2004年09月21日

天動説のリバイバル

小学高学年生の4割が天動説を信じているらしい。動いているのは太陽。一方でネットなどにより情報過多、他方で常識が常識でない。これは実は20年も二十歳前後の学生を相手にしていると、十分予測できたことであり、危機感を深める。共有できるものがなくなっている事実。私にとっての当たり前が、彼らにとっては当たり前でない。例えばその一例:マルクス・エンゲルスを一人の人と思っている学生。他方アリストテレスをアリスとテレスと二人と思っている(NHKよ、責任を取れ〜!)。すでにすごい時代に入っています。

で、いつもながら、教界はどうでしょう。当たり前が当たり前でしょうか?一方でアメリカ産の油注ぎの器と称する人たちを通して来る「聖霊の原爆が落ちる」とかのナンセンスなヤラセ情報があふれ、他方で、いぜんとして「自我を砕きぃ〜」と、髪の毛を引っ張って空を飛ぼうとしているクルシちゃんたち。あるいはややこしい虚しい神学論争に明け暮れて、メンツと勢力範囲の張り合い。

まことの謙遜とは法則を法則とし、それに服すること。ところが自前の「法則」を作りたがるセンセイが多い。かくしてフェイクがあふれる。無意味な情報の洪水は本質的な情報を隠す。敵の狡猾な策である。何かを知っていると思うものは、知るべきほどのことを知らない。クリスチャン生活にとって真に知るべきことはさほど多くはない。再度言うが、霊的耳年増をやめればよい。