2003年12月08日

HIV感染数に現れたニッポンの病理

エイズの原因であるウイルスHIV感染者数が、表向きの報告数の約4倍の12,000名と推計されているそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031208-00000092-mai-soci

最近の精神医学では、ホモはすでに異常ではないとか(こう言うと人権侵害だそうだ)、予防にはコンドームが有効とか、高校生にはコンドームの使い方を指導せよとか・・・どこか本質からずれている。

これは年金問題も同じ。若者の「自分たちはもらえないから」といういいわけで不払いが50%以上あるという。この言い訳を糾ずして、ひたすらマニフェストの中であれがいいか、これがいいかがテーマとなった。

本質はどこにあるのか。性のモラル、互助システムを維持すること、これらは「当たり前のこと」のはずである。ここを崩しておいて、制度をいじくり回す現政治のあり方は本末転倒。

個人の自由とか、人権とか、これらの自己主張の絶好の口実により、当たり前を崩してしまった社会、これが日本である。すでに中心が腐ってしまっている。

教界でもこういったウルサ方は敬遠されて、「あなたはVIP」式の世に媚びる「社交サロン伝道」が受ける風潮である。罪を罪として指摘する必要があろう。御霊はまず、金歯や金粉の前に、罪と義と裁きについて世の誤りを正すのである!

p.s.私大の教員は高校訪問と称して、営業もするのであるが、きょうある県立高校を訪ねて驚いた。妙齢の事務の女性が長い縦割れスリットのスカートをはいており、ちらちらと太ももを見せている。水商売でもあるまいに、最近の高等学校はこんなものなのか。と思うと、応対した進路指導の女性教諭がやけにドハデな化粧をして、おいおい、何だか変だぞ〜。

私の内なる財前五郎

田宮二郎版『白い巨塔』は全部を録画しているほどのファンである私ですが、昨日のメッセージでも語ったが、私の内には財前五郎がいるからなんですね。

ついに財前に致命傷を与える佐々木さんが登場し、「自分はこんなとこで検査など受ける時間なんかない!」と駄々をこねるわけ。この様を見て、財前は「私はあなたを診療する義務もないのだから、自分できめなさい。」と一蹴する。

実はこの台詞は、「あなたは私に何を期待して電話してきたのですか」と言う問いかけと共に、私もよく用いている。私はいわゆる悩んでいる人、苦しんでいる人がすねたり、甘えの満たしを求めたり、ダダをこねたりする場合、まず相手にしない。私には彼らのご機嫌をよくするためになだめる時間はない。

私の内には確かに財前五郎が住んでいる。まずは自分の利益のみを考え、他人を蹴落としても上に行きたいというエゴの塊。ヤコブそのものである。財前は里見のあり方に対して、「里見は偽善だよ。ああいったヤツが本当に存在しては困るのだ」とささやくが、私も同じように感じている。人の本質は徹底して罪であることを私は前提として人間関係を得る。よって「愛の手で世界を結ぼう」と言ったきわめて臭いニッポンキリスト教的台詞には辟易する次第。これはまず嘘。

こう書くとある種の人々は「Dr.ルークは愛の欠如した、心の貧しい者で、憐れみを覚える」と言われることはすでに何度も経験した。そしてその通りである。しかし罪は赦されたので、今度は罪を犯さないようにガムバッテ、善人として生きようと努めるクリスチャンの多いこと多いこと。かくして真実な人はクルシ(苦し)チャンとなるが、取り繕いをし続けることができる人は、リッパなキリスト教徒として、良き社会人として、良き日本人としてニッポンキリスト教の中でそれなりの地位を占める。

世の中、否、教界にあっても、どこに真実があり、何がハリボテでであるか。いずれ主の前に立つときに明らかになる。今のニッポンキリスト教では真に十字架がなくてもやっていける「優等生クリ」が多すぎますね。かくして、一定のパタンにはまり、一定の活動と発言をソツなくこなすだけのコスプレ集団と化してしまうわけ。ハッキリ言って、今の教界のあり方は相当に気味が悪いですよ、そう感じませんか?

No Way Out!

イラクで殺された奥氏はすでに以前より自分がテロのターゲットになっていることを知っていたとのこと。しかし今更逃げることはできない、と大学時代の友人にメールしていたようです。同年代の奥氏の心中、察するに余りがあります。

No Way To Run.

私たちもいずれそのような瞬間を迎えるでしょう。主につくか、世につくか、白黒を明確に問われる瞬間が。この世に未練を残せば、主からの報酬を受け損ないます。

 自分で自分の魂のいのちを救おうとする者はそれを失 い、失う者はそれを得て永遠のいのちに至るであろ う。