2004年6月

誰のために・・・?

NHKの「クローズアップ現代」によると、イラクの復興も何のことはない、現地の企業ではなく、アメリカ資本にみな任せるようだ。要するにアメリカはイラクのインフラを壊すだけ壊し、その復興も自分で行うというわけ。自作自演、ヤラセの世界そのものです。フセインは確かに悪であろうが、ではアメリカは正義???誰のための戦争だったのか・・・・。

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同じようにキリスト教界でも人を集めて説教して何百人、何千人動員したとヤッテいるが、これも誰のため?ニッポンのリバイバルのために総動員伝道だ、一億火の玉伝道だと・・・どうも胡散臭さを覚えるのだが、正直なところ。誰のために?

ちなみに私がニッポンキリスト教と関わるようになって感じた「七+1不思議」はこちら。これは揶揄しているのではなく、本当に不思議なんです:

http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/q&a/7wonders.html

陰でコソコソ・ブーム

どうも小泉氏もブッシュ氏もパフォーマンスだけは派手でも、いざ何かをする段になると、陰でコソコソですね。年金法案を通すときも、1.29を隠してコソコソ。しかも審議を暴力的にストップして。その上多国籍軍への自衛隊参加もコソコソ。一方ブッシュもイラク主権委譲も抜き打ち的に数名でコソコソ・シャンシャンと。何とか言う行政官は逃げるようにイラクを離れました。

教会でもよくあります。コソコソと何かの噂を流し、陰で何かをする人たちが・・・。こうして何時の間にか自分の仲間を作る闇の働き人がいます。これらの人々は決して公明正大には物事をなしません。コソコソ。ヒソヒソ。こうして暗闇の業に与るのです。巻きこまれる人々も多かれ少なかれ心が定まっていません。特に昨今はネットがこれらの人々の有力な武器になっています。

この世にせよ、教会にせよ、心を偽るならば必ず心を病みます。何が正しく、誰が神につく者であるかは、その明るさと健やかで判定できます。

 「わたしは公に語り、公に事をなした」―Jesus

やはり7日に1日は休むべきだ

今日は大学が創立記念日で休み。これで何とか6月を乗り切れそうで、ようやく先が見えてきた。やはり月月火水木金金はシンドイ。

で、午前中はプールで泳ぎ、家内と軽く昼を食べながらドライブし、午後はバルコニーで裸になって日焼けをした。昔はよくゴロゴロできたが、今日はきわめて貴重な時間だった。

太陽に当たることはビタミンDを産生する上でも大切だが、体がほぐれて癒される。体がほぐれると心もほぐれる。体の芯が軽くされ、リフレッシュされた。

空をボーっと眺めること、これにまさる贅沢な時間の過ごし方はない。同時に温泉のガイドブックをめくりながら、どこに行こうかと考えるのも楽しみ・・・。

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テープコピーを60本終えて、あす発送。お待ちいただいている方にはあと少しですので、よろしく。

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フセインの引渡しが30日らしい。と言っても身柄は米軍が確保したままだそうだが、大丈夫か・・・?

当面の関心は・・・

アメリカがイラクに主権委譲を前倒しで行いました。まあ、妨害を避けることと、もう逃げ出したいという部分もあるでしょうね。ブッシュもどこに落とし所を置くか、結局何の見通しもなく始めた戦争ですから。

ただ米軍が駐留する限り、テロは続くでしょうし、真の意味でイラクが主権国家となり得るか、これは大いに疑問です。なぜなら彼らはニッポンのように去勢されていないからです。再度私の予想を掲げておきます:

http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing53.html

ちなみにクラーク氏の暴露本に続いて、CIA幹部の暴露本も出るそうです。これも楽しみですね。ブッシュには重い神の御手が置かれることを祈っております。

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参院選がいよいよですが、はてさて、岡田民主党がどこまで伸びるか。私としては応援したいのですが、どうも民主党はオッボチャマの集団という印象が拭えません。小泉氏を追及した人たちはみな自滅していきましたから、岡田さん、ぜひガムバッテください。本音は、もっと精神性のある人が出て欲しいのです。小沢さんにはいつか首相をと願っています。

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あすはボーナスが出る・・・。やれやれ、これでしばし一息つけるゾ♪

クリスチャンの本質

どうもニッポンキリスト教と触れていると、クリスチャンって一体何よ、と疑問を覚える場面が多い。いろいろな運動や神学があって、互いに張り合ったり、相手が間違っていると異端のラベルを張り合って・・・と。

一方にはエキュメニカルという運動があって、互いの教理を認め合ってひとつになりましょう・・・と。しかし私たちはマリアを礼拝すること(彼らは崇敬と言うのだそうだが)は認められないし、仏教でもヒンズー教でも何でもかんでも救われるとは言えない。救いを与える名はただイエスだけである。クリスチャンのアイデンティティを決めるミニマムというものがある。

一方で分裂に次ぐ分裂、他方で人工的な<ひとつ>を作る運動。クリスチャンの本質はどこにあるのか。それはキリスト教徒になることではなく、キリストのいのちを吹き込まれること。内にキリストを宿した存在がクリスチャンである。教会とはそのような器が団体としてキリストを証しする生ける有機体である。人間が歴史上組織してきた教団や教派とは関係がない。いのちの有機体、これがエクレシアである。互いにいのちを共有し、内なるキリストを交換する場である。

今日のメッセージでは、石の板に書かれた旧約律法は廃棄され、私たちの心に書かれた新約の律法―内なるキリスト―について交わった。同時にレビ系の祭司制度から、メルキゼデク系の祭司制(=キリスト)に変わった。まことのいのちの木なるキリストを私たちのうちに生かすことが神のご計画である。内なる律法とはキリストである。キリストが自らその律法を生きてくださる。このいのちを実体化する方が御霊であり、御霊は私たちのうちにキリストを生かしてくださる。アブラハムへの約束はすでにキリストにフォーカスを置いていた。私たちの責任はただ信仰。信仰を生むのは愛。かくして愛を通して働く信仰だけが尊い。

クリスチャンがただキリストだけにフォーカスすれば話はもっと単純になるはずであり、これがリバイバルであろう。リバイバルとは死んでいたいのちの現れである。クリスチャンの間で神学者の名前はよく聞いても、イエスの御名をあまり聴くことができないのは不思議である。もっとイエスの甘さや魅力について交わることができないものか。この一人のお方との関係に生きること。内なるいのちの御霊の法則に乗って、内なるいのちを享受する人たち。これがクリスチャンである。

「もっとも本質的なこと」
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing33.html

ヨン様のドラマ

これは日本の85年位の「金曜日の妻たちへ」と同じ路線ですね。実は私も「金妻」のパート2だったか、古谷一行、坂東英二、石田あゆみ、小川知子らの主演したヴァージョンはけっこう良く見ていました。あのパティオにみんなで集まって食事会をする場面が好きで、ああいった家に住むことを夢に見ていましたね。おりしもバブル発生の直前でした。(今KFCに何とあの「金妻通り」にお住まいのセレブ婦人がおられますが・・・)

私たちはあの当時は代々木に住んでおりまして、暇があると生まれたばかりの長女をベビーカーに乗せ、参宮橋から代々木公園まで散歩し、代々木公園でしばし遊んだ後、原宿の表参道をブラブラして、ハーゲンダッツのアイスを食べてタクシーで帰るのが日課でした(あの頃は実に時間がありました)。私はまだ大学院の学生でしたから、年収は170万円。しかしリッチな時代でした。

その後主は、金もない私たちに県立公園脇にある、30平米のルーフバルコニーのついた、富士山とランドマークタワー、新横浜プリンスぺぺの見える眺望抜群のマンションを下さいました。日本がひとつのコーナーを曲がる直前の良き時代でしたね。

ヨン様のドラマはそんな時代を髣髴させてくれます。(ちょっとかったるいし、やけにタートルネックやマフラーをしているのが気になりますが)

夫婦と家庭の回復

ニッポンキリスト教のいろいろな話を聞き、分かったことがある。それは教会の奉仕や伝道で熱心な方がしばしば夫婦関係が悪かったり、家庭が崩壊寸前であったりすること。家庭などは顧みず、ひたすら教会のことに入れ込むことが霊的になることらしい。この種の話を伺うたびに、あ〜あ、とため息である。

神は救いを家庭単位で下さっているし、夫婦は共に主の恵みを受け継ぐ存在である(1ペテロ3:7)。霊的になるとは人になることである。当たり前であることはきわめて尊いことである。

そもそも夫婦がバラバラでどうして人に主の恵みを証しすることができようか。夫婦がシックリと共に相手を慈しみ、相手の存在自体を楽しむこと。これは実は神と私たちの関係の絵でもある。何かをすることによって相手に受け入れられるのではなく、ただ自分の存在自体を相手に与え、相手も存在自体をこちらに委ねてくれる。この相互の関わりが夫婦関係の本質である。

神との関係も同じ。聖霊派ではやたらと賜物を求めたがるが、神はすでにご自身を私たちに与えて下さっている。御子に勝る賜物はない。キリストはただ私たちがご自身の存在を楽しむことを求められる。また主も私たちの存在自体を慈しみ楽しんで下さる。これは雅歌に証しされている夫婦の関係である。

最近芸能界でもCMで理想の家庭を演じていたカップルがあっけなく離婚したりするが、私たち夫婦はいわゆる倦怠期とか、相手がいると息がつまるといったことは想像ができない。今年の8月で何と21年目を迎えるが、気持ちは今も新婚時代となんら変わらない。わがカミサンは「私の骨の骨、肉の肉」。共に白髪の生えるまで・・・と(ちょっと本数が気になっていますが^^)。

私のところに来られた方々のひとつの特徴は、夫婦関係がしっくり麗しくなること。家庭が回復し、家庭の中で正しい権威の関係が確立し、主が崇められること。これは大いなる主の御業であり、主の証である。私たちも子供を独立させたら、日本中の温泉を二人で回りたいと、今から楽しみにしている。

この国を憂う

かつて三島由紀夫は憂国の士として、市谷自衛隊本部において隊員に決起を迫るも、怒声の中で拒否され、ついにボディ・ビルで見事に鍛え上げた腹を切った。彼は予言していた:「このまま行くと極東にほかに何もない空疎な経済大国が残る」と。で、確かにそのとおりになっている。

かつて黒船来航により政治的な引きこもりから暴力的に開国を迫られ、ここで政治的な自尊心を打ち砕かれて、武士道を捨てて西洋文明に追従する猿真似ニッポンが誕生した。ここで政治的アイデンティティを否定され、真の内的自我と外的自我に分裂し、真の自我を抑圧したまま、外的自我は西洋に追い越せとばかり富国強兵に邁進し、ついに日露戦争に勝利し、日清戦争から続くWW2まで戦争に次ぐ戦争にのめり込んでいった。抑圧された真の自我が疼いた結果である。http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing6.html

しかしながら、何の見通しも作戦もないままに、竹やりでB29に立ち向かった結果、原爆を落とされ、ここで軍事大国ニッポンも壊滅した。戦後ニッポンはお仕着せの憲法の下、一路経済拡張路線に走り、バブル時にはボーゲル教授の「ジャパン・アズNo1」で有頂天となり、文字通りに泡踊りをし、これもアメリカの資本にほとんど漁夫の利を渡して、ついに経済もクラッシュした。かくしてニッポンは、<政治的アイデンティティ>、<軍事的アイデンティティ>、<経済的アイデンティティ>の三面を見事に粉砕されたわけである。今のニッポンにははっきり言って何もない!

精神分析の用語に「去勢不安」という単語がある。幼児が「ある人」と「ない人」の存在を発見する時、「ない人」は悪いことをして取られたのだと解釈し、ここで父親との同一視によって取られないように善と悪の価値基準を植え込まれる、これがいわゆる超自我(=良心)であるとフロイトは解く。男は潜在的にこの不安を常に抱えており、これが自分のアイデンティティを否定される時に、男が見せる脆さとなる。

日本の歴史に照らす時、まさにニッポンは去勢に告ぐ、去勢の歴史と言える。今やアメリカに対してはまったくの腑抜け状態。相手の言いなりに、ただ貢がされている始末。かくしてニッポンの借金は2004年3月末時点で703兆1478億円。総額は03年度の国内総生産(GDP)(2次速報値)の1.4倍。生まれたばかりの赤ちゃんも含め国民1人当たり550万円の借金を負った計算だ。加えて合計特殊出生数は1.29。

リバイバルを口先で叫ぶだけのお仕着せクリスチャンたちにはいい加減に目を覚ませよと思いつつ、私もできれば三島みたいに腹を切りたいが、そんな気概もない。今必要なのはエレミヤ的預言者であろう。私自身もどのように祈ってよいかも分からないが、御霊のうめきに委ねるだけである(ローマ8:26)。

人の心の不思議(3)

私のような立場にいると人の心の真実を否応なく見なくてはならない場面に往々にして遭遇する。その度にエレミヤ17:9は真理であることを確認するが、人の心はゆがんだ鏡のようである。

いろいろな面々が私たちの前を通り過ぎていった。不正な金を兄弟姉妹から集め、自分の事業につぎ込み、しかも返済を一切しない旅行会社社長。自分と合わない人に関して「あの人には悪霊がついているから気をつけよ」などの中傷を陰で行い、いろいろな人々に突然絶交状を手紙やFAXで送りつけるご婦人。女子高生と親に隠れて交際をし、それを戒めた私の言葉を呪いの預言として、そのために鬱病になったと訴えるやたらと神学には詳しい中年独身男,etc。

これらの方々は結局私たちから離れた後、私どもを、異端だ、カルトだ、と言い広めて回っているが、これもお決まりのパタン。こういった傾向はこの世の組織でも、例えば大学の学長選挙などに伴って怪文書が流れるなどよくあるが、このような話を見聞きするたびに、黒沢明の名作『羅生門』を思い出す。

お体裁の人を気持ちよくするメッセージで、人を"接待する”牧師もいるようであるが、真実に御言葉を語るならば、必ず人の心は霊と魂が切り裂かれ、その真実が暴かれる(ヘブル4:12-15)。一方でいろいろとややこしい神学論争で、これまた互いに異端のレッテルの張り合いをする先生たちもいる。神学的にいかに正しいかろうが、神の取り扱いがない、いのちに触れないメッセージは虚しいし、それは神に仕えるものではなく、人に仕えるものに過ぎない。このようなメッセージで人を集めて何千人教会などを作っても、神の前でいったいどのような意味があろう。

仏教でも救われるとか(私は禅で永遠のいのちが得られるとは言ってないですよ、念のため)、救いにはイエス以外のいろいろな道があるとか、未信者で死んだ人もわずかの善をなしていれば天国に入れるとか、こういった人間中心の教えが表立って目につくようになってきている。このような霊的偽りの状況において、私たちのような立場にあるとつねに、神に仕えるのか、人に仕えるのか、を直接に主から問い掛けられる。神の言葉を預かることの責任である。

人に仕えるのであれば、御霊の油塗りは必ずストップする。自分がどこにいるのかは、内なる油塗りの感覚で分かる。この塗り油にとどまること(1ヨハネ2:27)―ここにクリスチャンのいのちのすべてがかかっている。

電子出版の可能性

NHKの「クローズアップ現代」において活字離れによる出版業界の窮状をレポートしていた。同時に電子メディアによる読書形態が増えているということで、電子出版の可能性を指摘していた。

小生も今出版を考えている本の原稿がほぼできているのであるが、紙メディアでは原価が高くなる上、流通を通すと卸しや書店でサヤを抜かれ、諸経費がかさむ上、在庫管理も大変なので、ずっとペンディングだったが、電子メディアで提供できれば、1冊からでも領布できる。

事実、バイブルカレッジのレクチャー・テープはかなりのご好評をいただき、発送が追いつかないこともしばしばである。また主日のメッセージもこことFTPで公開しているが、これも好評である。さらにセレブレーション全体のテープも同様。真理に対する飢え渇きが強いことが手に取るように分かる。

レクチャーもネット上でオンラインで学ぶことができるように整備したいと思って、中々着手できないできたが、この夏休みに少し手をつけてみようと思っている。そのためには少々設備投資とノウハウの勉強が必要なので、若干ヨッコラサと気合を入れなくてはならない。

さてさて、元々怠け者の小生のこと、どこまでできますか・・・汗

姑息な手段を・・・・

今回合計特殊出生数が1.29となったことが発表されたのは、国会で年金法案が通った後であった。年金法案では1.32で計算されているという。法案を通すために真実を隠蔽するとは・・・

この国はダメですね。こんな姑息なことをして、真実を覆い隠し、泥縄でやりくりせざるを得ないとは。すでに厚生省の予定した数字も毎年底が抜け続けてきた。

この国の病理はすでに可塑性(逆戻り可能)の範囲を超えているのかも知れません。クラゲみたいに波の間に間に漂うだけ。アメリカに頼って生かさず殺さずでかろうじて自転車操業状態。

主の重い御手による取り扱いがまず必要でしょう。クリスチャンたちがアメリカ産の"油注ぎの器"の音頭で踊り、リバイバルの幻想を追っている現状は何とも悲惨で、やり切れないものを感じます。

マジックの魅力

前に「徒然」でも書いたが、私は映画とか口上売りとかマジックなどが大好きである。視覚系が騙されることは実に楽しいというか、夢がある。

「騙される楽しみ」
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing37.html

一般に、精神を受動性(アイドリング)に置くことは霊的には危険であるが、あえて安全な領域では精神の休息を生む。かくして私はマリックさんのファンでもあり、自分でも結婚式の披露宴などで超(?)魔術も披露したりもする。

しかし今日のセロという人物のマジックはすごかった。皆さんはご覧になりました?マリックさんも真っ青ですね。大掛かりな仕掛けがなく、日常性に密着し、日常性を超える結果を生むほどに驚きが大きくなる。

一方で今日の世界情勢を見ていると、何がフェイクで何がリアルであるのか、分からなくなる。前に紹介した私の元同僚(彼は小室直樹の弟子です)が今度新著を著した。題して『人類の月面着陸は無かったろう論』(徳間書店刊)。(→http://soejima.to/

要するにアポロ計画はヤラセであって、人類は月面には行っていないというわけ。これはいろいろな説があって、TVやネットでも論じられているが、最近のアメリカの手法を見いているとさもありなんと妙に納得できてしまう。国家が嘘をついたら、それを見抜くことはまず不可能であるし、むしろその嘘を暴こうとする側が精神異常として社会的に抹殺される。これはケネディ暗殺の真実を追った地方検事ギャリソンの運命でもあった。

もしかすると、世界にはとんでもない裏トリックがあるかもしれないと、薄々と感じ始めているDr.ルークである(やれやれ、これで私も立派な陰謀論者のレッテルを貼られるかな・・・・?)でも歴史を偶然であると見るより、意図があると見たほうがはるかに面白いと思うが(少なくとも文部省公認の歴史教科書などはウソで固めているだろうし、どの国であれ自国の「公式歴史」などは脚色に満ちているであろう)。

「神のご計画と陰謀論」
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing32.html

オブジェクションズ

昨日も少し書きましたが、昨今ワケの分からない事が多発しているようです。

1.オリックスと近鉄の合併:
これって不思議な現象ですね。経営上の必要性があるのでしょうが、こんなことをして球団として成り立つのでしょうか?解せません。ファンは置いてきぼりです。

2.年金の無駄遣い:
厚生官僚の天下り先を確保するために、年金源資から巨額の金をグリーンピアとか箱物だけの施設に流用し、経営が成り立たず、野ざらし状態とのこと。

ニッポンの病理は制度の問題ではなく、心の問題であり、人の道から外れているためです。年金にしても、経営センスの欠如した官も官ですが、国民も相互扶助は当たり前であり、自分がもらえないから払わないという理屈は、こじつけに過ぎません。国に対する甘えであり、昨日のおかしな面々の心性と変わるところはありません。

やはりこの世でも自分の後始末ができないオトナコドモが増えているようです。当事者意識が欠如していますね。この国の将来は相当にキモチの悪い状態になりそうです。

何か変ですが・・・?

イラクで人質となった3名のうちのひとりが国に損害賠償の訴訟を起こしたらしい。自分たちが人質になったのは、国が自衛隊を送ったからだと、よって損害賠償せよと。まあ、額が少ないことから見て、国に対するあてつけでしょうが、どこか変ではないでしょうか?

私のところでも、自分で問題を起こしておいて、それは私からのマインドコントロールを受けていたためであると騒ぐ御仁もいましたが、おいおい、私のところに来る前からすでにおかしかったのでしょう、と言いたいですね。

この世でも教界でも、この手の人種が最近は増えているようです。自己愛性パーソナリティ、さらには境界性パーソナリティです。自分の後始末ができない人々。いつまでもママに保護してもらう必要がある人々。精神科の臨床場面でも、病歴の長い患者になるとドクターを"診断"するツワモノも出ます。

どうも社会から浮いてしまう人がキリスト教界の中で群れる傾向があります。同じ病理を持っている人々はある種の共鳴現象を起こし、かくして病的要塞が次々に構築されています。病んだ状態が"正常"な世界―キリスト教界。自己が空疎なゆえに自己を主張し続けないとアイデンティティの希薄さのゆえに消え入りそうな人々。

彼らには十字架の適用が要るのですが、教会はそれができないままに、○○カウンセリングだ、何とかヒーリングだにおちている有様。受け入れて、慰めあっての世界。十字架のキレがないままに、ぐずぐず、グチグチの繰り返し。まさに魂の粘着性の証明。いやはや、今回復される真理は徹底した霊と魂を切り分ける十字架の真理とそのパワーである。サッパリ系、サラサラ系のクリスチャンでありたいものだ。

ヨン様と聖書預言

韓国のイケメンスターがモテモテらしい。「冬のソナタ」とかメロドラマを筆頭に韓国映画がヒットしている。NHKでチラっと観たが、なんともこそばゆいというか、日本の昭和30年40年代のよろめきドラマみたいな、ある意味で幼稚な話である。

が、このイケメンスターたちには、実は、日本のタレントが失っているある種のけなげさというか、純朴さがある。人は自分が失ったもの、自分が持っていないものを、いわゆるスターたちに投影して、そのスターの活躍を見ることにより、自分をそこに重ねて、自分のフラストレーションをカタルシスする。ニッポンが失ったある種のけなげさや純朴さを韓国ドラマが提供しているのであろう。

これはちょうど聖書預言の一見矛盾のないきれいな解釈を大事にし、イスラエルを純化してしまう病理と同じである。韓国イケメンスターときれいな聖書預言解釈信奉者の間には同じ匂いを感じることができる。

リーマン予想が解けた!?

150年前に提出されていたリーマン予想が解けたということで、アメリカの数学者が世界の数学者に検証を求めているとのこと。リーマン予想とは「ゼータ関数の零点の実部はx=1/2上に分布する」というもの。コンピュータの実験では確かにそのようであるが、証明はなされていなかった。もしこれが本当ならばスゴイ。もちろん私には分からないので、専門家の検証を待ちたいが、夢がある。かつて四色問題はコンピュータのしらみつぶしで解けた。数年前のフェルマーの予想も日本の夭逝の天才谷山と志村の定理を用いて解けた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BA%88%E6%83%B3

私の数学との関わりは、実は脳の機能との関係においてである。数学の真理は一体どこにあるのか。脳のニューロンのネットワークとシナプスにおける結合係数の分布にあるとすれば、数学は人の経験の中で作られるものとなる。しかし例えばフィールズ賞を受賞した数学者小平邦彦氏は、数学の発見とはすでにあるものを彫刻のように掘り出していくものであると言っている。つまり数学とは先験的に存在するものを見出す作業であると。とすると数学的真理はすでに脳の中に組み込まれていることになる。数学は一種の言語であるが、もしこれが人間の経験則から構成されるとすれば、どうして世界を数学で記述できるのか分からなくなる。自然界は数学で書かれている。

ヨハネは「はじめに言(ロゴス)があった」と言っている。数学もひとつのロゴスであり、神によって人の知性の中に書き込まれており、だから自然を記述できる、と私は信じている。わたしたち凡人の頭の中にも書き込まれているのである。ただそれが現れないだけである(あるいは記述する術を持たないと言うべきか)。

同じように、神によって律法も私たちの心の中に書き込まれている。新約はこの内なるまことの律法―いのちの御霊の法則―に従うことであり、これは心身脱落すれば、私たち凡人も享受することができる。すなわち内なるキリストに生き出ていただくこと、これは数学の発見と同じ。すでにあるものを形にしていく、つまり実体化することである。これが信仰である(ヘブル11:1)。

内なるキリストを見出すことは、おそらく数学の定理を見出すことよりもはるかに喜びに満ち、栄光である!

 私たちの内なるキリスト、栄光の望みである(コロサイ書)

人の心の不思議(2)

和歌山カレー殺人事件の林真須美被告人が口を開き出し、真実が語られるかと思いきや、全面否認とのこと。自分にはカレーに毒を入れる時間はなかったと証言。また一方で例の手鏡の植草元教授も完全無罪を主張。やれやれ。

私はこういう場合、被告人の心の中で何が起きているか、なぜ偽ることが平然とできるのか、さらにその弁護人はどのような心理で仕事を進めているのかと興味を抱く。人の心の不思議である。例の麻原氏の弁護人も完全無罪を主張していたが、彼らの本心はどこにあるのか。

しばしば法廷の事実と、真実は異なる。証拠主義と心証主義による判決であるから、それはやむを得ないとしても、本心を抑圧して、一種の芝居として弁護をするのであろうか?

一方で、精神医学的には、演技性人格障害とか、虚言症とか名づけることはできる。しかし法廷ではその本性は決して明らかにならない。真須美被告人の心は決して露にならないであろう。

現に政治家の石井紘基氏を殺した右翼系の人物の裁判でも、無期懲役が言い渡されたが、裁判官も認めるとおり、裏は明らかにならなかった。石井氏が持っていたカバンは、指を切り取られて中身が奪われていたようだ。それは日本をひっくり返す資料であったと生前語っていたらしい。オウムのときの村山氏の殺害事件も、警察庁長官狙撃事件の裏もみな闇に葬られたままだ。

このニッポンの闇は深い。社会の闇の深さは人の心の闇の深さの反映に過ぎない。人の心の不思議さ・・・。神を知らないほどにその暗さは深くなる。が、神を知っているはずのキリスト教界もかなり深そうではある。

ブッシュの本性

6月9日に紹介した本を読みました。クラーク氏の爆弾証言です。結局ブッシュは、とにかく因縁を見つけてフセインをヤリたかったのです(これは前から指摘しているとおりです)。今回の議会でも報告書が出ていますが、アルカイダによる9・11事件とイラクは何も関係がなかったと述べています。ブッシュの猿芝居ももう化けの皮がはがれています。

それにしてもこのブッシュを神が立てた特別の器だと賞賛してたあの方々は今頃何を考えているのでしょう。アホらしい。さらには、なおも懲りずに、あるアメリカの聖書原理主義のHPでは、大量破壊兵器は発見されているなどの記事が出ています。

この前千年期再臨・前艱難携挙説(ダニエルの最後の7年前の携挙)を取る人たちのステレオタイプな預言解釈によって、彼らは真実が見えなくされているようです。彼等は一種のヴァーチャルリアリティの世界にはまっています。

しかるにこのブッシュに尻尾を振り振りのわが首相は一体何を考えているのか。なしくずしで物事を推し進めようとするこの口達者な独裁者は・・・・。ニッポンはすでに岐路を回ったかもしれませんね。ブッシュ&ジュンの上に神の重い御手が置かれることを祈る。

人の心の不思議―エレミヤ17:9―

私は一応精神医学で医学博士号を取得しているが、では人の心がすべて理解できるかというと、じつはさにあらず。ますます人の心が分からなくなってきたというのが本音(汗)。

特にニッポンキリスト教徒と関わるようになって、ますます。不思議な人、理解できない人がきわめて多い。当たり前が当たり前でない世界。ややこしい神学はよく知っていても、フツウの常識が一切欠如している人。すべてを自分の価値観で判断して、相手の立場を理解することができない人。

そもそも電話で私はだいたい90%は聞き役。何のために私のところに電話してくるのか。私のアドバイスを欲しいなら、聞く姿勢を持ってもらいたい。実際よくなっていく人は、最初は自分のことを分かって、受け入れて、と叫んでいるが、徐々に聴く耳を持つようになる。聞くに早く、語るに遅く、とはまさに真理。

ニッポンキリスト教界という魑魅魍魎の跋扈するわけの分からない世界があるかと思えば、世にも三菱自動車というこれまたわけの分からない会社もある。なんと20年にわたってリコール隠しを続けていたと言う。しかもその隠蔽のためのマニュアルまでもあったとか!役人が監査に来たら、まず丁重に接待せよとあるそうだ。やれやれ、お役人も舐められたものである。かくしてすでに多くの犠牲者が出てしまった。わたしはこれまで15年間フォードを乗り継いでいるが、一時は三菱のディアマンテやパジェロを考えたこともあったのだ・・・。

一体、この国はどこまで腐っているのか。まさに、見かけは堂々としていても中が腐っている江戸幕府末期を描いた手塚治虫の漫画『陽だまりの木』の世界そのままである。私は、主よ、この国にリバイバルを、とは祈らない。主よ、まず洗練の御業を、しかるべき裁きをこの国とニッポンキリスト教界に・・・とうめきをもって祈る。

小6殺人事件(9)

精神鑑定の必要性があると言うことで、専門家による鑑定がなされるようだ。しかし出る結論は決まっている:サディズムを伴う分裂病的精神病質(サイコパス傾向)、行為障害、解離性障害(多重人格傾向)、あるいは小児精神病のいずれかであろう。というより、アメリカ精神医学会の診断マニュアルDSM-IVの基準から見て、これ以外にはあまり考えられない。

しかしこれで仮に診断名が確定したからといって、問題が解けるかというと、残念ながらそうは言えない。霊的要因の分析が欠如しているし、失われたものは帰ってこない。また対策が今後立てられるかと言っても、残念ながら難しい。要するに鑑定は法的あるいは行政的な判断に益するのみである。

ある方からDr.ルークは今回の殺人は霊的要因による儀式的殺人であると言っているが、詳しく聞かせて欲しいと求められた。正直に申し上げて、これはまだ直感的判断の段階に過ぎない。理論的裏づけはまだこれからである。外国にはすでにこれらの殺人様式のファイルが蓄積されているが、日本にはまだほとんどないためである。

外国では悪魔礼拝者たちは、現に悪魔に供するために殺人を行うし、しばしばセクシャルな要素が絡んでいる。今回は女児同士であるが、しばしばこの年頃の女児はリピドーの潜伏期を過ぎ、性器期に入る前段階として、未分化かつ幼稚な同性愛傾向を帯びることがある。

いずれにしろ今後の情報の開示を待ちたいが、少なくとも昨今の青少年による殺人は単なる「人殺し」ではなく、深い霊的要因が絡んでいるいることは間違いない。

サーヴァの不調から十字架へ

朝8時40分頃からサーヴァがダウンしていたようです。チャペルに行ってみると、ウイルススキャンソフトがフリーズしているのですね。同時にHDDに異常がありました。どうもメールサーヴァを立ててから、ウイルス感知が頻繁になり、その影響かのようですが、原因が特定できていません。

しかし、何が面白くてウイルスを作るのだろうか。やっぱり自分の腕試しのため?実は競馬や株式投資などの魅力は金を得ることももちろんですが、自分のヨミが当たることが快感なのですね。「私のやり方・方法」が当たることに喜びを見出します。つまり自分の魂を喜ばすこと。これがいわゆるフリークに陥る理由です。

実は投資手法には(逆)裁定取引と言う手法があり、株が上がろうが、下がろうが、ゲインを得ることができるのです。ところがそれではあまり面白くないのです!?お分かりでしょうか。人にはそれほどに魂に対する愛着的粘着力があります。

十字架はこの粘着を断ち切るわけです。よって魂には喜ばしくありません。今日、イエスの名による以外の救いの道があると言ったり、すべての人が救われていると主張する人は、まさに神に仕えるのではなく、自分に仕えているのです。

それは十字架を拒むもの―自分を守り、自分を主張すること。イエスに対して、ご自愛下さいとペテロをとおして囁いたサタンの誘惑です。しかし彼等は必ずその偽りの実を刈り取るでしょう。

ネット社会の危うさ

今回の事件でもすでに明らかになったが、ネットの怖さにはもっと意識すべきであろう。すでにリアルの世界と裏返しのネットの世界がパラレルワールド(双対性構造)となって存在している。しかもそのボーダーがすでに曖昧になり、しかもネット上では何が真実で何が偽りか、ほとんど判断する術を持てなくなっている。

しばしばリアルのパーソナリティとヴァーチャルのパーソナリティは相補関係にあるようだ。リアルでは気の小さい人が、ネットでは豪放磊落の人を演じ、疎外されたもの同士が互いに肌の温もりを求め合っている。しかしその温もりを得ることはできない。よって互いのフラストレーションをきわめて幼稚な形で発散するしかないもどかしさにあえいでいる。

これはきわめて危険である。相手の目を見ることなく、自分の感情を吐露したり、自分の何かを主張することはしばしば自分を罠に落とすことになる。今回の事件もリアルとヴァーチャルの境界線を失った果てに起きたと言える。ヴァーチャルの事件をリアルで晴らしてしまったわけである。

もちろん霊的要素がある。だから周りの人々、救急隊員ですら、かなり深刻なPTSD等に罹っている。私も正直言って、かなりのショックがあった。いわんや被害者加害者双方の親と親族関係者のショックは筆舌に尽くしがたい。

日本もすでに霊的な儀式的殺人が起きるフェーズに入ってしまったと言える。これはまだ序章かもしれない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040613-00000106-kyodo-bus_all

104歳の禅僧のことば

NHKで永平寺の主管のドキュメンタリをやっていた。いいですね、永平寺。私も観て来たが、森閑とした山の斜面に伽藍があって、雲水たちが作務をしていた。静岡の臨済寺もいい。夏にはセミで山全体が鳴く。そこの入り口に「脚下照顧」とあった。ちなみに私も家では作務衣でおります。

 * * *

禅師の話:

悟りと言うものを何か日常から離れたこと思うからいかんのじゃ。日常の当たり前のことがすべて禅であり悟りじゃ。スリッパが乱れていたら、スリッパを直すのじゃ。ゴミがあればゴミをひろう。

座禅も息とひとつになることじゃ。その時に妄想は消えて、環境とひとつになる。自分をわすれることや。すべてのことにおいてひとつになることじゃ。それが自然の法に任せて生きるということ。自然はみな時期が来れば花を咲かせ、何の報酬も期待せず、誰からも認められようとかせずにただ法に従って生きるだけじゃ。自然はすばらしい。

わしは永平寺とひとつであり、永平寺は私である。だから永平寺を愛すること、さらには環境を愛することは自分を愛することじゃ。ただ法を行なって、ただ生きること。これが道元禅師の只管只座じゃ。

 * * *

道元はかく言っている:

「仏道をならうとは自己をならうなり。自己をならうとは自己を忘るるなり。自己を忘るるいふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるいふとは、自己の心身、および侘己の心身をして脱落せしむるなり」―要するに自分から意識が離れて法のままに生きること。自分の心身から意識(注意)が離れることを「心身脱落」という。

主は生活の糧を思い煩う人々に、「野の花を見よ」と言われた。いのちの法則を見よと。「自分の魂を自分で救おうとする者はそれを失い、失う者は得る」と。

禅者はもちろん霊的ないのちを持っていないし、現に鈴木大拙は「わしはイエスは覚者と分かるが、聖霊だけは分からん」と言っている。しかし魂の経験として、自分の何かから意識が離れる点は同一である。これはパウロのローマ7章から8章への飛び越しと同じ。

私たちキリスト者は、自己を忘れ、心身脱落して、キリストのいのちの御霊の法則に乗ること。きわめて楽な生き方である。法にませた生き方。このときにはただ当たり前を当たり前に生きるだけ。人からの評価や報酬などはかえってうっとしく感じられる。

しかし心身脱落したクリスチャンはあまり多くはいない。だいたい神学オツムでガチガチで、いのちの法則などは聞いたこともない。多くのニッポンキリスト教徒は"苦しチャン"である。しかしブラザーローレンスも言っている:任せた者には苦も楽も同じだと。藁を一本拾うことにも喜びがある、と・・・。

さあ、自分の教会を大きくして、信徒を増やして一旗挙げたい牧師には、ぜひ永平寺で10年くらい修行をしてもらいと思うのだが・・・。「只管只座」の境地を得て欲しいものだ。

詳細はこちらを:

「意識の扱い方について」
http://www.kingdomfellowship.com/Topics/consciouness.html

特殊合計出生数の脅威

ついに昨年の1.31を割り込んで、今年は1.29です。これで年金の計画もまたご破算。女性が子供を産まないのは、自分の人生を子育てで消耗したくない(=自己実現の追及)、あるいは生みたくても環境が整っていないため。子供を生まなければますます環境は逼迫する一方。

しかしついには自己実現を求めるその本人に帰ることに気がつかないのでしょうか。自分のための人生―これが戦後刷り込まれた価値観です。人のために犠牲になる人生―これは古い時代の価値観であり、一種のカルトとされています。分かりますか、ニッポンの未来に私があまり明るい展望をもてない理由が。「私が、私の、私は・・・」。その中心にあるのはI、I、I!

自分を他の何かのために犠牲として捨てること。「プロジェクトX」が感動的なのは、何かに自分を注ぎ出す姿があるからです。しかしバブルでそれを3Kとあざ笑った。そのツケが今出ています。この徳は少なくとも武士道には生きていました。「武士道とは死ぬことと見つけたり」―『葉隠れ』にこうあります。それは愚かな生き方でしょう。主の十字架はもっとも愚かな事実です。その愚かなことを信じて、愚かに生きる―これがクリスチャンです。

クリスチャンは「生めよ、増えよ」とあるとおり、子沢山は大いなる祝福なのです。大いに子供のために消耗すべきです。大いなる主の恵みが満ちるでしょう。

小6殺人事件(8)

加害少女は喉をかき切った後、被害者の顔を蹴飛ばしているのですね。喉の傷は骨まで見えるもので、顔もつぶれるほどだったようです。また左手の甲の傷も骨が出るほどだったようです。

これは尋常ではありません。力学的にも小6の女児にできる犯行ではありません。何か特別な力が関わったとしか考えられません。

小3の児童がカーテン越しに加害少女と目が会ったそうですが、その目は恐ろしいものであったようです。これは明らかに何かの霊の働きです。

肉の憎悪に対して、霊が油を注ぎ、加害少女は何かの力に動かされるかのように犯したのでしょう。「声」を聞いていることは明らかですね。セキュラーな精神科医は分裂病とするでしょうが。

Dr.ルークのニッポンの未来予想

『文藝春秋』今月号に拉致被害者家族の横田さん達の発言が出ていました。彼らが今回の首相の訪朝に期待したことは大きかったのですね。ある面で幻想が膨らみすぎた感もありますが、小泉氏はずるいです。

どうもすでに取引条件は話がついていたのであって、あのジョンイルさんとの会見はヤラセのようです。そして早めに話を打ち切って、ジェンキンスさんを説得してたわけです(これも無理なことは分かっていてのパフォーマンスです)。結局米と薬品の援助を約束して5名だけを連れて帰ったと。そして被害者家族の罵声をあえて無言で浴びて、国民の感情を自分に有利になる方向へと導いています。

この人はただ口をとんがらして喧嘩するだけでなく、ちゃんと国民の反応を読んでいますね。対して小泉さんを追及しようとした野党の若手はみな自滅しています。「原理主義者」とあだ名される堅物岡田さんも何やら暴露されています。

これにもどうも裏の陰謀があるのではないかと勘ぐってしまいます。彼らが与党に散々批難を浴びせたいい時期に、まさにそのテーマで自分が罠にかかる形で、その人たちのスキャンダルが暴かれていますから。

前に私は今後の政局はポピュリズムと民族主義がキーワードになると書きましたが、その予想通りです(http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/Jews&Japas4.html)。

今後、ニッポンの病理である二相性が顕著に現れて分裂病的状態(急性症状)となるでしょう。かくして感情も鈍磨し、編板化し、無気力と鬱的気分が支配し、意欲をなくしていく陰性症状を呈するようになるでしょう。現に若者の間で働かない者たち(ニート)が63万人(10年前の1.6倍)、フリータ417万、引きこもり100万と推計されています。鬱病も10人に一人です。

これからのニッポンはほんとヤバイ方向へ行きます。生き延びる方法は2つあります:ひとつは前にも言いましたが、20%のエリートを育てること、もうひとつはアメリカの属国となること。多分に後者の可能性が高いでしょう。

すでにニポンの個人金融資産は1300兆あるといっても、6,7割はアメリカに流れ、彼らのクレジット生活の穴を埋めているのです。これらはまず戻ってきません。今回のイラクの債権放棄と同じです。そろそろ気がつくべきですが、石原都知事にもっと声を上げてもらわねば・・・。

そしてこれはニッポンキリスト教も同じ。アメリカと韓国系の危ない霊の流れで搾取されています。

何処へ向かわんくらげ大国ニッポンは?

徒然なるままに日記など書きおりせば、物ぐるおしけれ、とならむ。

いよよ背骨なきくらげ大国ニッポンの本領発揮されん。価値基準なかりせば、フワフワと吹く風に吹きまわされ、波のまにまに漂うが如し。ブッシュのポチと化しおりて・・・。

ニッポンキリスト教も同じ。次々に"油注ぎの器"をおっかけんとて、新しき霊の流れ、教えの風に吹きまわされており。いい加減いずこに(=キリスト)に、しかと根を張れよ、と言わんこと難し。

9・11の真実

についての暴露証言本が邦訳されました。

元米国テロ対策大統領特別補佐官リチャード・クラーク氏による

 『爆弾証言−すべての敵に向かって−』徳間書店

 「ブッシュ政権は9・11攻撃を知っていた!
  ブッシュの戦争は対テロ戦争ではなく、
  テロ促進戦争なのだ」−クラーク氏

早速ネットで注文しました。

ついに自衛隊も多国籍軍化!?

この「ブッシュのポチ」と呼ばれる男はどこまで尻尾を振るつもりか。仕事もいろいろ、会社もいろいろ、総理もいろいろ・・・と。口をとんがらして「わたしにぃ〜、なんでぇ〜、謝罪するぅ〜、必要があるんですかぁ〜ツ」式に、口先八丁でなし崩しですね。

エライ総理を国民は選んでしまったものです。あの野中氏が政治生命を賭してはずそうとした"独裁者"の先行きが危ぶまれます。

ちなみに私は自衛隊の存在や活動を否定しているのでありません。憲法を変えて、正式に軍隊として、しかるべき手順を経て進めるべきだと思うわけです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040609-00000003-yom-pol

小6殺人事件(7)

捜査関係者の言葉です(Yahooニュースより):

 「供述をいくら聞いても、トラブルの程度と犯行の重大性が結びつかない」
 県警幹部はしきりに首をかしげる。30年以上、事件を見てきた中で「一番の謎」と言い切る。「幼い容姿、話しぶりから考えても、あんな残虐なことがなぜできるのか……」
 4月以降、女児は「同級生に仲間外れにされた」と両親に訴えた。そのころからホームページへの書き込み内容が荒れ始める。
 中学生同士が殺し合う小説「バトル・ロワイアル」をなぞった「自作小説」のほか、日記欄には「うぜークラス」「下品な愚民」と書くなど内容が過激になっていった。
 事件後に面会した付添人弁護士は「心中には、大人には理解できない複雑な世界が潜んでいるようだ。再発防止のためにも、内面を知る必要がある」と話す。

 * * *

私が予想したとおり、霊的要因が深く関わっていることが徐々に明らかになっています。私は大学の講義で、「『太陽にほえろ』式の古典的刑事は役に立たなくなる」と学生に話しています。根性と足で稼ぐタイプはすでに時代からずれているのです。時代は精神病理と、願わくは霊的病理を理解する刑事が必要となっています。

私はおそらくこの女児はある種の霊の憑依の下で実行したと推測します。もっと言えば、霊が実行させた。だから彼女には現実感が喪失しています。これだけ冷静に、また冷酷に人の喉をかき切ることはフツウではできません。ある種の処刑あるいは儀式のような感じがします。現在も落ち着き払っているとのことで、精神鑑定もなされるそうですが、多分に鑑別が困難でしょう。

精神病理的に言えば、サディズムを帯びた行為障害あるいは精神分裂病質あたりになろうかと思います。あるいは解離性障害(多重人格傾向)でしょう。しかし霊的な要因は無視されますから、真実に迫ることはできません。ある種の状況に追い込まれた時、彼女を通してその霊の人格が現れると思います。

いずれにしろ、私の予想の程度を超えて事態が進展していることに戦慄を覚えます。

オカルトや魔術の影響についてはこちらを-:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/harrypotter.html

国会闘争と教界闘争

困ったものですね。会社もいろいろ、仕事もいろいろ、人生いろいろ・・・。ブッシュのポチと呼ばれる小泉氏の正体はいったい何なのでしょうか?しかしこの手でやれば、何でもありになりますね。ニッポン丸はいったいどこへ向かうのでしょう。

一方でニッポンキリスト教はこの世の後追いで、カウンセリングに、オンリーワンに、恵まれることの追求に、金歯金粉に、油注ぎの器のオッカケにと・・・。閉鎖社会の中で互いの足を引っ張り合いながら、自己満足と自己憐憫に落ちています。病んでいる人の方が当たり前かのような状況。

サタンはクリスチャンが自分の癒しだ、解放だ、ハッピーライフの追求だに陥ることをほくそえんでいることに気がつかないのでしょうか。いい加減目を覚ましませんか。

ちなみにこんな調査結果もあります:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040607-00000001-vgb-sci

小6殺人事件(6)

加害女児の詩です:

 影、漆黒の才が闇を満たしていようと構わない・・・
 ・・・苦渋、絶望、苦しみが私を支配する・・・
 神様はいるのですか・・・助けて下さい・・・

霊的な何かに完全に囚われ、かつ自らを明け渡しています。同時にそこからの救いを求める呻き。

間違いなく「声」を聴いていますね。頭と心の乖離、さらに霊的な「声」による圧迫。神戸殺人事件の「16歳」という詩と共通します。彼も実存的な暗闇を書いており、自分の中に悪魔がいると言っていました。共通する要因があります。

そろそろ霊的なことに"正しく"目覚めないと、ニッポン社会もニッポンキリスト教も(社会派はもちろんですが、聖霊派も聖書にきちんと基づいて、ですね。迷信は排除すべきです。)

小6殺人事件(5)

加害少女のご両親に対するケアあるいは保護が必要です。最悪の場合、自殺の可能性もあります。

被害者の父親も、今回の場合は、自分の気持ちをどこにぶつければよいのか、きわめて厳しい精神状態が続くでしょう。

夢であればよいのに・・・。

小6殺人事件(4)

チャペルのサーバがハッカーさんのアタックを受け、異常になっていました。ログを見ると頻繁に攻撃しているのですね。何が面白いのでしょうか?一応、ルータとファイアウォールを二重にして防御しているのですが。

 * * *

佐世保事件はネットがかなり大きなウエイトを占めていることは事実であるが、ネットが悪いわけではない。ネットは人の心の病理を拡大する。ネットに入れ込むと問題を起こすのではなく、問題があるからネットに入れ込むの方が多いだろう。彼女の掲示板に「苦汁、絶望、苦しみが私を支配する。それでも最後は起きあがるのもいいと思う」と書かれていたようだ。私など小6の頃は遊びほうけていたものだが。

リアルの人間関係が豊かであれば、あえてネットで刹那の慰めを求める必要もない。クリ系BBSでも、掲示板でのやり取りがマジになっている人がいることが怖い。相手が誰であるのか分からないまま、自分の本心を吐露したり、慰めや励ましを求めたりと、彼らの心はほとんどヴァーチャルとリアルが混同している。

しばしばネットに入れ込む人々は心の問題を抱えている。これは本人に会って一目見れば、特に目を見れば、その本質は露になる。主も人の目は心の窓であると言っているが、ネットでは目が見えない。相手の異常性が分からないまま、文字情報で判断することになる。きわめて危険であることは明白である。

今回の少女もどうも元々サディズム傾向を持っているようである。前に駐車場から男児を性器に傷をつけ裸で投げ落とした中学生の事件があったが、それと同類の匂いを覚える。被害女児が加害女児をネットで中傷して、それに対する反応で事件を起こしたというのは単なる言い訳に過ぎない。人は自分を正当化するためにはどのような歪曲の証言でもなす。ネットが彼女の病理を拡大したことは間違いないが。

今回の殺害の仕方の何か映画の一場面であるような感じといい、加害女児の「被害者に会って謝りたい」という言葉に、彼女の現実感覚の欠如を覚え、ある種の不気味さを覚えるが、皆さんはいかがであろう。

小6殺人事件(3)

この少女は被害者をいすに座らせて、タオルで目隠ししようとしたができず、手で目隠しして、背後から首を切ったようです。この殺害法は私の予想通りです。

しかも、さらには、加害少女は中学生が互いに殺し合うという残虐な映画「バトルロワイヤル」や、ホラー系の本などを好んでいたようです。今回の殺し方もおそらくこれらの本や映画の場面を真似ています。彼女はヴァーチャルとリアルがほとんど混同している変性意識状態で行為に及んだのでしょう。そして何度も言いますが、ある種の「声」を聞いているでょう。「殺せ」とか「やれ」などの。精神病理と霊的病理が錯綜している事件です。

しかしこういった映画や小説が氾濫している昨今の様はきわめて悪いですね。幼い彼らの脳裏には鮮明にその場面が焼きつきます。あとは肉的憎悪と霊的な「声」がトリガーとなって行為に至るわけです。模倣犯が出ないことを願います。

新情報:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040603-00001078-mai-soci

小6殺人事件(2)

これは予想以上に事態は深刻ですね。ネット上でのやり取りが契機となり、殺意を持って、いすに座らせて、おそらく背後から喉をかき切ったようです。普通日本人は喉をかき切るといった方法は取りません。刺すか、女性の場合は闇雲に傷をつけたり、恨みがある場合は顔を狙うとかです。今回はある意味で一撃で死に至らしめているわけで、これは大人でもできることではありません。

多分ネットでの相手の書き込みによって、仲がよかった分、裏切られたという感情で加害者も相当に深く傷ついたのでしょう。この時期の少女は周りから浮くことを恐れ、特定の相手とべったりになり、境界線が不明確になります。自分と他者の分化が不明瞭な状態に戻るわけです。相手と私がある意味で溶け合った形でアイデンティティを確立するわけです。その結合というか、融合が強ければ強いほど、些細なことで裏切りを感じ、それが憎悪に変わるわけです。

しかしこれはよくあることで、なぜ今回のように喉をかき切るといった方法を取ったのか、これは非常に特異的であると言えます。私はおそらく「声」を聞いていると推測しています。今後の事実関係の解明を待ちたいと思います。

小6殺人事件

被害者の傷は深さ10cm、幅10cmだそうです。これだけの傷はそう簡単につくものではありません。動機が何なのか。私の推測ですが、バスジャック事件や池田小学校事件の時と同様に、おそらく加害者は何かの「声」を聞いていると思います。次をご参照下さい:

http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/jiken-byori.html

http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/shonen_byori.html

http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/youngs.html

ネタは尽きまじ

精神保健学の講義で、意味不明の事件が今後多発することを毎年予言しているが、年々そのとおりになってきてしまっている。講義のネタには事欠かない。

今日においては、小6の女子が同級生の首をカッターナイフで切って殺す事件、母親が高2の娘を10箇所刺しまくって自分も自殺を図るという事件、はたまた小5の女子が飛び降り自殺を図った事件、そして父親が21歳の娘に指を切断させた事件。なんだコレは!

どこか狂っている、この世も、そして教界も。ますます当たり前が当たり前でなくなっている状況。私もニッポンキリスト教と接触し始めて驚いたのは、健全な人が少ないこと。当たり前を当たり前にできる人があまりにも少ない・・・、とっとっと。これはもう前にも書きましたね。

北朝鮮から帰国されたお子さんたちは、おそらくこのようなニッポンに適応するのはかなり困難だろう。彼らには「主体思想」という屋台骨があるので、仮に洗脳されているにせよ、秩序を保っている。長幼の序とか、礼儀作法とか。よって現ニッポンの堕した様を知るようになれば、相当に葛藤を覚えるだろう。

クリスチャンの子供たちもおかしくなる子が多いが、親を見るとたいてい、物分りがよく、立派なキリスト教徒の振る舞いができる人である。しかしまともな子の親を見ると、しばしば物分りが悪く、しつけも頑固一徹に張り手も辞さない人が多い。しかるに聖書は何と言っているか:

 箴言3:11―わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。

 箴言13:24―むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。

国の根幹は子供のしつけにある、が、今日真の愛が見失われて、偽りの砂糖まぶしの"愛"が蔓延っている。この甘さは実は親が自分に対して甘いからである。同じように牧師が信徒の顔色を伺い、牧会というサービス業を生業としているからである。ご機嫌取りのメッセージで、うちの信徒は○○人とか称して。

ここでもまた予言しよう:この世でも教界でも、ますます奇奇怪怪の事件が多発するであろう。しかも意味不明性を増し加えたものが・・・。

 * * *

BGMを変えました。Carol Owenの"Jesus I love you"です。