2004年07月19日

祝福されるコツ

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昨年暮に私の司式で結婚した若い夫婦がコンビニを開店してほぼ2ヶ月。今日はじめてこっそりと覗きに行って来た。本人たちは不在であったが、多摩川縁の立地条件は抜群で、繁盛していることが実感できた。ある商品の売り上げコンテストで全国8千店舗中、何と7位に入ったとのこと。

クリスチャンはすべて神の祝福を受けているものであるが、これは客観的な霊的事実。これを自分の経験のレベルに下ろし、霊・魂・体において大いに神の祝福を享受する人と、なぜかそれができずに、先細りの人生を歩む人がいる。多くのクリスチャンを見てきて、私は大体その人がどのような人生を歩むかは分かるようになった。

神の側の問題ではない。その人の側に問題がある。自己主張の強い人、素直でない人、でしゃばりの人、聞くことができない人、曲がった心の人、手柄を立てたがる人、ものごとを客観的に見ることができない人、思い込みの強い人・・・。これらの人はしばしば特定の問題を延々と抱え続け、学ぶことができない。ただ消耗するだけ。そして神と人に対して責任をなすりつけ、ぶつぶつとつぶやく。

ポイントは心の3要素にある。@動機、A素直さ(ひたむきさ)、B服すること。昨年の夏の英国のキャンプで、Colinが言っていた:多くの人たちが私の元を育ったが、成長している人は"teachable"な人であると。「素直に教えを受け、学ぶことのできる心を持った人」とも訳せよう。自分を一度脇へ置いて、物は試しで従ってみることができる心。これは別に霊的な事柄においてだけでなく、人生の諸事に言えること。受験生を指導しても、伸びる子と伸びない子はすぐに分かる。

神の祝福は私たち神の子があらゆる面で栄えること、喜びに満ちること、これで神の豊かさを表現すること―これこそが父の栄光である。そのための条件である"teachable"とは、自分を捨てることともいえる。捨てた者が得るのである。

神の祝福にはリミットはない。リミットは私たちの心の容量にある。心を取り扱っていただくこと。これが

  エンジョイ・クライスト!

の鍵である。

  富んでいる者はますます富むであろう。