2004年9月

DVDの価格設定について

DVD版『真理はあなたを自由にする』は、ビデオ版よりも若干高く設定してあります。これはリバイバル新聞社のビデオ版と競合させないためです。ご理解下さいませ。

財政状況覚書

ニッポンの真実:

■平成16年度財政状況
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バプテスマとチョットCMと経済学の話

ネットで不思議な導きでお会いできた方がバプテスマされた。15年も信仰を持ちながら、バプテスマは受けておられなかったが、主の促しに従われた。大いなる恵みの中を歩まれますように!

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DVD版『真理はあなたを自由にするT、U』が好評である。ビデオだと頭出しができず、スペースも取るが、DVDはかなり自由に使える。全5時間ですから、かなり学びがいがあると思います。またCG画面も面白いですし、イスラエルの名所映像がKFMのワーシップと共に楽しめます。手前味噌ですが、お薦めいたします。

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ニッポンキリスト教界は統計によると教会は増えても礼拝出席者数は減少一途らしい。経済的にも苦しい場面があるが、「花見酒の経済」に落ちているためと思っている。ご存知ですか、

お花見に来ていたはっつあんと熊さん。酒瓶を持つはっつあんから2銭を持っている熊さんが"買って"グビリと飲む、次にはっつあんがその2銭で熊さんから酒瓶を"買って"グビリと飲む。・・・これを繰り返しているうちに、何が残るかというと、空の酒瓶と2銭だけ。何も生産しない経済はこうなるわけ。

ニッポンキリスト教も同じ。新しいいのちの産出と循環がなかったらこの業界の先は見えている。そのためには魅力が必要。十一献金を要求される楽しくない"お勤め"化した礼拝に誰が喜んで出るだろうか?イエスの息吹によるいのちを吹き込まれ、そのいのちを循環させること−これがセレブレーションである。常に新鮮さを保つこと、つねに新しい主の魅力を発見すること。その鍵は霊にある。

注:受洗者数は、一説によると、300万はあるそうです。礼拝出席を無理強いすることは礼拝がお勤め化している証拠です。「1%コンプレクス」から解放されるべきでしょうね。大記録に望んで淡々としているイチローに学びましょう。

潔さ

BBSにも書きましたが、ブレア首相がイラク戦について部分的に謝罪をしたとのこと。したくはないが、せざるを得ないという苦しい決断。偽る人はみな同じパタンを示す。ブッシュも相変わらず強気であるが、もし初めから意図していたら、なるほどである。で、面白い記事を紹介しておきます:http://tanakanews.com/e0914wtc.htm

例の二枚目テニス代議士古賀さんもセメダイン、じゃなかった、ペーパーダイン、じゃなかった、ペパダイン大学を卒業していないことを知りつつ、「卒業」に○をつけたと、ついに白状した。おそらくは起訴される。みんなの前で涙を流して絶叫しても無駄でした。大体こういった時はほとんどウソがある。(しかし、これであのエロい山拓氏が復活する?まあ、政治手腕とその方面は関係ないが、それにしても誰が古賀氏を刺したのか?)

どうも人間は切羽詰るとイロイロな策を弄するようになるが、策を弄すれば弄するほど、傷を深くする。私はこの人間心理を株式相場で学んだ。自分の判断が間違っていることに気がついたら、一刻も早く損切りすること。ところがこの撤退の決断がなかなかできないもの。願望的観測をめぐらしている間に、むしろ事態は逆に悪化する・・・。

人は判断ミスや失敗は避けられないが、傷を最小限にとどめるのは「潔さ」である。その点イチローの発言は実にキレがよく、気持ちがイイ。後3本、明日か、明後日にはいくでしょう。

覚え書き

最近ふと気がついたこと:

救急車に書かれている「救急」という文字が裏返しになっている理由が長年の謎だった。アメリカでも同じ。「なぜだ・・・」と。で、ようやく閃いた、「あ、そうか、車のバックミラーに写ったときに正常になるんだ!」。少々うれしかった次第。

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イチロー語録:

自分はこれまでモチベーションを失ったことは一度もない。自分がアメリカで大きな人たちといっしょにやれるとは思ってもいなかったが、一つひとつの積み重ねでここまで来てしまったというのが実感。常にプレッシャーを受ける選手でいたい。

―キザなくらいにいい台詞です。

精神年齢は?

マッカーサーは日本人の精神年齢は12歳と揶揄したとか・・・(最近その真意を説いた本が出たが)。で、今はどうなんでしょう?

大学の入学式や卒業式ならイザ知らず、会社の入社式に母親が同行するとか。私のところにも母親がクレームの電話を入れてくる有様。

「一億総白痴化」と大宅荘一(でしたっけ?)は言ったが、「一億総幼稚園児化」と言いたいですっ!大学1年生はピッカピカの小学13年生。

一方で教界はどうですか!自分のことは自分でやれてますかっ?(と、文字でガンバッテ激してみる)

昨今の学生模様(2)

前に試験成績に疑義のある学生の話を書いたが、その際、電話連絡が取れず、対応できていない学生が1名いた。本日の講義でその女子学生が来て、「先生から連絡がなかった・・・」と不満げな様子。私:「君の携帯に何度も電話したけど連絡できなかったよ・・・」。(少し考えてから)彼女:「あ、そうだ!あたし、携帯の番号変えたんだっけ!」。私:(内心で、ムッとしつつ:またこれだよ・・・)。

で、マークシートの山から自分のものを探し出させ、自己採点させた。デキは結構良く、採点漏れになった原因を調べると、案の定、学籍番号の記入ミス。その女子学生いわく、「あたしっておっちょこちょいなのぉ〜♪」。

やれやれ、きょうびはこの種の人間ばかりです。この世も教界も、自己責任の原則はどこへ行ったあ〜!(と、世界の真ん中でカーツと叫びたい・・・)

霊的精鋭部隊-霊的覚醒への備え-

私の本では、豪華なステーキを振舞うのではなく、必須アミノ酸をバランスよく含んだ、プロテインスコアの高い霊的精進料理を提供すると書いた。しばしば教会関係の本は、見かけだけゴテゴテしており、内容が希薄。たとえるとマシュマロにホイップクリームを塗ったようなもの。私の本は堅いし一口目では味はないが、噛めば噛むほど味わえると思う。で、すでに出版前に予言したとおり、評価の黒白が明確に分かれている。http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing31.html

ある人たちは目からうろこで、真に霊的真理に目を開くことができたと言われ、ある聖霊派の神学校では「理解できない本」とされているらしい。私のミニストリーについてもある人はレクチャーテープも高いと感じていたが、一度学び出したらはまってしまったと言われ、ある人たちは意味不明と言われる。ある人たちはセレブレーションで主の愛に触れられ、涙があふれ出て、同時に内側が新鮮に潤われると言われ、ある人たちはDR.ルークは愛がなく、冷たく突き放すタイプだと言われる。ある人たちはDR.ルークのメッセージはこれまで聴いたことがない内容で新鮮であり、聖書が新しく開かれたと言われ、ある人たちは言葉が鋭く切られるようで聴いていられないと言われる。このコントラスト!実に面白い。

私の書き物にもメッセージにもいわゆる口当たりの良い調味料、特に砂糖や蜂蜜は一切添加していない。むしろ塩辛いし、苦いと思う。よっていわゆる大衆受けはしないし、してもらっても困る。私は真理は基本的に少数の者たちが継承するものと考えている。真理は大衆とは相容れない。この意味で必要な栄養分を十分に含んだ食物を、代価を払ってまでも追求したい心のある人々に届けば良いと考えている。テープの値段もそのように設定しているが(あまり売れないだろうと言う値段)、予想に反して注文が殺到し、少々お待ちいただいている状況。真摯に追求している人がこれだけおられることを知って励まされている。中身がなければ詐欺になる値段設定であるから、繰り返し購入される方が多いことは、それに見合う中身を提供できているものと勝手に判断している。

神が今必要としている器は、大衆受けする甘いマスクの霊的ヨン様ではない。ギデオンの軍隊で分かるとおり、3万人ではなく、精鋭の300人でよい。無駄な肉を削ぎ、鍛えられた霊的筋肉で武装した少数のソルジャーたちである。ある意味で私のミニストリーはそのような霊的精鋭部隊に仕えているのかも知れない。が、大衆受けする甘ったるいミニストリーは山ほどあるから、変り種がひとりくらいいてもいいでしょう。(これでまたDR.ルークは高慢の霊につかれたエリート主義者だとか言われるでしょうね^^)

真理がまことに適切な地に撒かれるならば、必ず実を産出する。北海道から沖縄まで、御言葉がまかれ着実に育つならば、神はその少数者を用いて業をなさることができる。リバイバル(本当は霊的覚醒と言いたい)とはある日天から突然に「来る」ものではない。着実な準備があってのみ神は働くことができる。私が「聖霊の原爆」などは眉唾であると言うのは本気である。パウロは「私はあの大使徒にも劣らない」と皮肉を言っているが、私も「あの大預言者にも劣らない」と言おう。「私にも神の霊があると思う。」

感情論からの脱却

ある教会がカルト化しているとかで、私もそこを離脱した方々のお話を伺うことが機会がある。その際ひとつ感じることは、感情論が先行していることである。問題点を伺っても、感情的な発言ばかりで、何が本質か見えてこない。

その牧師が独裁だとか、不倫があるとか、預言が外れるとか、献金の要求が強引だとか・・・、それは現象論に過ぎないのであって、それを生み出した病根が見えてこない。逆に私どもの理解力の欠如を云々される。それどころか私がそこの牧師と似ているとか言い出す人もあるようだ(ヤレヤレ)。

ネットでも色々な議論があるようだが、離脱した方々も自分が経験した範囲での感情論を取り扱っているに過ぎない。そこでの「教え」にアンチテーゼを提出しているに過ぎず、オールクリアして一から真理を学んではいない。つまり形は離脱しても、そこのものをそのまま引きずっている。それではおそらく10年経っても同じところをグルグル回るだけである。

要するに真理がないからである。聖書は一応読んでいるし、御言葉も知ってはいる。が、それが有機的なネットワークとなっていない。メッセージにしても御言葉の部分部分をつなぎ合わせて、「自分が主張したいこと」を、御言葉のカバーをかぶせて主張しているだけ。自分が聞いてきたことを捨てようとしない。お分かりでしょうか。ここでも自分の魂を救おうとしている。霊と魂が分離されていない。

他人が自分のことを分かってくれないと憤りを感じる場合はよほど注意が要る。それはまさに裏切られた自己愛の裏返し。特に日本人の場合は甘えの構造がからむのでややこしくなる。私はそのような場合、「あなたと私に何の関わりがありますか。あなたはあなたで主に従いなさい」と申し上げることにしている。聞く耳をもって、学ぶ姿勢のない人には何らの助けを提供し得ない。

「その日」には主の前に一人で立ち、主に対して自分が何を申し上げるか、その場面を思うべきである。

ブッシュとシャロンの病的関係

田原さんの番組でこの二人のパラノイド患者の関係をレポートしていた。シャロンがヤシンをミサイルで殺したり、その後継者までも暗殺した背景にはシャロンの犯罪を隠蔽する意図があるとのこと。ブッシュはそれを黙認し、かつあの病的な塀の建築を認めている。それも彼の選挙のため。

同番組でもレポートされていたが、クリスチャンたちがイスラエルに入れ込む様を見ているとほとんど狂気に近いものを感じる。パラノイドの病理の共有である。

ここで再度語っておきたい。神は最初から教会(エクレシア)を得たかったのであり、その経綸を進めるためにイスラエルを選んだのである。エクレシアの選びはいのちへの選び(本質的選び)、イスラエルの選びは善悪の路線上での選び(機能的選び)である。

ある聖書解釈や主義が刷り込まれるならば、いのちから離れて、神の名によって殺人を犯して、これが神の御旨であると宣言する。まさに霊的狂気。前から語っている通り、これからますますイスラエルを巡り教会が傷を受けることになろう。
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing53.html

楽天は気に食わんゾ

ライブドアがせっかく新規参入の道を開いたら、そこへ楽天が割り込みをかけているようだ。しかもバックに財界や政界の面々を据えて・・・、実に気に入らん。こういった既成の何か顔役を据えて自分売り込む輩には正直言って軽蔑感を覚える。何で自分自身で正々堂々と勝負ができないか。

こういったコネやネットワークに訴える手法は教界でも自分を売り込みたい人が良く使う手であるが、まったく気に食らない。私などはニッポンキリスト教界と何も関係がない処にいたため、何のバックも、誰の贔屓もない。英国のKFMとか言っても、ほとんど誰も知らない。しかし、むしろそれが自由であり、誰の目を気にすることもなく、私は言いたいことを言うことができる。

同じように何のバックも持たないライブドアの堀江社長にはぜひやってもらいたい。旧体質の球界に穴を開けた功績は大きい。何のコネもバックも支持母体も持たず、裸一貫で勝負せよ、楽天よ。楽天に任せるならば球界は元の木阿弥、将来はないと予言しておく。

ネットでのDr.ルーク

Yahooとgoogleで自分自身を検索してみた。もちろんこのサイトも出てくるが、実にいろいろな人がここを読んでくださっている。左のカウンタは表から入った人の数ですが、実はサーバのログを見るとページごとに入った人の数が分かるのですね。それらを入れると来てくださった方はカウンタの倍以上になるでしょう。

で、私の書いたものを紹介したり、リンクしてくださっている人もいるわけです。それが面白い。いい意味で評価してくださっている人もいますが、中には「デンプアな論考」とか「トンデモ系の話」とかってなっているわけです。ちなみにデンプアとは電波で、基地外系(差別用語なので漢字ではこうなります)と言う意味です。まあ、ノンクリの方から見れば相当に逝ってるんでしょうね(笑)

このようなサイトを立てたり、本を書いたりすることは、それが私とは離れて勝手に一人歩きすることを意味します。「Dr.ルーク」と私はそろそろ別人格化し始めてますね。

ダイアナ謀殺論

タケシのスペシャルでダイアナの死の不思議を洗っていました。前にもありましたが、おかしな部分が多々あるわけです。今回のはグレース・ケリーの死とからめて、カルト教団テンプル騎士団や007まがいの殺人装置まで出て来ていました。

私から見て一番解せないのは、運転手アンリ・ポール氏の血中アルコール濃度。あれでは酩酊どころではなく、いわゆるグテングテンの状態のはず。運転どころではありません。

昨今の世の中、どこに真実があるか分からないわけですが、まあ、スペキュレーションはスペキュレーションとして置きましょう。しかし一方でいわゆる政府の調査委員会などが出している調査報告書がおかしなものがあるわけで、これはケネディの場合にも、ダイアナの件にも、今回出た911報告書にも言える。

アメリカは文明開化した国と思っていたら、ブッシュの軍歴を巡る証拠文書が捏造だったことがばれました(ブッシュには有利)。当時はなかったはずのワープロの活字が使われていてバレるというおそまつ。この国はどちらの側も案外とボロ丸出しのようだ。

さあ、みなさん、何を信じますか?

 「あなたがたは何をどう聞くかによくよく注意せよ」

怖い世の中になりました

最近車を運転していて気がつくのですが、信号がほとんど守られていない。私も黄色で突っ込むことはよくあるが、ちょっと前までは両サイドが赤になっている2,3秒の隙をねらって飛び込んできたのが、最近ではこちらが青なのに飛び込んでくる。人の心のせせこましさが段々とエスカレートしてきている。青信号はもう信じることができない。

で、家内と映画を観て来た。アンジェリーナ・ジョリーの『テイキング・ライヴズ』。サイコパスの殺人者にジョリーが扮するFBIの女性捜査官が対決を挑むというもの。ラストのどんでん返しが驚きだった。

この種の映画はかつてはフィクションとして観れたが、昨今の世の中、そうは言ってられなくなってきた。家族4人が惨殺され、放火される事件の後、また家族数名が殺されて川に遺棄される事件が続いた。世田谷一家5人惨殺事件も未解決のまま。ここでも映画と現実の境界線がぼけてきている。人の心の不気味さだけがクローズアップされている。

大学の講義でも語っているが、サイコパス的殺人が増え、昔の『太陽にほえろ』式の足でかせぐ古典的熱血刑事は役に立たなくなっている。緻密な頭脳によるプロファイリング技術が必要かつ不可欠。しかし古い体質の警察はほとんど対応できていない(裏金作る暇があったら心理学を勉強しなよって)。

で、教界はというと、先に再建主義関連の掲示板をBBSで紹介しておきましたが、虚しい神学論争が続いているようです。イエスが統治権を霊たちを通して行使しているが、その霊たちが悪鬼化することにより国家権力が反キリスト的になると言うらしい(再建主義批判側の主張)。『ロード・オブ・ザ・リング』的世界。面白いことである。神学は人を忘れている。すべては人の心が生み出すもの。神学はすでに人の心に対して何もなし得ていないことの証明。

さらにはハッピーライフを実現するための「そのままのあなたが高価で尊い」式の眉唾カウンセリング(われわれから見れば、ほとんどそう思えます)など、現状の悲惨に対して、なす術もない。真の霊的なパワーが必要なのであるが、霊のものではなく、魂のものにすりかわっている有様。そもそも霊と魂の区別すら意識されていないのが一般の教界のレベル。正直言って、うめきを覚えている。

山田君、座布団3枚!

とあるBBSより転載−いけてます:

世界キリスト教会会議の議場で火災が発生!
メソジストは隅に集まって祈った。
パプチストは「水はどこだ?」と叫んだ。
クエーカーは火事のもたらした祝福について静かに神を讃えた。
ルター派はドアに火は邪悪であるとの貼り紙を貼りつけた。
ローマ・カトリックは損害をまかなうために献金用の皿を回した。
ユダヤ教徒は炎が通りすぎるよう、扉にシンボルを描いた。
会衆派は「みなひとり立て!」と叫んだ。
根本主義者は「これは神よりの懲罰だ!」と宣言した。
監督制主義者は列を作り、行進して行った。
クリスチャンサイエンス派は火事はないと結論した。
長老派は問題を検討し報告書を提出するための
委員会を任命する議長を指名した。
事務員は消火器を取ると、火を消した。

ついでに・・・
聖霊派は「主の名によって、火災の悪霊よ、去れ!」と叫んだ。

ついでのついでに・・・
禅宗は「心頭滅却すれば、火もまた凉し」。

休日出勤の会話から

今日は世間は休み。私は仕事でした。前にも書きましたが、駿台予備学校で数学を教えているのです。

で、朝の講師室での会話。T先生いわく、「唐沢先生、今日何かあったんですか?」、私:「はあ、どうして?」。T氏:「電車がガラガラだったんで、地震警報か何かが出て、みんな避難したのかと・・・」、私:「ははは、今日は休日ですよ」。で、別の先生が割り込んで、「ええっと、今日は何の日でしたか?」、私:「はて、何でしたっけ?」・・・。職員の女性が助け舟を出して、「秋分の日ですよ」。私は、なるほど、と思いましたが、ふと、何で秋分の日は休みなんだろ?と新たな疑問に取りつかれました。

学校の先生たちはこんなものです。大学でもあまり変わりないですね^^要するに世間から浮いているところがあるのです。まあその分、とても基本的・原理的なことを考える癖があるわけです。

信仰も同じ。私はあまり「効果的な伝道の方法」や、「教会成長セミナー」や、「会堂建築法」や、「10分ごとに笑いを取る説教の仕方」などには関心がありません。それらは本質とはまったく関係のない、表層的な事柄です。

教界を見ていてつくづく感じるのは、あまりにも浅薄な目先の流行を追うセンセイたちが多すぎること。彼らはかなり忙しく、それなりに神経をすり減らしているようですが(何だか個人事業主みたいな臭いがします)、私はなるべくメンドウなことから離れて(特に業界の偉いセンセイたちとの関わりなどはうっとおしそうです)、「聖なる怠惰」を楽しんでいたいわけ(これはブラザー・ローレンスの用語です)。いわゆるニッポンのリバイバルをシャカリキになって推進しようとは思いません。→http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing51.html

しかしイエスの魅力を追及することではかなり拘っています。ところがある聖霊派の神学校で、「イエスの魅力って何ですか?」と質問されて、ああ、彼らとは住んでいる世界と言うか、追求している対象が違うんだなあと実感した次第。

主よ、あなたの家の大庭にいる1日は千日にまさる。生きる日の限りあなたの魅力を追い求めることができますように。

 * * *

BBSにも書きましたが、昨日サーバが落ち、ファイルが損傷したために表示がおかしかったようです。現在は復旧しております。この日記を読みたいが読めないというメールをいただきました。ご心配をいただき、恐縮です。

訂正(汗)

徒然の話、仁和寺の和尚が高良神社を八幡宮と間違えたのでした→http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3938/kyouto/yawata/yawata2.htm

(遠くを見る目で:古文では苦労したなあ・・・)

砂の上に建てしが・・・

北朝鮮拉致被害者のドキュメンタリが面白かった。特に、蓮池さんは帰国当時自分自身を「北の公民」と呼び、蓮池さんの兄や友人が北朝鮮に批判的であると、懸命に弁護したとのこと。実に面白い。自分を拉致した国を弁護する!?

よく似た事象に誘拐の被害者が加害者にある種の心を寄せる心理をストックホルム症候群と呼ぶ。ニッポンとアメリカの関係も同じ(かな?)。さらにカルトから離脱した人々が、そのカルトへの批判に対して怒り出し、また弁護することもよくある。身近なところでは、私がニッポンキリスト教をしばしば批判することに対して怒り出す人もいる。私は決して特定の対象を批判しませんし、雲のようにあちこちに浮かんでいるおかしな教えや実行を批判していることは前に書いた。

お分かりでしょうか?これらの不思議な現象のメカニズムが・・・。これらのケースで起きている現象は「同一視」の精神病理。ヒントは、蓮池さんの場合も、周りの人が北を批判すると、「俺の24年間は無駄だったと言うのか!」と激昂したとのこと。何を弁護していますか?・・・ストックホルム症候群でも自分に害を与える犯人と共に過ごした自分を犯人と同一視する結果。カルトでも同じ。私の場合も同じ。

分かりますか、そこにおいて守っている対象は誰か?彼らは誰を守ろうとしているのか?・・・自分、です。偽りの上に何かを建てていることは客観的に見れば明らか。しかし当人はその土台はすでに視野にない。その上に建てている自分を見ているだけ。その自己を守ろうとしているだけ。

しかし主は言われた:自分の魂を救おうとすれば失う、と。砂の上に一旦建てるならば、実はそれを守ろうとして、時間と労力を消費する。かくして新しい物を建てることはきわめて困難となる。手放さないからである。捨てれば得るのであるが・・・

先達はあらまほしきかな

徒然草の一節だったと思う。自分勝手に念願の仁和寺を参拝したと思って帰ってきたら、実は別の寺だったと。先達(導き手)が必要であるという教訓。

今回ビデオをDVD化するにあたって、新しいドライブやソフトを使ったが、何度も失敗した。例えば、ビデオをキャプチャーしたファイルをDATAドライブに移動すると、最後が消えてしまう不思議。このドライブ上でDVDを編集してディスクに書き込むと最後がない!?あれこれ考えたり、いじくったりしつつ、これで2回失敗し、8.5Gのディスクは1,400円もするので、2,800円が・・・。

おかしい、おかしい、とうめくこと3,4日。で、風呂でボーっとしている時に、ハッと気がついた。「DATAドライブはFAT32だ。確かFAT32は4Gまでしか扱えなかった!」風呂から飛び出してFAT32からNTFSに変換すると、これでバッチリ。何だ、こんな簡単なことだった・・・。本質を外した努力はまったくの無意味。

聖書の罪(ハマルティア)は「的外れ」と言う意味。ここにいわゆる(人間的・道徳的・倫理的)善悪の基準自体はない。人類の罪は「悪を知る」のではなく、「善悪を知る」ことだった。的を外したものはすべて罪。よってパウロは「信仰によらないものはすべて罪である」と言う。→http://www.kingdomfellowship.com/Topics/temptation.html

人はつねに的外れな努力をしつつ、がんばって、ふんばって、いつか見ていろ俺だって・・・と生きている。世の人は言わずもがな、牧師先生たちも裸一貫から開拓伝道を始め、艱難辛苦汝を玉にするとばかり、貧困の中でタクアンと味噌汁のご飯に堪えつつ、ついに信徒数1,000人!会堂を2つも3つも献堂し、自分もここまで来たか・・・となる。大いなる的外れ。

「自我を砕きぃ〜」はもちろんのこと、的外れの努力が悩みを生み、カウンセラーのニーズが生まれ、○○ミニストリーを頼る人が増え、かくしてセンセイ方はそれで食べていける。問題を抱える人が多いほど、彼らは繁盛する。お互いに依存し合っている。はっきり言いましょう:クリスチャンが真理に目覚め、それぞれが主の前に立つようになるならば、これらのセンセイたちやメディアは不要となるでしょう。

的外れから解放されるためには、真理を知ること。真理はセンセイたちが手引きするものではなく、内なる真理の御霊。

ヨハネ14:26― しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

まことの先達は初穂なるイエス・キリスト。その方の霊がいま私たちのうちに住んでおられる。「聖霊の原爆」など不要(どこからこういった無神経な言葉が出るのか)。外には聖書が与えられている。この両者が相互作用するとき、光が輝く。

御言葉が開けると光を放ち、無学な者に知恵を与える(詩篇)

みなさん、誰を先達(道案内)とするか、よくよく吟味してください。的を外した努力で短い一生を無駄にしないように。道を良く知らない者が、しばしば、それらしい顔をして道案内をしているのが教界の現状です。

私は空を打つような拳闘はしない(パウロ)

天動説のリバイバル

小学高学年生の4割が天動説を信じているらしい。動いているのは太陽。一方でネットなどにより情報過多、他方で常識が常識でない。これは実は20年も二十歳前後の学生を相手にしていると、十分予測できたことであり、危機感を深める。共有できるものがなくなっている事実。私にとっての当たり前が、彼らにとっては当たり前でない。例えばその一例:マルクス・エンゲルスを一人の人と思っている学生。他方アリストテレスをアリスとテレスと二人と思っている(NHKよ、責任を取れ〜!)。すでにすごい時代に入っています。

で、いつもながら、教界はどうでしょう。当たり前が当たり前でしょうか?一方でアメリカ産の油注ぎの器と称する人たちを通して来る「聖霊の原爆が落ちる」とかのナンセンスなヤラセ情報があふれ、他方で、いぜんとして「自我を砕きぃ〜」と、髪の毛を引っ張って空を飛ぼうとしているクルシちゃんたち。あるいはややこしい虚しい神学論争に明け暮れて、メンツと勢力範囲の張り合い。

まことの謙遜とは法則を法則とし、それに服すること。ところが自前の「法則」を作りたがるセンセイが多い。かくしてフェイクがあふれる。無意味な情報の洪水は本質的な情報を隠す。敵の狡猾な策である。何かを知っていると思うものは、知るべきほどのことを知らない。クリスチャン生活にとって真に知るべきことはさほど多くはない。再度言うが、霊的耳年増をやめればよい。

まことの推薦状と資格

ニッポンキリスト教で「素性」や「系列」を問題とするのは、実はニッポンキリスト教の霊性を証している。もっと言えばアイデンティティの確立のし方が間違っているから。センセイやケイレツやキョーダンの上に建てている者はその領域内でしか判断ができない。よってそこから外れることを恐れる。しかるに、パウロは明確にこう言っている:

2コリント3:1-6
私たちはまたもや自分を推薦しようとしているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた推薦状とか、あなたがたの推薦状とかが、私たちに必要なのでしょうか。私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

私たちは人ではなく、神に仕えるのであり、その資格は神に由来する。それは霊が証する。

米国球界に学ぶ

アメリカでは3A、2A、A、ルーキーと階層構造をなし、しかも200ある各球団は独立採算制だそうです。自己責任でファンをもてなし、ファンと共に盛り上がるシステム。そして選手も実績さえあれば、数百万の年俸から数十億にまで登れる。

日本でも日ハムが地元密着型で北海道にて成功し、新潟の何とか言うサッカーチームが盛り上がって、この数年で3,000人の客が30,000人となっているとのこと。(以上、田原さんの番組より)

鍵は自己責任と独立採算制。寄らば大樹の陰ならぬ、立派なセンセイ/教団の陰的体質から抜ける必要がありましょう。(正直、牧師が教団から給料をもらうって、理解できないことです。)

ニッポン野球界とニッポンキリスト教界

野球連盟は結局は新規参入を認めたくないのが本音。「最善を尽くして審議するが、来年からとは保証できない」と言うが、本音は「やりたくない」。これはよくある言い訳で、私は「・・・だから、○○できない」と言う人は、「要するに、やりたくないないんだな」と理解する。

人は本当にやりたければ、徹夜しようと、無理をしようとやるもの。競馬やパチンコに入れ込む人々を見ればよい。球界の長老さんたちも、真に野球の未来を思っているならば、新規参入をまず来年の目標とし、それに向かって邁進し、できなかったら、残念だ、となるはず。

かくして新参者のTシャツの若造などは、金を持っているだけじゃ仲間に入れないよ、俺が知らんヤツは話にならん、と言うわけ。私などもメッセージはGパンとTシャツかポロシャツですからね(笑)。ネクタイなどは年に1,2回と言ったところ。

球界と教界―実に良く似ている。一説によると午前10時以外の礼拝などは「正規の礼拝」ではないとのこと。「正規の礼拝」は午前10時を旨とすべし。教団に属していないものは胡散臭く、私などもある神学校では「素性が分からん」と言われているようだ。○○センセイ系列が問題になるらしい。ちなみに医学界の医局制によるジッツも同じ。企業では系列を廃止し、医学界も医局廃止を検討し始めたが、教界は何も変わらない、否、変える意図がないようだ。あらゆる面でこの世よりも10年以上遅れている。

ニッポン野球界とニッポンキリスト教界―ニッポン的にして、あまりにニッポン的な二つの業界である。

PS.古田会長は老獪な御老体たちを相手によく検討している。私は野球はあまり関心もないが、今回は彼らを応援したい。

行き着く先は?

私がマイコンに手を出したのが、78年。大学の生協にあったシャープのMZ-80Cがスタート(当時28万円!)。8ビットのCPU・Z80で、クリンコンピュータとあるとおり、中身は空で、言語をその度に読み込ませては使った。メディアはオーディオテープ。メモリは最大64KB。今ならちょっとした絵のサイズ。それでもこのメモリ上でBasicでFFTのプログラムを書いて、スペクトル分析をしたものだ。

次の機種はEpsonのハンドヘルド。CUPは同じだが、CP/MというMS-DOSの原型となったOSが走り、その上でBasicとZ-80のアセンブラで株価分析ソフトを作った。CP/MのBiosをCallしてメモリ上にグラフィックの仮想空間を作って、ドット・グラフィックを描いた。これでかなり使える株価分析ソフトとなり、バブル真っ盛りでもあり、今のマンションの頭金を作った。なにしろ32KBのユーザーメモリ空間のため(感覚的には1畳の部屋)、プログラムにかなりの工夫が要った。その代わり中身はみな分かっている。

次がEpsonのPC98互換機。すでに16ビット+MS-DOSの世界。この辺りからメモリ空間も640KBとなり、すべてを把握することができなくなった。この中身が見えないのが何とも不安なのだ。今でもWindowsに穴を開けて、中身を見ながら使っている。で、32ビットの世界となり、メモリ空間は一挙に1GBとかになった。"1畳の部屋"にいる頃はそんなメモリ空間はほとんど無限大で、一体何に使うんだよ、と思ったものだが、実はこれがすでに狭い。

HDDでは120GB、否、テラ(T)の時代。97年にそれまでのMS-DOSからようやくWindows95に変えた時にはHDDは1.2G(私は世の流れには逆らう方)。隔世の感があるが、これがDVDビデオの編集をするとなると、すでに小さい!おそるべし。大体ネットで自分のPCをサーバにして中身を公開することなどは誰が予想したろう。ウイルスやスパイウエアなどはSFの話だったが。Epsonが300ボーの音声モデムで通信実験を開始した時、私も参加したが、ピポピポと文字が現れたときは感動した。あの時代はほとんど亀の歩みののどかさだった。

IPv6の時代になると、すべての機器(クレジットカードなども)にIPをふって、個人の行動を追跡できるようにもなる。サンドラ・ブロックの映画そのもの。同時にPCやネットの発展と同時に人間の病理性もモロに出てくるようになった。さあ、人類はどこへ行き着くのでしょう?

アニマル浜口と星一徹に学ぶ

息子がボクシングのプロテストを受けるつもりでいたのですが、視力で引っかかりアウト。この夏、しばし落ち込み気味でしたが、ここへ来て、東大を目指したいと少しづつ口の端に上るようになりました。実はひそかにボクサーへの道がふさがれることを祈っていたのですが・・・(ちょと複雑な気持ち)。

まあ、近所の幼馴染が、一人は開成、一人は慶應ですから、ちょっと差をつけられたけど、自分も・・・と思い始めたようです。私は動機付けがすべてと思っていますので、「夢を見ろ」と励ましつつ、とりあえず、微分積分を教え出しました。アニマル浜口親子は立派ですよ。昔で言えば、「巨人の星」ですね^^

ブッシュvsアナン事務総長

国連のアナン事務総長はイラク戦を国際法違反であると宣言。対して、ブッシュは正当性を主張。ニッポンの女外務大臣はブッシュを支持。ブッシュには何を言ってもダメでしょうね、ジャイアンと同じオツムの論理ですから。

大統領選はケリーがまた追い上げて接戦を呈しているそうです。しかしブッシュも親のコネとは言え、エール大学出身、ケリーもその後輩。しかも共に秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバー。極私的にはブッシュを下ろしたいが、しかし、その後も見えない。

パラノとスキゾ

北朝鮮ではワケのわからない爆発。「ゲージュツはバクハツだあ〜」と言う名言を残したオジサンもいましたが、金オジサンはどうも分からん。しかしアメリカも北も実は同じなのです。パラノイド。

一方でニッポン人のように自己欺瞞を抱えている者は人を信じることができず、絶えず不安を抱えます。実はなぜ人信じることができないかと言えば、自分の心が二つに分裂しているからです。二心の者は安定感がないとヤコブも言っている。かくして二つに分裂した人をスキゾ系(分裂病的)と呼ぶ。人が真に安息し、平安の中で歩めるのは、周りがどうのこうのではなく、自分の心がひとつであることによる。

ニッポンキリスト教でも、イスラエルに感情的に入れ込むタイプはパラノ系―この人たちは自分独自の聖書預言解釈や教条が強固に確立していて、人の話をあまり聞かないタイプ―、一方、教会をあちこちさ迷って人間関係で傷ついたあ〜と叫ぶタイプはスキゾ系―この人たちは聖書を学ばず、人の顔色ばかりが気になるタイプ―が多い。もちろんパラノとスキゾは相互作用する。

パラノとスキゾ―この世でも教界でもどうも今後の重要なキーワードになりそうな予感。

先制攻撃論―パラノイド世界―

ロシアを初め、各国がこれをアメリカの専売特許ではないとして採用し始めたようです。当の言いだしっぺアメリカは、ついにパウエル長官が大量破壊兵器はないことを明言しましたが、ブッシュはイラク戦の大義を「フセインがフセインだから攻撃した」と議会で発言したそうです。おいおい、これではドラえもんのジャイアンの言いがかり、「のび太のくせにぃ〜」と変わりない。ブッシュはほとんどビョウキ。

かくして世界はパラノイドが蔓延し、戦々恐々、言いがかりを付けられたらやられる不安に満ちます。誰が信頼でき、誰が敵か。カルティック・シンドロームではこれが起こる。互いの交わりが戦々恐々。「羹に懲りて膾を吹く」心理状態。私はすでに2年前からアメリカのカルト化を指摘してきたが、イスラエル→アメリカと伝染したパラノイドの拡散により、全世界がカルト化し始めたと言える。

さあ、みなさん、誰を頼って、どこへ逃げますか?

バプテスマ

お一人のご婦人がバプテスマされた。ある家庭集会(私たちはローカルフェロシップと呼んでいるが)で導かれた方でした。バプテスマは、不思議なことに、いつも新鮮です。天が開ける感覚がするのですね。豊かな祝福と恵みの内に歩まれることを祈ります。

ビデオのDVD化を

現在進めておりますが、問題はサイズが大きくてDVD2枚に収まらないこと。1巻当たり2.5時間、合計5時間ですので、4枚になりそうなのですね。片面2層(8.5G)でやればいけるのですが、まだメディアが高いようで、コストが高くつきそうです。う〜ん、と。

とりあえず、サンプルをアップしてみました。
http://www.kingdomfellowship.com/Av/TRUTH.wmv

宅間氏の死刑執行に思う

彼については私も記事を書いている:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/Osakajiken.html

死刑を思うとき、虚しさを禁じ得ない。私は死刑廃止論者ではないが、死刑は虚しい。犯罪の抑止効果がどうのこうのという議論もあろうが、被害者の心の救済に果たしてなるのかどうか。

むしろ彼らは憎しみの対象を喪失することにより、ますます虚無感を深めることになるであろう。愛する対象を失った喪失感と、憎しみの対象を失った喪失感の二重の喪失感である。喪失感と言う虚無。この心の空洞を埋める作業が延々と続く。気が遠くなる。

生きることの不条理―主イエスをうちに招き入れることしか解決はないのだが・・・

自由をエンジョイしたいなら

捨てなさいって―

つまらないガラクタを、自分の達成を、自分の実績を、自分の聖書の知識を、自分の満足を、自分の喜びを・・・

霊的演歌や霊的耳年増をやめればよろしい。簡単です!

しかし捨てて、捨てて、捨てても、決して捨てられない者があります。

内なる御子イエス・キリスト―栄光の望み!

ヨン様と牧師様

彼らは実に似ている。共にある種の無色さが要求され、生活臭とか思想や信条あるいは評論家的色彩がない方がよい。没個性の無味性が求められる。つまり人々の投影を受け易い"キャンバス"である。人々は自分の無意識的願望をそれぞれに勝手に投影して、代償満足を得る。

考えてみて下さい。北野武が「冬のソナタ」を演じたり、"牧師"として講壇から説教する場面。私はかなり面白いと思うし、一度やらせたいと思っているが、果たしてニッポンキリスト教の信徒の皆様(いや、センセイたちかな)はどうだろう。武が救われるようになれば、ニッポンキリスト教もオトナと言える。

安息の欠如

どうも安息が欠如している人が多い。このような人々の特徴は、前から書いている通り、パラノイド。誰が信頼できて、誰についていれば安心か、これが気になるらしい。私なども"検事"の前で根掘り葉掘り"取調べ"を受けることが度々あるが、その判決は「主文:Dr.ルークを愛の欠如症候群と断ずる」。やれやれ、だったら愛の豊かなセンセイのところに行ったらよろしい。簡単な話なのですが、私にまとわりつくのはなぜ?

これらの人々は結局自分を守りたい、自分の得ているものを失いたくない。前から何度も繰り返しているが、自分で自分を救おうとしている。ここではっきりと言っておきましょう:人を当てにし、人を見ているならば、永遠に安息は得られないでしょう。また人に裏切られ続けるでしょう。自分の魂を自分で救おうとする者は失う―これは法則である。

彼らは自分の思い通りになるように人をパタンにはめ込もうする。これをマニュピレーションと言うことは前にも書いた。精神病理の専門家として言うが、ニッポンキリスト教は病んでいる。学生の物語でも書いたが、彼らは自分のミスを省みることをせず、私の説明責任を問うてくる。同じことがこの業界でも起きている。私はそのような人には「あなたと私に何の関わりがありますか。あなたはあなたで主に従えばよろしい」と申し上げる。霊的世界でも自己責任でお願いする次第。

(この手の話に関わるとほんとエネルギーを吸い取られ疲れを覚えます、はい)

投影の病理

パラノイドの病理において投影と言う心理機制が重要な働きをしていることを述べた。実はこの投影は教界の中でもきわめて一般に見られる機制であるようだ。私はサイエンティストであって(霊的要因を考慮に入れますが)、自分自身をニッポンキリスト教における牧師とは思っていないし、なりたくもないのだが、どうも「牧師」の理想像を投影されてしまうことがある。

私は自由でいたいから、人々からのそのような投影にはほとんど応えないようにしている。つまり私に対する期待を感じたときにはそれには応えない。これを負い込むと第一に自由を奪われ、第二に本当の自分を見失う。

ニッポンキリスト教界で"一流の牧師"になるにはこの投影をうまく受け、それにソツなく応えることができる必要があるようだ。その時、誰からも尊敬される立派な牧師となれる。しかし私とは関わりのない世界。かくして今後も皆さんの期待は大いに裏切り続けますので、よろしくどうぞ^^。

情報聖戦@NHK

NHKではアメリカとビン・ラディンの情報戦についての特集であった。イスラム内部もいわゆる正統派とビン・ラディン系のテロリスト系の間に相克が生まれているらしいが(TIME誌)、情報戦によってビン・ラディン系の影響力が強まっている。アメリカはアラビヤ諸国にアルファットというヒモ付きの放送局を作ったが、ほとんど信頼されていない。ビン・ラディン側はネットやDVDなどを有効に使い、若者をジハードへと駆り立てている、という内容。

前に書いたがアメリカの思考行動パタンは大脳の第三層によるもの。しかるにビン・ラディン側は第二層に訴える。どちらが優位かは自明である。この辺がアメリカの愚かさである。自分たちの方法が彼らにも通じると思い込む点。確かに日本では原爆を用いて去勢に成功したが、イスラムと言う最強のカルトにはまず通じまい。

現代は情報戦。どこに真実があるか分からない。しかしはっきり言えることは、人の血が流れ、人の肉が飛び散っていること。これだけは否定しようもない事実である。

その一方でニッポンキリスト教のクリスチャンたちは、のどかな神学論争によって互いに異端のレッテルを張り合って、個人預言を受けて、按手を受けて、恵まれる説教を聴いて、自分は神のVIPであると喜んで、聖霊の原爆が落ちることを待ち望んで、カウンセリングにサイコセラピー、アダルトチルドレンを演じて、インナーチャイルドの癒しを受けて、ビジネスマンとして成功する方法や人間関係を改善する方法を学んで・・・やれやれ。どこかおかしいと思いませんか?

911陰謀論

テレビ朝日の911の「7つの疑惑」は面白かったが、新しい情報はわずかだった。フロリダの小学校でのブッシュのおかしな行動、ペンタゴンに突っ込んだは757ではなく、軍用の無人機だったこと。これはエンジンの写真を秘匿している人がそれを公開したが、エンジンの直径は何と50-60cm。一部ではトマホークミサイルとも言われていた。

他はここでも紹介してきた情報や、田中氏の推測だけ。ただジョン・コールマンを表立って取り上げていたことは少々驚いた。例の「レッツロール」のウソも実証していた。つまり携帯は上空1万メートルからでは通信ができないこと。

クリスチャンの思考回路には、こういった政府の陰謀などに対して、政府を疑うとは神の立てた権威を損なうこと、陰謀は神のご計画に反すること、陰謀などは妄想である・・・といったパタンが刷り込まれており、ある種のタブーになっている。そこで思考停止するわけ。しかし聖書にすら、「ユダヤ人の陰謀」という言葉がある。自分は騙されていないと言う人は騙されている証拠。クリスチャンを欺くことはきわめて簡単である。

特にイスラエルに入れる込む人々は自分の預言解釈のフィルターを通してしか事象を見ることができず、ステレオタイプな反応をするが、陰謀があろうとなかろうと、神のご計画は着々と進展する。いずれにしろ、ケンディの暗殺などもに現れているとおり、「自由と平等の国」アメリカの暗部は深い。

http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing32.html

ある学生の物語

試験成績が学生に交付された。いつものことながら、7名ほどの学生が、試験を受けたのに「欠」扱いになっている、とクレームを入れてくる。私の記入漏れも一部あるが、たいていはマークシートの記入ミス。

そこで学生を研究室に呼び、20cmほどの厚みのシートの束から自分で自分の答案をピックアップさせる。そして本人のミスを厳しく指摘して、お情けでやってやるんだぞ、といった雰囲気を醸しながら、自己採点させる。これで落ちているヤツは丁重にお引取りいただき、受かっている者は一応訂正をする。

で、本日、質問表において「自分は出席もし、試験も絶対受けているのに欠になっているが、どういうことであるか、これについてキチンと説明をしてもらいたい。」とやけに突っかかる文面の者がいた。本人を招いてシートの束を見せると本人の顔が一瞬引きつった。

自分で探し出せと指示して見ていると、のたりのたりとシートをめくっている。おかしいなと感じたが、ピッチを上げさせて、10分ほどかかって全部を見て彼が一言、「先生、これだけっすか?」。私:「そうだけど、ないの?」。「ないっす」。「試験受けたんだろ?」と私が問い詰めると、「ええっと、俺、マークシートの試験なんて受けた記憶がない・・・」と消え入りそうにボソボソ。私は内心で、「ははあ〜ん。これで読めた。」

お分かりですね、彼の魂胆が。因縁つけて単位をせしめようと言うわけ。こういった強弁をする場合は何か自分のやましさの裏返し。これはブッシュも同じであるが、こういった場合は態度もおかしい。しかし自分のシートは絶対ないと分かっているのに、黙々とシートめくりをした(要するにヤバイよと思いつつも、逃げるに逃げられずもそもそと演技をしたわけ)彼の心境を推測して、内心おかしくて、腹も立ちませんでしたね。おかしさをグッとこらえて、彼の目を見つめつつ、「いいか?納得したか?」と言うと、「いいです・・・」とそそくさと去りました。

きょうび、この手の人種が増えているのです。ちなみにNEET(働かない若者)がついに52万人。さてさて、ニッポンの未来は明るいでしょうか、暗いでしょうか?みなさん、どのようにマークします?

テロの拡散

パラノイドによる精神病理は伝染性がある。誰が味方で誰が敵か、いつやられるか、やられる前にやろうかなどの疑心暗鬼。ある種の霊と共にこのような精神病理は拡散する。

あの911の後、アメリカのNYの有名な教会を見てきた姉妹が語っていた。「気持ちが悪かった。みんなでアメリカの国旗を掲げてぐるぐる回りながら、むせび泣いているのよ」と。自己憐憫の霊である。アメリカ人は個人レベルでは善良でナイーブであるが、集団力学になると質が変わる。

今回またジャカルタでテロが起きたが、今後もますます増える。おそらく日本もこのままではいかないだろう。すでに武力で気に食わない相手をねじ伏せる霊をブッシュは全世界に放ってしまった。今後もテロは拡散する。

健全な批判精神

Dr.ルークはいろいろな先生の悪口ばかり言っている、と一部で言われているそうです(ヤレヤレ)。あえて肥大した魂で自己弁護しますと(^^)、私は決して固有名詞は出していませんし、単なる中傷をしているのでもありません。彼らの真理に反する「教え」や「発言」あるいは「実行」を批判しているのです。

今日あまりにも偽りのパン種が多過ぎます。しかも神が立てた牧師先生に逆らうと裁きを受けるとばかりに、みな息を殺して沈黙。不思議なもので、人はつまらない本質的でない教えは一度で覚えますが、真理は何度語っても分からない人が多いのです。はい。一度分かったと言う人も、しばらく変なものに触れているとたちまちそれに侵されます。

パウロは言っています:「ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ」と。しかしこれは彼の愛なのです。愛の反対は批判ではなく、無関心です。

このサイトをご覧になる方々は皆さん目覚めてくださっていることを感じます。Q&Aのご質問の内容がかなり本質的になってポイントついているからです。私に「2004年に聖霊の原爆が落ちる」という預言は本当かと聞くならば、私は無視します(実際、アホ臭い)。しかし本質を突くご質問を受けることは大いなる喜びです。

今日偽りがあまりにも蔓延っています。よく目を覚まし、健全な批判精神を保ち続ける必要があります。ただし、これは人気のない道を歩むことになることは覚悟してください、ネ♪

ついにロシアも

テロ組織に対して先制攻撃を示唆→
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040908-00000012-yom-int

かつての二大超大国アメリカとソ連の軍拡競争は互いに相手に対する妄想的意識(パラノイド)の結果であった。精神病理に投影という自己防衛機制がある。自分の中に敵意とか憎悪がある場合、その真実を認めたくないために、相手がそれらを持っているとして、相手を恐れる病理である。つまり猿が鏡を見てその中の"猿"を恐れて攻撃するのと同じ。オウムなどのカルトではよく観察される。彼らもアメリカがサリンを撒いているとか、それに対する"正統な"攻撃としてあのサリン事件が起きた。パラノイドの本質にはこの投影がある。

かつてのアメリカもソ連も自分の内なる敵意を相手に映し合って、あの果てしない軍拡競争となった。今またそれと同一の病理があちこちで再現している。私は政治は分からないが、人の心は分かる。よって今後起きてくるであろうことも大体読める。すでに神の統治を壊したアメリカ、元から神を恐れないロシア、そしてイエスに敵対するイスラエル、沈黙の眠れる大国中国、そのハザマにかろうじて去勢されたわが国。この力学に北朝鮮やテロリストが茶々を入れると。

怖いのは前にも書いたバック・フィーバーである。パラノ的心理から些細なきっかけで抑制できない乱射が起こる。BBSにも書いたがすでに世界は心理・神経消耗戦のフェーズに入っている。今後、何が起きてもおかしくはない。

アメリカの行方

NHKの「クローズアップ現代」でジャーナリストのピート・ハミル氏が「アメリカ人は幻想を追っているのです。アルカイダとフセインが関係があり、フセインは大量破壊兵器を所持していたと思い込みつつ、自分たちは世界のために役に立っているんだと信じたがっているのです」とコメントしていた。まさにそのとおり。わたしが前から指摘している通り、バーチャル化の精神病理である。http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing52.html

その根底にあるのは自分のアイデンティティを守ること。それは本来、前に書いた大脳第二層の機能である。しかしアメリカの特殊性は、「アメリカ人」なるものは元々は無いという点。人口国家であり、カルトの教義よろしく、「自由と平等」を刷り込まれた人々の坩堝。彼らは大脳第二層というよりは第三層の思想の刷り込みによるアイデンティティを保つ。よってイスラムなどにも第三層的なアプローチしかできない。日本の場合は以前に書いたとおり、去勢が成功したわけ。(ちなみにTIME誌の今週号によるイスラム内部にも深刻な分裂が生まれつつあるようです。後ほど書きます。)

私はこれまで少々遠慮しつつ主張してきたが、今はっきりと言える:「その精神病理から見て、アメリカは自由と平等を刷り込まれたカルト国家である」と。

気持ち悪さの正体

BBSで書いた後、この世と教界でも働く同じ霊の正体について思い巡らしていた。何なのだろう、この違和感の正体は、と。Salt氏と同じかどうかは分からないが、私の結論は、フェイクを建て上げる霊である。そう、ドラマ「金八先生」を見た後のような違和感。

この世においては真実の在り処が分からないことは言わずもがなであるが、教界においては少々深刻である。フェイク、つまり「作り物」。

80年代、私が救われた頃は書店に並ぶ本にしても十字架をキチンと説いていた。

90年代になってから、一方ではやたらと悪霊追い出し、個人預言、油注ぎ、大リバイバル、霊能力者・・・、一方では「あるがままのあなたが高価で尊い」とか何でもかんでもカウンセリングにサイコセラピー。

2000年代に入ってからクリスチャンたちが何を求めているのか、明確な羅針盤を喪失し、次々に"新しい"教えの風に吹き回されているだけ。

一見すると対象的な両陣営において共通することは十字架がない。共にリバイバルを求めているが、それは数の問題だけ。実質がない。彼らは共に、自分で自分を救おうとしている。いや、うちの教会では「自我を砕きぃ〜」と説教されていますという方、それは十字架ではない。言っている本人が分かっていない証拠。欺かれてはならない。

イエスは言われた、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分の魂のいのち(原語)を救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分の魂のいのち(原語)を失う者は、それを救うのです。」(ルカ9:22,23)。

魂の事柄と霊の事柄が混同されている。私が砂糖まぶしと言うのはここである。最初に来るものは地のものであり、肉のものであるが、次に来るものは天のものであり、霊のものである。最初のものは拒否される、すなわち死であり、後のもの、すなわち復活の領域のものが受け入れられる。これを切り裂くのが十字架である。

この十字架を経ないで、あなたは神のVIP、あるがままのあなたが高価で尊い、カウセリングにインナーヒーリング。お分かりになりますか、魂を一生懸命に救おうとしている人の業が。第一のものを守り、保とうとしている動機。世のものと何も変わらない。

この上にアレコレ建て上げ、デコレーションケーキのように表は派手にクリームを塗りたくっている。口に入れると甘いが、たちまち泡と化す。一方十字架のリアリティは御言葉のメスと御霊によってなされるが、御言葉は口には甘く、腹には苦い。この苦味を欠いているのが昨今の教界。

過ぎ越しの子羊をほふる時には、苦菜がそえられたことを忘れてはならない。素祭は種入れぬ上等の小麦粉にオリブオイルを混ぜて練り、焼き上げたのちも蜜だの砂糖は禁忌。むしろ塩をまぶしたことを忘れてはならない。同時に使われる乳香は復活の香りを放つ。

死と復活を経ていないものはすべてフェイクである。この世はもちろん十字架を嫌うが、教界にもパン種で膨らんだ外観にその実際はない。どちらにもアクセサリーの十字架はあるが。パン種のない小麦粉と塩気と苦菜と乳香。どれを欠いても生み出されるのはフェイク。リバイバルの実体は死と復活―十字架―である。

"正しさ"という狂気

ロシアのテロは前々から用意周到に準備されていたとのこと。8月11日に「私はオリンピックの厳戒態勢に気をとられているうちに、不意をつかれる形で、どこぞでまた大規模なテロが起こるような感じがしている」と書いたが、そのとおりなってしまった。

日経夕刊によると、ロシアのテロの惨事は、犯人と当局が交渉中に、武装した市民が発砲したことで犯人が爆弾を爆発させたようだ。愚かな正義感。

同時にイスラエル軍がガザ地区にミサイル攻撃で、自爆テロへの報復。14名が死亡。以前にも書いたが、足のなえた老人(ヤシン師)にミサイルを撃ち込んで殺す心理状態はまともではない。パラノイドの病理。

考えてください、東京の真中心にミサイルが打ち込まれる光景を。<自らの"正しさ"の主張→"正統な"正義感>。この思考パタンはロシアでもイスラエルでも同じ。"正しさ"という罠。善悪を知る木の実を食べた人類の宿命。人の正しさは神の愚かさである。

私は"正しい"神学とか聖書解釈にはあまり関心が無い。彼らの心に関心がある。すべては人の心が生み出すもの。病んだ心から生まれる"正しさ"は狂気を産む。聖書預言解釈の"正しさ"を誇る人々よ、いのちの道に戻ることをお忘れなく。

ここも修羅場・・・

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/baseball_reorganization/?1094445678

プロ野球、選手会がストを決行した場合、プロ野球組織は賃金カットと損害賠償請求だそうだ。何とも、ドロドロ。野球はもうあきまへん。巨人がパに移って解決することでもないと思うが。どこか根本が狂っています、球界も・・・。

 * * *

ロシアのテロはまだ犠牲者が増えているようです。語るべき言葉が見つからなくなりつつあります。一説には犯人側の爆破は意図的ではなく偶発的なものとの情報があります。それがきっかけで乱射。

ハンターが獲物を前にしたときに極度の緊張から些細なきっかけでパニックに陥り、銃を乱射したりする現象を「バック・フィーバー」と言うが、おそらくこれだ。何にせよ、子供に銃を向ける神経はすでに異常。追い詰められた者は何でもする。

論争でも相手を徹底的に追い込むことは危険。落とし所を読んだ者が勝ちなのだが、アメリカもロシアもすでにそれを見失っている。政府側もテロリスト側もパラノイドを増幅して、些細なことでバック・フィーバーするだろう。WW1の開始のように小さな事件がトリガーとなる。

神のうめき

ロシアのテロでは幼い犠牲者が増えている。胸が痛む事件です。プーチンは対テロを強硬に進めるとのことで、ブッシュも応援すると勢いづいて来ました。イラクとチェチェンと―世界は統治の秩序を失っています。今回の事件も、今回だけで見たら判断を誤ります。旧ソ連やロシアがチェチェンになしたことを思い起こす必要があるでしょう。イラクも同じです。フセインを育てたのは誰でしたか?

かくして神の主権を踏み躙るブッシュが選挙戦で10ポイント、ケリーに差をつけたことのこと。アメリカ人好みの劇画的勧善懲悪路線に入っています。ブッシュの発言、@世界とアメリカは安全になった、A増加するテロには屈しない、おいおい、すでに自己撞着でしょうに。事実、彼はつい本音をもらして、「テロはなくならないかもしれないが、自分は最善を尽くす」と失言し、ケリーに叩かれた。

しかしそれは失言ではない。彼も実は知っているのである。前にチンパン顔のブッシュと揶揄したが、彼はオツムはそこそこあり、知っているのだ。もっと言えば、本当にテロが撲滅できると確信して戦争を仕掛けているのであれば、かえって怖い。それは狂気である。しかし彼は知っている、知っていながらやっている。これは立派な偽善であろう。彼の良心はどのような叫びを上げているのか。

そして彼らが、演技であっても、叫べば叫ぶほど、今回のテロのような幼い子供たちが犠牲となるのである。しかし加害者のテロリストもまた幼い自分の子供を失った者かもしれない。また自爆テロは夫を失った婦人によってなされている。何と悲しいことだろう。あまりにも悲しすぎる。

気分的にはジョン・レノンの『イマジン』の世界が恋しい。が、それはフェイクであり、むしろ人の罪の真実は今後ますます加速する。いかにもウソっぽい大リバイバルの偽預言者に踊らされているニッポンの教会よ、現実に目覚めよ。空回りの独り芝居はもう止めよ。今後、神のうめきをどれだけ共有できるか―伝道の鍵はここにある。

チェチェンテロの惨状に思う

ロシアのテロもすごい結果になりました。死者250人以上、負傷者700名。チェチェンについても人口100万、岩手県ほどの国でありながら独立を認めないのは石油資源が絡んでいるようです。
http://chechennews.org/

この種のテロ事件の背後にはイスラムが絡んでいるのですが、アメリカにしても聖書原理主義者にしても対イスラムの政策を間違えています。根底には信仰の覇権主義ではなく、アイデンティティの問題が絡むからです:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity13.html

私たちの立場からこの種の話を論じますと次のようになります。人間の脳は(あれ、いきなりなぜ、と思った方、ちょっと付き合ってください)、脳幹、その上に辺縁系と基底核、さらにその上に大脳皮質の3層構造からなります。

脳幹は生命現象の基本を司り、辺縁系や基底核は性欲、食欲、運動中枢を、皮質は知能と行動を制御します。で、いわゆる知・情・意(聖書で言う魂)は感覚や情動を支配する辺縁系と、運動に関わる基底核の働きと同期します。この辺縁系には海馬や扁桃といった人の原初的情動や記憶と関わる機構があります。大雑把にいって、深い記憶は海馬と、扁桃は情動と、即坐核は意志と関係します。つまり心の実体(聖書的には心を支える機構)はこの辺縁系と基底核なのです。

しかし人間は大脳皮質が大きく発達して、いわゆる知性を肥大化しました。さて、言いたいことは、人の深いアイデンティティや愛情などの情動をコントロールするのは脳の第二層であり、いわゆる思想や主義を生み出すのは第三層なのです。表向きの正しさを押し付けられるとあえて反発したくなるのは、相手は大脳皮質に訴えているのですが、自分の辺縁系・基底核が情動的に拒否しているのです。逆に、同胞を守ったり報復するための自爆テロなどの場合、大脳皮質の論理性は抑圧され、辺縁系・基底核レベルでの反応が起きているわけです。人間は論理によって行動するのではなく、実はこの第二層の情動によることが多いのです。

お分かりでしょうか、アメリカ的聖書原理主義者などは聖書解釈の整合性や論理性に訴え、また自由と平等などを旗印に論理的に相手を自分の境界線の中に入れ込もうとしますが、相手は大脳皮質で反応してはいないのです。彼らは自分たちの民族的なアイデンティティや宗教、それは脳の第二層に焼きこまれていますが、を守るために反応します。

チェチェンの人々にしても彼らは元々のテロリストではありません。テロをしていますが、生まれは普通の市民なのです。しかし彼らの脳の第二層に焼きこまれた民族の誇りやアイデンティティを否定される時、止む無くテロと言う手段に訴えるしかなくなるのです。テロはもちろん許されません、が、彼らを追い詰める脳の第三層による西欧型思考行動パタンを省みる必要があるでしょう。民族の自立や誇りは大脳皮質にはないのです。聖書解釈を誇ったり、見せ掛けの正義の旗を振り回す人々は人間を知りません。ついには武力で制圧できるという幻想に落ちています。

人の心が理解できなくて、どうして人を治めることができましょう。この手のテロが起きるとすぐさま、「あくまでテロと徹底的に戦い、テロリストを駆逐する」と口を尖らせて叫ぶ猿的政治家が多いですが、これは幻想です。なぜなら元々テロリストなどはいないからです。彼らが自分でテロリストを生み出しているからです。

福音伝道の場面でも同じです。相手を折伏して、相手の第二層を否定するならば、けっして人は神の愛を知ることはできないでしょう。なぜならそのような伝道は第三層に訴えているだけだからです。心の働きを支える第二層に訴えることなしには人は心を開きません。この意味で聖書知識とキリスト教習俗・文化を強要するアメリカ型の宣教が不毛であったことはすでに歴史が証明しています。真理は普遍ですが、真理を入れる器に対する配慮が必要なのです。それは大脳の第二層に訴える伝道です。→
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity16.html

Urban Legends

昨日のブッシュのネタについては、いくつかサイトを当たってみましたが、確かにどうもジョークのようです。まあ選挙のネガティブキャンペーンとしては彼にぴったりのネタをよく考えたものと感心していますが、tomi先生のリンク先を含め、この種のサイト、これがけっこう面白い。"Urban Legends"、要するにもっともらしい噂話や伝説的な逸話の真偽を確認するサイトですが、そのネタが実に練れている。二つほど紹介しておきます:

http://www.snopes.com/
http://urbanlegends.about.com/

一方ひるがえってキリスト教界にもこの種の話がよくあります:

・現代の大預言者リック・ジョイナーの、天国に行ってパウロに会ってきた話

・アルゼンチン・リバイバルの立役者アナコンディアの、手の無い人のために祈ったらニョニョキと手が生えてきた話

・ラインハルト・ボンケの、死んだ牧師がよみがえった話

・携帯電話が通じない航空機の中から電話して「レッツロール」した911テロリストと果敢に戦ったクリスチャンの話

などなど。

上にあげたサイトでは、昨年の唐沢財前で好評だった『白い巨塔』のテーマ曲(理由がいまだ不明であるが)になった「アメージング・グレース」の作者ジョン・ニュートンに関わる逸話も検証されています。この手の逸話はどうも、この世ではえげつなくなる方向へと脚色され、教界では美談化あるいは神秘化する方向へ脚色される傾向があるようですね。

真実の行方―これからますます分からなくなりそうな予感です。
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing32.html

2人のアメリカ人

ジェンキンスさんは座間キャンプに出頭し、良心のけじめをつけるとのこと。彼はなぜ北朝鮮に亡命したのか。巷間言われているとおり、ベトナム派兵から逃れたのであろうか。いずれにしろ、自分の良心に従うこと、彼は神の目に憐れみを得るだろう。今後の手続きが順調に進むことを願う。

対して、ブッシュは相変わらずの強気。徹底的に対テロ戦で勝利するの一点張り。TIME誌の今週号でもインタビューに対して強気で答えているが、何か虚勢を張っている感も否めない。まあ、止むを得まい、見込み発車してしまったからだ―偽りの線路上を。さて、彼の終着駅は?

彼は自分の心の真実を見ないように、自分の良心を偽っている。良心の喪失により、信仰の破船に至るであろう。行く所まで行くのだろう。自由と正義をあえて叫ばざるを得ないアメリカの病理―インディアンを虐殺してからの偽りの繰り返し。これを強迫反復と言う。→http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing53.html

それにしても面白いニュースがあった。彼の国語力の欠如。中絶手術(これには見かけ上彼は正しい判断を示しているが)に関して演説した時のこと。胎児(fetus)と糞・下り物(feces)を見事に間違って使い、聴衆は意味不明だったとのこと。→http://www.path.ne.jp/~robcorp/bbs/wwwboard.cgi

フロイト的には言い間違えとか物忘れには深層心理の病理があるが、彼は単に国語力が欠如していたのか、フロイトの指摘する病理によるのか。もしかすると彼にとっては貧しい若者やイラク人を虐殺する良心の呵責を中絶手術への反対によって宥めようとしているとうがった見方もできる。しかし本音はこの単語の誤用に現れた。

中絶にカゲキに反対しつつ、戦争に突き進むという解離性。敵意や憎悪を抱えている人は、しばしば表向き紳士にして謙遜を装ったり、ボランティアや福祉現場で献身的に働くことはよくある。愛を訴えたり、平和を叫ぶ人がしばしばもっとも愛に欠如し、攻撃的な深層心理を抱えるもの。福祉施設ではよく陰湿な虐待がある理由である。

二人のアメリカ人。ひとりはアメリカを捨て、その権力によって子羊のように裁かれ、ひとりはアメリカを誇り、その権力によって武力を持って主権国家を裁く。共に神と良心を偽ることはできない。彼らを究極的に裁くのは神と自らの良心。その真実はいずれ明らかになるだろう。

注:ブッシュの言い間違いは選挙のネガティヴ・キャンペーンのネタだそうです。(04/\)

懐かしいぞ!

<給食レストラン>アルマイト食器で「懐かしさ」売る→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040902-00000065-mai-soci

古の学校給食メニュが流行らしい。あのアルマイトの食器。独特の給食の匂い。脱脂粉乳が膜を張って、アルマイトの食器のヘリにベターとくっついた跡。誰かが飲んだ跡だから、何とも気持ちが悪かったし、脱脂粉乳のまずさは折り紙つき。アメリカ軍が飲んであまったのを回しているんだと噂に聞いた。たまに甘いフルーティなミルクが出ると、みんなで取り合いの修羅場。

鯨の竜田揚げが硬くて、噛んでいるうちに味が消え、ゴムを噛むが如し。で、いつまで経っても飲み込めない。私はこれでついにゲロを吐いたことがある(っと、すみません・・・)。コッペパンはまた味がなく、ボソボソ。マーガリンも塩味程度で、これをなすりつけて、汁物と一緒にかろうじて溶かして飲み込む。

それでも中学になってからはビンの牛乳もパンもおいしくなった。武居という男がいて、友達から牛乳を集めて、20本飲んで、おしっこが白くなったと自慢してたっけ。またポテトサラダをアルマイトの皿の上でペタンペタンとやっているうちに、何と天井に張り付いた。授業中天井にくっついたサラダが気になって仕方がなかった。

彼は体育以外はオール1か2でしたが、中卒でオヤジさんの土方仕事をしたり、最近では警察の手入れを警戒しつつ闇金をやって稼いだ金で家を二軒も建て、一軒は離婚した妻に与え、しかも孫がいるとのこと。「金貸しをしていると人生の儚さ、人の心の裏表が身に沁みる」としみじみ言っている。顔は寅さんにクリソツ。私の2倍の人生を生きている。

いやあ、懐かしいぞ。横浜にラーメン博物館があって、昭和30年代の雰囲気が味わえるが、ちょっとこの給食レストランに行ってこようかしらん。思えば遠くに来たもんだ・・・。

本当に必要なもの

BBSである方が、究極にはイエス様と御言葉に行き着く、と書いておられた。まことにそのとおりであり、言い換えると、イエスの霊である内なる御霊と、イエスの言葉である外なる聖書(御言葉)で十分。

次から次へと新説や新しい霊の流れとか、ミニストリーやテクニックが現れては消えしている教界を見ていると、結局は「掴んでない」ことが分かる。こうして教えの風に吹き回されている。

人間に真に必要なものはそれほど多くはない。自分が本質的に必要としているものが、実は分かっていないから、「掴む」ことができない。そしてアチコチさ迷う。かくして、「あの先生はかくかく」、「このミニストリーはしかじか」・・・不要な知識を一杯詰め込んだ耳年増は増える。ちなみに私はクリスチャン・メディアはまったく読んでいない。

ジョージ・ミュラーは言っている、「若い頃はあれこれ種種雑多な本を読み漁ったが、聖書を読んでいなかった。今は聖書を読むようになって、他の本は読まなくなった」と。無人島に流されるとき、ただ聖書1冊を持っていけば十分だと、どなたが言っていたが、リバイバルのための備えは、実は捨てることにある。これまで仕込んできた不要な物を捨てること。そのとき聖書だけが残る。

BBSでのカキコを繰り返すが、リバイバルの"リ"に戻ること。"リ"とは「初めから聴いていたこと」に他ならない。

コロサイ2:9−10
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。

このキリストがすでに内にいます−ハレルヤ、あなたには何か欠けているものがありますか?NO,すでに十分です。

 You are MORE THAN ENOUGH, Jesus!