植地を取り込みつつ、ややこしいリアス式海岸のような塀を張り巡らせている。テロリストの侵入を防ぐためだそうだ。

一方ブッシュは次期44兆円の国防費を計上し、小型核爆弾の開発も再開するらしい。相変わらず強気の発言であるが、裏は戦々恐々である。

この二つの困った国の共通項は何か?パラノイドである。いずれも外側に強気を押し出せば出すほど、実は内側の小心さを証明している。弱い犬ほどよく吼えるとあるとおり。

かつてはソ連とアメリカで拮抗する形でパラノイド状態がある程度で収まっていたが、ここへきてヴァーチャルな形で仮想敵国を作り上げ、ドン・キホーテよろしく風車に突進する有様を呈している。

パラノイドの特徴は自分が敵意を持てば持つほど、それを相手に投影し、さらに恐れをいだき、敵意を増幅すると言う悪循環に陥る。チンパンに鏡を見せると、自分の姿に攻撃を仕掛ける、すると鏡の中の自分を見てさらに恐れ、攻撃すると言う、まさにひとり芝居。ブッシュとユダヤ人の狂言芝居に巻き込まれる者たちはかなわない。

猿化ケータイ社会−喪失した当たり前−

先週の金曜日、ひとつの講義の日程を変更した。4日前に学務連絡の掲示板で告知しておいたにもかかわらず、きょう訪れた学生はひとり。他の連中は掲示板を見ていない!

この来た学生もいつもは掲示板を見ていないが、私が教室に顔を見せなかったので、念のため確認したら日程変更に気がついたというわけ。

一方でケータイを肌身はなさず、絶えずカチャカチャやってないと不安になる連中がいる。コミュニケーションのアンバランス。大切な掲示板による情報伝達には無関心で、ケータイではつねに相手とつながっていないと不安になる。

どこかいかれています。ある動物学者は「ケータイを持った猿」と嘲笑してしますが、まさに猿の社会。彼らは絶えずある種の声を出しつつ、相手を確認していないと不安になる習性を持っているそうです。同じです。

と、同様に教界でも、絶えず慰め、励まされ、愛されていないと自分の身を持て余す人々。大切な主イエスとの交わりはどこかへ行って、互いの温もりを確認していないとやっていけない甘えの病理。

何でしょう、この危うさ。当たり前が当たり前でない部分を、当たり前でないところで、失った当たり前を補償しようとしているわけです。悩んでいる人々よ、当たり前を当たり前に行いなさい。「悩んでいるからできない」とは言わないように。主は足なえに向かって「立って歩け!」と言われました。

信仰は行いによって全うされるのです。