2004年06月26日

ヨン様のドラマ

これは日本の85年位の「金曜日の妻たちへ」と同じ路線ですね。実は私も「金妻」のパート2だったか、古谷一行、坂東英二、石田あゆみ、小川知子らの主演したヴァージョンはけっこう良く見ていました。あのパティオにみんなで集まって食事会をする場面が好きで、ああいった家に住むことを夢に見ていましたね。おりしもバブル発生の直前でした。(今KFCに何とあの「金妻通り」にお住まいのセレブ婦人がおられますが・・・)

私たちはあの当時は代々木に住んでおりまして、暇があると生まれたばかりの長女をベビーカーに乗せ、参宮橋から代々木公園まで散歩し、代々木公園でしばし遊んだ後、原宿の表参道をブラブラして、ハーゲンダッツのアイスを食べてタクシーで帰るのが日課でした(あの頃は実に時間がありました)。私はまだ大学院の学生でしたから、年収は170万円。しかしリッチな時代でした。

その後主は、金もない私たちに県立公園脇にある、30平米のルーフバルコニーのついた、富士山とランドマークタワー、新横浜プリンスぺぺの見える眺望抜群のマンションを下さいました。日本がひとつのコーナーを曲がる直前の良き時代でしたね。

ヨン様のドラマはそんな時代を髣髴させてくれます。(ちょっとかったるいし、やけにタートルネックやマフラーをしているのが気になりますが)

夫婦と家庭の回復

ニッポンキリスト教のいろいろな話を聞き、分かったことがある。それは教会の奉仕や伝道で熱心な方がしばしば夫婦関係が悪かったり、家庭が崩壊寸前であったりすること。家庭などは顧みず、ひたすら教会のことに入れ込むことが霊的になることらしい。この種の話を伺うたびに、あ〜あ、とため息である。

神は救いを家庭単位で下さっているし、夫婦は共に主の恵みを受け継ぐ存在である(1ペテロ3:7)。霊的になるとは人になることである。当たり前であることはきわめて尊いことである。

そもそも夫婦がバラバラでどうして人に主の恵みを証しすることができようか。夫婦がシックリと共に相手を慈しみ、相手の存在自体を楽しむこと。これは実は神と私たちの関係の絵でもある。何かをすることによって相手に受け入れられるのではなく、ただ自分の存在自体を相手に与え、相手も存在自体をこちらに委ねてくれる。この相互の関わりが夫婦関係の本質である。

神との関係も同じ。聖霊派ではやたらと賜物を求めたがるが、神はすでにご自身を私たちに与えて下さっている。御子に勝る賜物はない。キリストはただ私たちがご自身の存在を楽しむことを求められる。また主も私たちの存在自体を慈しみ楽しんで下さる。これは雅歌に証しされている夫婦の関係である。

最近芸能界でもCMで理想の家庭を演じていたカップルがあっけなく離婚したりするが、私たち夫婦はいわゆる倦怠期とか、相手がいると息がつまるといったことは想像ができない。今年の8月で何と21年目を迎えるが、気持ちは今も新婚時代となんら変わらない。わがカミサンは「私の骨の骨、肉の肉」。共に白髪の生えるまで・・・と(ちょっと本数が気になっていますが^^)。

私のところに来られた方々のひとつの特徴は、夫婦関係がしっくり麗しくなること。家庭が回復し、家庭の中で正しい権威の関係が確立し、主が崇められること。これは大いなる主の御業であり、主の証である。私たちも子供を独立させたら、日本中の温泉を二人で回りたいと、今から楽しみにしている。