2004年06月18日

人の心の不思議(2)

和歌山カレー殺人事件の林真須美被告人が口を開き出し、真実が語られるかと思いきや、全面否認とのこと。自分にはカレーに毒を入れる時間はなかったと証言。また一方で例の手鏡の植草元教授も完全無罪を主張。やれやれ。

私はこういう場合、被告人の心の中で何が起きているか、なぜ偽ることが平然とできるのか、さらにその弁護人はどのような心理で仕事を進めているのかと興味を抱く。人の心の不思議である。例の麻原氏の弁護人も完全無罪を主張していたが、彼らの本心はどこにあるのか。

しばしば法廷の事実と、真実は異なる。証拠主義と心証主義による判決であるから、それはやむを得ないとしても、本心を抑圧して、一種の芝居として弁護をするのであろうか?

一方で、精神医学的には、演技性人格障害とか、虚言症とか名づけることはできる。しかし法廷ではその本性は決して明らかにならない。真須美被告人の心は決して露にならないであろう。

現に政治家の石井紘基氏を殺した右翼系の人物の裁判でも、無期懲役が言い渡されたが、裁判官も認めるとおり、裏は明らかにならなかった。石井氏が持っていたカバンは、指を切り取られて中身が奪われていたようだ。それは日本をひっくり返す資料であったと生前語っていたらしい。オウムのときの村山氏の殺害事件も、警察庁長官狙撃事件の裏もみな闇に葬られたままだ。

このニッポンの闇は深い。社会の闇の深さは人の心の闇の深さの反映に過ぎない。人の心の不思議さ・・・。神を知らないほどにその暗さは深くなる。が、神を知っているはずのキリスト教界もかなり深そうではある。