2004年07月18日

新撰組池田屋事件

香取真吾の近藤勇はちょっとイメージがずれており、配役が学芸会的であるが、一応見れた。幕府方について京都の治安を維持するために自分の命をかけた、ある意味で時代とずれた新撰組であるが、私はこういった愚かな生き方をする人たちが好きだ。時代の流れとかに左右されないで、自分が自分であること。こういった確固としたあり方に憧れる。まあ、彼らにもそれなりの野心があったのだろうが、公義に仕えることを持って良しとする姿勢には惹かれる。

今日教界でも何か新しい霊の流れとか、新しい運動とかにすぐに飛びついたり、アチコチを右往左往する人々がいるが、クリスチャンこそ不変の公義に仕える愚かなサムライであるべきであろう。主イエスは昔も今もとこしえに変わることがない。私たちは初めから聞いていた教えに留まり、内なる油塗りに服するだけである。

昨今の新しい何かを追いかける人たちは自分の動機を良く探っていただく必要があろう。自分は何を求めているのか、自分は何を動機としているのか。内なるキリストこそは確固たる、命を賭して仕えるにふさわしいお方である。古い生き方、愚かな生き方に頑なにこだわりたいDr.ルークである。

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今日のセレブレーションはあの狭い中に70名ほどが集まって、2台あるクーラーもほとんど効かず、サウナ状態。このチャペルはもう限界ですね。さあて、次なるステップはどのように導かれるのか、私は自ら率先してと言う形で動くことがあまり得意ではないので、いつも「ウンショっ」と重い腰を上げる必要があるが、主が動かれたら着いて行くしかないであろう。