2004年07月01日

フセイン裁判とアメリカの影

彼はアメリカの手から法的にはイラクに渡された。これから裁判が始まるらしいが、果たしてどのような形になるのだろうか。また東京裁判と同じもの?私はべつに皇国史観に立つ者ではないが、東京裁判は国際法的にも問題がある。

フセインもそもそも一時はアメリカがイランをけん制するためにバックアップしていたのだ。もっと言えばフセインを育てたのはアメリカである。フセインは「これは茶番だ。犯罪者はブッシュの方だ」と叫んだそうだが、確かに一理ある。力による制圧。

かつて「文明の衝突」を予言したハンチントン教授が、アメリカのアイデンティティは分断化されることを指摘しているが、今後まさにその通りになろう。軍事力だけ肥大化した、精神的にカタワな国。これがアメリカである。よって人工的大義名分を立てて愛国心的アプローチをさらに進めるであろう。

かくしてニッポンは、アメリカのポチと化すか、自立の道を歩めるか。どうも政治家は自立したくない人ばかりのようである。これは民主党が政権をとっても同じであろう。実際アメリカとうまくいかない政権は短命であり、スリスリの政権は長い。真に日本の利益を考えていた田中角栄がアメリカに刺されたことはほぼ間違いがない。

アメリカがクリスチャン国家であり、自由と平等、正義と信仰の国であるというのはすでに幻想である。アメリカ発の"油注ぎの器"をありがたがるニッポンキリスト教のナイーブさには少々辟易しているが、いい加減目を覚ましましょう。

注:「ナイーブ」とは純情とか純粋の意味で理解されているが、原義は「幼稚な愚かさ」の意味である。