* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
希望と絶望の間を揺れ動くことは耐えられないことです。ご家族がメッセージをしておられますが、どのように祈るべきか分かりません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041031-00000499-jij-soci
イラクの混迷は深まる一方ですが、今日の田原さんの番組でもアメリカのメガチャーチのクリスチャンたちが、「この戦争は神を信じる者と信じない者、善と悪の戦争である。ブッシュは神が立てたリーダーである。選挙で、もしブッシュが負けたら世界は大変なことになる」と言っていましたね。牧師もブッシュに入れることを暗に求めています。
どうも私の信仰とは異なるというか、この種の発言には違和感を覚えます。アメリカの霊的状況は明らかに変です。聖書預言の成就を待ち望む人々のように、「世界はますます混乱する、戦争や悲劇のニュースを聞くとうれしくなる。なぜならキリストの御国が地上に建てられる日が近いからだ。」とは私は言えないのですね。香田君も首を切られるという残忍な殺され方をしています。
主の再臨はいつかでケンケンガクガク論じ合うよりも、うめきを共有できないものでしょうか?香田君の家族の悲嘆を共有できないものでしょうか?
ps.香田さんの実家は、「証生(生きて証する)」の名前の通り、クリスチャンホームのようですね。
懸念した通りの展開です。「自分探しの旅」のあまりにも大きな代償です。ニッポンの離人症的(現実感を喪失し、生きている実感やみずみずしい感受性を喪失する病)状況の中で、自分を見失う若者が(ばかりではないが)多い。心の病気は生きることの病理である。
イスラエルに滞在した後、Tシャツと短パンでイラク内を放浪する神経はあまりにも・・・。イスラムでは肌の露出は厳禁。私がイスラエルに行った時には、ガイドの指示で空港でパスポートに入国のスタンプをあえて押してもらいませんでした。近隣の国に入るときにリスクが生じるからです。
生きることは「考える」ことではなく、ただ生きることである。
よく見れば、なずな花咲く、垣根かな(芭蕉)
神の立てたブッシュがなした事をぜひ客観的に評価してみましょう。で、ブッシュがフセインを排除したのはイスラエルの安全と利益のためであるとのたまう牧師先生たちは、ぜひこの事実から目をそむけないでいただきたい。
1.イラク人死者推計100,000人。米兵死者1,000以上。
2.副大統領のチェイニーが最高責任者をしていた石油関連企業ハリバートーンがイラク関連の仕事の不正受注をめぐりFBIの捜査が入る。
3.フセインの情報を意図的に歪曲したことをCIAが認める。
http://tanakanews.com/e1015CIA.htm
4.フロリダの投票の不正またも?
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/10/post_9.html
おまけに・・・
5.ブッシュのCMの画像で捏造発覚のオソマツ。
これらが神に栄光・・・!?
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing53.html
130億ドルのヘッジファンドを動かす投資家のジョージ・ソロスまでもが反ブッシュ発言をしている:「イラク侵略は失敗だった。ブッシュ再選阻止しか米国がこの泥沼から抜け出す道はない」と。
今回の選挙を自分の「生涯で最も重要」として、2,500万ドルの私財を投じて反ブッシュ活動をしている。
−以上、日経夕刊
昨日の報道ステーションで米国の選挙戦において福音派の果たす役割をレポートしていた。例のビリー・グラハムのクルセードの場面が映され、そこに参加してたクリスチャンが「ブッシュは神が特別に選び立てた指導者だ。」と満面喜々として"証し"していた。
おいおい、これでは私など反ブッシュの者は神への反逆者となる(汗)。またどこぞの牧師が「投票にはよお〜く祈って、神の御旨に従うべし」と説教していた。暗にブッシュに入れろと脅迫しているようなもの。言外に<ブッシュに入れる=神に従う>の暗示があるから、<ケリーに入れる=神に反する>となるわけ。巧妙な心理誘導である。
アメリカのある大学教員の友人が「教会では共和党、職場では民主党。自分はその分裂の中に置かれている」と言っておられたが、なるほどアメリカは分裂しかかっているようだ。ネットでも聖書原理主義的なクリスチャンメディアは徹底してブッシュ支持、かつ反ケリーの論調を打ち出している。
しかし政策や議論の是非はともかくとして、TVでのアメリカのクリスチャンたちの"様"やネットの"論調"を見ていると、「神がかり」的様相を呈しており、何か怖くなるのだが、私だけであろうか。
今回の地震で車に閉じ込められた母子3人が被災者の象徴とされている。2歳の男児が助かったのは奇跡的であるが、二人を亡くした年老いた祖父の悲嘆ぶりは同情を禁じ得ない。このような時、人は言う:「神はいるのか。もしいるなら何故このようなことを許すのか」と。
このような時に理屈をこねて相手を納得させようとして、神学論争をするのは愚かである。「一般恩恵」と「特殊恩恵」がどうのこうのと言っても、人は救われない。主は言われた、「泣く者と共に泣け」と。このような場面で必要なのはただ無条件に共有する(share)こと。
実はこの共有が難しい。相手の世界や感情に入ることは人にとってきわめて困難なことである。これができる相手がいわゆる親友とも呼べるのであるが、普通はなかなかできない。人間関係のトラブルはほとんどこの共有をし損なうことから起きてくる。かく言う私も心の専門家として「分析」することは得意であるが、共有することはなかなか難しい。
今回のような悲劇において、私たちクリスチャンが被害者と共有ができれば、彼らの神に対する憤りも融けるはず。なぜなら神に対して憤るということは、神が善であり、良き御旨を持っているはずだと潜在的意識で信じているからである。それが裏切られることによって、その期待が強ければ強いほど、上のような叫びとなる。人はけっして「悪魔はいるのか。なぜ悪魔は・・・」とは言わない。悪魔が悪をなすことは自明だからである。
この意味で、神の側に「一般恩恵」と「特殊恩恵」があるとすれば、人の側にも「一般信仰」と「特殊信仰」があることになる。未信者も漠然と善なる神を信じ、期待する心を持っている。トム・クルーズの「ラスト・サムライ」で「この国には教会はないが、霊の存在を感じる」と言っているが、日本にはある種の深い霊性がある。西洋経由のいわゆるキリスト教文化による、とってつけたようなキリスト教会の教えや実行がそれを阻害していると感じるのは私だけであろうか。
鈴木大拙が『日本的霊性』と呼んでいるもの。これが自然と回復され、教会が共有することができるようになるとき、真の日本のリバイバル(霊的覚醒)が起こると感じている。神はイエスとして私たちの脆い人間性を共有してくださるために、自ら降りて下さったのである。聖となることは、金歯・金粉を出すことや天国でパウロと会うことではなく、人になる、ことである。
イラクではまたですね。香田さんという方だそうです。前回は、私は自己責任を訴えましたが、今回は事態の深刻さから言って、ちょっとコメントできません。最悪の事態が予想されるからです。彼の悲痛なメッセージの中で、「日本に帰りたい。すみません。」と言う言葉が哀れでした。自分探しの旅のあまりにも大きな代償です。
* * *
午前中検査をしたところ、写真には影もなく、肺炎ではなさそう。やはりアレルギー性の咳喘息の可能性が高いとの診断。お袋が喘息がありますし、親父は肺気腫でしたから、うちの系統は呼吸器系が弱いのです。みなさまも時節柄ご自愛のほどを。
* * *
新潟ではまた震度6とのこと。串田氏の観測によると11月にも予兆が見えているようです:
http://epio.jpinfo.ne.jp/news/1297.gif
まだ予断は許さないようです。
咳の原因はどうもアレルギー性のもののようです。昨年もこの時期咳が出ていたのですね。気管支に抵抗を感じるので、多分狭窄があるのでしょう。3月には花粉症が出るのですが、この時期にも何かに感受性があるようです。あす検査してもらう予定です。今タケシの番組で食物アレルギーのアナフラキシーショックを取り上げていましたが、私もうどんとりんごで胃が痛むのですね。見かけによらずデリケートです(汗)
* * *
私学共済で扶養者となっていた家内の資格審査があったのですが、税金の証明書を取ってみると、何と昨年のパートの収入が限度額を8,000円出てしまっていました。しかし役所の体質で救済策は一切なし。これで資格喪失。国民年金・保険に入らなくてはならなくなりました。何と言う不備・・・。
* * *
今日の英語の講義の開始前の話。廊下にひとりの男子学生が立ちすくんでいる。「どうしたの」と尋ねると、「あのお〜、あのお〜、アイツがボクのこと、待ち伏せしているの・・・」と怯えたように語る。「だれが」と聞くと、「いつものヤツ」と・・・。内心、やれやれ、まただよ。私の周囲にはこの種のパラノイド(被害妄想)系の人がよく現れるのです。私に彼らを呼び寄せる何かがあるのでしょうかね(笑)
何とも彼女の答弁は・・・。しかし女性は強い。男ならあれではメロメロのはず(汗)マイペースを崩さず、ある意味、立派です。楽しいですしね^^V
夏に「対テロ戦に勝利はない」と答えたブッシュは、23日フロリダでのインタビューで「米国は今後も常にテロの危険と隣りあわせで生きていかなくてはならないのか」と聞かれ、「イエス。米国はより安全になったが、いつの日か完璧に安全になれるとかと言われれば、流動的だ。」と答えたそうです。
前にも書きましたが、彼は自分がしていることを知っているのですね。本音と建前がすでに食い違ってきているわけです。まあ、その意味では彼も妄信的行動ではなく、意識をしての行動ですから、少しはマシです。しかし彼のその行動の落とし前がついていません。どこでどうまとめ上げると言うのか・・・。怖いのは虚勢を張ることですね。
今回の新潟中越地震も10月7日に予知されていたようですね。
http://epio.jpinfo.ne.jp/news/1296-1.gif
この電磁波による予知法はかなり確度と精度があるとみてよいです。専門家は保守的ですから、明確なモデルと定量的裏づけがないと学会などでは認められませんが、学者の論議に付き合っている暇はないでしょう。串田氏は地震学では異端児ですが、ぜひ健闘してもらいたいと願います。なお、私も会員になることにしました。
まずは被害にあわれた皆様にお見舞いを申し上げます。
今年は明らかにおかしいです。ニッポンの熱帯化が言われていますが、こういった雨の降り方は異常ですね。新潟地震も予想を超えて被害が広がっているそうです。死傷者が1,500人とか。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/niigata_earthquake/?1098607274
私は電磁波による地震予知の研究をされている串田氏のサイトをチェックしているのですが、会員になると事前に予報を配信してもらえるようです。今回の新潟地震についてはまだ報告がありませんが、果たして予知できていたのでしょうか?
http://epio.jpinfo.ne.jp/news/index.html
またこちらにも電磁波による予知をしている方々がおります:
http://www.interq.or.jp/japan/jishinlb/
こちらでは観測地点の不備により予知ができなかったとお詫びが書いてありますね。
地震の専門家は地面の下しか見ていませんが、串田さんのような天文学者は空を見て予知しているわけで、案外こういった"素人"の発見は有効なのです。例の田中さんも偶然の失敗からノーベル賞を取ったわけです。それまでは"素人"なのです。専門家はオツムが固まってしまって、視野狭窄を起こしていますから、この電磁波による予知はかなり使えると私は思っています。串田さんの発表が待たれます。
* * *
どうも咳が出るのですが、これが乾いた咳なんですね。間質性肺炎の可能性があります。これはカビや風邪薬によっても起きるものでして、私もすぐに薬に頼るほうですので、危ないです。昨年もこの時期に出ていたのですが、一度検査をしてもらう予定です。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20041023&a=20041023-00000003-spn-spo
明大の一場は結局3球団から裏金をもらっていたことになる。「栄養費」という費目が面白いが。政界・官界・財界・球界と総崩れ。では教界はどうか?あと、NHKもヤバイ。
それにしても若い一場がこのまま腐ってしまうのは忍びない。落合が救済の手を伸ばしているそうだが、ニッポンの闇はなお深いようだ。
『文藝春秋』の今月号に立花隆氏の田中角栄研究の裏話の記事があった。田中氏が作り上げた、ドンがいてそのパワーによる政治モデルは、実は政治だけではなくあらゆる領域に浸透しているようだ。この呪縛は深い。
私は適度な距離を置いてマイペースで行きたいのだが、こういった立場にいるといいにつけ悪しきにつけ、関わらざるを得ないようです。時に河童に足を沼に引きずり込まれるような場面もありますし、人から勝手な評価をされることもあります。あえて反論はしませんし、私自身も自分の行動に100%確信があるわけでもありません。
ただ不思議なのは導きがあるときには、内に不思議な平安があること。自分の思いでは「これでダイジョウブかよ・・・」と思いつつ、霊に戻るとき内側には平安があって、「ダイジョウブだ」と分かる。むしろそのような場面で主に深く触れることができる。すると事態も一挙に好転する。ただし無傷ではあり得ない。
魂レベルの評価と霊の評価はずいぶんと異なる。まさにクリスチャン生活はアドヴェンチャー!
台風で避難生活を余儀なくされている人々はたいてい、「普通の生活に戻りたい」と言われる。「普通であること」−これはもっとも尊い。当たり前を当たり前に。禅では悟りとは「飯来たれば飯を食し、睡来たれば眼を合す。眼横鼻直、花紅柳緑」という。心を病む人々、教界で一旗揚げたい人々、彼らはみな普通が普通でなくなっている。肉体的にせよ、精神的にせよ、霊的にせよ、すべて病理は「普通さの喪失」である。
牛に同類の骨肉粉を食わせて生まれたのがBSE。自然では決してしないこと。キリスト教界でも同性愛を認める動きが活発化しているそうだ。パウロは言っている「自然の用を不自然なものに変えた」と。自然は自然に。聖霊派のように、しるしだ、不思議だ、預言だを求める必要もない。当たり前が当たり前であることに安息し、満足することができる。これが幸いな信仰生活を全うする鍵である。
まだもうひとつ台風が来るらしい。気象もすでに普通ではなくなっている。被害に会われた方々にお見舞い申し上げます。
大学に出勤すると、玄関でガードマン氏がやけに明るく「ご苦労様ですっ。本日の講義は休講になりました。交通機関が動いているうちにお帰り下さい。」と・・・。小生、「えっ!?」。一瞬頭が白くなり、どういうことかを懸命に考えると、「講義は4時限目にあるから、これが休講ということは、出勤した意味はまったくない」というわけ。
自分の部屋にこもり、ぼーっとして、さてどうするか・・・。思案してもしょうもないのですが、とりあえず家内の愛妻弁当を食べて、そそくさと帰ってきました。結局湾岸高速を雨の中ドライブしただけか・・・。
しかしすでに何人もの人々が死んでいるとのこと。台風が過ぎればカラっと晴れ上がるが、数日前まで生きていた人が、今はいない、この虚無感を思うと、私の虚無感は限りなくゼロに近い。
昨日中国を批判しましたが、中国の霊的な懐は実は深い。ウォッチマン・二ーを生む国である:
ウォッチマン・ニーは若い頃完全に主に召され、フルタイムの奉仕に入った。しかも一切教団などの人間的組織に頼ることなく、ただ主に頼る生活を送った。
ある日、かつて学生時代に目をかけてくれていた教授と出会った。その頃のニーは病弱もあり、ボロボロの姿で杖に頼って歩いている状態だった。教授は言った、「私は君に期待していたが、それは間違っていたようだ。今の君の有様は何なのだ。」と。
ニーは深い惨めさを覚えて打ちのめされた。自分が失った世の栄達、富、健康を思った。が、その惨めさの極致で彼の上に栄光の霊が臨んだ。彼は突如天に引き上げられるような感覚と共に、「これでいいんだ!」という深い確信と喜び、そして安息が彼の心を包んだ。
それから50年後、彼はトラクターの上でボロ雑巾のように召された。http://www.kingdomfellowship.com/Encourage/encourageinf.html
今回、大変に素晴らしい経験をさせてもらいました。その分析と考察(理屈っぽいですね^^)はまたいつか紹介できるでしょう。
* * *
中国は日本に被害者の立場で謝罪を迫る一方、日本の領域スレスレで海洋地下資源を掘り出しました。表は向こう側ですが、地下はこちらにあるのです。さらに日本内で採掘する権利を企業に与えています。
その主張が面白い:「日本には日本の領域の定義があろうが、中国には中国の領域の定義がある。双方の重なったところについては話し合いで進める」とか。おいおい、ならば地下資源の採掘はチョット待てよって。日本の主権も地に落ちています。「被害者」の立場って、実は最強なんですね^^
北朝鮮と中国と、この「被害者」を遇することは並大抵ではありません(大汗;−知恵が要ります。
マダム・ガイオンは言った:「わたしはわたしの十字架に口づけする」と。十字架は甘い、とにかく甘い。何と言う甘美さ。
・十字架を負うべき時に
http://www.kingdomfellowship.com/Encourage/encourage28.html
といっても私ではありません。息子です。視力検査でボクシングのプロテストの道がふさがれて、レスリングに転向したのですね。あと少しで試合があるのですが、本日見事に骨折です。どうもこちらの道は塞がれてしまうのでしょうか?
次女は大学入試に向けて、志望校選びと勉強に邁進しています。これもなかなか悩みが多いのです。あとしばらくこのような生活が続きます。
ネットの自殺掲示板で知り合った7人が車の中で練炭を炊いて自殺。これに対してその手の掲示板の常連は「これは当たった。うらやましい。」とコメント。
私も一応心の専門家として、この種の現象を予測していますが、現実の方がはるかにまさる。凄い事が起きています。
http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/jiken-byori.html
http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/shonen_byori.html
この種の現象のキーワードは「共鳴」である。同一の精神病理を抱えている人々は容易に互いの病理に対して共鳴を起こす。特に自己憐憫や被害者意識に固まった人々は互いにそれに共感し合い、妄想的世界を共有する。これをネットが助長する。
ネットではおよそ考えられることが何でも、否、考えることを超えて何でも起こり得る。出会い系サイトから自殺系サイトまで、人間関係の病理の種類だけサイトは構築し得る。言えることはリアルの世界での人間関係の不毛さとネットに入れ込む度合いは比例している。
大脳では現実に何もなくても、ある種の電気刺激や電磁波の刺激でイメージなどを作り出すことができる。本人にとってはそれはリアルとなる。逆に一切の刺激を取り去っても(センソリ・デプリベーション)、正常な人でも幻覚や幻聴を経験する。オウムで狭い部屋でビデオを見せるうちに解脱体験をすることもこれの一種。
この経験をした人は決してオウムの過ちを認められなくなる。ちなみに聖霊派の「聖霊経験」などもかなり怪しいものが多いように思う。私たちは経験によって歩むのではなく、感じようと感じまいと真理によって歩むのである。
かくしてリアルとヴァーチャルの境界線が曖昧となる。一方で、リアルかバヴァーチャルかは問わず、とにかく同一種類の「経験」を共有する人々が群れることになる。教界の「派」などもこうしてできてくる。これは一種の霊的要塞となるが、この中に霊的存在が「声」や「幻」を投影する時、何でもアリとなる。
人の大脳と霊的世界との関わり、および精神病理と霊的世界との関係のメカニズムをもっと精緻に研究することが必要である。「悪霊退散」の牧師先生たちがまずは迷信から解かれて、聖書に基づいたサイエンスを知る必要がある。
この二つどっちが最初かと、よく言われる。「満足」と「必要の満たし」も同じかもしれない。ふつう、この世の価値観では、何か自分の願っているものを得れば満足すると考える。しかしこれは罠である。この罠にかかるとニンジンを鼻の先にぶる下げられた馬みたいなもの。走れど、走れど、得られない。
霊的真理は「満足するから得られる」のだ。満足は結果ではなく、原因である。よりよく満足した人はより多くを得るもの。そして満足するとまた与えられる。かくして「持っている者はますます豊かになる」。これが神の国の法則である。その鍵は何か?
よくクリスチャンが選択で迷うと言うが、そのような時には実は自分を失っていない。得をしたい、失敗したくない、金を得たい、地位を得たい、これが迷いを生む。分かりますか?自分を自分で救おうとしていることが。アテネでアーチェリーで銀を取った中年の星の山本先生が今日の日経夕刊で言っていた:
「アテネ五輪は本当に無欲の境地で決めました。欲にとらわれると、一度決断しても迷いが出ることがよくあるんですよ。でも欲がないのでイメージどおり、的にねらいを定めると、ぱっと射ることができました。」
多くの悩んでいると称するクルシちゃんたちを見ていると、「捨てていないなあ〜」とつねに感じる。捨てないから苦しい、苦しいからますます捨てられない。主は「自分の魂を救おうとするな」と言われた。私はある人が自由を得て豊かになるか否か、大体予測ができる。会社の発展性や転機も経営者の心を見れば分かる。
ポイントは、クリスチャンはすでにすべてを得ていることである。あなたはこれを信じますか?
・コロサイ2:10−そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。
・2ペテロ1:3−いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。
この豊満を経験する鍵は、「キリストにあって」である。キリスト御自身を堪能し、満足すること。満足する人はますます満ち溢れ、さらに満足する。かくして神の国は縮小均衡ではなく、拡大経済路線となる。「花見酒の経済」は神の国ではない!なぜなら、神の経綸は、神のエコノミーであり、神は宇宙的な経営者だから。しかもリッチな方なのである。
・神のエコノミー
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/Economy.html
「タクアンと白飯の開拓伝道」といった宗教の霊から解放されよ。そして父の資産の豊かさを享受すべし!
休日は明るいうちに風呂に入り、ビールを飲んでゆっくりしています。
今回のブッシュの疑惑は面白いですね。背中に不自然なふくらみがあり、これが受信機で、耳に小さなイヤフォンを入れて、ケリーとの対決でこっそりアンチョコをしていたのではないかと・・・。いかにもブッシュらしいさもしい疑惑のかけられ方です。
同じように、誘惑を受けるときに、その内容によってその人の内面性が見えてくる。サタンは実によく人を知っているのである。例えば酒の誘惑、飽食の誘惑、色気の誘惑、地位名誉の誘惑・・・それぞれに応じた誘惑のメニュがある。
イエスは、パンを石に変えてみよと誘惑された。これは私には誘惑にはならない。なぜなら絶対に不可能だから。誘惑は一歩手を伸ばせば届くような範囲で、しかもその人に応じた種類の内容である。
今回自民党の武部氏がめでたくも幹事長になられた。彼の喜びようはちとガキっぽいと感じるが、私には自民党幹事長のポストは何らの誘惑ともならない。しかし美味しい料理の温泉はかなりの誘惑となる^^V
しかし、思えば若い頃はイロイロと欲しいモノが山ほどあって、祈りにも熱心に励んでいたが、だんだんと欲しいモノがなくなってきている。パウロは食べ物と着る者があればそれで十分、あらゆる境遇で満ち足りることを学んだと言っているが、そんな感じ。あえて欲しい欲しいと求めてもいない。
ところが必用なものは豊かに満たされるし、表向きは求めてないのに、時に応じて豊かな備えがある。不思議なものです:自分で得ようとすれば失うが、得ようとしなければ与えられる。かくしていつも満足しておれる。正直言って、クリスチャンたちがアチコチさ迷う様を見ていて、彼らは一体何を求めているだろうと不思議である。今回のメッセージでも語ったが、モチベーションを間違えると決して真の満足は得られない。なぜなら私たちのあらゆる必要の本質はキリストだからである。
You are more than enough, JESUS!
で、ニッポンキリスト教の牧師先生たちを見ていると、まあ、色気で落ちる方もおられるようであるが、どうもこの武部氏タイプの先生方が多いような感じがするのであるが、みなさまはいかがでしょう?
昨日の日記で少々つぶやきましたところ、BBSでもメールでも励ましのお言葉をいただきまして、恐縮ですm(_ _)m 私的には適度な距離を置きつつ、マイペースで行こうと思っております、はい。
* * *
セレブレーションで大声をあげてますので、今の時間は声が枯れているのですね(ここでは関係ありませんが)。今日もゲストの方々が来て下さって感謝でした。ベトナムからもこのサイトにアクセスしてMSGを聞いて下さっているとのことで、励ましを受けております。ネットの功罪はいろいろありますが、時間と空間を超えることができるのはいいですね。
最近思っているのは、ニッポンキリスト教界の中にもっと金が流れる必要があることです。前にも書きましたが、「花見酒の経済」では先細りです。そのためにはこの世と真っ向勝負できるアイテムが必要です。もちろんキリストが本質ですが、キリストの豊かさを証しする商品としてのアイテムですね。例えば養老先生の『馬鹿の壁』みたいな本が100万部売れるのですから。
その意味でも、私たちはこの世の者ではないが、この世にいる者です。この世との接触を絶って、「クリスチャン的出家」をして献金頼りになってはなりません。パウロのようにあえてその権利を行使せず、天幕作りに励みながら奉仕すること。自分の食い扶持は世に何かを提供してギヴ&テイク的に自分で稼ぐと。この基本をはずしたくないのですね、私的には。献金頼りになったら言いたいことが言えなくなります。その時はDr.ルークの店じまいの時です。
語り続けるために、働き続ける。
隠しページでニッポンキリスト教の7+1不思議をリストしてありますが(http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/q&a/7wonders.html)、ますます不思議さがつのります。
例えば911テロに対する対応。ある人々はテロリストに愛を持って花束を持っていけば世界平和が実現すると。ほとんど妄想です。ある人はフセインを殺せばイスラエルの平和が実現し、イエスの再臨を早めることができると。ほとんどパラノイアです。また911の疑問を呈することに対しては、そんなのは陰謀論であり、論じるまでもないと。ほとんど思考停止です。
また誰でも悪霊憑きにする人。地蔵さんを見て、悪霊じゃと言って泡を吹いて倒れる人。神社の前で悪霊退散と叫び回る人。創価学会のビルの周りを聖書をかざして歩き回る人。悪霊追い出しに奔走する牧師先生。一方でこの世のカウンセリングの真似事をする先生たち。表向きはご立派な説教をしつつ、実は家庭がほとんど崩壊寸前の先生。カウンセリングと称して女性に不埒な行為をする先生。一方で自我を十字架につけて、自我を砕きぃ〜と叫ぶかと思うと、あなたは神のVIP、そのままのあなたが高価で尊い・・・と。いったいどっちなんだよと伺いたくなりますが、不思議な世界ですよ、ニッポンキリスト教界は。
私は神学者でもなく、いわゆる教団所属の牧師先生でもありません。私はサイエンティストです。サイエンティストはできる限り少ない原理からすべての現象を説明することを目指します。よってその基本的な原理を把握することがすべてとなります。アインシュタインなどの天才は、常人が見過ごしてしまうようなきわめて単純な現象の中に美しい法則や原理を見出すことができるのです。
私たちは原理を把握すれば、後は演繹的思考によって推論を進めます。「A=BかつB=CならばA=C」という具合にです。ところがニッポンキリスト教では、これが成立しない。「A=BかつB=C」でも「A=C」とならないのです!?理由を聞くと、「それが私の信仰ですっ!」、やれやれ。話が通じません。
これは例えばイスラエルに入れ込む人たちと会話するとこうなります:現代のイスラエルの帰還法によるユダヤ人の定義は「母親がユダヤ人であるか、またはユダヤ教に改宗した者」となっています。すると私はこう考えます:「ユダヤ教に改宗する人たちは血統的にアブラハムの子孫でなくてもいいわけだ。つまり現代のイスラエルにはアブラハムの子孫以外の人々が混ざっている」と。すると彼らはこう言います:「血統などの詮索は聖書が戒めているからしてはならない。現代のイスラエルはアブラハムの子孫たちからなっていると私は信じている」と。やれやれ。話が通じません。
こういった議論はサイエンスの世界ではまず起こりません。あまりにも幼稚なレベルです。この数年いろいろ見聞きしてきましたが、1%の理由が明らかとなりました。そろそろニッポンキリスト教界との関わりから身を引きたいとマジで感じています(汗)
今回のブッシュとケリーの対決はブッシュの人徳の欠如をうまくケリーサイドがつきました。ブッシュは相変わらず、世界は平和になったの一点張り。理屈が通らない世界を狂信あるいは妄想と言います。パラノイアとは妄想がきわめて論理的にかつ強固に構築されているために、一見すると分裂病の意味不明の妄想とは違って、マトモに見えるのでかえって困るのです。今後の世界はますますパラノ的世界に入り込むことでしょう。
国民栄誉賞をモチベーションが落ちるからと辞退。うーん、好きですね、このタイプ。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/ichiro/?1097204195
アメリカかどこかの何とか賞をもらって喜んでいるニッポンキリスト教の牧師たちとは大違い。このサムライ・スピリッツ、はるかに牧師の霊性を超えています。
私たちはイエスからもらう勲章を目指すのです。あなたのモチベーションはどこにありますか?
歴史の証拠を記録しておきます:
・ブッシュ―もし今行動したとしても、2003年と同じ行動を取るであろう。・・・フセインはテロ組織に情報や物資を流していてきわめて危険であった。
・コイズミ―フセインは自分にかけられた疑いを晴らすことができなかったからいけないんだ。
この人たちのオツムはすでに破綻しています。
トム・クルーズの『マイノリティレポート』という映画があります。これは将来の予言ができる超能力者のお告げに基づいて、犯罪を意図したり、考えている人たちをあらかじめ摘発する警察の物語です。つまり犯罪を実行していなくても、考えただけで逮捕されるわけ。どうもブッシュはこれを地で行ってますね。
* * *
推薦図書:
石の扉―フリーメーソンで読み解く歴史、 加治将一著、新潮社
昨今のキリスト教界ではこの手の話をするとたちまち「陰謀論者」のレッテルを貼られてしまうようですが(これ自体がカルトがよく使う「思考停止」です)、事実に目を閉ざすことはできません。メーソンが欧米のキリスト教界をいかに侵食しているかは、私自身英国の状況を見てきています。
ノンクリの本ですので、聖書とメーソンを一部混同している部分もありますが、それだけキリスト教会が影響を受けていることの証明です。英国のKFCのコリン・アーカートは明確にメーソンをイエスの名によって断罪しています:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/camp03.html
911でのヤラセ・レッツロールで簡単に"感動する"オメデタ・クリスチャンを卒業しましょう。
あなたがたは蛇のように聡く、鳩のように素直であれ―ジーザス
注意:鳩のように素直であれ、蛇のように聡くあれ、ではありません。順序が大切!
原油が高値更新中。誰かが確実に儲けているのです。
BBSにも書きましたが、イラクでは大量破壊兵器もなく、核開発も頓挫していたと議会で報告されています。アメリカでも原理主義クリたちが当時盛んにイラクとアルカイダの関係を叫び、「フセインを殺せ、神の御心である」とほとんど狂気でした。ウイルカーソンなどもその典型的ヒステリーですが、ニッポンでも聖書預言解釈を得意とする人たちが同じような論調で叫んでいました。「イラクはイスラエルの敵だ、フセインを抹殺することは神の御心である!」と。
当時から私は懸念を表明しておきましたが、私の予想通りの展開になっています。BBSでどうして初期の段階でそのようなことが分かるのかとご質問がありましたが、私は神学も知りませんし、政治も知りませんし、イラクとアルカイダの関係も知りません。ただ私は人の心を読むことができます。当時、聖書原理主義クリたちの心の状態がまともではないと、リバイバル新聞の記事にもクレームをつけました。心が読めれば、政治も読めますし、どこに真実があるかも分かります。そして予測もできてしまうのです。
私としてはこれらの親イスラエル原理主義的先生たちの自己批判の声を伺いたいと思っています。まずしないことも分かっていますが。
さあ、そこで選挙の趨勢です。私はブッシュを下ろしたいですが、かと言ってケリーも「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバー。米国の闇は深いのです。
前にTIME誌に出ていた彼の発言を紹介した。もうひとつ紹介する:
"God told me to strike at al Qaida and I struck them, and then he instructed me to strike at Saddam, which I did, and now I am determined to solve the problem in the Middle East. If you help me I will act, and if not, the elections will come and I will have to focus on them."
─George W. Bush
「神が私にアルカイダを打てと言われたので、私は打った。また神はサダムを打てと言われたので、私はそうしたが、今私は中東の問題を解くことを決定した。もしあなたが私を援助してくれるならば、私は行動するだろう。もししてくれないならば、選挙が来るだろう、そしたら私は選挙に集中しなくてはならない。」
―ジョージ・W・ブッシュ
少々コワイと思いませんか。イスラエルに入れ込む人々に共通するある種の純粋ではあるが、それゆえにかえって怖さを覚えるファナティックな価値観と行動パタンです。そこに働くのはパラノイドの病理。
・ユダヤ人と日本人
http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/index.html
次は聖書の終末預言解釈に自信を持つある人々の発言です:
「自分は地震や戦争や飢饉などの悲惨なニュースを聞くと喜びを覚える。と言って、自分は血を見て興奮するサディストではない。なぜならイエスの再臨と地上の王国の実現が近いことを知るからだ。」(ソースは伏せておきます)
私ももちろん主イエスの再臨を待ち望み、主の御国の実現を待ち望んでいますが、彼らの神経にはちょっとと言うより、かなりの違和感を覚えます。彼らは「レフト・ビハンド」か何かの映画を見ているようです。
ラムズフェルドが、今回、イラクとアルカイダの関係を否定しましたが、聖書原理主義者たちは911当事、盛んにイラクとアルカイダの関係を主張していました。またイスラエルの安全保障のためにフセインを排除せよ、と狂信的に叫んでいました。ところが何のことはない、現在はひたすらだんまりを決め込んでいるようです。例えば、こんな論調です:
http://www.harvesttime.tv/israel_today/a03071.htm
ほとんどパラノイア的です。こういった人々の霊は決して聖霊ではない。私の内のその方はアーメンしていない。
同じクリスチャンとは言え、感受性が大いに異なる人たちがいることは、ニッポンキリスト教と接していて発見した意外な事実であった。このような混乱の時勢においては、正しさとか主義主張などは意味をなさない。繊細な霊的感受性が求められている:
・美しい霊的感受性
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity16.html
彼はどこまでもきまっている:
・自分は人からの評価を得るために努力しているわけではない。ただ自分の設定した目標をクリアすることが喜びなのだ。
・人に勝つことに意義はない。自分の目標に向かって前進するその過程自体に喜びがある。
一方、パウロは言っている:
・私は人からの評価を得ようとしているのか。もしそうであればキリストのしもべではあるまい。
・私はまだとらえたと思っていない。後ろのものを忘れて、キリストを求めて前へ前へと進むだけ。
イチローとパウロの違いは求める対象。私はあまり人の言葉などには左右されないし、ヨイショもまずしない方であるが(特にセンセイ方の言葉などは・・・)、イチローの言葉には「アーメン(用語の流用)」である。イチローに今の女々しいクリスチャンたちに「喝」を入れてもらいたいものだ。
クリスチャンはキリストとの関係では、キリストが花婿、私たちは花嫁であり、父との関係ではキリストが長子、私たちもみなGod's sonsである!生物学的性差によらず、みな「息子たち」なのだ!
ところが今のニッポンキリスト教を支配する霊は「女の霊」であると指摘しているが、これが甘えの構造と結びついて、イジイジ、ジメジメ、ネチネチ、ナヨナヨ。メディアがまた媚びた売れ筋路線であるから、ますます助長する。メディアは講読者の反映、その逆もまたしかり。互いに互いを鏡に映し合っている閉鎖社会での花見酒の経済。
・女の霊
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity6.html
聖徒たちよ、BE A MAN IN CHRIST !!!
昨年彼はプレッシャーから吐き気や動悸や呼吸困難に責めさいなまれたそうだ。診断名をつければパニック障害とか、ストレス障害とかヒポコンドリーとか言えるだろうが、彼はそれを病気と認識しなかった。
面白いことに、内科や外科では癌とかの診断名をつけられるならば、かなりのショックを経験するだろうが、神経科あたりでは鬱病とか心身症とか診断名をもらって安心する患者が多いのだ。「ああ、自分は心の病気なんだ。だから何もできなくていいんだ・・・」と。そして教界でも「そのままのあなたが高価で尊い・・・」。やれやれ。
これでひとりの"病人"がしたてあげられ、非生産的な発言と行動で周りは振り回されるに至る。私の言いたいことがお分かりでしょうか?症状をビョウキと認識することによって病気が作られる!かくして医者は商売が継続できるわけ。
こうして「マショマロ・クリスチャン」が愛を求め、受容を求め、慰めを求め、カウンセリングだヒーリングだを求めて、あちこちをさ迷い歩く。生きているようで死んでいるゾンビ・クリスチャンである。彼らにまとわり着かれたら、それこそ消耗させられる。いいですか、イチローの言葉を学びなさい:
野球は仕事ではなく、人生である。だから苦しみがあることは当然。常にプレッシャーを受ける選手でいたい。
主もヨシュアに対してこう言われた:
雄雄しくあれ、恐れてはならない、たじろいではならない(ヨシュア記)。
新約でもこう言われている:
ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい(ヘブル書)
これは主の命令である。真綿のおくるみを脱ぎ捨てよ!マシュマロにホイップクリームを塗ったような生き方を捨てよ!さもなくば、さっさとクリスチャンを廃業した方がよい。
テープの注文が溜まり、ついに108本コピーしなくてはなりません。この他に毎週の30本くらいのテープとバックナンバー(10か月分)の発送があるのですが、これは奉仕して下さる方にお願いしています。
何とかデジタル化したいと思っているのですが、時間が取れなくて、以前としてテープです。テープは近くの島忠でまとめて買うのですが、在庫があるとすぐに私が買い占めるので、そろそろ店でも有名になりつつあります^^。
ご注文をいただきました皆様にはしばらくお待ちくださいますようにお願いします。
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今タームはバイブルカレッジはお休みしています。何分休みがないと寄る年波でちょっとキツイ部分がありますので・・・。2,3月には時間が取れますので、再開したいと思っています。ネットでの通信コースはインフラ整備が遅れていて、まだ先になりそうです。
AO入試では午前に2時間の試験監督と、午後に2時間の面接でした。体は何もしていないのですが、この種の仕事はほんとに疲れます。ふう〜。
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今テープとDVDの注文が重なり、注文を一時停止させてもらいました。私の方針として在庫を抱えないと言うことで、注文を受けてから、商品を用意しますので、すみませんが、少々お待ち下さい。
新しい本の出版も原稿はほぼできているのですが、前にも書きましたが、本は流通とか在庫などがけっこう大変なのですね。流通でけっこうサヤを抜かれますしね。しかも代金の回収は6ヵ月後ですから、結局資金がその間寝てしまうわけです。資金的には十分クリアできるのですが、少し考えております。CDでネットでの販売が一番コストがかからないのです。
最近はネットやデパートでも限定販売が好成績を挙げています。ラーメンも一日限定300杯とかですね。不景気とは言え、価値あるものにはかなりの金を投資する人々は多いのです。その意味で景気はかなりのまだら模様になっています。何によらず、ヒトの顔を伺ったり、金太郎飴になったらダメですね。足元を見られて結局は衰退です。塩気を失えば、人々から踏みつけにされるのです。何か他にはないという勝負アイテム(商品)を持つことが生き残りの鍵です。
共同幻想という思想がある。あるコミュニティである価値観などを共有し、閉鎖社会ができる、その社会は現実から遊離してその共同幻想で支配されるというもの。
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing31.html
ケリーとブッシュの直接対決では、相変わらず、「世界はフセインを除いて平和になった!」の一点張り。ブッシュのオツムはどうなっているのでしょうね。
面白いサイトを紹介します。アメリカのイロイロなメディアを訳して紹介しています:
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/cat114727/index.html
ブッシュの軍歴疑惑の真相や、ブッシュ家の裏を暴いています。ご参考までに。
ってご存知でしょうか?簡単に言えば、自分と相似な図形が入れ子構造になっている図形です。自然界でもリアス式海岸の形状とか、雲などの形状はフラクタルです。この図形は次元が2とか3とかの整数次元にならず、2.345と言った中途半端な次元になるのですね。サンプルは上にあります。
BBSで社会主義国家ニッポンの中の社会主義集合体ニッポンキリスト教と言う発言がありましたが、なるほどですね。ニッポンキリスト教の抱える問題は、そっくりニッポン社会の問題と相似です。つまりフラクタルとなっています。さらにニッポンキリスト教の中の個々の教会の抱える問題、さらにその構成員の家庭の問題、さらに個人間の問題。これらがみな相似になっているわけです。
福音伝道の最大の障害は、実はニッポン人の精神病理なのです。いくら伝道、伝道と掛け声をかけても、ユダヤ人の伝道がどうのこうの言っても、この本質的な問題を扱わなければリバイバルは絵に書いたモチ。戦後立ち上がり、現在教界でそれぞれエラクなっている先生方が出発の方向をずらしているのです。それもまさにニッポン人の呪縛によります。私から見れば、主流派も、福音派も、聖霊派も何ら変わりありません。そこにはニッポンの相似図形の入れ子構造を見るだけです。
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さあて、明日は休み返上でAO入試ですよ〜っと。気が重いなあ〜。