* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
とあるBBSより転載−いけてます:
世界キリスト教会会議の議場で火災が発生!
メソジストは隅に集まって祈った。
パプチストは「水はどこだ?」と叫んだ。
クエーカーは火事のもたらした祝福について静かに神を讃えた。
ルター派はドアに火は邪悪であるとの貼り紙を貼りつけた。
ローマ・カトリックは損害をまかなうために献金用の皿を回した。
ユダヤ教徒は炎が通りすぎるよう、扉にシンボルを描いた。
会衆派は「みなひとり立て!」と叫んだ。
根本主義者は「これは神よりの懲罰だ!」と宣言した。
監督制主義者は列を作り、行進して行った。
クリスチャンサイエンス派は火事はないと結論した。
長老派は問題を検討し報告書を提出するための
委員会を任命する議長を指名した。
事務員は消火器を取ると、火を消した。
ついでに・・・
聖霊派は「主の名によって、火災の悪霊よ、去れ!」と叫んだ。
ついでのついでに・・・
禅宗は「心頭滅却すれば、火もまた凉し」。
今日は世間は休み。私は仕事でした。前にも書きましたが、駿台予備学校で数学を教えているのです。
で、朝の講師室での会話。T先生いわく、「唐沢先生、今日何かあったんですか?」、私:「はあ、どうして?」。T氏:「電車がガラガラだったんで、地震警報か何かが出て、みんな避難したのかと・・・」、私:「ははは、今日は休日ですよ」。で、別の先生が割り込んで、「ええっと、今日は何の日でしたか?」、私:「はて、何でしたっけ?」・・・。職員の女性が助け舟を出して、「秋分の日ですよ」。私は、なるほど、と思いましたが、ふと、何で秋分の日は休みなんだろ?と新たな疑問に取りつかれました。
学校の先生たちはこんなものです。大学でもあまり変わりないですね^^要するに世間から浮いているところがあるのです。まあその分、とても基本的・原理的なことを考える癖があるわけです。
信仰も同じ。私はあまり「効果的な伝道の方法」や、「教会成長セミナー」や、「会堂建築法」や、「10分ごとに笑いを取る説教の仕方」などには関心がありません。それらは本質とはまったく関係のない、表層的な事柄です。
教界を見ていてつくづく感じるのは、あまりにも浅薄な目先の流行を追うセンセイたちが多すぎること。彼らはかなり忙しく、それなりに神経をすり減らしているようですが(何だか個人事業主みたいな臭いがします)、私はなるべくメンドウなことから離れて(特に業界の偉いセンセイたちとの関わりなどはうっとおしそうです)、「聖なる怠惰」を楽しんでいたいわけ(これはブラザー・ローレンスの用語です)。いわゆるニッポンのリバイバルをシャカリキになって推進しようとは思いません。→http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing51.html
しかしイエスの魅力を追及することではかなり拘っています。ところがある聖霊派の神学校で、「イエスの魅力って何ですか?」と質問されて、ああ、彼らとは住んでいる世界と言うか、追求している対象が違うんだなあと実感した次第。
主よ、あなたの家の大庭にいる1日は千日にまさる。生きる日の限りあなたの魅力を追い求めることができますように。
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BBSにも書きましたが、昨日サーバが落ち、ファイルが損傷したために表示がおかしかったようです。現在は復旧しております。この日記を読みたいが読めないというメールをいただきました。ご心配をいただき、恐縮です。