2003年12月20日

面接の心得

新しく薬学部ができたので、今日はその試験日。2時間の筆記試験の後、いわゆる面接を行なう。

まあ、受験生はみな緊張の面持ちで私の前に座るわけです。それで、こちらが志望動機とか、自分の長所短所などを聞くわけです。すると面白いのは、多分に面接対策の本を読んで、それを丸暗記していると思われる子がいるのですね。一生懸命暗誦した台詞をとちらないように語るわけです。こちらは思わず内心笑いをこらえるわけです。でも受験生は必死に私の目を見つめ、頬をピクピクさせながらやっているわけです。つい助け舟を出したくもなりますが、あえてポーカーフェイスを装っているわけですね。

結局面接でこちらが診たいのは、何気ない言葉のやりとりによって、対人関係がふつうに持てるかどうかなんですね。それと相手の言葉で、彼/彼女がこれまでにどんな生き方をしてきたかが大体分かります。マニュアル通りの回答をソツなく語ってもあまり評価はしません。こちらが求めている素材は、何でもいいから何かに打ち込んで来た子です。何となく生きているだけの人物はちょっと・・・。言葉や態度には自然と出てしまうのですね、生き方そのものが。結局ちょっと危なげな子がひとりおりまして、後はまあ大丈夫という評価をつけておきました。

クリスチャンもイエス様の前に出たときも、「私はあなたの名によって悪霊を追い出し、預言をし、しるし不思議を行ないましたあ〜」と叫んでも、イエス様から「あなたを知らない」と言われることもあるわけです(マタイ7:21)。しかしキリストからいただいた油にとどまる、つまり御子のうちにとどまるならばその来臨の時に恥を受けることはないのです(1ヨハネ2:27,28)。前者と後者ではどこに致命的な違いがあると思います?

それにしても今のニッポンキリスト教、あまりにも前者的な叫びが多くはありませんか?預言だ、しるし・不思議だ、悪霊追い出しだ・・・、と。

※サーヴァのソフトをAnHttpdからBlackJumboDogに変えてみました。けっこうレスポンスが早くなっているような感じもしますが、いかがでしょうか。