2004年7月

生きることの重さ

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              スコットランドの夕日

NHKで「阿波丸」のドキュメンタリーがあった。

戦時中アメリカの捕虜のために食料などを運ぶために特別に安全航行を保証されていた同船は、実は日本の軍事物資や人材を密かに運搬すると言う特殊任務を帯びていた。

それを知ったアメリカは世論に応えるために捕虜を大切にする目的で同船を見逃す決断をする。ところがある潜水艦がその通達を見逃し、しかも同船を駆逐艦と判断して4発の魚雷を打ち込み、同船に乗っていた2,500名が海の藻屑と化した。かのタイタニック以上の悲劇であった。

駆逐艦と判断した潜水艦のソナー担当者は現在も生存されており、90を超えていた。彼は言う、「確かに私は判断ミスを犯しました。阿波丸は1分30秒でレーダーから消えました。しかしもし再度同じ場面に出会うとしたら、自分は同じ判断をするでしょう・・・」。

ここで私は思わず「う〜ん」とうなってしまった。自分の判断ミスで2500名が死んだことをこの老人は60年以上も背負ってきたのだと。どのような心の遍歴を辿ってきたのだろう・・・。

原爆を落としたエラノゲイの乗組員たちはみな原爆投下に関しては触れたがらず、神経質な反応を見せていた。彼らも自分たちは絶対に正しいと主張していたが、"何か"を負っていることは明白であった。常に自分の良心に自分の正しさを訴えていないと生きてはいけない彼らの心の真実。

もしイエスの血がなかったならば、私は地上に長居はしたくない。歳を重ねることは自分の垢を溜め込むことに他ならないからだ。絶えず自分の良心を自分で宥め続けなくてはならない人生は過酷である。イエスの血がなかったら私はとっくに発狂していたであろう。

まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。・・・そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。―ヘブル9:14;10:22

 * * *

採点はかろうじてリーダーを騙し騙しで終わりました。最終成績もExcelで処理し終えて、あとはあす報告書に転記するだけ、と。これが一仕事であるが、ニンジンがぶらさがっている、あと一息だ。

生きてる実感!

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                  三ッ池公園

う〜ん、苦しんでいます。これまで私はCP/MからはじめてMS-DOS時代を経てWindows一筋でしたから、Unixの世界に本格的に飛び込むのは今回がはじめて。(というか、前にFree BSDのレンタルサーバを借りて挫折している。)

最新のLinuxはWindowsと同じようにほとんどGUIでいけるようだ。サーバもWeb,Mail,Ftp,DNSなどすでについており、設定も軽くいけそう(?)・・・が、具体的にはかなりイロイロとクリアしなくてはならないことがあって、さてさて、無事に移転ができますか・・・。

 * * *

マニュアルとにらめっこではストレスも溜まるので、目の前の三ッ池公園を毎日ジョギングしている。大きな池が三つあるのでその名がついているが、緑豊かで実に良い公園だ。(上の写真は桜の時期)

まあ無理はしないで、軽く流している。途中両手を上げて、祈りつつ、汗をジットリかいて、風呂にドプーンとつかり、ビールを飲むのが最近の楽しみの一つ。(アルコールは弱いので、小カンですが^^)「生きてるなあ〜」と実感できる瞬間である。

若いころは何か焦って、生き急いで、空回りをしていたような感じだったが、ようやく最近足が地面についてきたよいうな・・・。

8月2日は中村ファミリーと食事をして、3日は早朝に北海道に経つ。羽田空港そばのパーキングに予約を入れたりと、指折り数えてこんな準備をしている時が一番楽しいのかも知れない。

さあ、明日は試験の最後。マークシートリーダーが正常に働くか、ちょっと心配だが、あと一息だ。

「カバリング」について

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前にDr.ルークは「カバリング」にはあまり賛成していなかったが、権威に服することと「カバリング」についてもっと聞きたいとの声がありました。

私が現在言われている「カバリング」から受ける印象は、ある特定の教役者(自称、使徒・預言者・牧師など)の元で、その霊的保護と指導に与るというものです。さらにはある系列に入ることを意味するように感じています。枝教会とか系列教会とか・・・。

私がいわゆる「カバリング」に対して批判的なのは、主イエスと個人または教会の間に、この「カバー」が入ってしまうからです。

BBSでも少し触れていますが、聖書の原則は次の通りです:

1)地上の各地に現れたローカルな教会は、それぞれが自立して、直接に頭なる主につながり、直接の油塗りによる導きと、主に対する責任を負う。諸教会の間に、本部教会や枝教会なる関係はなく、それぞれが対等に自立する。

2)ローカルな教会はどのようなミニストリーを受け入れるか(=服するか)、自己責任で選択することができる。ミニストリーとは個人または教会が主イエスとの関係を深めるために奉仕するものであり、彼らをキリストに根ざし、キリストの中で建て上げることである。つまりミニストリー依存にしてはならず、むしろキリスト依存に導く必要がある。

ここで権威の混乱が見られる理由は、ニッポン人の甘えの病理が根っこにある。「カバリングを受ける」と称してその人あるいはミニストリーに依存したり、自己責任を放棄して、あなた任せになる傾向が強いのである。また一方ではこのような人々が自分に依存していることに自分の価値観を見出すミニストリー提供者も出る。主のひつじではなく、自分のひつじを囲うのである。

お分かりでしょうか?すでに「カバリング」というニッポン・キリスト教語の定義が確立しており、しかも真の意味での権威に服すること(一般名詞としてのcovering)からかなり逸脱しているのです。これは「カリスマ」についても同じです。すでにニッポンキリスト教聖霊派的「カリスマ」の定義が確立してしまっています。私は英語でcharismaticといわれても抵抗ありませんが、ニッポンキリスト教語で「カリスマ派」とは言われたくはありません。

日本語は聖書の真理を理解するためにはもっとも不適切な言語であると感じていますが、日本語の世界は日本人の精神病理によってひとつの閉じた世界ができており、その中で聖書の言葉をいじくるとき、ニッポンキリスト教の「教え」が生まれます。それはニッポン人の病理によって相当にバイアスされているのです。

鍵は言語を超えた霊的リアリティに直接に触れること。「重力は距離に反比例し、質量の積に比例とする」とか「f=G・mM/r^2」と書いてもその意味が分からない人は多い。が、食べ過ぎれば容易に重力そのものは体験し得る。霊的世界も同じ。理解できなくても、経験し得る。だれもが直接イエスに触れ、イエスを知ることができるのが新契約である。

「カバリング」を求めたり、押し付けたりする人々は次の聖句によって霊と魂が切り分けられる必要があろう:

 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟
 に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から
 大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるから
 である。(ヘブル8:11) 

正しい権威に服すること

本日のぼやき:500枚の試験マークシートの採点をしているのですが、わが大学の私の上にいます権威はこういったところにあまり金を使いたくないらしく、シート・リーダーが古くて読み取りミスの続出。やれやれ。金曜日にあと200枚あるのだが・・・汗 しかも成績報告書はすべて手書き!夏休みはいつ来るのかなぁ・・・・

* * *

さてさて、私をカルト教祖として訴えていた御仁によると、Dr.ルークは妄想の世界に住み、権威を否定しているくせに、自分は権威風を吹かせているというものであった。実際にも、一部の教会のカルト化が話題となっており、この権威の問題が槍玉に上がっているようである。

ここに神の教会に対する二面からの敵のアタックを見ることができる。一面、一部の牧師が真の権威ではなく、権威主義を強要することにより、その下にある人々がある種の霊的搾取を受け、いわゆる「権威嫌い」に陥る。私が批難しているのは権威ではなく、権威主義である。
 
かくしてもう一面では真の権威に対してすら「羹に懲りて膾を吹く」状態となり、下手をするとあえて権威を否定し、あえて逆らう者も出る。彼らは自由を放縦とはき違えている。彼らは糸の切れたタコのように風に吹きまわされる。

しかるに聖書は明確に権威の系列を語っている。夫婦関係におけるそれ、親子関係におけるそれ、職場の人間関係におけるそれ、国家との関係におけるそれ、そして教会の中におけるそれ・・・。

実は正統な権威に服することは安息と平安を生み出す。安心して任せておれる権威を自分の上に得ることは大きな霊的祝福である。私はすでに90年から英国のColin Urquhartの権威に服しているが、毎年平安が増し加わっていることは明確に証しできる。彼自身が平安の中にあるから、私にもその平安が伝染してくる。かくして権威に服することは安息と平安に留まること、このとき自然と頭(=キリスト)に注がれた油が垂れてくる(詩篇133篇)。あちこちの"油注ぎの器"を追っかける必要もない。

この真の意味で権威に服することは、実は自立していないとできない。自立しないでただ「あなた任せ」にして、自分の期待が裏切られて傷ついた〜とわめく御仁がいるが、何のことはない甘えの病理に過ぎない。幼稚である。従順と盲従はまったく異なる。まず神の前での単独者として自立しているゆえに、誰が真の霊的権威を帯びているかを自ら判断して、自らその権威に服すことができる。この関係は国家と国民も同じである。現代のニッポン人はあまりにも国家に甘えている。

ニッポンキリスト教界を見て、あまりにも幼い者たちが勝手気ままな主張を繰り返しているのを見ると、60年代の学生運動を彷彿とする。彼らは青臭い主張を持って既成の社会(=権威)を否定し壊したが、何のことはない何も生み出すことはできなかった。現在の教界も同じ。確かに権威主義を振り回す牧師もいることは事実。しかしもっと大人として対応できませんか。どうも社会より40年は遅れている、ニッポンキリスト教界は。子供過ぎる。いわゆるリバイバルが起こるはずもない。

成長しましょう。神の前にまず単独者として立つことによって。そして互いの関係を、ひとりひとりが自立することによって、建て上げていきましょう。政治家は国民のレベルを超えることはないし、牧師も信徒のレベルを超えることはない。逆に言えば、政治家を見れば国民の質が分かるし、牧師を見れば信徒の質が分かる。サルは鏡を見て、その中に写った自分に攻撃を仕掛けると言う(ヤコブ1:23参照)。

互いの関係において油が塗られる時、真に服することができる。真に服した者は権威を帯びる。これは別に職制によらない。その権威はその人の醸す安息と平安の雰囲気によって証明される。

それにしても・・・

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ヨン様ズラやメガネって誰がするんでしょうね。不思議です。男が自らそんなものをつけるんでしょうか?女性にセーラー服を着せてしまう植草教授みたいなアブなおじさんもいましたが、逆コスプレ趣味で自分の恋人やダンナにつけさせる女性がいるんでしょうかね。そいで、ふたりでエクスプローラーに乗るわけ?ちょっとアブナイ光景ですよ(^^;A

ヨン様現象の経済効果

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         フォード:エスケープV6 3リッター
         (うちのはシルバーメタですが・・・)

これって一体何なのでしょう?どうも解せない。うちの家族は私以外はみな見てたのですが、それでも娘たちは「うっそ〜、ありえな〜い!」と半分冗談でしたが・・・。

昔、堀ちえみの「スチュワーデス物語」が人気を博した時期がありました。実は私もアレは好きでして、「教官んっ!ドジでのろまな亀みたいな松本ちあきは、試験をクリアして立派なスチュワーデスになれるんでしょうかっ!」(私:知るかよ、人に聞くなって!)、「松本おっ!お前は、ドジでのろまな亀じゃない!(そりゃそうだ)お前を必ず立派なスチュワーデスにしてみせるっ!」(私:疲れるだろうな・・・)といったノリが何とも楽しかったことを覚えています。

ヨン様はこれに比べるとどうもかったるくて、気合が抜けてしまうのですね。やたらとマフラーやハイネックが多いのも、ちょっと不自然と思ってしまう私であります。何でもテレビの女性キャスターが「かったるい」とコメントしたら、批難ゴウゴウだったそうです。何だかコワイですが・・・。加えてヨン様カツラに、ヨン様メガネとか・・・。(私:誰がするんだよ)

で、今ヨン様の乗っていた車、フォードのエクスプローラーがこれまでの3倍の売り上げで、大人気だそうです。30から40台の女性がダンナの手を引っ張って買いに来るんだそうです。自分も何だかヨン様に包まれる夢見心地ちになるんでしょうかね(笑)

実は私はフォード一筋でして、5台のフォードを乗り換えてきています。前回、トーラスを買い換える時、実はエクスプローラー(7人乗りです)を買いたかったんですが、でかすぎるのと高すぎるので、その次のランクの四駆エスケープにしておいたんです。う〜ん、エクスプローラーにしておけば、もっともてたかもしれない!

サーバーの整備

これまでチャペルのPCにはWinXP-ProfessionalによるApacheサーバが走っていたが、ADSL回線がなぜか不安定でよく切れるため、IPの変化によってアクセスができないことが度々起きた。現在、サーバをヒューレットパッカードの専用機にし、専用の固定IPを1つ確保してLinux(何しろタダですから)にて運用する作業をしています。レクチャーやセレブレーションのビデオ配信なども射程に入れて、インフラを整備していきたいと計画している。

が、その前に、チャペルのクーラーの容量が小さくて、暑いこと、暑いこと・・・(^^;A 窓枠型のクーラーと大きな扇風機をそれぞれ1台づつ入れました。67平米(20坪)に平均60名が集まるとほとんど風が通らなくなる。そんな中で、今回ちょっとビデオ撮影をして、5分ほどのクリップにまとめてみました。雰囲気が伝わるかな・・・^^

 * * *

菅さんが無事にお遍路さんを終えたようですが、一方橋本さんが大変なことになりそうですね。下手すると逮捕も・・・?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040726-00000001-yom-soci

小泉氏の軽薄さにはそろそろウンザリであるが、この人、運だけは強いようです。敵がみな自滅していきましたから。橋本さんもそのひとりになりそうです。

あなたは赦されている

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今日は大学のオープンキャンパスで1,000人の高校生とその親御さんたちを接待した。ふぅ〜。昨日は家内だったが、本日は私が軽い熱中症のようで、頭がぼお〜として、目の奥からズンズンと頭痛が走り、吐き気がしている。水はちょこちょこと飲んでいたのだが、何しろ暑すぎる・・・。

そこで上の写真と次のビデオで涼んでください。オホーツクの流氷です(^ ^;A

http://www.kingdomfellowship.com/Av/Ryuhyo_High.wmv

 * * *

証し集に20日の日記を読まれた姉妹が証しを寄稿してくださった。2度の中絶の経験をお持ちの方である。真に自分の罪を自覚する時、真に神の赦しを知ることができる。そして多く赦された者は多く愛することができる。

日ごろ感じているのは、神の裁きを恐れたり、不安や抑うつに責められる人は、この深い部分での赦しの経験(知識ではなく)が欠如しているのではないかと思っている。真に赦されている安堵感と解放感をクルシチャンは味わう必要がある。真に慰めを受けた者は、口先でなく真に人を慰めることができる。

このとき内側に絶えず、「あなたはわたしの子、あなたはわたしの満足である、わたしはあなたの父、あなたを顧みて見捨てない・・・」と言う声が響くようになる。証し集のご婦人もこのような神との親密な会話のコツが開かれた。

遠藤周作の「沈黙」と言う小説があるが、神は沈黙の神ではない。神は生きて語る神である。神の声は絶えず私の霊のうちに響き、私を支えて下さる。私は過去2度人生の危機を経験したが、その度に「恐れるな、虫けらのヤコブよ。わたしはわたしの右の手であなたの右の手を取って、あなたを支える」、また「エリヤの神はどこにいるのか・・・」と言う声がこだました。内なる声によって深い平安が私のあらゆる恐れと不安を沈静化してくださった。

内なるパイロットランプ。外側を見れば振り回されるが、内側(霊)に戻れば、いつもそこに主がおられる。「あなたは赦されている」、「完全な愛は恐れを取り除く」。私たちが真実でなくても、神はとこしえに真実である。

3人の姉妹方の証しを感謝します。

何か変だぞ(3)

熱中症で家内がダウン。やれやれ。皆さまも気をつけてください。とにかく水を飲むこと。

  *  *  *

サーバのADSLが度々切れてしまい、その度にIPが変化するので接続ができなくなる状態が起こっています。ADSLはやけに不安定です。現在サーバ専用のPCを用意し、LINUXで運用する準備をしています。またADSLも専用のIPをひとつ持ちますので、改善されるでしょう。ネットでのレクチャーやセレブレーションのビデオ配信なども射程に入れています。

  *  *  *
 
さてさて、BBSにもありましたが、WTCビルに突っ込んだ飛行機には窓がありません。また右の翼の付け根にドーム上のコブがあり、フツウの旅客機ではないことは明らかです。

前にペンタゴンに飛行機が突っ込んだことはウソであるとBBSでも紹介しましたが、再掲しておきます。フツウの旅客飛行機がペンタゴンの1階に突っ込めるわけがありません。

http://www.asile.org/citoyens/numero13/pentagone/erreurs_en.htm

これが旅客機が突っ込んでできた跡でしょうか?

またWTCビルは410mですが、この高さから物を自由落下させるに要する時間は

 gt^2/2=h より t=sqr(2*h/g)=sqr(2*410/9.8)=9.15

となります。

一方WTCビルの崩壊はビデオから見ると約9.4〜9.8秒程度です。あのボーイング707が衝突しても大丈夫に造ってあったビルが自由落下と同じ速度で崩落することは考えられるでしょうか?

国家が犯罪を行ったらそれを暴くことはまず不可能です。われわれは何か壮大なフェイクを見せられているのです。

 

何か変だぞ(2)

どうも世の中も教界も何か変だぞと、直感的に感じることが多い。この第一感を私は大切にしている。理由は分からないが肌感覚で「変だ」と感知する。これはいのちの不思議であり、聖書にも

しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です(ヘブル5:14)

とある。「感覚」である。これは理屈を超えている。しばしばややこしい神学理論などで武装している人が、当たり前が当たり前でないことが多い。彼らはこの正常な感覚を喪失しているからだ。

私がこうやって一応霊的に生き延びているのも、ある種の臆病さによる。私はいわゆる「新しい霊の流れ」やアメリカ産「油注ぎの器」などにはある種の赤信号が点る。「どこか変」と。私たちのセレブレーションだけを見れば、バリバリのカリスマに見えるだろうが、私の語っていることはきわめて「古い」。

ある人が「ウォッチマン・ニーなんかはもう古い」と言ったが、愚かなものである。人体の構造はヒポクラテスの時代から変わってはいない。霊の領域も同じ。聖書には「はじめから聞いているところにとどまれ」とある。

ここで再度、現代のいわゆる聖霊派などの「新しい霊の流れ」や「預言・幻」にはあらためて警鐘を鳴らしておく。そして私たちは聖霊派とはまったく関わりがないことを改めて宣言しておきたい。

ゴルゴ13の名言がある:「俺が生き延びてこられたのは、10%の才能と、30%の努力と、60%の臆病さによる」と。

何か変だぞ!?

このところの猛暑が変ですね。甲府では40.4℃!42℃辺りからたんぱく質の変性が始まりますから、生命に関わります。そうでなくても水、水、水。私は水は良く飲む方ですが、意識して飲んでいます。地球規模で気候がどこか変です。

 * * *

ジェンキンスさんの発言も変ですね。元々北を離れたかった!?彼は結局自分の味方は誰かを値踏みしていたのです。ここへきて風が自分に吹いており、ニッポンに身を任せてもよかろうと。

でも変ですよ。彼は日本国籍は持っていません。拉致被害者でもありません。彼は自らアメリカを裏切って、北に自ら逃れた(一説にはベトナム派兵から)脱走兵なのです。どうも曾我さんの夫という立場で、その事実から目をそむけようとしていますね、全体に。

もし彼が訴追されず、ウヤムヤになれば、逃げ得の先例を作ることになります。彼は、人生の最後のチャンスだと言っているようですが、キチンとした法の元での裁きを受けるべきでしょう。その上で司法取引あるいは特赦を期待すべきでしょう。自分自身の良心から逃れることはできないのです。

 * * *

変が変でなくなると物事すべて末期状態です。変が変であること、反対に当たり前が当たり前であること、これが大切なのです。何度も繰り返していますが・・・・。

恐ろしい・・・(2)

実はこのクリニック、私も知っているところなんです。某「聖書と○○研究会」が開かれる会場なんですね。院長は中国系の方のようですが、他にも色々暴露されてきています。

白くなかった白骨温泉をはじめ、ボロボロですね。ひるがえってキリスト教界はぜひ白く塗られた墓ではないように、キリスト以外の添加剤なぞ混ぜないで下さい、ネ、立派な先生方・・・。

恐ろしい・・・

中絶胎児を一般ゴミ処理
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040720-00000065-kyodo-soci

おそろしい・・・。感覚が麻痺すると人間は何でもできてしまう。ニッポンが堕胎天国であることは有名。闇を入れて100万/年の堕胎があると推定されている。一方アメリカでは原理主義者が堕胎をする産婦人科医を銃殺する事件も起きている。これもコワイ・・・。

堕胎の真実はこちらを見てください(かなり衝撃的な写真がありますので、自己責任でお願いします):

プロライフ・ジャパン
http://village.infoweb.ne.jp/~fwbc6217/

堕胎して良心の呵責で責め苛まれる女性が多いことは、鎌倉のある寺に行けば分かります。手編みのエプロンや帽子をかぶされた水子地蔵の数の多さに驚きます。こんなことで良心は平安を得ることができないのですが・・・・。

 主よ、憐れんでください・・・。

こちらの証もお読み下さい:
http://www.kingdomfellowship.com/Testimonies/RoseNoir.html

サラちゃんのページ
http://www.fairyinthegarden.com/sarahjanesroom/sarahjanesroom.html

祝福されるコツ

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昨年暮に私の司式で結婚した若い夫婦がコンビニを開店してほぼ2ヶ月。今日はじめてこっそりと覗きに行って来た。本人たちは不在であったが、多摩川縁の立地条件は抜群で、繁盛していることが実感できた。ある商品の売り上げコンテストで全国8千店舗中、何と7位に入ったとのこと。

クリスチャンはすべて神の祝福を受けているものであるが、これは客観的な霊的事実。これを自分の経験のレベルに下ろし、霊・魂・体において大いに神の祝福を享受する人と、なぜかそれができずに、先細りの人生を歩む人がいる。多くのクリスチャンを見てきて、私は大体その人がどのような人生を歩むかは分かるようになった。

神の側の問題ではない。その人の側に問題がある。自己主張の強い人、素直でない人、でしゃばりの人、聞くことができない人、曲がった心の人、手柄を立てたがる人、ものごとを客観的に見ることができない人、思い込みの強い人・・・。これらの人はしばしば特定の問題を延々と抱え続け、学ぶことができない。ただ消耗するだけ。そして神と人に対して責任をなすりつけ、ぶつぶつとつぶやく。

ポイントは心の3要素にある。@動機、A素直さ(ひたむきさ)、B服すること。昨年の夏の英国のキャンプで、Colinが言っていた:多くの人たちが私の元を育ったが、成長している人は"teachable"な人であると。「素直に教えを受け、学ぶことのできる心を持った人」とも訳せよう。自分を一度脇へ置いて、物は試しで従ってみることができる心。これは別に霊的な事柄においてだけでなく、人生の諸事に言えること。受験生を指導しても、伸びる子と伸びない子はすぐに分かる。

神の祝福は私たち神の子があらゆる面で栄えること、喜びに満ちること、これで神の豊かさを表現すること―これこそが父の栄光である。そのための条件である"teachable"とは、自分を捨てることともいえる。捨てた者が得るのである。

神の祝福にはリミットはない。リミットは私たちの心の容量にある。心を取り扱っていただくこと。これが

  エンジョイ・クライスト!

の鍵である。

  富んでいる者はますます富むであろう。

新撰組池田屋事件

香取真吾の近藤勇はちょっとイメージがずれており、配役が学芸会的であるが、一応見れた。幕府方について京都の治安を維持するために自分の命をかけた、ある意味で時代とずれた新撰組であるが、私はこういった愚かな生き方をする人たちが好きだ。時代の流れとかに左右されないで、自分が自分であること。こういった確固としたあり方に憧れる。まあ、彼らにもそれなりの野心があったのだろうが、公義に仕えることを持って良しとする姿勢には惹かれる。

今日教界でも何か新しい霊の流れとか、新しい運動とかにすぐに飛びついたり、アチコチを右往左往する人々がいるが、クリスチャンこそ不変の公義に仕える愚かなサムライであるべきであろう。主イエスは昔も今もとこしえに変わることがない。私たちは初めから聞いていた教えに留まり、内なる油塗りに服するだけである。

昨今の新しい何かを追いかける人たちは自分の動機を良く探っていただく必要があろう。自分は何を求めているのか、自分は何を動機としているのか。内なるキリストこそは確固たる、命を賭して仕えるにふさわしいお方である。古い生き方、愚かな生き方に頑なにこだわりたいDr.ルークである。

 * * *

今日のセレブレーションはあの狭い中に70名ほどが集まって、2台あるクーラーもほとんど効かず、サウナ状態。このチャペルはもう限界ですね。さあて、次なるステップはどのように導かれるのか、私は自ら率先してと言う形で動くことがあまり得意ではないので、いつも「ウンショっ」と重い腰を上げる必要があるが、主が動かれたら着いて行くしかないであろう。

NHKは不愉快だ!

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             オホーツクの朝(小樽港4:40)
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NHKスペシャルの地球の歴史で、哺乳類型爬虫類や、ネズミみたいな哺乳類を、やたらと「あなたの祖先は・・・」と言っているのが気になった。こうやって何の疑問なく断定しておいて、一方で時々に「・・・と考えられています」とやる。きわめて巧妙な誘導(マインドコントロール)である。

アメリカではギャロップの調査(96年)で、進化論を信じている人は何と11%!こういった現状を何の考慮もなく「あなたの先祖は」と来るNHKの押し付け体質というか、傲慢さというか、少々鼻につく次第。私の大学時代の友人や後輩が論説委員やアナウンサーと活躍しているのであるが、ちょいとクレーム入れましょうか。

前に脳機能障害を負ったルナちゃんをめぐってドーマン法のドキュメンタリーがあったが、あれは明らかに母親のヤラセ。これはキチンと医学博士としての立場でクレームを入れたら、NHKのサイトで取り上げてくれて、検討いたしますとのことだった。

さてそこで、ニッポンの福音化にはインテリ層にどれだけ食い込めるかにある。昔の東大を中心とした無教会の流れはすでに老年化が進んでいるから、若い知的階級に訴えることが大きな課題。私が東大時代に伝道した当時の新入生は現在国立大学行政法人の助教授をしているが、彼を通してまたいのちが産出している。

 霊で祈ると同時に、知性でも祈ろう。

ふう〜、暑い、暑い;;;

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     ↑わが青春の一コマ@北海道に向かうフェリー上

 * * *

午前中マンションの管理組合の理事会。かつて理事長をしたときはバイク問題をかなり過激に解決したことがあるが、今回は会計理事なので、楽をさせてもらっている。

面白いのは97戸もあるマンションだと、たいていウルサ方がいて、管理規約や使用細則などをキチンと添削してくれる。こういった人は細かいことにこだわってうっとおしいが、いないと困る人である。マンション内部で起きているイロイロことも実に良く知っている。こういう人をうまく使うことがこの種の仕事を達成する鍵。

ユダヤ人もこういった傾向―これを専門用語で強迫傾向と言うが―によって、聖書を一点一画まで正確に残してくれた。今われわれが聖書を通して神の恵みに与ることができるのも彼らの病的コダワリのお陰である。

 * * *

しかし暑い。こういう日はクーラーの部屋にこもるよりは、いっそのこと裸になって外で日焼けすること。バルコニーで小1時間、カンカン照りの太陽を浴びる。汗がダクダクであるが、この後は冷たいシャワーをあびると爽快である。

というわけで、バイブルカレッジの春期コースも先週で終わり、土曜日が休める次第。夏は目一杯遊びたいとイロイロ計画を立てている。北海道は、これまではフェリーで優雅な船旅で1週間をかけたが(東京からだと船内で2泊)、今回は時間がないので、飛行機で入って、レンタカーを借りて走る予定。

想えば、学生時代に山田監督の「幸福の黄色いハンカチ」を見て北海道に憧れ、友人と2週間車で回ったのが、北海道の初体験。わが青春の懐かしい一コマである。その際屈斜路湖で見た夜空の星の多さとヒュンヒュン流れる流れ星に感動し、「誰が宇宙を造ったのだろう」と思ったのが福音への導きであった。この場面は今もはっきりと想い出すことができる。

若き日にあなたの造り主を覚えよ。歳がいって、何の楽しみもないと言う前に―ソロモン

モロモロ・・・

ベイカー駐日大使が、ジェンキンスさんは正々堂々と出頭し、司法取引をすることを提案している。これがいいでしょう。いつまでも逃げ隠れはできません。これまでの重荷を降ろしてしまうことですね。

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この日記をお読みの新潟県三条市の方からメールをいただきました。当地は現在大変な状況だそうです。前線が停滞して、今後も危険な状況が続くようです。お見舞い申し上げます。

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ようやく大学の前期が終わろうとしています。この3ヵ月半、休日がほとんど取れず、けっこうシンドイ状況でしたが、これでホッと一休みつけます。後は試験の点数をつけて教務課に報告するだけ(と言ってもこれが600名分・・・汗)。

8月は現在日本に帰省しているはちこさんご一家とお会いし、我が家も3泊4日で北海道に行く予定です。この2年間はイギリスだったので、北海道は久しぶりです。日高牧場、川湯温泉、富良野に宿泊する予定。その後また伊豆の温泉にも行きたいところです。

 * * *

菅さんは自分を見つめなおすことができているのでしょうか。このような心理状態になるのは、自分のアイデンティティの立て方が崩れる時なのです。彼は民主党の看板でしたが、彼が亡き後でも大勝利(仮に実質は伴わなくても)。自分の存在意義を問われます。この若さで復帰はほぼ絶望的。民主党を割って、自立するしかないでしょう。

 * * *

『文藝春秋』の今月号に皇室のレポートがありましたが、なかなか一筋縄でいかない世界のようです。フツウでないと言うことはかなりシンドイことなのですね。雅子さまはかなり重症と思いますが、何だか教界でもこの種の話はよくあります。解決法はフツウ性の回復にあります。

フツウであること、当たり前が当たり前であることはとても幸いなことなのです。

管氏のお遍路姿に見るニッポンの病理

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管直人氏が自分を見つめなおすために、お遍路の旅に出たらしい。大丈夫でしょうか、この方。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040715-00000025-san-pol

ある意味でエリートで来て、針の穴を通すようなミスで墓穴を掘ってしまい、政治状況にだけでなく、自分自身の心の中に居場所を失っているのでしょう。こういった挫折を知らないエリートが崩れると脆いものです。

方や橋本派の研究会に歯科医師会から1億の献金があり、表に出ていなかったようですが、橋本氏は個人で受けていないと突っぱねています。どうも自民党の老獪さに対して、民主党はじめとする野党のおっぼちゃま化が進行しているようです。

今後のニッポンの政治はますます場当たり的なフラフラ・ヘラヘラしたものになってしまいそうです。前に書きました、クラゲ・ニッポンです。民主政治ではなく、愚衆政治です。

加えて高校生が大挙して大麻を吸っているとか、スポーツでは日本人が大活躍、国民は自分のことだけを考えて、政府に要求するだけ。自分では決して代価を払おうとしない。

地の塩であるべきクリスチャンも聖霊様充満で気持ち良くなって、恵まれることを追求し、自分を捨てることはしたくない。自分がすべての価値観の中心化し、気持ち良くしてくれるセンセイや油注ぎの器を追っかけています。

ローマの末期、パンとサーカスでローマは滅びたと言われますが、そんな匂いが漂ってきています。

試される情緒の国ニッポン

ジェンキンスさんの処遇が問題となっているが、冷静に考えれば、彼は日本人でもなく、アメリカの脱走兵であり、日本に帰る必然性は元々ない。また日本がアメリカに特別な配慮を求めるのも筋が違う。

アメリカは主権国家として自らの法に基づいて判断することができるし、すべきである。彼は病気があるとのことで、日本で治療するようであるが、ここはキッパリと出る所へ出て、しかるべき判断をされ、もしできるならば大統領選で特赦を求めるなどしたほうがよい。

日本はよど号ハイジャック事件では超法規的措置を取って世界の顰蹙を買ったが、本件でも下手をすると越権行為にして脱走幇助罪的な超法規的措置を取ることになる。「赤信号みんなでわたれば怖くない」(たけし)、「青信号ひとりで渡ると怖くなる」(Dr.ルーク)という情緒的価値観のニッポンがある意味で試されている。

 * * *

今日の珍言名言:

新潟の洪水で妊婦さんを救助した消防隊員がインタビューに答えて一言:「ぜひ水害に負けない赤ちゃんを産んで欲しいと願っています・・・」。

はてさて、「水害に負けない稲」ならば分かるのであるが、「水害に負けない赤ちゃん」っていったい・・・?

(こんなところで突っ込むな!の声も・・・)

 * * *

しかし、最近の気候はちょっと変ですね。日本でも竜巻が生じたり、雹が降ったりと。映画"The Day After Tomorrow"のような感じも。どこか壊れてきているのでしょう、地球も。

暴露されて来ました

イラクの大量破壊兵器に関する報告書は結局いい加減であったことをアメリカもイギリスも認めました。このような形で「予防的措置」としてイラクに戦争を仕掛けたわけです。

またこのことを一部の親イスラエル主義のクリスチャンたちは、イラク市民は警察である国連に助けを求めたが何もしてくれなかったが、ヤクザであるアメリカは非合法かもしれないが助けてくれたと弁明します。かくしてイスラエルの脅威は去ったと。

ある意味で完全に逝っていますね。このようなことがまかり通れば、神の立てた権威の流れや公義が損なわれます。イスラエル中心の聖書預言解釈システムによってヴァーチャルリアリティに生きているかのようです。怖いのはその自分たちの解釈システムを神と等価に置いていることです。

アメリカのイスラエル化、すなわちパラノイドの病理の共有はすでに私が論じたところであり、その予測どおりになってきています。さて、ブッシュはこの落とし前をどうつけるつもりでしょうか?

http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/Jews&Japas2.html

白くない白骨温泉

いやあ、これは面白い。草津温泉の入浴剤とは!よくもまあ、姑息なことをと・・・、が、これは愛嬌があります。

真実の隠蔽と言っても、ウイルスやプリオンに感染した肉や火を吹く車よりは実害がありません。(温泉好きの私は憤慨してますが・・・)

で、さらには、もっと重大な政治のレベルでは、くれぐれも白くないものを白にすることのないように頼みます。

そのサンプル:小泉純一郎氏

彼は見事に自分の言葉で自分を語っています。ここまで開き直って、相変わらずの様は、ある意味で見事ですね。実に言葉が軽く、しかし巧妙な人だ。こういった指導者を選んだニッポンは末永くその実を刈り取ることになろう。

自分を語る言葉

面白いですね、人の心は。そしてキリスト教界というところはその病理がモロに表出するようです。実に人間の病理標本には事欠きません。

同じ聖書を読んでも、神学的に真っ向から対立し、相手の人格までも云々となります。ひとつの事件に対しても証言が見事に食い違ってきます。

しかし、ひとつ言えることは、必ず自分にとって益または有利となるように語ること。特に心を病んでいる人は、巧妙に人の同情を買い、ウソと脚色を交えて、自分に有利な方向へ誘導する術策に長けています。実に黒沢明は天才でした。

こういう話があります。ある極みまで完成された絵を人に見せます。それに対して批評をするその言葉を聞けば、その人の内面が分かると。

あるいは「線形システム理論」という分野があります。ブラックボックスに、ホワイトノイズ(すべての周波数の音を均等に含む雑音)を入れて、そのアウトプットを見ると、その内部の構造(伝達関数)が分かるのです。

医師が胸をトントン(インパルス刺激)と叩いて、反射音から胸腔内部を診ることも同じです。

そして人の心も同じです。私たちが「何か」について語るとき、その語る対象を批判しまた暴露しているのではなく、実は自分の内面を暴露しています。

私たちは人と関わる時、その人の発言の内容の真偽よりも、そこに出るトーンやニュアンス、そして霊を観察します。言葉には必ず霊が乗ります(人格を持った霊ではないですよ)。そして必ずその人の心の動機が見えてきます。人はその言葉によって自分自身を雄弁に語っているのです。

KFCのスタンス

昨日の内容に早速ご質問というか、クレームをいただいた。ニッポンキリスト教と関わらないとはいったいどういうことか、と。やれやれ。

人間の組織においてはしばしば個人の信条や良心よりも、その組織の決定や存続を優先し、個人が疎外されることが起きる。教団の理事会や、役員会の意志が主の御心よりも優先されることは極めてよく起こる(でしょ?)。しかもその役員会などの力学はきわめて人間的であり、「白い巨塔」的である。特に資金的な繋がりがあれば致命的である。

私たちはこのような圧力からは一切自由でいることを願っている。主と御言葉と個人の良心に忠実でありたいだけである。これを損なうリスクのある関わりは一切避けたい。しかし、もちろん個人レベルでの交わりに対してはオープンである。一対一での神との関係、また一対一での個人との関係。これはキリストを共有し得る限り、大いにウエルカム。

実はこのようなスタンスを取ることには、結構リスクがある。いわゆる伝統を重んじるニッポンキリスト教界からはあまり芳しい評価はいただけないであろうし、また出入りが自由なので、変な人がまぎれることがある。これらの人々がまた自分の歪んだ目を通して見た"KFC"をあちこちで喧伝して回る。

しかし私たちは人の目とか人の評価はほとんど信頼していない。これがいかに危ういものであるかは、私は心の専門家として、また経験的にも熟知している。朝と夕でころころと変わるのが人間である。「人を恐れるならば罠に落ちる」、とあるとおり、神の教会を立て上げることでの最大の障害はクリスチャン自身の心にある。

まことの自由を享受する道は、人を見ないこと、神の前で経済的にも精神的も霊的にも自立すること。そして捨てること。私はただキリストの愛以外には縛られたくないだけであり、自由をエンジョイしていたいのである。メル・ギブソンの「パッション」はあまり・・・だが、むしろ「ブレイブハート」を評価したいDr.ルークである。

野中氏のコメント

いいですね、彼のコメント。

まず小泉氏が言葉のマジックで、自衛隊の多国籍軍参加をへらへらとしたことを憲政史上の最大の汚点と。しかし民主党の政権担当能力には疑義を呈しています。

こういった渋い政治家が引退してしまったことは何とも残念です。どうも黒幕的イメージがありましたが、筋の通った肝が据わった人物と再評価しています。

小泉氏に引導を渡したい、きっぱりと腹を切るべし。

民主の健闘

予想の通り、民主が延びているようです。青臭く、政権が担当できるかは一抹の懸念はありますが、とりあえず小泉氏には降りてもらいたい。

さて、これで民主が窓口調査のとおりの議席を取ったとして、小沢氏の処遇が気になります。彼は用済みとなるのか、それとも起死回生、機会をとらえて前面に出てくるのか、少々楽しみです。

 * * *

昨日も書きましたが、Dr.ルークは一体何者?と最近よくたずねられるのです。はてさて、何とお答えしてよいやら。いわゆるひとりの主にある兄弟なんですが・・・。

これまで私はニッポンキリスト教には関わることを避けてきましたが、これからもますます避けるでしょう。この業界はどうも一筋縄ではいかない、一種の要塞と化しているようです。自閉症的村社会、当たり前が当たり前でない社会。どうも精神医学を専門にしている私から見て、病んでいますよ。

この高々2%に多くのエライ先生方が押し合いへし合い、教団や教派も数知れず。一度関わるならば、河童によって泥沼の中に足を引っ張られそうです・・・(^^;A

むしろこの世に積極的に出て行って、この世と積極的に関わること。私たちはこの世の者ではないが、この世にいる者であり、主もそう祈ってくださった(ヨハネ16:33;17:15)。クリスチャン的「出家」は危ないのです。




 

KFCはエリート主義?

あるところで、KFCは異端ではないがエリート主義である、との評判があるらしい。まあ、いつのまにか私もイロイロ言われているようですね^^ニッポンキリスト教とはかなり距離を置いているつもりですが、「評判」というものは私本人とは関係なく一人歩きするもののようです。

「ゴルゴ13」というお行儀の良いキリスト教徒はまず読まないであろう劇画の作者である「さいとうたかを」氏が、「ゴルゴ13のさいとうたかを」と呼ばれるのがショックだったと言っています。作品が勝手に一人歩きした結果です。同様に「Dr.ルーク」というブランドには本人と無関係に色が着くのです。

その一因はどうも私が掴みどころがないせいでもあるようです。私はニッポンキリスト教のどの派とも関係ありませんし、師と仰ぐ人もひとりもおりません。系列もなく、派閥もなく、教団所属でもなく、○○連合や××連盟にも関わってもいません。リバイバル新聞社から本やビデオを出しましたが聖霊派でもなく、福音派とも関係なく、もちろん社会派でもありません。

よってコイツはいったい何者だ・・・?というわけです^^カルトの教祖にされたり、エリート主義者にされたりと、やれやれ、私の関係のないところで「私」も忙しいことです(笑)。

まあ、ポツポツと「エルサレム」の偉い先生方のおられるところからは離れて、「ガリラヤ」のド田舎でマイペースで行きますよ。人におもねることなく、人の顔色を見ることなく、ただ主の御心を畏れ、主のみ顔を見つめつつ、人に仕えることなく、神に仕えるだけです。

曾我さんの再会

車で帰宅途中、車内のTVで見ていました。ある意味感動ですね。ただこれからを考えると、またこれが政治利用されることを考えると、素直に喜べないことに少々憤りを覚えます。それにしても国家と個人の関係って一体何なのだろうと、社会科学を学んでこなかったことを悔やんでいます。

ニッポンプロ野球の終焉

できる選手はみな大リーグへ流出。で、渡辺さんの台詞に呆れた。プロ野球選手会がオーナーとの対話を求めているという話に、「無礼なことを言うな。分をわきまえないといかんよ。たかが選手がオーナーと対等に話をする野球協約上の根拠は一つもない」と語り、古田会長がスト権の行使についても言及すると「どうぞ。やったらいい」と述べた、そうだ。

この人何勘違いしているのかね。ファンと選手を置き忘れて、自分が野球するつもり?典型的な老害です。まさに人間大成して醜悪を曝す。

でもね、これは野球界だけはないでしょう。ニッポンの隅々にまで浸透している感じがしますが。官曰く:「国民よ、分をわきまえよ」。役所曰く:「住民よ、分をわきまえよ」。そして牧師先生曰く:「信徒よ、分をわきまえよ」・・・。渡辺氏は戦後のニッポンの象徴的人物像ですね。

長さんではないが、だめだ、コリャっ!

注:私は野球にはトンと関心がありませんが、こればかりはどうも。実際巨人が金積んでいいとこ取りしているようでは・・・。大リーグを見ている方が気持ちがいい。

アーレフの証し!?

先に紹介したサイトの中にありました。いや、驚きますね:

引用... 続きを読む

オウム(アーレフ)と教界の現状

警視庁長官銃撃事件で、元オウム関係者が逮捕された。一体誰が実行犯か不明であるが、何らかの進展があるのだろう。で、ちょっとネットを検索して、元オウム真理教、現アーレフのサイトを覗いてみた(→http://www.aleph.to/)。

いや、実はこれが面白い。内容がきわめて哲学的かつ科学的。上祐氏は早稲田理工学部出身だけあって、よく勉強している。素粒子物理学の観測の問題、つまり人間の意識と観測の関係や、キリスト教のこともよく勉強している。霊的にはやはりニューエイジに入っているが、内容自体は面白い。

対してキリスト教界のサイトはどうか。これが実に貧弱。「貴方には罪があります。イエス様は身代わりに死なれました。あなたは神のVIPです。信じれば天国に行けます。この世でも幸せになれます。」―オワリ。

はっきり言って、自然科学者としての私から見た時に、まったく面白くないし、幼稚である。例えば、進化論を論駁する論理もきわめて幼稚。せめて木村資生氏の中立説を確率微分方程式で説明できるくらいの知識を持っておいて、創造論を説いて欲しい。

あるいは人の実存的状況について、その真実をカフカあるいは村上春樹の「ノルウェイの森」の病理を解き明かせる位の見識を持ってから、人間の虚しさを説いてほしい。

現在の福音伝道の状況を比喩的に言えば、真実を知っている幼稚園生が、偽りを信じ込んでいる東大生に述べ伝えるようなものである。しかもこの幼稚園生はプライドがかなり高く、頭ごなしに「信じろ、信じろ」を連発し、自分は難しい神学をアレコレ知っていると互いに張り合っているから始末が悪い。また禅の修行僧の清々としたあり方に比して、牧師先生たちの脂ぎった様も私は好まない。

さらに最近、チャーチスクールやホームスクールなどが流行であるが(前にここのBBSでも嵐が吹いたが)、これには大いに疑問を呈する。いいですか、ヨセフもモーセもエジプトで当時の最高の学問を身につけ、ダニエルはバビロンで霊的に訓練されたことを忘れるべきではない。パウロもガマリエルの元で薫陶を受けた。

前にCLC洋書部で、夏休みにアメリカから帰省した(多分)牧師の倅が、「○○の訳本ないですか。試験対策なんです」と言っている光景に遭遇して、やれやれと思ったものだ。本人も、彼の牧会に与る者たちも不幸であろう。かくして今後、温室育ちの幼弱にして、ちょっと発育不良(異常)のクリスチャン・ジュニアが出てくることを懸念しているのは私だけであろうか。

真に子供を愛しているならば、教界などに任せることなく、この世で鍛えるべし!

信仰―安息に入ること

ヘブル書に安息に入ることが強調されている。イスラエルが安息の良き地に入り損なったのは、信じなかったからだと明確に書いてある。この神の民のための安息はまだ残されているから、くれぐれも不信仰によって入りそこなうことのないようにとある。

日本がリバイバルしない理由は簡単である。クリスチャンたちが安息していないからだ。洗礼に至るまでは下にも置かずに気を遣ってもらえるが、いったん洗礼を受けるや、伝道に、奉仕に、聖日礼拝厳守に、十一献金に・・・と次々に急かされる。「一億総動員伝道」とか、私は聞くだけでめげてしまう。「何とか運動」などからは私はすっと距離を置く。

かくして大量のクルシチャンと霊的難民が生まれ、教会をさ迷い歩く。アッチに油注がれた器が来るとか、新しい霊の流れだとか、まさに教えの風に吹き回され、ついに絞っても水が一滴もでない雑巾と化す。

はっきりと言いたい:リバイバルの鍵はクリスチャンたちが真に安息することにある。安息し、潤い、みずみずしく、しっとりと、つやつやと、主にある豊かな富を享受することにある。力の抜けたクリスチャン、安らいでいるクリスチャン、心の底からふつふつと喜びのわき上がるクリスチャン―これがリバイバルの鍵。

ウォッチマン・ニーは言っている:私たちが主のために無駄になるとき、ナルドの香油の香りが満ち、未信者は渇きを覚える。これが真の福音である。イエスのために無駄になる祝福よ!

期待と恐れと・・・

曾我さんがいよいよ家族と再会する。これは大変けっこうであるが、どうも選挙前の日程が気に入らない。政府は否定しているが、選挙を考えての感動ストーリーの演出であることはミエミエ。小泉氏はこういったことも利用するのか。

曾我さんは3人の家族を説得できるか、期待と恐れが渦巻いているだろう。「説得を言う言葉を使いたくない」という彼女の言葉に、できれば葛藤を避けたい、家族は理解してくれるだろうという切なさが現れている。しかしもし3人から逆に北で暮らそうと言われたらどうするだろう。ジェンキンス氏にとっては別に日本に来る理由などはない。彼は亡命者である。

曾我さんはけなげに記者会見しているが、彼女を利用する小泉氏には少々義憤を禁じ得ない。この人にはそろそろご退場を願いたいのだが・・・・

中曽根氏的意見(追加)

彼はまたこうも言っています:

岡田君は民主党の印象を新たにしたと思う。自分のイデオロギーをふりかざして進むというタイプの極めて個性的な政治家だ。小泉君と好対照をなしている。二十一世紀型の素質がたくさんあるが、まだ総合力に欠ける。しかし今はその未熟さが受けている。

これもおっしゃるとおり・・・。期待しているが、青臭い。極私的には小沢氏にぜひやらせたいと思うのだが・・・。

中曽根氏的意見

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日本の歴代首相でいかにも首相然としていたのは中曽根氏までと感じているが、今日の日経朝刊に中曽根氏のインタビュー記事が出ていた。昨日私も書いたのでグッドタイミング。彼は言う:

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今は政治が漂流している。2.26事件前の状況とよく似ている。政治の中枢が不確実で明確な国家意思を決める手段がなく、臨床的な対症療法でしのいでいるだけ。明確な戦略が欠けている。

その中で既成の制度を壊すという名目で小泉君がポピュリズムに乗って出てきたが、本論なくして各論を先行させ、視野狭窄に陥っている。流行ばかり追って、やっていることに脈略がない。彼の周りはイエスマンばかり。

小沢一郎君が9月の代表戦で出る可能性も50%ある。小泉君は私とも視線を合わせようとしないし、彼には情愛がない。小沢一郎君が「小泉さんには、理性、論理、合理といった"理"が欠けている」。まさに言い得て妙だが、政治家には"理"にもまして、"情愛"が大事だ。
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党首演説-言葉のマジック-

NHKで各党の党首の演説会の模様が放送されているが、民主党の青年的理想主義、公明党の大衆臭さ、共産党と社民党の机上の空論という印象が否めない一方、自民党小泉氏の言葉がやはり際立っている。話が極めて具体的であり、彼の熱意がヒシヒシと伝わってくる。彼は自分の言葉で語る首相であり、言葉のマジックに長けているようだ。「多国籍、入籍しても、日本籍」とは絶妙の詭弁。

しかしどの党首の話にも明確なビジョンがない。ニッポンをこれからどうするのか。ニッポンは何によって生きるのか。去勢された国家ニッポン。小泉氏あたりはすでにアメリカとの同盟関係(実質、アメリカのポチ化)のみがニッポンの生きる道と割り切っているようである。

さて来る参院選、私は民主党にがんばって欲しいのだか、問題は本当に政権担当をなし得るかどうか・・・。再度繰り返すが、アメリカの傘下にある政権は長く、アメリカの不評を買った政権は短命なのである。生かさず殺さず、ひたすらアメリカに貢ぐ政権―これが勝利する党である。日本国民向きの党ではなく、アメリカのための党。精神性を忘れ、パンだけで生きるニッポンを作る党。

・・・などと考えていると、私はどこか田舎に引っ込んで庵でも結びたくなるのだ。

イラク統治の鍵

ブッシュは単純細胞の頭脳しか持ち合わせていないと見える。武力でイラク人のプライドと自主的な統治を回復し得ると考えているのだろう。愚かなものである。相変わらずテロは横行し、アルカイダからヨーロッパでのテロ予告がなされた。

真の統治は武力では決してなし得ない。鍵は徳である。日本の自衛隊が比較的評判が良いのも、徳で勝負しているからであろう。

ブッシュの頭にはやはりイスラエルがあるようだ。結局すべてはイスラエルの利益を考えてのこと。かくしてブッシュは神の統治権を侵し、世界はかえって不安になった。アメリカのイスラエル化。精神病理的にはパラノイド(やられる前にヤル)の共有。

元凶はイスラエルというメシアを拒否した頑なな国に行き着くのである。ある有名な先生が「これは風吹けば桶屋が儲かる」の論理であるとのたまっていたが、実に困ったものである。イスラエルの利益を考えて神の統治権を侵し、世界混乱をもたらし、これも終わりの時代だから、聖書予言の通りだ、と高みの論評は私はしたくない。

泣く者と共に泣き、笑う者と共に笑う―イエスのスタンスはこれである。

やつれたフセインと強気のブッシュ

フセインは懸命に応戦していましたが、やつれは隠せませんね。しかし弁護士もつけられずに調査を行うとは、この場面はアメリカのプロパガンダ目的であることは明らかでしょう。訴追理由にイラク戦の大義であった「大量破壊兵器所持」は入っていません。これからアメリカはどのように誘導していくのでしょう(私はフセインを擁護していませんよ。彼の犯罪は明白です)。

 * * *

掲示板にリンクしておいた写真はご覧いただけたでしょうか?百人以上の人を載せた航空機が"突っ込んだ"んですよ。思い出してください。あの尾巣鷹山のJAL機激突の惨状を。対してペンタゴンのきれいなこと。無残にバラバラになった航空機の残骸や遺体一体どこに?

あのですね。911は明らかにおかしいです。世界は壮大にして巧妙なフェイクにはまっているのです。(これでいよいよDr.ルークも陰謀論者の仲間入りかな・・・^^)

華氏911

マイケル・ムーアのこの映画は面白そうですね。ブッシュ家とビン・ラディンの関係も描かれているそうです(これはすでに一部では指摘されていましたが。)日本では8月公開だそうですが、ぜひ見ておきたい一作です。

フセイン裁判とアメリカの影

彼はアメリカの手から法的にはイラクに渡された。これから裁判が始まるらしいが、果たしてどのような形になるのだろうか。また東京裁判と同じもの?私はべつに皇国史観に立つ者ではないが、東京裁判は国際法的にも問題がある。

フセインもそもそも一時はアメリカがイランをけん制するためにバックアップしていたのだ。もっと言えばフセインを育てたのはアメリカである。フセインは「これは茶番だ。犯罪者はブッシュの方だ」と叫んだそうだが、確かに一理ある。力による制圧。

かつて「文明の衝突」を予言したハンチントン教授が、アメリカのアイデンティティは分断化されることを指摘しているが、今後まさにその通りになろう。軍事力だけ肥大化した、精神的にカタワな国。これがアメリカである。よって人工的大義名分を立てて愛国心的アプローチをさらに進めるであろう。

かくしてニッポンは、アメリカのポチと化すか、自立の道を歩めるか。どうも政治家は自立したくない人ばかりのようである。これは民主党が政権をとっても同じであろう。実際アメリカとうまくいかない政権は短命であり、スリスリの政権は長い。真に日本の利益を考えていた田中角栄がアメリカに刺されたことはほぼ間違いがない。

アメリカがクリスチャン国家であり、自由と平等、正義と信仰の国であるというのはすでに幻想である。アメリカ発の"油注ぎの器"をありがたがるニッポンキリスト教のナイーブさには少々辟易しているが、いい加減目を覚ましましょう。

注:「ナイーブ」とは純情とか純粋の意味で理解されているが、原義は「幼稚な愚かさ」の意味である。